第53話 セッションは怖い④
「どっちの部屋だろう?」
そう言って、一期君は音を立てないように静かにベランダに出て、両側の部屋を覗き込んだ。そして、また静かに戻ってくると
「どっちの部屋もカーテンが閉じてる。この時間に帰って来たならば一度くらいはカーテンを開くと思うんだけどな…」
そう言って首を傾げた。
「夜勤明けとか?」
夏子が尋ねた。
「このアパート、夜の9時までは音が出せるから、音大生しか住んでないと思うけど…朝帰りですぐに寝るつもりかも。」
そう言って一期君は、右側の壁の近くで耳を欹てた。
「何か聞こえる?」
大河も並んで壁の向こう側に聞き耳を立てた。
「う…ん、何も聞こえないね。」
暫く四人でそうしていたが、右隣の部屋の中に誰か居るような音は聞こえてこなかった。
「反対側はどうだろう?」
大河が、左側の壁の近くで聞き耳を立てた。
「そっちの部屋は人が住んでるよ。」
そう言いながらも、一期君も一緒に聞き耳を立てた。
「こっちからも、何も聞こえないね。防音になってるの?この壁?」
「いや、なってないと思う。楽器とか歌とか聞こえて来るから。」
そう言いながら二人でテーブルに戻り、ため息をついた。
「さっきのドアの音、どっちから聞こえた?僕は右側の空き部屋だと思ったけど。」
「うーん、私も右だと思ったけど、自信ない。」
大河に聞かれて、夏子がそう答えた。私も右だと思ったけど、自信はない。
「俺も同じ。若しかしたら上の部屋かもしれないし。」
結局、どこのドアが開いたのか定かじゃない。
「もし、右の部屋に誰か入って行ったなら、そのうち音が聞こえてくるよ。でも、もし、誰も入ってないのに、音が聞こえたら…」
夏子がそう言うと、大河が冷ややかに返した。
「止めなよ、そう言う話。こういう時は疑心暗鬼になるのが一番よくないよ。」
まあ、確かにそうなのだが、夏子だって冗談のつもりなんだし、そんな言い方しなくても良いのにと思ってしまう。大河ははっきりものを言い過ぎる節がある。
「冗談だよ。真に受けすぎだよ。」
夏子が落ち着いて返事をする。夏子の方が大人だな。
「このまま、ここでじっとして、テレビも音楽もなしで過ごすのかぁ…」
一期君が小声でごねた、そして、閃いたかのように、
「ねえ、絵を描こうよ。何でもいいから好きなもの。」
そう言って、A4のコピー用紙とペン立てをローテーブルに置いた。
最初に紙とペンを手に取ったのは大河だ、それにつられて夏子と私も紙とペンを手に取った。
「好きなものねぇ…」
そう言いながら、大河はトランペットの絵を描き出した。
「上手いね、大河はトランペットも吹くの?」
「吹いたことない。でもやってみたいなって思って。」
その横で夏子はよくわからない絵を描き出した…でも、これ見た事あるような…牛みたいだけど…なんだっけ?
「これ、ゲルニカの牛?上手いね。」
一期君が夏子に尋ねた。
「うん、本物を見てみたくて。いつか。」
そう言いながら、夏子は無心に描き続けた。
「明は猫だね。これギンちゃんでしょう。」
「正解。」
大河に聞かれて、そう答えた。勿論、私の好きなものはギンちゃん(銀ちゃん)である。
「どうして明はそんなにギンちゃんが好きなの?ずっと犬派だと思ってたのに。」
夏子がペンを休めて、真顔でこちらを見ている。
「だって、可愛いし、賢いし、私に懐いてくれてるし。」
「そうかぁ」
そう言って、また絵を描き出した。
「一期のは…帽子?」
大河が尋ねると、一期君が少し不服そうに、
「違うよ、カツカレーだよ。」
「ああ、言われたら確かにそうかも。」
皿がツバ、カツが羽飾りに見えて、帽子って言われれば帽子に見える。
そんなことを考えていたら、また隣の部屋から扉が開く音がした。
カシャ
ギー
ガチャ
「隣、出て行った?」
そう言って、忍び足で一期君が玄関に向かい、ゆっくりと静かに扉を開けて、外を見た。キョロキョロしてかららこちらを振り向き、
「誰もいない。」
「え!たった今出て行ったばっかりだよね。」
大河も玄関から顔を出して外を見た。
「誰もいない。」
「おかしいなあ、上の部屋の音だったのかな?」
二人で不思議そうな顔をしながら戻って来た。
「もしかすると、今、部屋に入ったのかもよ。私たちが帰って来る前から部屋に居て、最初の音が出て行った音で、さっき聞こえたのが帰って来た音かもしれない。」
「なるほど、その可能性もあるね。さ・す・がは、明。」
そう言う大河の口調が誰かに似てるなと思いなと違和感を感じつつも、右の部屋の壁に再び四人で側耳を立てた。
微かに人が歩くような音がした。
「誰かいるね…」
「次、ドアが開く音がしたら、玄関から覗いてみよう。」
