第61話 処遇
「彼女をソファーに寝かせてきます。」
テーブルにうつ伏せになっている明を抱え上げ、リビングのソファーに寝かせた。ダイニングからイムナの声が聞こえた。
「ヒオスは、ヌアから話を聞いていると思うが、ユーリーはヌアの妹ヤガの処罰の肩代わりを買って出た。本来ならば、魂だけになって永遠にさまよい続けるという厳しい罰を受けることになっていたが、ヌアが策を講じて今の様な状況で匿っている。」
「ええ、大まかな話は聞いています。」
「問題は二つ。一つは、そもそも処罰の肩代わりなんてことは許されるものじゃない、だがそれをヌアは許した。」
「それは、ヤガのことを思ってしたことでは?」
「それはないと思いうよ。彼も覚悟を決めて下した処罰だからね。彼一人が決めた事ではないが、反対する者もいなかった。それに、彼女の素行は目に余るものだった、ヌアが庇ってはいたが、当の昔に限界は超えていた。それに、エシャだって彼女の愚策に巻き込まれてひどい迷惑を被った。」
「ええ、あれは巻き込まれた際の事故でした。彼女に責任はない。」
「私もそう思っている。だが、彼女の力が如何ほどのものかを証明することになってしまった。黒い翼をもつ種族の力は神をも滅ぼすと言われ続けてきたことが証明されてしまった訳だが、この話は今はやめておこう。」
「そうですね。」
そう言って席に着こうとした。
「あ、コーヒーもらえるかな?」
え?まだ飲むのか?
「はい、ミルクと砂糖は?」
「どちらもいらないけど、私もビスケットが欲しいな。」
キッチンで湯を沸かしながら、棚からビスケットの箱を取り出した。長居されるのは嫌だと思い、二枚だけ皿に置いた。
「時間はあるんだ。たまには二人でゆっくり話をしよう。」
そう声を掛けられて追加でもう二枚だけ皿においた。
コーヒーを淹れながら、彼の話に耳を傾けた。
以前、彼がエデンにいた時には、彼に背中を向けて話を聞くなんてことは想像もできなかったことだ。
イムナは以前から風変わりな神だった。他の神は百人以上の神使を従えているが、彼は十人ほどの神使と共に暮らしていた。ヤガの愚策で五番目の神ソナイが消滅した後、彼はエデンを去った。
もともとエデンでの暮らしは性に合わなかったと言っていたが、そんな会社を辞めるみたいに神の座を放棄することが許されるのだろうか?といっても、彼等を咎められる者がいないことは確かだし、彼はエデンを去っただけで、本質的な力などは何も変わっていない…結局のところ神だ。
ただ、今は、エデンから連れて来た三人の神使と共にGWで医療部の長をしている。
希望通りに転職が出来たってことか?
「ヌアが肩代わりを許した理由が、もう一つの問題なんだ。」
コーヒーとビスケットを彼の前に置き、自分の席にもミルク入りコーヒーのカップを置いた。そして自分の席に着き、彼の次の言葉を待った。
「私がGWに来る前は、GWのスタッフの治療は、派遣された神使達が行っていた。今でも人手が足りない時は派遣してもらう。ユーリーは優秀だし、私に懐いてくれていた。それで、良く指名していたんだ。」
何度か彼をGWで見かけたことを思い出した。
神使たちはエデン外でも極力外部との接触を控えるように配慮がされていて、治療中も言葉を交わすことは殆どなかった。彼らは無菌室で育った様なものだ、エデン外の雑菌だらけの環境でも、仮の無菌室に置かれている様なもので、一粒たりともエデン外の雑菌をエデンに持ち帰ることは許されていなかった。
「澄んだ清らかな水に、たった一滴でもインクが落ちてしまったら、そのインクはどんどん広がってしまう。エデンは透明な水だ、たった一滴でも負の感情などというインクが滴り落ちてしまったら…その影響は波紋の様にどこまでも広がってしまう。」
「ユーリーがそのインクになってしまうと言う事ですか?彼に何があったんですか?」
さっき明が言っていた言葉が頭をかすめた。『エデンでは命が終わることは無いけど、突然消えてしまうことがあるって…』突然消える?どういう意味だ?
