帰還
ガルドラン邸に戻ったユリウスが事の次第をガルドランに報告すると、剛毅なセイウチの顔から血の気が引いた。
「な……何だと!?王族が翼竜とムカデ蜘蛛に襲われた!?それに……鳥蝙蝠型のキメラまで……!?」
ガルドランは顔面蒼白になり、拳を握りしめてワナワナと震えた。
「……これは……由々しき事態だ……!至急王都に早馬を出さねばならん!こんな大規模なキメラの投入など……前代未聞だぞ!もしやこれは……本格的な侵攻の先触れかもしれん……!」
彼はユリウスの肩をガシッと掴み、その顔を見据えた。その奥の声には並々ならぬ感謝と安堵が滲んでいた。
「ユリウス殿……本当に……本当に助かった!貴殿がいなければ……王太子殿下も我々も危なかったかもしれん!改めて、王国に代わって礼を申す!」
そう言うとガルドランは深く頭を下げた。
「これ以上のご迷惑はかけられない!貴殿の恩は必ずや王国が報いると約束しよう!私はこれから王城へ急ぎ報告に向かわねばならない!どうかお休みくだされ!」
ガルドランはそう言い残し、慌ただしく部屋を飛び出していった。
ユリウスはしばし彼の去った扉を見つめ、やがて静かに犬の面を外した。血糊が乾いた面は妙に重かった。
「さて……」
ユリウスがそっと窓辺に目をやると、いつの間にか子犬サイズになったリュミナとヴォルカがちょこんと座っていた。二人とも煤と土埃にまみれていたが、怪我はないようだ。
「お疲れ様。君たちも大変だったね」
彼が優しく声をかけると、リュミナは尻尾をパタパタと振った。
「ユリウス様こそ!あのキメラたち……とんでもなく強かったです!特にあの鳥蝙蝠っていうやつ……」
ヴォルカも珍しく真面目な顔で頷いた。
「ああ……ありゃただモンじゃねぇ。あの鱗みてぇな体毛……オレ様の炎を弾きやがった。あんなモン自然界には存在しねぇはずだ。明らかに……何者かが『改造』したもんだ」
ユリウスは顎に手をやりながら考え込む。
「ふむ……改造……か。確かに。あの鳥蝙蝠の体毛は……まるで強固な鎧のようだった。あんなものを生物に施すなんて……並大抵の技術じゃない」
リュミナが不思議そうに尋ねた。
「ユリウス様は……キメラを作ったりしませんでしたか?」
その無邪気な問いに、ユリウスはふっと苦笑した。
「うーん……実はね」
彼は窓の外の夕焼けに目を細めながら、懐かしむように語り始めた。
「昔はすごく興味があったんだ。異なる生き物の特性を組み合わせたら、どんなに素晴らしい力を持った生物が生まれるんだろうってね。特にドラゴンみたいな強力な生命体をベースにしたら……って」
ヴォルカとリュミナは思わず顔を見合わせた。
「それで……実際に試したりとか……?」
ヴォルカが恐る恐る尋ねる。
ユリウスは首を横に振った。その瞳には、ほんの少しだけ寂しそうな色が浮かんでいた。
「いや……結局試し切れなかったんだ。父さんにも姉さんにも猛反対されたし……それに……フラナル兄さんにもね」
彼の声は少し震えていた。普段の飄々とした口調とは違う、深い感情が込められていた。
「あの時は本当に……人生で一番怖かったかもしれない。兄さんが本気で怒ったのは、あの時だけだったよ。『生物を弄ぶことは自然への最大の冒涜だ!そんなことをすれば、お前は二度と私たちの弟じゃなくなる!』ってね。兄さんはいつも優しい人だけど……あの時の怒りは……本当に身が竦む思いだった」
「そりゃそうだろ……」
ヴォルカは深く頷いた。その顔には「当然だ」という同意と、クラウディール家に対する一種の尊敬の念が浮かんでいる。
彼は隣のリュミナに小声で言った。
「やっぱクラウディール家の人間はすげぇな……この自由奔放すぎる坊ちゃんをギリギリ真人間の範囲内に押し留めてきたんだぜ?」
リュミナもしみじみと頷き返す。
