レギア・レオニス学院
学院に到着したのはさらに数日経過した夕暮れ時だった。長い道のりを振り返れば、幾つかの小さな事件があったが――ユリウスにとってはどれも学術的好奇心を刺激する経験に過ぎなかった。
(あっそうだ。昨日の夜に見つけたトカゲの魔物の鱗と牙、ちゃんと袋に入れていったよね?)
馬車の中では落ち着き払っていたが、実は途中で単独行動をとり、小さな魔物を数匹討伐し珍しい部位を持ち帰っていたのだ。無論完璧な隠蔽工作をした上である。
学院の正門は重厚な石造りで、左右には見張り台が設けられていた。陽が傾きかける中、巨大な建物群が森の影に浮かび上がる。
「これが……レギア・レオニスか」
ユリウスは思わず声を漏らした。中央の塔を中心に、東棟と西棟が円形に並ぶ構造。その壮麗さに圧倒されるよりも、施設内の魔術的な防衛機構の方が気になって仕方がない。
入口をくぐると広い中庭が現れた。芝生が整然と敷き詰められ、中央には古代文字を刻んだ噴水が静かに水を湛えている。噴水の周りを回廊が取り巻き、各教室や寮へと繋がっていた。
「歴史を感じるな……古代魔術の痕跡があちこちに」
案内された講義堂は天井が高く、壁面には古い魔物の剥製や武器が飾られていた。窓から差し込む夕日が埃っぽい室内に幻想的な影を落としている。
***
担任教師はシャチ獣人のヘルマンだった。巨体を揺らしながら新入生たちを見渡す。
「諸君!ようこそレギア・レオニスへ!」
その声は低く轟くようだった。ユリウスが
「あの人……水属性魔術の大家?」
と小声で呟くと隣に座っていた兎獣人の少年がビクッと震えた。
「初日から元気だな?君の名は?」
「ユリウス・クラウディールです!よろしくお願いします!」
ヘルマンは目を細めた。
「ほう……クラウディール?聞いたことのない家名だが……」
「最近爵位を得た新参者です!」
ユリウスが朗らかに答えると教室がざわついた。
ヘルマンは咳払いし、「さて本題だ」と続ける。「この学院は二つの国の平和の証として……」と建学の理念を説明するが、半分以上の生徒は俯いたままだ。
(あれれ?雰囲気暗いなぁ……)
ユリウスが不思議そうに周囲を見回すと、最前列で猿獣人のエドガーが目を輝かせていた。
「すごい……こんな貴重な資料がいっぱいだぁ……」
別の席では虎獣人のコンラッドが
「ここで武術を磨けば俺も……」
と拳を握り締めている。
しかし大半の学生は表情を硬くしていた。ある狸獣人の少年がぼそっと漏らす。
「結局人質扱いだもんな……」
「故郷に戻れるかも怪しいぜ」
同調する声が聞こえる。
彼らの多くは政治的な駒として送り込まれたのだろう。
***
授業後短い休憩時間があり、ユリウスは早速近づいてきたエドガーとコンラッドに囲まれた。
「君……めちゃくちゃポジティブだね?」
エドガーが呆れたように言う。
「他の奴ら死んだ魚みたいなのに」
ユリウスは首を傾げる。
「だって魔術の宝庫ですよ!?ここ!それに新しい友達もできるし!」
コンラッドが苦笑い。
「まあ確かに……その考え方羨ましいわ」
エドガーがふと思い出し
「そういえばさっき魔術の話してたろ?何見てたんだ?」
ユリウスの目が急に輝いた。
「この教室の北側!壁面の防御魔方陣が独特なんです!多層構造で侵入者感知と遮断機能を同時進行させつつ……」
「わかったわかった!」
二人が同時に両手を上げて制止する。
「お前さ……本当に変わってるわ」
コンラッドが呆れつつもどこか親しみを込めた口調だった。
***
ユリウスの熱弁に呆れながらも二人の態度は柔らかくなっていた。そこに担任のヘルマンが戻ってくる。
「よーし!上級生を連れてきたぞ!これから寮の説明とルームメイト決定だ!」
講義堂の扉が開き、様々な獣人が入ってくる。一番先頭には威風堂々とした黒狼獣人の青年――ザナヴァス・ラザフォードが立っていた。
ザナヴァスは教室を見渡すなり鼻を鳴らす。
「弱そうな奴らばっかじゃねぇか……」
その冷徹な言葉に下級生たちは萎縮する。しかしユリウスだけが全く動じず、むしろ興味深そうにザナヴァスを観察していた。
「あれ?今あの方何か言った?」
隣のエドガーが小声で
「聞こえてるぞ……」
と青ざめる。コンラッドは
「あの人は二年生トップのザナヴァスだ」
と耳打ちした。
しかしユリウスはまったく怯まない。
「へぇ〜すごい方なんだ!どんな魔術使うんだろう?」
純粋な好奇心に満ちた目で呟いた瞬間、ザナヴァスの視線が鋭くユリウスに向けられた。
(あ……目が合っちゃった)
教室中の緊張が高まる中、ヘルマンが間に入った。
「まぁまぁ!とにかく新入生一人に上級生一人のペアだ!これからの学生生活を支えてもらおう!」
ヘルマンが上級生と新入生を交互に指名していく。その瞬間がユリウスにとっては至福の時間だった。
(誰が僕のルームメイトになるんだろう!ぜひ魔術談義ができる相手がいいな……)
指名が進む中、エドガーが凍りついた。「次……エドガー・リースフェルトと……ザナヴァス・ラザフォード」
「なっ……」
エドガーの顔から血の気が引いた。先ほどの威圧的な視線を思い出し、全身が震え始める。
(あ……やばい)
エドガーの意識はそこで途切れた。白目をむきバタンと椅子から崩れ落ちる。
「おい!?」
周囲が騒然とする中、ザナヴァスは冷ややかに鼻を鳴らした。
「……弱ぇな」
一方ユリウスは指名され、
「ユリウス・クラウディールとトリスタン・ヴォルクナー」
と呼ばれる。パンダ獣人の大柄な青年が微笑みかけた。
「トリスタンだよ。よろしくね」
温厚な声にユリウスの目が輝く。
「こちらこそ!僕は魔術にしか興味がない変人ですが!」
「え……」
トリスタンが一瞬固まったがすぐに笑顔に戻す。
「だ、大丈夫!僕も戦いより本が好きだから」
(この人……話しやすそう!)
次のコンラッドの指名ではライナス・エルヴェインが呼ばれ、意外な相性の良さを見せた。
「虎獣人の子だね。ボクは犬獣人だけど……よろしくね」
「ああ!よろしく!俺は武術好きだから……」
互いに笑みを交わす二人を見てユリウスが「いいなー仲良しそう!」と呟いた瞬間、ライナスが厳しい表情でザナヴァスに向かった。
「ザナヴァス。その子気絶してるよ。後輩を怖がらせるなって言ったよね?」
「何もしてねーだろ」
ザナヴァスが不機嫌そうに腕を組む。
「勝手に倒れたんだ」
ヘルマンが仲裁に入る。
「まぁまぁ!これでペアは決まった!各自上級生に従って寮に向かえ!」
エドガーは他の生徒に担がれて退室する。ザナヴァスは舌打ちしつつも後に続いた。
「大丈夫かな……」
ユリウスが心配そうに呟くとトリスタンがポンと肩を叩いた。
「きっと平気だよ。それより……寮に着いたら学院図書館のこと教えてあげる」
「本当ですか!?」
ユリウスの目が星のように輝いた。
(ふふっ……最高の学園生活の予感!)
ユリウスは期待に胸を膨らませていた。




