犠牲者
夜の帳が降り、山肌を覆う霧はさらに濃密さを増していた。月光さえ遮る乳白色の闇の中、二人の足音だけが乾いた石畳を叩く音として響く。
「なぁ、ユリウス……」
突然、バルドが口を開いた。普段の豪快さは影を潜め、低い声が霧に溶ける。
「囚われてる残りの連中……あいつら、本当に無事だと思うか?」
ユリウスは一瞬、言葉を詰まらせた。足を止め、霧の向こうに微かに見える松明の灯りを見つめる。――鉱山の奥深くへと続く坑道だった。
――昨日助けた人々は、おそらく“餌”だった。自分たちを、さらに奥へ誘うための。
その可能性が胸を締め付ける。もしそうなら、残りの人々の生存率は限りなく低いだろう。
「今は、無事を信じましょう」ユリウスの声は静かだったが、どこか芯が痛むように響いた。「まずは救える命を探します」
「……そうだな。信じるしかねぇよな」バルドは小さく笑ったが、その握りしめた拳が微かに震えているのが見えた。
その時だった。
霧の奥から、何かが這いずるような音が聞こえた。金属が軋むような不快な音と、湿った足音。
「――来る」ユリウスが低く呟き、杖を構えた。
霧が揺らめく。そこから現れた影に、バルドの表情が凍りついた。
「おい、嘘だろ……まさか……」
それは歪んだ肉の塊に、鉄板のような皮膚を纏いながらも――明らかに「ドワーフ」の面影を残していた。瞳は涙に濡れ、ひび割れた唇が震える。
「バルド……タスケテ……バルド……タスケテ……」
名前を呼びながら、キメラはよろよろと近づいてくる。声は人間のものではなく、引き裂かれたように濁っていた。
「……っ!」バルドの足がすくむ。震える手が拳になりかけて、またほどけた。
ユリウスは一歩前に出て、霧の中で静かに言う。
「下がってください、バルドさん。……ここは僕がやります」
その肩を、強く掴む手があった。バルドだった。彼の瞳は霧の中で揺れていたが、その奥には確かな決意があった。
「待ってくれ、ユリウス」
ユリウスが振り返る。バルドは歯を食いしばりながら、一歩前に出た。
「――俺に、やらせてくれ」
その声には震えがあった。だが、迷いはなかった。
「彼は……俺の仲間だった。あの時、山の崩落で置いてきた。……いや、俺が、見捨てたんだ」
言葉の途中で、キメラが苦痛の叫びを上げた。まるで助けを求めるように、歪んだ腕を伸ばしてくる。
「バルド……タスケテ……」
その声に胸を締めつけられながら、ユリウスは静かに頷いた。
「分かりました。ですが、一人では危険です。僕が補助魔術を掛けます。」
ユリウスが呪文を呟き手をかざすと、淡い光がバルドの腕を包み込んだ。筋肉が膨れ、鼓動が重く響く。
「便利なもんだな、霧の影響も無しか?」バルドが苦笑する。
「直接触れれる距離で集中すればこのぐらいの魔術ならなんとか…どうかお気を付けて」ユリウスの声は穏やかだった。
バルドは頷くと、腰の戦槌を構えた。
「悪いな……こんな形でしか、救えねぇなんてよ」
霧が揺れた瞬間、バルドは地を蹴った。強化された脚が岩を砕き、戦槌が唸りを上げる。
「うおおっ!!」
キメラの触手が伸びる。それを戦槌で叩き折りながら、バルドは仲間だった者の面影に一瞬だけ目を閉じた。
――許してくれ。
――せめて、痛みのない最期を。
振り下ろされた一撃は、霧を裂き、キメラの胸を砕いた。
鈍い音とともに、肉塊が崩れ落ちる。その最後の瞬間、キメラはもう一度だけ、
「ありがとう……」
と、かすかに呟いたように聞こえた。
静寂が戻る。
バルドは槌を地に突き立て、膝をついた。ユリウスがそっと彼の肩に手を置く。
「……あなたの手で、救えましたよ」
バルドは深く息をつき、かすかに笑った。
「あんたの言葉は、ほんと、沁みるな……」
霧の向こうで、風が少しだけ晴れたように見えた。




