化け物
《ヴォルカ!奴らの逃走方向は?》
《北西約2キロ地点!森の奥へ向かってる!》
ユリウスの脳内に直接響くヴォルカの声。ガレスとカシアンを掴んだまま飛翔を続けるユリウスだったが──突如、前方から飛翔する異形の群れが出現した。
「キメラ……!?」
「追跡阻止のための刺客か!」
先頭のハヤブサ型キメラが羽を刃に変え急降下してくる。咄嗟に結界を展開し弾き返すユリウスだが、背後からも蜂型キメラが毒針を飛ばす。
(対応が速すぎる……)
鋭い痛みが頬を掠める。かすかに流れる血。
(誰かが見ている)
ヒリヒリとした憎悪の視線を感じる。ユリウスの目が冷たく細められた。無数のキメラが包囲を狭めてくる。
「……仕方ないか」
低く呟くと地面に降下。ガレスとカシアンの手を離し、ゆっくりと剣を抜く。
「そろそろ本気で怒りますよ」
その碧眼に宿る殺意と覇気に、ガレスとカシアンは思わず息を呑んだ。
***
「うっ……ここは……?」
乱暴に床へ落とされた衝撃でレオネルが目を覚ます。薄暗い地下監禁室。壁際に積まれた木箱や錆びた器具が埃を被っている。
「気づいたか、レオネル」
隣で蹲るダミアンが低い声で言った。王子二人を囲むように立つのは紫の粘液質のカエル型キメラが五体。
「お前たちの無様な姿を見てたら笑えてくるぜ」
嘲笑する男の声が奥から聞こえる。暗がりから現れたのは──痩せた初老の人間。目が異常なほど血走っている。
「お前が黒幕か……」
ダミアンが吐き捨てるように言った。
「目的は何だ。復讐か?それともただの愉快犯か?」
男は狂った笑い声を上げる。
「目的?決まってんだろ……貴様ら穢らわしい獣の血を根絶やしにするんだ」
壁に寄りかかりながら話し始める。
「昔話をしてやるよ。俺の故郷はな……お前達みたいな獣人たちに焼き払われたんだ」
レオネルが顔を歪める。かつて人間と獣人が血みどろの戦いを繰り広げた歴史──彼の言葉はその断片を抉る。
「小さい平和な村だった。なのに……貴族の気まぐれでな。見初めた村男が反抗的だったから『村ごと焼き払え』ってな……!」
男の手が震える。爪が掌に食い込むほど握りしめられる。
「それ以来ずっと狙ってたんだよ……復讐する機会を。そしてやっと……出会えた」
恍惚とした笑みを浮かべる。
「『彼の方』が声を掛けてくれた。私の思いを聞いてくれた。共感してくれた!そしてこの私に……怪物どもを操る偉大な力をくださったんだ!」
両手を広げ、天井へ向かって叫ぶ。
「だから!貴様ら貴族も王族も!村も!街も全部全部ぶち壊してやる!根絶やしにしてやる!」
ダミアンはそれを嘲笑で迎えた。
「……滑稽だな」
「何がおかしい……」
「借り物の力ではしゃいでいるだけじゃないか。情けない」
男の顔が怒りで歪む。
「痛めつけろ……殺すな。とどめは私が刺す!」
キメラたちが牙を剥く──その刹那!
