英雄
山頂に辿り着いたユリウスとリュミナの前に、漆黒の巨影が聳えていた。
「裏切ったな……リュミナ!」
ヴォルカ=スモルドの咆哮が岩肌を震わせた。彼の赤黒い鱗は煤煙を纏い、燃え盛る目が二体を射抜く。
「貴様のような人間風情が!」
ヴォルカが鼻先でユリウスを示す。
「よくも我の縄張りに……!」
彼の口から漏れた熱気が草木を焦がす。
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「黒炎閃!!」
ヴォルカの顎が開き、真っ黒な炎の奔流が襲いかかる。
「おっと」
ユリウスの前に六角形の紫水晶のような魔法障壁が現れ、衝撃波が周囲の岩を砕いた。
「ほう……」ヴォルカが目を細める。
「ただの餌ではなさそうだな」
「ありがとうございます!」
ユリウスが嬉しそうに会釈する。
「もっと見せてください!」
ヴォルカは怒りに任せて連続攻撃を繰り出す。
「溶岩砕槌!」
巨大な岩塊が融解して落下する。
「煤煙迷宮!」
黒い霧が視界を遮る。
「破城爪!」
鉤爪が大地を引き裂く。
しかしユリウスは舞うように避け、時に障壁で受け流す。その足取りは軽やかで、まるで踊りのようだった。
「リュミナさん」
戦場から少し離れた岩陰で震えるリュミナに声をかける。
「彼の鱗の質はあなたと比べてどうですか?」
「なっ……戦いの最中にそんな……!……良いと思います」
「興味深いです」
ユリウスが首を傾げる。
「攻撃パターンが単調になり始めましたね」
「黙れぇっ!」
ヴォルカが苛立ちを露わに巨体を振り回す。その尾の一撃がユリウスのいた場所を薙ぎ払った。
砂塵が舞い上がる中、ユリウスは平然と数メートル後方に立っていた。手帳に何か書き込みながら。
「防御魔法の耐久値データが取れました」
彼は満足げに呟く。
「貴様……遊んでいるな!」
「そろそろ反撃してもいいですか?」
ユリウスがヴォルカに尋ねる。
「他に見せたい技はないですか?」
「生意気な!」
ヴォルカが牙を剥く。
「ならば……これでも食らえ!」
彼は上空へ舞い上がり、両翼を大きく広げる。全身から噴き出す煤煙が黒雲となって山頂を覆った。
「『終焉の黒灼光』!!」
空が割れるような轟音と共に、灼熱の光線が降り注ぐ。
ユリウスは初めて両手を前に突き出した。「『天蓋・紫紺』」
地面から噴き出した紫の光柱が光線を絡め取り、天へと導いていく。衝突したエネルギーが空に虹色の輪を作った。
「……馬鹿な」
「ではこちらから」
ユリウスの指先が軽く宙を切る。
「『虚空刃』」
何も見えないはずの空間からヴォルカの右翼の付け根が斬り裂かれた。
「ぐあぁっ!」
血飛沫が舞う。ヴォルカはバランスを崩しながらも辛うじて着地した。
「ドラゴンの治癒能力……」ユリウスが呟く。「見せてもらいましょう」
「舐めるな!」
ヴォルカが傷口に息を吹きかける。煤煙が渦巻き、徐々に傷が塞がっていく。
「こんなもの……!」
「お見事」ユリウスが拍手する。
「ではもう少し試しましょう」
彼の拳が魔力の光で輝く。
「『衝撃掌・蒼雷』」
ヴォルカが飛びかかった瞬間、ユリウスの掌底がその顎を捉えた。衝撃と共に青い電流が走り抜け、巨体が地面に叩きつけられる。
「これが……人間の……力か……?」
地に伏せたヴォルカを見下ろすユリウス。
「いくつか提案があります」彼は冷静に告げる。
「一つ、この山での採掘作業を妨害しないこと」
「二つ、定期的にあなたの鱗や血液を提供すること。断れば……」
「断ればどうする!?」
ヴォルカが震えながら吠える。
ユリウスがにっこりと笑った。
「とりあえず尻尾を頂きます」
「……承知した」
***
山を下りるユリウスの隣には、子犬ほどのサイズに縮んだ二匹のドラゴンが肩に乗っていた。
「リュミナさん」
彼は嬉しそうに手帳を開く。
「今日の観察ノートです。あとで血の一滴を頂けますか?」
「ああ……もちろんだよ」
リュミナは小さく震えながら頷いた。
