第38話 もの言える証人⑥
「以前もお話したと思うのですが、私は晴斗を医者にしたいと思っています。私の父と兄は医者をしていますし、実家は代々医者になるものが多い家系なのです。でも夫は理解を示してくれず、晴斗の教育にもあまり熱心ではありません。」
さっきの晴斗君のおどおどした態度からすると、このお母さん、空回りしてそうだな、なんて私の心配をよそに香織さんは話を続けた。
「夫は晴斗が自分に似ていないと思ってるんです。誤解しないでくださいね、晴斗は夫の子です。」
「勿論、疑ったりなんてしませんよ。」
彼は終始笑顔を崩さない。
その笑顔に香織さんは絆され、もとい、安心しきってしまったようで、たった二回しか会ったこともないこの男に自分の悩みを打ち明け始めた。
「夫は自分に似ていない晴斗を可愛がってくれないどころか、憎んでるんです。だから、晴斗の教育のことも親身になってくれません。夫は浪費家で仕事に託けては高い店に行って、それだけならばまだしも、直ぐに部下や後輩にご馳走してしまうんです。毎月その出費がばかになりません。私立の医大に入れるためにはもっと節約してもらわないと困るんです。私がどんなにお願いしても、大学入学まではまだまだ時間があると言って相手にもしてくれませんし、挙句の果てには、最終的には私の実家が援助してくれるはずだから、そんなに心配しなくてもいいだろうと言い出す始末なんです。夫は、晴斗が医者になって自分よりも社会的な地位が高くなることが許せないんです。でも、世間体を気にして、よそ様には優しい子煩悩な父親の振りをしているんです。公立の小学校に行かせたのだって晴斗のためだと、小学校は勉強よりもお友だちと仲良くすることを学ぶところだとか言って…」
そこまで一気に話すと我に返ったのか、目の前のジョシュアさんの反応が気になったようで、彼の方に目をやった。
彼は、深い同情を示すような表情で一言。
「それは、お辛いですね。」
横で私も、頑張って彼の表情を真似て数回頷いた。自分としては同情を示したつもりだったが、香織さんの視線がこちらに向くことは一度もなかった。まあ、それはそれで良いのだけれど。
「わかっていただけますか。」
そう言うと、香織さんは少し俯き、少し言い難そうに話を続けた。
「先ほど、来海ちゃんが晴斗の腕に痣があったと言ってましたけど、私が掴んだくらいで痣なんて出来る訳がありません…確証はありませんが、晴斗は優しい子だから、若しかしたら父親を庇って何かあっても黙っているのかもしれません。」
香織さんは再び顔を上げ、ジョシュアさんの表情を伺った。
「それは問題ですね。香織さん、晴斗君を守れるのはあなただけです。でも、もし僕に出来ることがあれば、いつでも遠慮なく言ってくだい。貴方や、貴方の大事な晴斗君のお力になれるよう尽力します。」
その言葉を聞いた、香織さんの表情がぱっと明るくなったような気がした。
「ありがとうございます、エバンズさん。勿論、私が母親として晴斗を守ります。何があってもあの子を守ります。」
「本当にあなたは素晴らしい方です。でも無理は禁物ですよ。何かあれば直ぐに連絡してください。」
その言葉を聞いた香織さんが、パッと頬を赤らめた。
「エバンズさん、私も手を拱いている訳ではありません。既に、手は打ってあります。今日はこれからその打ち合わせがあるので、ここでお暇させていただきます。貴方にご迷惑はかけられません。」
そんな会話をする二人を目の前にして酷い胸やけを感じていたが、頑張って神妙な表情を続けた。
香織さんは名残惜しそうに、晴斗君を連れて帰って行った。
香織さんが何度も何度も振り返るので、門の所で私も頑張って引きつった微笑みを必死に維持し続けた。
「明、お疲れ~」