窓ガラスを激しい音と共に打ち破って、黒い巨体が突入してきた。
「ヴォルカ!?」
ダミアンが目を見開く。黒狼竜が巨大化しながらキメラに体当たり。吹き飛ばされたカエルが壁に激突する。
「逃げろ!!」
ヴォルカが吠える。だがすぐに起き上がったキメラが反撃。鋭利な舌がヴォルカの翼膜を貫く。
「くそっ!」
ダミアンが駆け出す。男目掛けて突進するが──横から伸びたキメラの腕が彼を捕らえた。
「ぐっ……!」
肋骨が軋む音。男は満足げに笑う。
「すぐには殺さん……じわじわ嬲り殺しにしてやるんだよ」
「ダミアン兄様!」
レオネルがキメラの腕に噛みつくが無駄だった。振り払われ、壁に叩きつけられる。
肺から空気が抜ける衝撃に喘ぐ。
「無駄だよ、王子様。お前も同じ末路だ」
男が冷たく告げる。ダミアンは血を吐きながらも笑みを消さない。
「……何がおかしい?」
「……本当の化け物が来るぞ」
意味不明な台詞に男が眉をひそめたその時──轟音と共に天井が崩れた。
埃煙の中から舞い降りるのは三つの影。一つはガレス。もう一つは豹の騎士カシアン。そして最後は──
「……ユリウス・クラウディール」
ダミアンが呟く声は微かだった。そこに立つ青年の顔は普段の柔和さなど微塵もない。怒りに震える碧眼が男を貫く。キメラ群れが唸りを上げて襲いかかる。
ユリウスはゆっくりと手を掲げた。虚空に描かれる幾何学模様の魔法陣。それは瞬く間に拡大し、室内全体を覆う結界と化した。
『消えろ』
その言葉と共に──閃光が走る。キメラ群れが白熱の光に包まれ次々と爆散。飛び散る肉片さえ浄化され消滅していく。男が呆然と立ち尽くす。
「な……何をした……?」
「ただの無差別浄化魔術ですよ」
ユリウスの声は氷のように冷たい。
「ヴォルカを通して話は聞きました……獣人も人間も……皆等しく血塗られた歴史を背負っている。でもね」
一歩踏み出す。
「無辜の者を巻き込む悪意だけは許さない」
「無辜だと? 馬鹿な! そんな獣人は存在しない!!」
男が絶叫する。狂気の血走った目が見開かれる。
「この世のすべての獣人は滅ぼすべき害虫なんだ! 全部だ!!」
残されたキメラ五体が一斉にユリウスへ襲いかかる。
「させん!」
カシアンが獣人特有の敏捷性で前へ躍り出る。豹の俊敏さが閃光と化す。
「見切ったぞ……関節の隙間!」
鋭い剣尖がキメラの肘関節へ吸い込まれる。刹那、炎の魔力を注入。炸裂した爆炎が腕を粉微塵に吹き飛ばす。
「ガレスはレオネル殿下を守れ!」
指示を受けたガレスがダミアンとは逆側に蹲るレオネルへ駆け寄る。彼が背に王子を庇う。
ユリウスは──静かに動いていた。
「こんな可哀想な命を復讐の道具にするなんて……あまりにも浅はかです」
その声は冷たい湖面のように澄んでいた。しかし碧眼の奥には底知れない憤怒が渦巻く。
キメラの群れが三方から押し寄せる。ユリウスは軽く跳躍。同時に左手を閃かせた。
虚空に描かれる魔法式。複数の魔力波が十字に交差する。
『風葬乱牙』
魔力が物理的な刃となる。波紋のように広がった刃が、飛びかかる三体のキメラの首を同時に刎ね飛ばした。残骸は塵となって消えていく。
ユリウスは着地すると同時にダミアンへ歩み寄る。折れた肋骨が呼吸を妨げているダミアンが苦悶の表情を浮かべる。
「ダミアン、遅くなってすみません……今すぐ治します」
指先から柔らかな治癒の光が溢れる。骨が再生し、傷が塞がる。
残るは──復讐に狂った男ただ一人。
カシアンが豹のしなやかさで疾走し、男の首元に銀の刃を押し当てる。
「貴様が黒幕……とは言いがたいほど小物だな」
低く問う声に威圧が滲む。
「誰だ? 背後にいるのは? 吐け!」
男は唇を歪め、狂った笑い声を漏らす。
「まだだ……まだ終わらん!! 私の命などゴミ屑同然! むしろ……最後の花火だ!!」
その刹那──男の全身が異様に膨張し始めた。
「まずい!」
カシアンが反射的に刀を薙ぐ。首が宙を舞う。だが切断された胴体の膨張は止まらない。筋肉が裂け、血管が浮き出る。体内から何かが蠢く。
「僕の後ろへ!!」
ユリウスの怒号。ガレスがレオネルを抱え全力で後退。カシアンも跳躍しユリウスの背後へ滑り込む。
