表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
107/116

霧はますます濃くなり、光が吸い込まれるように消えていく。足元の岩が湿り、踏みしめるたびに鈍い音が響いた。冷たい空気が肺を刺し、まるで鉄錆の匂いが充満しているかのようだ。


「感じます。僅かな魔力の残滓がこの先にも」

ユリウスが剣を構えながら、冷静に告げる。剣身には既に青白い光が微かに宿り始めている。

「――数体、いえ、もっといますね。この先の広場あたりでしょうか。霧が濃すぎて断言が出来ませんが」

ユリウスが掌を見つめる。奥に進むほど魔力が練りにくくなっていくのを感じる。


「まだ……いるってことか」

バルドの低い声が、霧に溶けた。戦槌を握る指に力が籠もる。その瞳は霧の奥を睨み据え、僅かな光も逃さぬように細められる。


二人が進む先――霧の帳がわずかに揺らめき、人の形を保てなくなった影が立ち上がった。皮膚は裂け、異形の腕が生え、背中からは複数の触手が蠢いている。だが、その濁った瞳だけは確かに「かつての誰か」を映していた。涙に濡れた瞳は虚ろに二人を見つめ、震える口が開かれる。


「……やめて……タスケテ……」


「くそっ、やっぱり……!」

バルドの声が震え、喉の奥で怒りと悲しみが絡み合う。胸が締め付けられる。それはもう、戦いの相手ではない。救わなければならないはずの、仲間だった者たちなのだ。


次の瞬間、霧の奥から何体ものキメラが現れた。ドワーフらしき巨躯に獣毛が混じった者、狼の顔と人の胴体を持つ者、そして人間だったであろう影……どれもこれも、街で行方不明になっていた者たちだと、バルドにはすぐに分かった。彼らは呻き声を上げながら、鈍い動きでこちらへ向かってくる。


「構えましょう、バルドさん!」

ユリウスが剣を抜き放ち、刃が青白く光を放つ。短く詠唱を始める。霧の中で彼の声だけが澄んで響く。


風と光の符が弾け、複雑な紋様となってバルドの体に重ねて展開された。筋肉が軋み、血管が脈打ち、体中の細胞が活性化していく感覚。腕に熱が走り、全身の力が漲る。


「いくぞぉっ!!」

バルドが戦槌を振り抜いた。重い音が響き渡り、最初のキメラ――かつての同僚ドワーフだった者の身体を粉砕する。血飛沫と紫の体液が霧の中に飛び散り、甲高い悲鳴が響く。だが、それは人の声ではなかった。

しかし、倒しても倒しても、霧の中から次が現れる。獣人だった者が牙を剥き、触手を伸ばしてくる。人間だった者は手から粘液を飛ばす。


「ヤメテ……バルド兄ィ……」

ふと、聞き覚えのある声がした。それは、幼い頃から知っていた、弟分の声だった。ユリウスが剣で切り払おうとするその影の口から漏れた言葉に、バルドの動きが止まった。


「おい……まさか、嘘だろ……」

戦槌を握る手が震え、全身から力が抜けていく。その隙を突くように、別のキメラから伸びてきた触手がバルドの腕を掠め、鋭い棘が皮膚を裂いた。焼けるような痛みと共に、毒が体内に侵入していく感覚。


「バルドさん!」

ユリウスが咄嗟に踏み込み、剣で触手を断ち切った。一閃――紫の体液が霧に散り、その臭いが鼻をつく。彼は冷静に、しかし迅速にバルドを庇うように立ち位置を調整する。


「後退しましょう! 一旦距離を!」

ユリウスの指示に、バルドは息を荒げながら頷いた。二人は岩陰に退避し、ユリウスが素早く地面に魔術式を描き始める。指先から淡い光が伸び、複雑な図形を形成していく。直ぐにでも霧散してしまいそうな淡い光だがバルドの傷を包み込み、痛みが引いていく。体の奥から温かいものが湧き上がり、失われかけた生命力が回復していくのが分かる。


「……悪いな、ユリウス……」

「いえ。今は回復を優先してください」


短い沈黙が落ちる。霧が二人を包み込み、外の喧騒は遠ざかった。ぽたり――と、何かが岩の上に落ちた。


バルドの頬を涙が伝っていた。涙は止まらず、ぽたぽたと岩肌に染みを作っていく。


「……みんな……気のいい奴らだったんだ。

酒飲んで、馬鹿やって……こんな、こんな終わり方、あるかよ……」

嗚咽が混じり始めた声は、震えながらも確かな怒りと悲しみを込めていた。


ユリウスは黙ったまま、手を止めない。彼はわざと、気づかないふりをした。時折、唇を噛み締め、自身の悲しみを押し殺しながら治療を続ける。


「……すまねぇ……ありがとよ……」

バルドの声が嗚咽に変わった。彼はもう耐えきれず、ユリウスの胸に顔を埋めるようにしがみついた。大きな体が小さく震えている。


ユリウスは静かに息を吸い、両腕を回して彼を抱き返した。彼の背中に添えられた手は優しく、温かい。


「泣いていいんですよ。あなたは、ちゃんと戦ってる。みんなのために、今も。それで十分です」


霧の中で、バルドの嗚咽が響いた。その音はしばらく続いた。ユリウスは何も言わず、ただ彼を受け止める。やがて、その音も霧の中に溶けていった。


静寂が戻ってきた時、バルドはゆっくりと顔を上げた。まだ涙の跡が残る頬に、決意の光が宿っていた。


「……ユリウス。すまん、もう大丈夫だ」

「ええ。行きましょう。終わらせに」

ユリウスは頷き、剣を再び構えた。彼の瞳には、強い意志が燃えていた。


二人は再び霧の中へと足を踏み出した。救えなかった命のため、そして生きている仲間たちのために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