後方ではヴォルカが遠吠えを上げていた。それは敗北の叫びではなく……何か別の意味を含んでいるようだった。
***
山を降りる道すがら、ユリウスは軽やかな足取りで進んでいた。両肩に小さなドラゴンを乗せた姿は、まるで冒険譚の一場面のようだった。
「ふむふむ」彼は手帳をめくりながら首を傾げる。
「リュミナさんの血液サンプルがまだ少量ですね……帰り道にもう一度採取できますか?」
「勘弁して……」
リュミナが震える声で呟く。
「もう3回目だよ?」
一方でヴォルカは不満げに翼を震わせていた。
「なぜ我がこんな惨めな姿に……」
「戦闘で消耗したでしょう?」
ユリウスが微笑む。
「それに小さくなれば一緒に山を降りるのも楽ですよ」
***
宿に戻ったユリウスを見て、ドラガンドは口をあんぐりと開けた。
「まさか……本当に倒して、しかも連れて来るとは……」
執事のダグナスも呆然としている。
「半日どころか……三時間も経っておりませんぞ?」
ユリウスは肩に載った二匹の小さなドラゴンを手で示しながら微笑んだ。
「ちょっと興味深い生き物を見つけまして」
「ちょっとどころじゃないだろ!」
ドラガンドが笑いを堪えきれず噴き出した。
「お前さんは本物だ」
***
城へ向かう道すがら、ユリウスはドラゴンたちに指示を出した。
「ここで元のサイズに戻ってください。ただし……少しだけ小さく」
リュミナとヴォルカが顔を見合わせる。
「本当によくわからん奴だ」とヴォルカが舌打ちした。
城門が開くと同時に二人の巨大な姿が現れた。謁見の間の扉すれすれのサイズだ。兵士たちは慌てて剣を構える。
「静まれ!」
玉座からグロムバルド王の声が響く。
「客人だ」
ユリウスは静かに前に進み出た。彼の両手には二枚の見事な鱗が輝いている。
「王様」
ユリウスが恭しく膝をつく。
「こちらは契約の証として献上致します」
王は立ち上がり、兵士に命じて鱗を受け取らせた。その美しさに息を呑む。
「これほどの品……」
王が振り返ると、謁見室の隅で縮こまる二匹のドラゴンの姿があった。リュミナは震え、ヴォルカさえも畏怖の眼差しをユリウスに向けている。
「お前たち」
王が彼らに問いかけた。
「この者が主か?」
二匹が同時に頷く。
グロムバルドの顔から血の気が引いた。
***
「皆の者」王が玉座から降りる。
「聞いてくれ」
重臣たちが騒めく中、王は深々と頭を下げた。
「この者を侮りし我が無礼を許されよ」
「陛下!」大臣たちが慌てる。
「伝統に反しますぞ!」
「伝統など関係あるか!」王の声が轟く。
「ドラゴン二匹を従えし者に対して何たる無礼か!」
王の突然の態度変化に重臣たちはざわめいたが、もはや誰も反論できなかった。ドラゴン使いが目の前にいるのだ。
「ユリウス・クラウディール殿」
国王が手を差し伸べる。
「我が国の英雄として歓待しよう」
***
広間には豪華な料理と珍しい酒が並び、ドラゴンの姿に恐れをなした者たちも次第に興味を示し始める。ユリウスはリュミナとヴォルカに果実水を渡しながら言った。
「リュミナは付いて来るとして、ヴォルカはどうします?」
「……我も共に行こう」
ヴォルカが小声で答える。
「貴様といるのは利がありそうだ」
***
月明かりの中、ラザフォード家の紋章が刻まれた馬車が城下町を抜けていく。御者はダグナス。車内では異様な光景が広がっていた。
ドラガンドが嬉しそうに膝にユリウスを乗せている。
「まったくお前さんには驚かされるばかりだ」
「ありがとうございます」
ユリウスが笑う。
「ただの趣味ですよ」
「趣味でドラゴンを使役する奴がどこにおるか!」
その隣で縮小したドラゴンたちが窓の外を眺めていた。リュミナがヴォルカに囁く。
「あの男……本当に変わっているな」
「ああ」ヴォルカが牙を見せながら頷く。
「だが我らにとっては最上の主人かもしれぬ」
月明かりの街道を馬車は静かに走る。新しい旅立ちの夜は更けていった。