「GWの本部で神使が殺害されたことを覚えているかい?」
「ええ、そんなことがありましたね。」
「ユーリーはあの現場に居たんだ。彼は人間の憎しみや妬みという感情に触れてしまった。そして死を目の当たりにした。」
「でも、その後、彼等は記憶の整理をされて、その事を覚えていないはずでは?」
「ああ、その通りだ。だから彼も彼以外のその場に居合わせた神使達もインクにはならずに、何事もなくエデンで暮らせている。エデンでの生活に憎しみ、妬みと言う感情は禁物だ。一人でもそう言う感情を抱いてしまうと、全体に伝染する恐れがある。そうなれば、彼らの長い命を持て余してしまうことになるだろう。人間が持つような負の感情や執着を持たない事で、彼等は長い寿命を謳歌することが出来ている。」
「では、ユーリーも問題はないのでは?」
「ヌアは、ユーリーのあの出来事に関する記憶が完全に消去出来ていない可能性があると考えている。」
「そんなこが、あるのですか?」
「分からないが、あの事件の後から、彼の行動が少しおかしくなったような気がする。相手の感情というものに異様に興味を抱くようになった。神使達は神やヤガが何をしていても、その根底にある感情に気をとめることはなく、彼らの行動を疑問も抱かずに受け入れていた。しかし、ユーリーは彼らの行動の裏に隠れている動機に興味を抱き始めた。」
「ならば、また記憶を整理すればいいだけでは?」
いつもやっていることだろう…自分たちだって何をどうされているかなんてわかったものじゃない。
「今までそんなことは起こらなかった、もし本当にそうならば、多分、同じことをしてもその記憶は消すことが出来ないだろう。」
そう言うと、イムナはビスケットを一口食べた。
「これ、美味しいね。」
「味がわかるんですか?」
「分るよ。」
そう言うと、コーヒーを一口飲んで、ため息をついた。
「ヌアがユーリーに罪の肩代わりを許したのは、彼をエデンから出すためだ。もし、彼に人間的な感情が芽生えてしまったら…もう、彼はエデンにはいられなくなる。そうなれば…」
そう言って、彼はビスケットを口に放り込んだ。次の彼の言葉を待ったが、続きの言葉が出てこなかったので、こちらから尋ねた。
「今まで、そう言う感情が芽生えた神使はいなかったんですか?」
「…いなかったことも…ないかな。」
何となくそれ以上は聞かなくても分るような気がして、質問はしなかった。
ユーリーはエデンで仲間の神使が突然いなくなっていることに気が付いていたのかもしれない…いつから彼は気づいていたのだろうか?
それにしても、ヌアはどうしてそこまでユーリーを守りたいのだろうか?
お気に入りだから?
まあ、深く考えても仕方がない事だ、自分は指示されたことを実行するだけ。
「と言う事で、彼は当分、ここにいることになる。」
「はい。」
ああ、当分、彼にオーラを運ばなければならないのか、まあ、指示されたことを実行するとたった今、誓ったばかりだし、これも仕方がない。
「それで、ヒオスもいろいろと大変だろうと思うから、私が時々彼に会いに来ることにした。だから、もうオーラの運び屋はしなくて大丈夫だよ。」
「え?あ、そうですか…」
「それを伝えたかったんだ。じゃあ、今回はそろそろ戻ることにしようかな。エシャにも会いたかったが、まだ記憶が戻っていないのならば、私は姿を見せない方がいいだろう。」
「ええ、そうですね。」
「じゃあ、銀ちゃんによろしく伝えてくれ。あと、エシャと明にも。」
「はい、銀ちゃんには伝えておきます。」
イムナはコーヒーを飲み干し
「ありがとう。美味しかったよ。」
そう言って席を立ち、普通に扉を開けて出て行った。
来るー、きっと来るーからの普通に帰る。
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