第55話 セッションは楽しい⑥
暗い階段を降りて行くと下から音楽が聞こえて来た。扉を開けると、ステージで演奏している人たち、テーブルを囲んで音楽を聴いている人もいれば、隣の人とおしゃべりしている人たちもいて、薄暗く、そこまで広くない空間は賑やかだった。
そして、目の前で立ち止まっている大河の背中にぶつかった。
「痛いなあ、何で急に止まった…」
大河の目はステージの真ん中でトランペットを吹く、長身の男性に釘付けになっている。
「耕太さん、相変わらずチェット・ベイカーみたいだな~」
一期君がそんなことを呟きながら、空いている席に座った。
「ここ空いているよ」
一期君が声を掛けてくれたが、大河の耳には届いていない様だ。
「大河、ここに立ってると邪魔だから一先ず座ろう。」
そう声を掛けると、
「…え?あ、そうだね…」
そう言ってゆっくりと前に進んだが、目線はステージに釘づけた。
「大河はどうしたの?」
一期君が尋ねて来た。
「さあ?あのステージの人に見とれてるんじゃないかな。知ってる人?」
「うん、耕太さんって言って、大河が入ってるジャズ研の人」
「…耕太さん…あれが…」
夏子と私でハモってしまった…
ああ、想像以上に大河の好みって感じの気だるい感じの長身の男性。人を見た目で判断してはいけない事は分かっているが…
「ああ、典型的なダメ男って感じがするなあ。」
隣の夏子が小声で呟いた。
私も思ったけど一目見ただけでそこまで言うのはと思いとどまった。でも。夏子はストレートに感想を吐き出した様だ。
「え?もしかして?大河って耕太さんが好きなの?その、何と言うか…」
一期君も小声で呟いた。
「その通り。」
夏子が小声で答えた。
そう、今まさに大河が夢中になっている相手、それがこの目の前でトランペットを吹いている耕太さん、その人である。
「この曲、何て言う曲?」
一期君に尋ねると
「マイ・ファニー・バレンタインって曲だよ。」
「ファニー? 何だかそんな感じの曲じゃないね、暗い感じ。」
夏子が不思議そうに言うと
「その曲の背景が分かると、その辺も腑に落ちるかもしれないけど、先ずは好きかどうかで良いと思うよ。」
一期君がそう答えた。
「私は、よくわからないなあ。」
正直、これが好きかどうか分からない。
「うん、私も分からない。」
夏子がそう答えた。
「俺も。どっちかというと、マイルスっぽい方が好きかも。」
「マイルスって何?」
「マイルス・デイヴィスって有名なジャズのトランペッターがいて、ジャズを聴く人でマイルスを知らない人はいないよ。」
「へー、そうなんだ。いろんな人が同じ曲を弾くの?」
「うん、この曲も元々はミュージカルの曲だったんだけど、いろんな人が演奏してる。演奏する人によって全然違う曲みたいに聞こえると思うよ。」
「へー、そうなんだ。」
これ以外の言葉が出てこない。
「耕太さん、カッコいいよね。」
全く私たちの会話が耳に届いていなかった大河が、こちらを振り返って言い放った。その顔は高揚して赤らんでいたし、目も潤んでいるように見えた。
「…そうだね。あれが、耕太さん?」
そう尋ねると、大河が大きく頷いた。
「明にもわかる?このカッコよさが!ああ、来てよかった。しかも入った途端にだよ、もう運命だよね。」
「はあ…」
もう何も言えねえ。分かりやすいな本当に。
「大河は、こういうリリカルな方が好きなの?僕はビバップっぽい方が好きかな。でも、耕太さんは上手いよ。雰囲気あって、引き込まれる。」
流石は一期君、自分の意見も絡めつつ、ちゃんと耕太さんのことも讃えている。
「そうなんだよ、この甘い雰囲気が出せることが信じられないよ。音楽専攻してる訳でもないし、しかもまだ大学生だよ。信じられない。ああ、才能ってあるところにはあるんだな。」
もう、三人でため息をつくことしかできなかった。
演奏が終わると、耕太さんは奥のカウンターの方に向かって行った。それを見ると大河は直ぐに立ち上がり、耕太さんに声を掛けに行った。
「耕太さん、演奏凄かったです。カッコよかったです。」
「えっと…ああ、哲太の友だちの…大空?何だっけ?」
「大河です!僕の事覚えていてくれたんですか!嬉しいです。また、ジャズ研でご一緒出来るのを楽しみにしてます。」
「大河、お前、楽器は?」
「ピアノです。」
「そうか、ピアノかぁ…うちには上手いのがいるからな、まあ頑張れよ。」
「はい、頑張ります。有難うございます。」
そう言うと耕太さんは大河の前を通り過ぎ、奥のカウンターに座ると、そこに置いてあったグラスを手に取り、横にいる女性と楽しそうに話を始めた。カウンターが狭いせいもあるのだろうけど、二人の距離が近い感じがした。
大河が戻って来てポツリと呟いた。
「耕太さんと話が出来たよ。ああ、幸せだな。」
隣の女性は目に入らなかったのかな?あれ、耕太さんの彼女じゃないの?そう言うのは気にしないのか…流石は師匠、メンタル強すぎ…鉄の男
「はは、良かったな。じゃあ、俺たちも頑張るか!大河の名前も書いとくよ。」
そう言いながら、一期君はボロボロのノートに何かを書きこんだ。
「あ、ありがとう。」
「今日は、ドラムが二人、ピアノは…三人か、そんなに多くないね。管が多そう…」
