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キメラ

寄り道を終え、ユリウスはようやく本来の目的地に到着していた。しかし気配を探っても魔物らしきものはいない。


「ふむ……」


彼は瓶の蓋をそっと開けた。先程の蜘蛛と蛇の死骸が小動物程度の大きさに縮小されている。魔術の応用だ。


「まずはこちらから確認しましょうか」


蜘蛛の死骸を取り出し、目の前で広げる。一本一本の鋭利な脚を指でなぞり、関節の構造を観察する。続いて頭部の複眼に触れた時、ユリウスの瞳が怪しく輝いた。


「素晴らしい……!生命同士を無理に繋ぎ合わせたのではない。最初からこの姿で生まれた……いや、設計されたものだ」


恍惚とした表情で呟くユリウス。彼の指が蛇の頭部に移ると、牙の形状を丹念に調べ始める。


「そして……わずかに残るこの魔術痕」


指先に集めた微細な魔力の残滓を宙に浮かせる。それは蜘蛛の頭部に付着したものだが、通常の錬金術や召喚術とは異なる独特の波長を持っていた。


「これを辿れば……」


彼は複雑な幾何学模様を地面に描き、詠唱を始めた。魔法陣が淡い青色に輝き、一本の光の筋が出現する。それは森の奥深くへと続いているようだった。


「よし、行こう!リュミナ!ヴォルカ!」

ユリウスは満面の笑みを浮かべて光の筋を追う。

その後ろで、リュミナはげんなりとした表情で首を振り、ヴォルカは呆れたように鼻を鳴らしていた。


***


光の筋を辿ること数十分。前方から不吉な黒煙が立ち上るのが見えてきた。ユリウスは咄嗟に犬のお面を装着し、速度を上げる。


そこは小さな村だった。少なくともそうであった場所だ。至る所に無惨な獣人の遺体が転がっている。老若男女の区別なく、四肢を引き裂かれたり、内臓を食い破られたりしている。漂う死臭と血の匂いが鼻を突き刺した。


「……酷いな」


ユリウスは不快感に顔を歪めながら呟いた。肩の上でリュミナとヴォルカが小さく震えるのを感じる。


その時、地響きと共に複数の悲鳴が上がった。


ユリウスは悲鳴の方角へ駆け出した。前方に古びた教会のような建物が見えてくる。今まさに巨大な何かが教会の扉を破壊しようとしており、数人の村人たちが斧や鍬を手に必死の抵抗を見せていた。


「あれは……!」


それは以前に遭遇した魔物のさらに異形種だった。巨大な熊の体躯に蟹のようなハサミと甲殻を身に纏っている。全身に禍々しい魔力を帯びており、その存在自体が災害のようだった。


「リュミナ!ヴォルカ!周囲を警戒!援護を頼む!」


ユリウスが叫ぶと同時に、巨体に向かって一直線に跳躍した。空中で魔力を脚に集中させ、渾身の回し蹴りを魔物の側頭部に叩き込む!


ゴォンッ!という鈍い衝撃音。ユリウスの体重と加速、そして魔力増幅が乗った一撃は並の魔物なら頭蓋を粉砕する威力だ。しかし――


「おっと」


ユリウスの蹴りは魔物の鋼鉄のような甲殻に阻まれ、深手を与えるには至らなかった。衝撃でわずかに後退しただけだ。


「なるほど……これは面白い」

仮面の下でユリウスはにっこりと微笑んだ。


「君たちのような『作品』がここまで完成度を上げているとは……一体誰が作り出したのかな?」


魔物が怒りに燃える眼でユリウスを睨みつけた。巨大なハサミを振りかざし、地面ごと抉り取るような勢いで叩きつけてくる。

ユリウスはそれを軽やかに躱し、腰に下げた短剣を抜き放った。


「さて、どこまで攻撃に耐えられるものなのか……見せてもらいましょうか?」


血に濡れた廃村に、新たな戦いの幕が切って落とされた。


巨大な熊蟹キメラが雄叫びを上げる。その声は大地を震わせ、教会の残った窓ガラスがビリビリと音を立てた。ユリウスは冷静に敵を見据える。ハサミの先端からは透明な液体が滴り落ち、地面に触れるとシュッと煙が上がった。


(酸か……厄介だな)


最初に動いたのはキメラだった。右腕のハサミを横薙ぎに振るう。轟音と共に空気を切り裂く一撃。ユリウスは紙一重で後方に跳躍し、ハサミの軌跡が僅かに服を掠めた。


「おっと危ない」


口調とは裏腹に、彼の目は鋭くキメラの動きを捉えている。着地と同時に地を蹴り、一気に距離を詰める。魔力で強化された短剣を甲殻の継ぎ目めがけて突き出した。


ガキンッ!