「うん……お兄さんたちがいなかったら……世界はもっとヤバいことになってたかも……」
二人のドラゴンの間に、クラウディール家の人々に対する(主にユリウスの抑止力としての)感謝と畏敬の念が静かに共有された。それは彼らにとって、ある種の「共通認識」となっていた。
一方ユリウスは、その二人のひそひそ話には気づいていないようで、ただ物憂げに窓の外を眺めていた。夕闇が深まりつつあった。
「禁忌……か」
ユリウスはポツリと呟いた。
「あのキメラ達は凄かった、でも間違った使われ方をされてしまった可哀想な子達だった……」
彼の目には静かな怒りが宿っていた。しかし同時に、その深淵には好奇心の光もちらついていた。危険な玩具を見つけた子供のように。
***
翌朝早く、ユリウスは学院長室の重厚な扉をノックした。
「入りなさい」
低く落ち着いた声が響き、ユリウスは恭しく一礼して室内に足を踏み入れる。書物と古文書に囲まれた部屋の奥で、レギア・レオニス学院の最高権力者であるアルセリオ・ヴァンが静かにこちらを見据えていた。長い白銀の髪は絹糸のように艶やかで、深紅のローブはまるで燃え盛る炎を宿したかのようだ。その碧い瞳は年齢を感じさせない鋭さを湛えている。
「お呼びでしょうか、学院長」
ユリウスが畏まって尋ねると、アルセリオは小さく頷いた。
「報告に関してもう少し詳細を聞きたい。アストライアで遭遇したという奇妙な化け物のことだ」
ユリウスは一瞬だけ目を閉じた。報告内容を整理する。当初の予定外に三種類のキメラ――翼竜とムカデ蜘蛛、そして鳥蝙蝠型――の出現。その異常な強さと、統制された動き。そして何より、レオネル王子が危機に瀕していたこと。
「出来事は全て書面でご報告の通りです」
彼は淀みなく語り始めた。王族が襲撃されていた事、またその後別の場所で村が襲撃されていた事。ヴォルカとリュミナの活躍も含めて、事細かに伝える。
アルセリオは口を挟むことなく聞き入っていたが、キメラの数や特徴を聞いているうちに、その眉間に僅かに皺が寄った。やがてユリウスが話し終えると、深い溜息を一つついた。
「……なるほど。『蛇鳥』、『ムカデ蜘蛛』、『熊蟹』、『鳥蝙蝠型』とやらのキメラか。そして複数個体による連携……か。これはただ事ではないな」
老魔導師はゆっくりと頷くと、ユリウスを見据えた。
「クラウディール君。君がその場にいなければ、最悪の事態もあり得たかもしれん。……よくやった」
「恐縮です」
ユリウスは静かに頭を下げた。
「そのキメラども……君ほどの者が厄介と感じるレベルだったのだな?」
アルセリオの問いには、純粋な確認と共にユリウスの評価を測る意図も含まれているようだった。
「はい。少なくとも私が知る一般的な魔物とは全く別物でした。それぞれが単独でもかなりの脅威でしたが、連携された場合の対処は困難を極めます。幸い、ヴォルカとリュミナが加勢してくれたので事なきを得ましたが……」
彼は僅かに首を傾げた。
「特にあの熊蟹……私の魔法を完全には防げていませんでしたが、効果を著しく減衰させていました。何か特殊な手段で防御力を強化されていたようです」
アルセリオは唸るように低く呟いた。
「やはりな……単なる突然変異や偶然の産物ではない。何者かが意図的に作り出した『兵器』ということか……」
彼は窓の外に広がる学院の敷地を見やった。ここが戦場になる日が来るかもしれないという不安が、その背中から滲み出ているようだった。
「この件は学院としても重大な懸念事項だ。上層部と協議し、対策を講じる必要があるだろう。クラウディール君、今回の働きに感謝する。だが、くれぐれも油断はするな。奴らの目的が掴めぬうちはな」
「はい!」ユリウスは再び頭を下げ、学院長室を後にした。
***
廊下に出たユリウスは、大きく伸びをした。
「流石に疲れたなぁ……」
