大人の余裕
週末ユリウスはエドワードとダンジョンの地下宝物庫を訪れていた。
「ここにある紋様は……古代ルーン文字でしょうか」
ユリウスが壁の奇妙な刻印に指を這わせる。埃が舞い上がる中、彼の瞳は知識欲に輝いていた。
「確かに君が書くものと似ている」
エドワードが傍らで囁く。
「だが完全に一致しない。おそらく独自の派生系だろう」
二人は床に広げた古文書と照合しながら解読を進めていた。ユリウスの指が羊皮紙の上で踊る。
「この部分……逆さまにすると意味が変わります」
「なるほど」
エドワードは感嘆の声を漏らした。ユリウスの分析力は驚異的だった。単なる暗記ではない。論理と直感が融合した天才的な閃きだった。
「君といると飽きることがないな」
エドワードが笑みを浮かべる。当初の政治的計算などすでに頭から消えていた。
その日の午後、二人は応接室で古い魔術書を広げていた。
「この儀式……複雑すぎないか?」
エドワードが眉をひそめる。
「条件が七つもある」
「いいえ」
ユリウスが嬉しそうに身を乗り出す。
「三つの条件を満たせば効果は半分でも十分なはずです!」
エドワードは内心驚いていた。普通なら全条件を揃えようとするところだが、ユリウスは常に簡略化と効率を考えていた。しかも結果の質を犠牲にしない方法を。
「君は……本当に面白い」
思わず声に出してしまう。ユリウスは目を輝かせて次の解釈を熱弁している。その姿を見ているだけで心が温かくなった。
***
「今日は特別な場所を見せてあげよう」
ある日エドワードがユリウスを馬車に乗せる。
「母上が管理しているバラ園だ」
ラザフォード邸の奥に広がる秘密の庭園。四季折々の花々が咲き乱れ、その中心に古びた東屋があった。エドワードの母セシリア・ラザフォードはこの庭園に並々ならぬ愛情を注いでいる。
「ここで本を読むのが私の休日の楽しみなんだ」
エドワードは懐かしそうに微笑む。しかし彼自身も最近は忙しさにかまけて訪れていなかった。
「君にだけ特別に案内する」
その言葉にユリウスの胸が少し高鳴った。
ところが思わぬ事態が起きる。
「申し訳ありません」
執事が頭を下げる。
「エドワード様のお仕事が急に入りまして……」
「では僕はお待ちしています」
ユリウスは微笑んだ。
「この素晴らしい庭園を独り占めできますから」
「お茶と本をお持ちしましょう」
執事の配慮に甘え、ユリウスは東屋で読書に没頭した。小鳥のさえずりと薔薇の香りに包まれて……
***
一時間後。
「待たせて申し訳な……」
エドワードが慌てて駆けつけると—
息を呑んだ。
陽光に照らされたユリウスがいた。
金色の髪が風に揺れ、ページをめくる指先は優雅。
周囲の薔薇が彼を彩り、小鳥たちが彼の肩や膝に舞い降りている。
まるで神話の一場面のようだった。
(なんと……美しい……)
「あ、エドワードさん」
ユリウスが顔を上げる。無邪気な笑顔。
エドワードの心臓が跳ねた。
計算も策謀も消え去る瞬間だった。
「待たせてすまない」
平静を装って近づくエドワード。だが心臓の鼓動は収まらない。
「お気になさらず」
ユリウスが本を閉じる。
「素敵な時間を過ごせました」
エドワードは一瞬迷ったが—決めた。
これが彼なりの「大人の余裕」だった。
そっとユリウスの前に跪き、
「このような素晴らしい時間を与えてくださったあなたに感謝します」
そう言って優雅にユリウスの左手を取り、甲に軽く唇を寄せた。
「……!?」
ユリウスの顔が一瞬で真っ赤に染まる。
慌てて手を引っ込めようとするがエドワードが優しく包み込む。
「失礼」
微笑むエドワード。
「少々古風だったかな……」
「い……いいえ……」
ユリウスは恥ずかしさで俯く。
「素敵でした……とても」
***
「ではまた来週」
エドワードがユリウスを見送る。
ユリウスは小さく手を振っていた。
頬はまだ薔薇色。
その姿が霞んで一瞬で消えた
しかしエドワードは館に戻るなり—
「誰か……水を」
執務室に入るとそのまま椅子に崩れ落ちた。
「心臓が……爆発しそうだ……」
彼はユリウスと同じように真っ赤な顔で震えていた。計画とは裏腹に、自らの方が圧倒的に動揺してしまったのだ。
「明日は……休むべきか……」
***
学院の自室。
ユリウスはドアをそっと閉めるとベッドに倒れ込んだ。
「はぁ〜……」
深い溜息。
「何だかすごくドキドキした……」
彼は自分の左手の甲を見つめる。まだ唇の感触が残っているようだった。
「大人って……すごいなぁ……」
「ユリウス?」
「あっ!はい!」
慌てて起き上がり、
「どうしたんだい?」
トリスタンが首を傾げる。
「顔が赤いよ?」
「え!?そ、そうかな?」
ユリウスは手で顔を覆う。
「何かあったの?」
トリスタンの目に好奇心が光る。
「いや……実は……何でもないです!」
ユリウスは必死に笑顔を作る。
「ふーん……」
トリスタンは意味ありげに微笑む。
「まあいいけど。それより夕食に行こう」
「うん!」
二人が部屋を出るとき、ユリウスはそっと左手の甲に触れた。
まだ胸の高鳴りが残っているようだった—
そしてエドワードも同じように頬を染めてベッドに横たわっていた。二人の想いは静かに芽吹き始めていた……