ユリウスの手が虚空を掴む。魔力が凝縮され光輝く半透明の障壁が形成される。
『天弦結界!』
直後──爆発的な衝撃波が空間を震わせた。
爆煙が晴れたとき、そこには異形が鎮座していた。
人間の四肢が百本近くも歪に生え出した巨大な肉塊。蜘蛛のような八本の太い脚が崩れかけの床を軋ませる。中心にあるかつて男だった部分は肥大化した肉の塊と化し、複数の眼球が不規則に蠢いていた。
「キェェェェェェッ!!」
耳を劈く甲高い叫びが天井を震わせる。無数の腕が一斉にユリウスめがけて殺到する。
それは巨大な波のようだった。
「ここから出ないで!」
ユリウスの警告と同時に彼は結界の外へ飛び出した。
眼前に迫る腕の群れ。ユリウスの剣が煌めく。
シュン──と風を切る音。刹那、十本以上の腕が斬り飛ばされる。しかしその傷跡は即座に再生し、新たな触手が生えてくる。
「はぁ……本当に今日は疲れますね」
ユリウスの息が僅かに乱れる。額に汗が滲む。
(再生が速すぎる……)
思考を巡らせる時間はない。再生する触手群が再び迫る。ユリウスは大きく跳躍した。剣を天井に突き立て足場とする。
「ならば……範囲制圧!」
両手を前方に翳す。巨大な魔法陣が虚空に展開。七つの魔力属性が渦を巻く。その魔力圧だけで空間が軋む。
『封印結界!』
眩い光が迸り、巨大な六角形の結界が結成。ユリウスと肉蜘蛛を内側に閉じ込める。外界からの干渉を遮断し、あらゆる魔力が凝縮された牢獄が完成した。
ユリウスが結界内へ踏み込む。
肉蜘蛛の数百本の腕が四方から襲いかかる。ユリウスは構わず前へ進む。
眼前に迫る腕群。ユリウスは──目を閉じた。
『全身強化!』
その刹那──腕の波が凍りついたかのように停止した。
否。ユリウスが一瞬で加速したのだ。
最初の一撃。閃光のような剣閃が数十本の腕を斬り飛ばす。
二撃目。回転しながら斬撃の嵐を巻き起こす。
三撃目。壁を蹴り反転し、背後から再生しかけた腕を薙ぎ払う。
再生、斬る
再生、斬る。斬る。再生。斬る斬る斬る斬る
ユリウスの動きが加速する。結界内部の空気が振動し、白熱の剣閃が幾重にも交錯する。それはもはや人の技ではなく──研ぎ澄まされた獣の狩りそのものだった。
肉蜘蛛の再生が追いつかない。斬られるたびに肉片が飛び散る速度が加速し、再生しようとする組織が崩壊を始める。百本近い触手が次々と塵となって消えていく。
やがて最後に残った肉塊が宙を舞った。
ユリウスが跳躍する。剣が一直線に閃く。
「終わりです」
ザシュッ──
核となる肉塊が真っ二つに裂けた。それは空中で灰となって霧散した。
ユリウスの足が床を捉える。同時に──
パリン……
ガラスが砕けるような音と共に、彼を囲んでいた封印結界が粉々に崩れ落ちた。細かな結界の破片がキラキラと降り注ぐ。薄暗い廃墟の中に、汗に濡れた金髪が乱れ舞う。荒い息を整える彼の輪郭が、降り積もる光の粒子の中で神々しく輝いていた。
その場にいた誰もが──
(人間か……?)
言葉を失った。ダミアンも、レオネルも、ガレスもカシアンも……全員が凍りついたように動けずにいた。あまりにも非現実的な美しさと狂気的な戦闘力のギャップに、脳が追いつかなかった。
「……終わったのか?」
ダミアンがかろうじて絞り出した声に、ユリウスはふぅと息を吐き微笑んだ。
「はい。もう大丈夫です」
その瞬間、張り詰めていた糸が切れたようにガレスがレオネルを抱いたままその場に膝をついた。王子は疲労と安堵で意識を失っていた。
「……すごいな」
カシアンがぽつりと呟く。その声には畏怖が混じっていた。
ユリウスは汗を拭いながらダミアンに向き直った。
「ダミアン……殿下……ご無事で何よりです」
「……ああ。改めてお前が『化け物』だと分かった」
ダミアンの言葉にユリウスは苦笑した。
「褒め言葉として受け取っておきます。それより……」
彼は床に転がった男の首を見下ろした。すでにただの死体となったそれが嘲笑うように歪んでいる。
「この男……誰かに操られていましたね。背後に別の存在がいる」
廃墟の奥から風が吹き抜けた。塵が舞う。
謎はまだ始まったばかり──そう告げるかのように。