そう言いながら、ドラムのスティックケースを広げた。
何故こんなに何本も同じ様なスティックがあるんだろう?中には刷毛みたいなものある。
「これ全部使うの?」
「うん、出したい音によって変えるんだ。」
うーん、その道のプロになると道具もいろいろとあるんだろうな、などと考えていると、ステージでベースを弾いている人が大河を呼び寄せた。
「じゃあ、行ってくるよ。」
緊張した面持ちで大河がステージに向かった。ステージで何か打ち合わせみたいなことをしていたが、直ぐに演奏を始めた。聴いたことがある曲だ。
「普通、初心者ってFのブルースとか、枯葉って曲やることが多いんだけど、いきなりビル・エヴァンスのコピーしてくるから、ちょっと引いたよ。」
「これ、不思議の国のアリスの曲だよね?これもジャズだったんだ?」
夏子が言った。
「そう、不思議の国のアリスだよ。元々はアニメーション映画のテーマ曲だったのを、ジャズ演奏者が演奏して、今はジャズのスタンダードだよ。」
「ジャズって、元々ジャズじゃない曲もあるんだ?」
「元々は、映画やミュージカルの音楽だったものもすごく多いよ。」
「じゃあ、ジャズって何?」
「うーん、ネットで調べればニューオリンズ発祥の即興で演奏する音楽とかって書かれてるけど、その後、形を変えていろんなジャズがあるから、一言では説明できないよ。まあ、誰でも好きなように楽しんでいい音楽だと、俺は思ってる。」
必死に演奏しつつも、時々笑顔を見せる大河を夏子は真剣に見つめていた。
「ドラムの人に、全然、ジャズっぽくないって言われちゃったよ。」
そんなことをブツブツ言いながら、演奏を終えた大河が席に戻って来た。
「リズム難しいからな。でも、ちゃんと他の楽器と会話が出来てたと思うよ。前の時と比べたら格段に進歩したよ。」
「前は、周りの音を聞いてなかったからね。やっぱり緊張したけど、前より格段に楽しかったよ。」
「やっぱりすごいよ、こんな短期間で飛躍的だよ。」
「一期のお掛けだよ。一期とスタジオで練習してて、誰かと一緒に演奏するってこんなに楽しんだって実感できた。ジョシュアさんの伴奏したとき、すごく緊張したけど、すごく楽しかったんだよね。でも、どうして楽しかったのか良く分からくて、でも、一期と一緒に演奏して気が付いたんだよ、一期って僕のピアノを凄く聞いてくれてるなとか、時には何かドラムで話しかけて来るなって思ったら、こういうやり取りが楽しいんだなって分かったんだよね。」
全く私には理解出来ない話だが、二人が楽しそうで何よりだ。
そんなことを喋ったり、他の人の演奏を聴いたりした。そして一期君のドラムは凄かった…細かいことは全く分からないが、一期君が演奏していると周りも楽しそうに演奏しているように見えた。
終電の時間も過ぎてしまったので、歩いて近くの二十四時間営業のハンバーガー屋に入った。
こんな時間にもかかわらず混んでいて、地元では見かけない風景に圧倒されたが、一期君と大河は特に何事もないような顔で空いている席を見つけてこちらに手招きをした。私たちも急いで二人について行った。
「今日も、楽しかったなあ~」
コーヒーを一口飲んで大河がほくほく顔で言った。セッション行く前に怖いなんて呟いた人とは思えない表情。
「今日は、結構、演奏が出来たし、俺も楽しかった。」
そう言って、一期君がポテトを口に放り込んだ。
「私も楽しかった。二人の演奏も聴けたし、いい刺激になったよ。」
夏子もほくほく顔でアップルパイを食べた。
「私も、楽しかった。」
本心だ。音楽は全くわからなかったし、途中で眠りそうになった時もあったけど、二人の演奏も聴けたし、今まで知らなかった世界に足を踏み入れられた気がした。
「いつかさあ、お互いが学んだ音楽、歴史、美術史の知識や技術を持ち寄って、一緒にイベントとか事業とかできたら楽しいよなぁなんて考えちゃった。」
「夏子、それ良いアイディアだよ!きっと出来るよ。」
「俺もやりたい!」
「私も!」
本当になったら素敵だなと思った。きっと私だけだったら、日々の生活に流されて実行しないことも、この三人とならば出来る気がした。正直、歴史をどう絡めたらいいのか全くアイディアが思いつかなかったが、ワクワクした。
「じゃあ、やろう!約束だよ。」
口の横にパイの欠片を付けた夏子がそう言った。そんな彼女が眩しかった。
「夏子、口の横にアップルパイが付いてる。」
大河が指摘した。ああ、こんな時に言わなくていいのに。
「え、後で取るから、今はそう言うコメント要らないよ。」
大河が鉄の男ならば、夏子は鉄の女だ、口とメンタルは互角。
そうやって、結局、始発電車の時間まで話し込んだ。
始発で大河のアパートまで帰り、午前中は泥の様に眠ってしまった。
午後は、夏子に連れられ四人で上野の美術館に向かい、夏子が見たいという展示を見た、こちらもジャズ以上によく分からない世界だったが、夏子が愛している世界だと思うと、何となくちょっとだけ愛おしくなった。
セッションは怖い(楽しい)シリーズは今回で終わりです。
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