しかし刃は甲殻に触れた瞬間、金属がぶつかるような音と共に弾かれた。ユリウスの手に衝撃が走る。


「やはり硬度が高いか……」


彼はすぐに後退し、短剣を振って痺れを払う。


キメラは好機と見たのか、怒りに任せた突進を仕掛けてきた。鋼鉄の塊が迫ってくるような圧力だ。ユリウスは左にステップし、すれ違いざまに足元を薙ぎ払う。しかし分厚い皮膚は容易には傷つかない。


その時だった。頭上から鋭い風切り音が響く。巨大な蝙蝠が天井の残骸を突き破って急降下してきたのだ。その翼長は優に三メートルを超え、嘴は鳥類のように尖っている。鳥蝙蝠と呼ぶべきか。


「リュミナ!ヴォルカ!」

ユリウスの叫びに応え、子犬サイズだった二匹が一瞬で元の巨大な竜へと膨れ上がる。


「ギャァァアアアッ!」


リュミナは煤の嵐を巻き起こし蝙蝠の視界を奪い、ヴォルカは「灼熱咆哮」で牽制する。鳥蝙蝠はたまらず高度を上げ、二人の竜に牙を剥いた。


ユリウスは一息つき、視線を再びキメラへと戻す。


「さて、まずは安全確保だ」


彼は教会の崩れかけた壁と柱に向け、両手をかざした。


「大地の精霊よ、汝の慈悲をもって此処を守護せよ……『堅牢なる守護壁』!」


詠唱と共に地面から黄土色の光が立ち昇り、崩れかけた壁を覆っていく。見る間に土砂が凝固し、分厚い岩壁へと変わっていった。出入り口を残し、教会全体を半球状の障壁で囲う。これで万が一にも瓦礫が降りかかる心配はない。


「皆さん!決して外に出ないでください!中にいれば安全です!」


ユリウスが教会の中に向かって叫ぶと、中からか細い返事が聞こえた。生き残りの村人たちがいるのだ。彼らを巻き込まないためにも、ここで決着をつける必要がある。


キメラが再びハサミを振り上げた。今度は上段からの振り下ろし。ユリウスはそれをギリギリで回避し、懐へ潜り込む。


「ワンパターンですよ!」


短剣の柄を握り直し、今度は腹部と思われる部位へ連続で突きを放つ。ガキン、ガキンと乾いた音だけが響く。表面の甲殻が魔力を吸収するかのように刃を跳ね返す。


(やはり外殻には刃も魔力も通じにくい……ならば)


怒り狂ったキメラが両腕のハサミを交互に繰り出してきた。巨大な鉄塊が嵐のようにユリウスを襲う。


ユリウスは踊るようにその攻撃をすべて避けた。右へ左へと流れるような動きは、まるでハサミの間を縫うように正確だ。しかしキメラの攻撃範囲は広く、時折風圧だけで地面が抉れる。


(どこまで強度があるのか!)


キメラの猛攻が途切れた一瞬の隙を突き、ユリウスは跳躍した。教会の壁を蹴り上げ、さらに高く。そして落下の勢いに乗せてキメラの頭部めがけて蹴りを叩き込む!

ドゴォン!


凄まじい衝撃音。キメラの巨体が僅かに揺らいだ。しかし決定打には至らない。ユリウス自身も数メートル後方へ弾き飛ばされるが、華麗に着地を決めた。


「素晴らしい頑強さ!。なら……」


ユリウスは掌を地面に突き立てた。

「大地よ、我が呼び声に応えよ……『尖塔の槍衾』!」


次の瞬間、キメラの周囲の地面から無数の土の槍が鋭く突き出した。キメラは驚いて後退しようとするが、すでに足場は槍によって穿たれている。


「逃がしません」


ユリウスは右手を高く掲げ、キメラの巨体を見下ろすように意識を集中させる。虚空に複雑な重力魔法陣が展開された。


「『重圧の楔』!」


キメラの体に不可視の重力が圧し掛かる。ぐぐぐ……とキメラが膝をつきかけた。その隙を見逃さず、ユリウスはさらに魔力を込める。


「おいで」


彼が軽く指を振ると、まるで糸に引かれるようにキメラの巨体が地面の槍の上に浮かび上がった。槍の先端がキメラの腹部に狙いを定めている。

キメラは必死に抵抗し、ハサミを振り回して暴れるが、強大な重力には逆らえない。


「終わりです」


ユリウスが掲げていた手を振り下ろす。

ズドォォン!!