レオネル王子の危機を救い、ヴォルカたちと協力して村を守る。そして今、詳細な報告を終えた。昨日の出来事があまりにも濃密すぎて、まだ夢の中にいるような気分だった。
そんな彼の耳に、硬質な靴音が響いた。振り返ると、そこに立っていたのは凛々しい黒の鬣を持つ若獅子――ダミアンだった。
「む……ユリウスか。ここで何をしている?」
ダミアンは鋭い眼光でユリウスを見据えている。学院長室から出てきたユリウスに警戒心を抱いているのだろう。
「ダミアン。丁度良かったです」
ユリウスはニコリと微笑みかける。
その屈託のない笑顔に、ダミアンは少し面食らったように眉をひそめた。
「良かった?何がだ?」
「レオネル殿下のことです。彼とは仲良いのですか?」
唐突な問いかけに、ダミアンの表情が一変した。
「……何故そんなことを聞く?」
その声には明らかな警戒と苛立ちが混じっている。兄弟の関係に土足で踏み込むような質問は、王族にとっては禁忌に近い。
ユリウスは悪びれる様子もなく、肩をすくめた。
「彼が昨日、魔物に襲われまして」
「なんだと!?」
ダミアンの顔から血の気が引いた。握りしめた拳が微かに震えている。
「どういうことだ!レオネルは何処だ!?無事なのか!?」
普段の尊大な態度からは想像できないほどの狼狽ぶりだった。兄としての本心が露わになっている。
ユリウスは慌てて宥めるように手を振る。
「落ち着いてください。昨日学院長の指示でアストライアに行っていたのですが、私がなんとか撃退しました。レオネル殿下も無事ですよ」
「……そうか」
安堵の息を吐くダミアン。しかしその表情はすぐに険しさを取り戻す。
「何があった?詳しく話せ」
ユリウスは昨日の出来事を手短に説明した。奇妙なキメラの群れに襲われたこと。レオネル王子が危うく命を落としかけたこと。そして、自分が駆けつけ、キメラを退けたこと。
話を聞き終えたダミアンは、しばらく無言で俯いていた。やがて顔を上げた彼の瞳には、深い陰りと決意の色が宿っていた。
「そうか……レオネルが……」
彼はぽつりと呟いた。
「……前にも話したと思うが」
低い声で切り出す。
「王族の命は狙われるのが常だ。私も、そして弟たちも例外ではない。常に誰かが、我々の命を狙っている」
その言葉には、王族としての重責と孤独が滲んでいた。
「今回は偶々お前に助けられた。だが次は……?あるいは私自身が標的となるかもしれない。学院の結界は強固だが、絶対ではない。油断はできん」
ユリウスはダミアンの言葉に静かに頷いた。
昨日の出来事が頭をよぎる。あのキメラは明らかに誰かの意思によって生み出され、操作されていた。
「確かに。あの魔物は尋常ではありませんでした。誰かが意図的に生み出して送り込んできたのでしょう」
ダミアンは厳しい顔で頷き返した。
「……礼を言う。レオネルの命を救ってくれたこと。そして情報を与えてくれたこと」
それは素っ気ないながらも、真摯な感謝の言葉だった。
「私は一度本国にこの件について探りを入れてみる。お前も用心しろよ、ユリウス。奴らの狙いが王族だけとは限らんからな」
彼はそれだけ言うと、踵を返して足早に歩き去った。その背中は先程よりも一回り大きく、そしてどこか頑なに見えた。
残されたユリウスは、その遠ざかる背中をしばし見送っていた。
「王族も色々大変なんだなぁ……」
他人事のように呟く。しかし、彼の胸の奥には確かな不安と、そしてある種の高揚感が渦巻いていた。
未知の敵。意図的に作り出された怪物。そして王族を狙う陰謀。
――不謹慎だが面白いことになってきた。
ユリウスは微かに口角を上げた。
彼の楽しい学院生活は、どうやら思いもよらない方向へと進み始めていたようだ。
その足は自然と寮の方へ向かい始めていた。まずは疲れを癒し、そして次に備えなければならない。そんな思考を巡らせながら。




