グラナ・ベルク
遥か彼方まで続く険しい山稜を切り拓き、幾重にも重なる岩棚の上に築かれたグラナ・ベルクは、まさに天空の要塞のようであった。切り立った岩壁には無数のトンネルが掘られ、そこから大小様々な石造りの建物が突き出している。
階層ごとに張り巡らされた木製の吊り橋や石畳の階段が、蜘蛛の巣のように複雑に入り組んで人々を繋いでいた。谷底から吹き上げる風は、鉱石と炉の熱気を運び、独特の金属臭とスモークの香りが鼻腔をくすぐる。地面を覆うのは赤褐色の土と散乱した石ころ。
あちこちに設けられた採掘場からは、巨大な石塊を運ぶ獣人たちの掛け声と、金床を打つ槌音が絶え間なく響き渡っていた。往来するドワーフたちは皆一様に逞しい体躯を持ち、作業着の上からでもわかる筋肉の隆起は山の如く。
彼らは互いに豪快な笑い声を上げながら、酒樽や鉱石を担いで行き交っている。時折聞こえるのは、獣の咆哮にも似た力強い歌声と、それを煽るような歓声。活気と喧噪に満ちた、いかにも頑固で誇り高いドワーフたちが築き上げた町の姿だった。
その喧騒の中に、ユリウスは立っていた。彼の淡い金色の髪は、山の頂から差し込む強い日差しを受けて、まるで陽光そのものが凝縮されたかのように柔らかく輝いていた。旅路でわずかに汚れたローブを纏い、背には革製の大きな鞄を背負っているが、その佇まいは疲労を感じさせず、むしろ静謐な気配さえ漂わせていた。透き通るような碧眼は、好奇心に満ちて周囲の珍しい光景を映し出す。街の匂いを胸いっぱいに吸い込み、ふと漏れた言葉は、どこまでも丁寧で穏やかだった。
「こんにちは。ここがグラナ・ベルクですね。良い街の匂いがします」
その声は、喧騒の中にあっても不思議とよく通り、周囲にいた数人のドワーフたちが思わず足を止めた。彼らは旅慣れた冒険者や商人には慣れていたが、ユリウスのような、穏やかでどこか浮世離れした雰囲気を持つ人物は稀有だったからだ。
一方、鍛冶屋の店先で槌を振るっていたドワーフのバルド・アイアンハートは、その瞬間に世界の全てが止まったように感じた。
「お、おお……!?」
最初は、その異様なまでの存在感に驚き、声が漏れた。目の前の金髪の少年が纏う雰囲気は、彼が今まで見てきたどんなドワーフとも、獣人とも、人間とも違っていた。バルドは思わず手にしていた大槌を取り落とし、ゴォン、と重々しい音が店先に響いた。慌てて拾い上げたが、その視線はユリウスから離れない。
(なんつー綺麗な髪だ……! 太陽の光が溶けてるみてぇだ……!)
彼の視線はそのままユリウスの顔に移る。整った顔立ち、長いまつ毛に縁取られた深い碧色の瞳は、まるで澄み切った湖面のように穏やかで、それでいて底知れない深みがあった。
(うおお……瞳が……空の色……いや、もっと深くて……吸い込まれそうだ……!)
髭面の下の顔が、みるみるうちに真っ赤に染まっていくのが自分でもわかった。心臓が早鐘のように打ち始め、耳の奥で自分の鼓動がドクドクと大きく響く。
(や、やべぇ……なんだこの感情……!? 胸が……胸が苦しい……!)
脳裏には、数々の美女やたくましい戦士、頼りになる仲間たちの顔が浮かんだ。しかし、その誰とも比べ物にならないほどの強烈な何かが、バルドの魂を鷲掴みにしていた。それはまさしく、長年鉱山で鍛え上げてきた彼の理性をも打ち砕くほどの衝撃だった。
(こ、これが……一目惚れってやつか……!? いや、そんな甘っちょろいもんじゃねぇ……! 雷に打たれたみてぇな……魂の奥底に響く……衝撃だ……!)
ユリウスはそんなバルドの異変には気づかず、穏やかな微笑みを浮かべながら町の様子を観察していた。そして、鍛冶屋の前で奇妙な行動をとっているバルドに、自然と目を向けた。視線が合う。
「すみません、この辺りで宿を探しているのですが……」
ユリウスの涼やかな声が、再びバルドの耳を打った。それはまるで春の小川のせせらぎのように心地よく、それでいて彼の心臓をさらに締め付けた。
(か、顔が近ぇ……! いや違ぇ、距離はまだ遠い……! でも、視線が……! 俺を見てる……!)
バルドは完全に硬直し、まるで岩に変えられたかのように動けなくなった。髭の奥の口がパクパクと動き、言葉を発しようとするが、喉がカラカラで声にならない。
(だめだ……声が出ねぇ……! 何でもいい、何か言わねぇと……! このチャンスを逃したら……俺は一生後悔する……!)
周囲のドワーフたちが、怪訝な顔で二人を見ている。一人は美しい人間の少年、もう一人は顔を真っ赤にして固まっている鍛冶屋の頭。あまりにも対照的な光景だった。
ユリウスは困ったように小さく首を傾げた。その仕草さえ、バルドにとっては眩暈がするほどの魅力に映った。
(くっ……! その仕草……反則だろ……! 可愛すぎんだよ……!)
バルドは震える手で額の汗を拭い、必死に言葉を絞り出した。
「お、俺でよければ! 宿ぐらい案内できる! ついでに……酒場も! あっ、いや別に酒を飲ませたいわけじゃなくてだな……! ただ……その……お前さんの話を……もっと聞きたくてな……!」
最後の方は消え入りそうな声になってしまったが、ユリウスの耳には届いたようだ。ユリウスは驚いたように少し目を見開いたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべ、丁寧にお辞儀をした。
「ありがとうございます。助かります。では、お願いできますか?」
その言葉と微笑みは、バルドの心に深く突き刺さった。
(あああああ! 終わった……! 俺の心も……この街での生活も……今日から全部……コイツに捧げる……!)
周囲のドワーフたちからは、抑えきれない笑い声や、からかうような口笛が漏れた。バルドは羞恥と喜びがないまぜになった複雑な表情で、しかし満面の笑みでユリウスを店の奥へと誘った。彼の人生が、この金髪の少年を中心に回り始める予感に、全身が歓喜で震えていた。