猛烈な地響きと共にキメラの巨体が槍の上に激突した。分厚い甲殻が耐えきれず、内側から赤黒い血と肉片が飛び散る。それでも完全に貫通したわけではなく、キメラは苦悶の咆哮を上げながらもまだもがいていた。


「しぶといね」


その時だった。上空から追い詰められた鳥蝙蝠が、混乱に乗じてユリウスに飛びかかってきたのだ。巨大な翼で風を切り、鋭い嘴をユリウスの頭部目がけて突き出す。


ユリウスの唇が薄く笑みを浮かべた。

「待ってたよ」


彼は微動だにしなかった。鳥蝙蝠の影がユリウスに重なる瞬間――

ゴゥン!


鳥蝙蝠は見えない壁に激突したかのように減速し、そのまま吸い寄せられるようにキメラの上へと落下した。自らの体重と重力魔法の効果で、槍の穂先は鳥蝙蝠の腹部を深々と貫いた。二体の断末魔が重なり合う。


血しぶきが噴き上がり、あたりが一瞬にして地獄のような光景と化した。ユリウスの足元まで温かい血が流れ込んでくる。


彼は静かに教会の方を見た。

「もう大丈夫ですよ」


いつの間にかリュミナとヴォルカは再び子犬サイズまで縮み、周囲に「煤隠れ」の魔術を展開していた。彼らの気配は完全に消えている。


ユリウスがゆっくりと教会の前に歩み出ると、恐る恐る扉が開き、数人の村人が顔を覗かせた。彼らは目の前の凄惨な光景に言葉を失っている。


「怪我人はいませんか?」


ユリウスは穏やかな声で問いかけた。


「助けに来ました。もう安全ですよ」


彼の白い外套は返り血で斑に染まっていたが、その表情は依然として冷静だった。


「だ……誰だ……?」


恐る恐る顔を出したのは、羊獣人の老婆だった。その背後から、狐耳の若者や猫耳の母親に抱かれた子供たちがおずおずと教会の中から出てくる。皆一様に体の一部を負傷しており、服は血と泥に汚れ、恐怖で顔色が失せていた。


ユリウスは血に染まった外套を脱ぎ捨て、腰に巻き付けていた清潔な布を取り出した。それは予備の包帯だった。


「皆さん、落ち着いて。もう安全です。私は領主様の指示により魔物の調査に来たものです。まずは傷の手当てをしましょう」


彼の顔には白地に金色の隈取りの入った犬の面がつけられていた。それは魔術の効果により本物に見えているはずだ。声は先ほどまでの凛としたものとは異なり、少し加工されたような不自然な響きを帯びていた。


「か……神様……」


誰かが呟いた。

老婆が跪き、涙を流しながらユリウスの足元に額を擦り付けた。


「お……お救いくださった……ありがとうございます……!」


「いやいや、神様なんて大袈裟な」


ユリウスは苦笑しながら、最も重傷そうな若者の傍に膝をついた。


「痛いですね。少しジッとしていてください」


彼は掌を若者の骨折した右腕に当てる。微かな緑色の光が漏れ出し、骨が軋む音と共に傷が癒えていった。


「……魔術……!?」

「本物の聖者様だ……!」


驚愕と畏怖の視線が集まる中、ユリウスは淡々と治療を続ける。傷口を塞ぎ、炎症を鎮め、疲弊した体力を回復させていく。その手際は鮮やかで、まるで熟練の治療師のようだった。


教会の中はいつしか静寂に包まれた。ユリウスが一人一人に優しく語りかけながら治療を施す姿は、確かに救済者のそれだった。誰もが口を閉ざし、ただ彼の奇跡を呆然と見つめていた。


最後の子供の小さな切り傷を癒し終えたユリウスは、ふぅと息をつくと立ち上がった。

「これで一通り終わりました。皆さん、本当に災難でしたね」


「いえ……いえ……!本当にありがとうございました!」


代表して羊獣人の老婆が深々と頭を下げた。


「ですが……あの恐ろしい化け物たちは……一体……?」


ユリウスは僅かに顔を曇らせた。


「それが……私も詳しく知りたいのです。あの化け物たちが現れた時のこと……覚えていらっしゃることはありますか?何か変わったことはありませんでしたか?」


若者の一人が震えながら口を開いた。


「きゅ……急に空が暗くなって……それで……大きな化け物が……村の柵を引き裂いて……あっという間に……みんな……」


恐怖が蘇ったのか、その声は次第に震え、言葉にならなくなった。


他の村人たちも同様だった。ある者は泣き崩れ、ある者は耳を塞ぎ、「思い出したくない」「怖い」「神様助けて」と繰り返すばかり。得られる情報は乏しかった。


「……わかりました。辛いことを思い出させてしまって申し訳ありません」


ユリウスは静かにそう言うと、深々と一礼し、教会を後にした。犬の面の下で小さく溜息をつく。


ここではこれ以上の情報は望めないだろう。

熊蟹が一体とは限らないが一度報告に戻るべきだろうと考えた。

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