香織さんが見えなくなると、ジョシュアさんがいつもの調子でそう声を掛けてくれた。
何だかホッとしてしまった。
「来海も頑張ったね。」
そう言うと、ジョシュアさんは来海ちゃんに手を差し伸べた、来海ちゃんは神妙な面持ちでその手を取った。
今回の来海ちゃんの対応には本当に感心させられた。もし自分が来海ちゃんの立場で友だちの母親から「来海ちゃんと遊んじゃ駄目って言ったでしょう。」なんて目の前で言われたら、ショックの余り泣き出すと思う。それでも、来海ちゃは晴斗君を守ろうとしたり、ジョシュアさんが晴斗君のお母さんの肩を持つような態度を取っても、黙って耐えていた。普通の子どもが出来ることじゃない。
手を繋いで歩く二人の後に続いて、私も玄関に向かった。
そんな二人の後ろ姿を眺めながら、来海ちゃん、もう泣いても怒っても良いんだよ!などと思っていたら
「ジョシュアのこと信じてるから、大丈夫。」
来海ちゃんがジョシュアさんの方を見上げて突然そんなことを言った。
「僕も、来海のこと信じてるから、心配してなかった。」
その言葉を聞いた来海ちゃんが、はにかみながら微笑んだ。薄っすら目に涙を溜めているように見えたが、直ぐにジョシュアさんに抱きついて、彼のシャツの裾で涙を拭ったように見えた。そして、そのまま二人は寄り添うように歩いて行った。
そんな姿を呆然と眺めていたが、次の瞬間自分の中に稲妻のような衝撃が走った…
もしや、これが愛…多分愛…きっと愛…なのか!?
暫く、その場に立ち止まり完全に停止した思考のもと、彼のことを感じの悪い変態ロリコン野郎とずっと思い続けていたことを深く深く反省し、もう、この二人を応援しよう、たとえ世間が、民法731条が、条例が許さなくとも…いや、条例は守ってもらおう。すっかりそんな気分になっていた。
「何やってるの?入らないの?」
玄関先で二人が振り返りこちらを見ている。
「あ、はい、あれ、ああ、直ぐ行きます。」
そう答えながら右足を踏み出したら、足がもつれて転んだ。
ジョシュアさんの機転というか魅力?のお陰で、晴斗君のお母さんの怒りの矛先は完全に来海ちゃんから逸れたように見えた。その上、ご家庭の事情まで聴き出してしまった。
何とも恐ろしい男だ。その恐ろしい男とその妻がこちらを心配そうに見ている。
「大丈夫?怪我はなかった?」
「明お姉ちゃん、痛くなかった?大丈夫?」
玄関先の小上りに腰を掛けた。幸いにもちょっと膝をぶつけた程度だった。
咄嗟についた右掌がジンジンするけど。
「はははは、大丈夫です。二人の仲の良さに当てられたかな…はは」
なんだか、新婚夫婦に向かって近所に住んでるおばちゃんが言うような台詞だな…
ギンちゃんとモモ太も心配そうにこちらを見ている、なんとも面目ない。
「明はどう思った?晴斗君のお母さんの話」
そう尋ねられて、ちょっと頭の中を整理しつつ答えた。
「教育熱心過ぎて空回りしてる気がしました。後、思い込みが激しそうな気がするから、お父さんの話はどこまでが彼女の想像でどこからが事実ベースの話なのか分からないですね。それに…」
「それに?」
「今日の打ち合わせって、誰と何を打ち合わせするんですかね?」
「それ、気になるよね。」
「はい、気になりますね。」
「じゃあ、ギンちゃんにお願いしてみようか?」
恐ろしい男が満面の笑みで言ったが、何を意図してるのか全く分からない。
「ギンちゃんに、何をお願いするんですか?」
「それは勿論、スパイだよ。エージェントギンちゃんならば、必ずや僕たちが欲しい情報をゲットしてくれるはず!」
「え?ギンちゃんにスパイをですか…」
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