絵を描いたり、お昼ご飯を食べたりしながら、ドアが開く音を待った。
ガチャ
キー
カシャ
あれから、何時間たっただろう。再び扉が開く音がした。
四人で玄関に向かい、一期君が扉を開けて外を覗いた。
その扉の前を、人が速足で俯いたまま通り過ぎようとした。
「あの、隣の空き部屋から出て来ましたよね?」
一期君がその人に話し掛けた。
その瞬間、その人は駆け出した。一期君と大河はその人を追いかけて階段を下りた。
「待って、理由を聞きたいだけなんです。」
そう言って、二人で追いかけたが、逃げ足が速い人だったらしく、暫くすると大きな封筒を抱えて二人で戻って来た。
「これ落として行っちゃった。」
一期君がテーブルの上にその封筒を置いた。
中からは描きかけの漫画の原稿が出て来た。
「さっきの人、隣の部屋で漫画を書いてたのかな?」
「多分そうなんだろうね。でも、どうやって部屋の鍵を手に入れたんだろう?」
「この漫画どうする?返さなきゃ悪いよね。ここまで一生懸命書いたんだろうし。」
「でも、誰に返せばいいの?隣の空き部屋のポストに入れて置く?」
「大家さんに渡そうか?」
そんなことを言い合いながら四人で考え込んでいると、ドアフォンが鳴った。
一期君がのぞき窓から覗いて、こちらを振り返った。
「多分、さっきの人だ。」
そう言って、扉を開けた。
そこには、一期君と同じくらいの背丈の男の人が立っていた。
「…あの、さっき落として行った封筒返してもらえる?」
「いいけど、事情を話してもらっても良いかな?どうして隣の空き部屋に出入りしているのか。」
一期君がそう言うと、男の人は俯きながら
「…わかったよ、でも大家さんには言わないで…」
「約束は出来ないよ、事情によってだよ。取り敢えず中入って。」
そう言って、一期君がその男の人を部屋に招き入れた。
ちょっと、怖いなと思ったけど、こちらは四人だ…でもなあ、こっちはひ弱な感じだし…喧嘩になったら勝てるかな?夏子は剣道をやってたから、夏子ならば勝てるかも…などとリスク対策に考えを巡らせていると、
「僕の名前は、中村 薫…このアパートの大家の孫で、隣の部屋を使いたくて、勝手に鍵を持ち出して使ってたんだ。」
「そこで漫画を書いてたの?」
夏子が尋ねた。
薫君が頷いた。
「家では書けないし、漫画喫茶で書いたりもしてたけど、お金かかるし…」
「どうして、家では書けないの?」
「親に見つかると、怒られるんだよ。大学に行かずに漫画家のアシスタントをしたいって言ったら、勘当するって言われて、芸大もダメだって言われて、仕方なく経済学部に進んだけど、やっぱり漫画を書きたくて…」
「…そうなんだ。」
そう言って、一期君も大河も身につまされた様な表情になった。
「わかったよ、俺、大家さんに言わない。今日のことは見なかった、聞かなかった、知らなかったってことにするよ。」
一期君がそう言うと、薫君の表情が明るくなった。
「ありがとう。本当にありがとう。」
「所でさぁ、時々唸り声が聞こえてきたんだけど、あれも薫の声だったの?」
「え?ああ…ネーム考えてて、どうしても思いつかない時に唸ってたかもしれない。」
「そう言う事だったのか、だったら安心したよ。隣の空き部屋から時々唸り声が聞こえて来て気味が悪かったんだ。でも、理由が分かったから安心した。」
そう言って一期君が笑った。
「ごめんよ、怖がらせちゃって、次からは気を付けるよ。」
少し恥ずかしそうに笑った。
「理由が分かれば怖くないから、好きなだけ唸ってよ。ねえ、この漫画読んでもいい?」
「いいよ!感想聞かせてよ。」
薫君の漫画は面白かった。
天才小学生たちが株価を操作して、巨額の富を得ると言う話で、それを知った大人たちがその小学生たちを騙して金を奪い取ろうとするが、小学生たちの方が上手で、逆にその大人たちが彼らに騙されると言う話だった。話はまだ途中で、その後の展開がとても気になった。
「経済の勉強も嫌いじゃないんだ。だから、いま勉強していることをネタに漫画が書けたら一石二鳥じゃない。勿論、ファンタジーとか、SFとか他のジャンルを書くのも好きだけど、今は、こういう感じの話に力を入れてるんだ。」
そう語る薫君の表情は生き生きしていた。
「いいね!強かな感じがして好感持てるよ。何でも自分の利点に変えて行けるって強みだよ。」
一期君がそう言って褒めた。
私たち五人は連絡先を交換して、漫画の続きを送ってもらう事を約束した。
その後、薫君と別れて、私たちは高田馬場に向かった。
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