第37話 もの言える証人⑤
「晴斗がお邪魔していると思うんですけど、急用がありまして、そろそろお暇させていただかないとならないんです。」
語気強めに晴斗君のママがジョシュアさんに言った。茶色地に大きな白い花柄のワンピース、そこに鮮やかな緑色のジャケットを羽織っている。淡いブルーの帽子とパンプス…うーん、白い花が人食い花に見える。地球にやさしい色ばかりなのに、なぜか目がチカチカする。
「ええ、晴斗君ならば庭で来海と遊んでいますよ、どうぞ。」
彼はにこやかに返事をして、晴斗君ママを庭に案内した。
「どこですか?」
庭を見回しながら、晴斗君ママが尋ねた。
「そこですよ。」
ニコニコしながらジョシュアさんが木の上を指さした。
「え?」
そう言って、晴斗君ママは目線を彼が指さす方に向けた。
大きな木の中腹、隣に並ぶ家屋の二階の高さ辺りで、二人は枝に腰かけてこちらを見ていた。
「…晴斗!何やってるの。危ないから降りなさい。直ぐに。」
「おかあさん…」
怯えるような表情で晴斗君が呟いた。
「あぶなくないよ。晴斗君は木登りうまい……」
その隣で来海ちゃんが言い返して来た。
「いいから、早く降りなさい!」
晴斗君ママは金切り声を上げて、来海ちゃんの声を打ち消した。
晴斗君の顔色が青ざめたように見える。そして、その場で固まってしまっているみたいだ。
「晴斗君、大丈夫だから、落ち着いて、そこでじっとしててね。」
そう言うとジョシュアさんは二人が腰かけている下の枝まで登り、晴斗君を抱えて飛び降りた。あっという間の出来事だった。
「晴斗!」
晴斗君ママが駆け寄って、晴斗君を奪い取るように抱きついた。
「晴斗、危ないことしちゃ駄目だって言ったでしょ。」
そう言って晴斗君の両腕を掴んで、彼の顔をまじまじと覗き込んだ。
晴斗君は母親と目を合わせることが出来ずに俯いている。
「でも、お母さんはわかっているわ、晴斗は悪くない。唆されただけよね。だから来海ちゃんと遊んじゃ駄目っていったでしょう。まあ、今日は仕方がなかったけど、次からはちゃんとお母さんの言うことを聞いてね。今日は、急遽、先生方が来てくれることになったの、急いでお家に帰りましょう。」
急に、晴斗君ママは声色を変えて穏やかに彼に語りかけた。それでも、晴斗君は俯いたままだ、肩のあたりが少し震えている様にも見える。
「晴斗君のお母さん、晴斗君が動揺しているようですから、お茶でも飲んで少し落ち着いてから帰られてはどうでしょうか?」
晴斗君ママの背後からジョシュアさんが声を掛けた。
今まで見たことも、聞いたこともないような妖艶な微笑みと甘い声。
横から見ているだけで何故か身震いがする。
「貴方は何を言ってるんで…」
途中までは金切り声の延長のような声を上げていたが、振り返って彼の表情を見た途端、晴斗君ママが黙り込んだ。
「晴斗君の腕にお母さんの指が食い込んでますよ。少し力を抜いてあげてはどうですか?」
顔を赤らめた晴斗君ママが、晴斗君の両腕から手を離した。
「まあ、私ったら…晴斗、ごめんなさいね。痛かったでしょう。」
晴斗君はまだうつむいたままだった。そこに木から降りて来た来海ちゃんが駆け寄って
「晴斗君の腕に痣があった。晴斗君のママがやったんだ、ひどい。」
「来海も落ち着いて。もしそうならば、晴斗君のお母さんはわざと晴斗君に痣を付けた訳じゃない。晴斗君のことを心配過ぎて少し力が入り過ぎちゃっただけだから、これからは気を付けてもらえば済むことだよ。」
「…ぐむ。」
来海ちゃんは悔しげな声をあげたが、その後は黙り込み、それ以上は何も言わなかった。
納得は出来ないなりに、彼女は一旦引いたのかもしれない。晴斗君のママにひどいことも言われて、ショック受けてるだろうに、本当に賢いなこの子。
「晴斗君のお母さん、失礼ですがお名前を伺って宜しいですか?」
ジョシュアさんが、春斗君ママに尋ねた。
ん?今、名前を尋ねる必要ってある?
「あ、はい、佐々木…香織です。」
「香織さん」
ジョシュアさんが名前を呼んだ。
ん?何だこの間は…
「はい。」
佐々木香織が一言答えた。見つめ合う二人。
何だ、この間は…
来海ちゃんが私の横にやって来て、私の手をつかんだ。思ったよりも強い力で掴んで来たので驚いて、来海ちゃんの方に目をやると、心底ムカついたような、苦虫を噛み潰したような悪い表情で昼下がりのメロドラマさながらの二人を睨み付けている…
さっき、ジョシュアさんに味方してもらえなかったことを怒っているのかな?
あれ、もしかして…焼きもち焼いてるの?
って言うか、ジョシュアさんは何をしてるんだ?
「香織さん、もしかすると心労が溜まってらっるのかもしれませんね。もしそうならば、僕は心配でなりません。僕でお役に立てるのであれば、相談に乗らせてもらえませんか?僕の様な若輩者ではアドバイスなんて出来ないかもしれませんが、お話を聞くことならば出来ると思います。」
そう言いうと、彼は胸が苦しいと言わんばかりに、甘くも切なそうな表情で香織さんの目を見つめ返した。
「エバンズさん…」
さっきの金切り声からは想像もできない吐息の様な声で香織さんが呟いた。
もしかして、完全に香織さんを絆し切ったってことか…流石の私にも何となくわかった気がした。なんて恐ろしい男だ、絶対に敵に回してはいけないタイプだ。そう思うと、再び身震いがした。
玄関横の応接間で、何故か三人でお茶を飲むことになった。応接間で香織さんと二人になるのが嫌だったので、ジョシュアさんがお茶を入れるのを台所で手伝うことにした。
「そこにある、ティーカップを三つと、そっちのマグカップを二つ出して。ティーカップにはお湯を入れて。」
言われるがままに動いた。
「私は、来海ちゃんと晴斗君と一緒にリビングでテレビを観てる方がいいんじゃないですかね?」
「何言ってるの、明も一緒に彼女の話を聞いてよ。痣のこともまだはっきりしないし、幽霊のことは何もわかってないでしょう。来海たちのことはギンちゃんとモモ太に任せて、僕たちは彼女から話を聞き出さなきゃ。」
「ああ、やっぱり。その為だったんですね。」
「え?」
「いや、何でもないです。そう言えば、来海ちゃん、苦虫を噛み潰しまくったような渋い表情でジョシュアさんと香織さんのことを睨みつけてましたよ。あれが、焼きもちってやつですかね。」
「え!本当に!!いやーん、めちゃくちゃ嬉しい。イカの燻製も付けてあげようっと。」
そう言って、マグカップにミルクティーを注ぎ入れ、クッキーと毎度おなじみ無印のイカの燻製の袋を二つ添えた。
「こちらは…?」
香織さんが私の方を見ながら、不思議そうに尋ねた。
「僕の友だちです。馬場 明ちゃんです。」
にこやかにジョシュアさんが答えた。
友だちねえ、まあそれが一番無難な回答なのかなあ、でも、本当は同居人の彼女です、なんてね…まだ彼女じゃないけど…まあ、今回は友だちってことでいいや。
「初めまして、馬場 明です。友だちです。」
挨拶はしたものの、これ以上は何も話題が思いつかない。笑顔を作りたいけど、今、私の表情筋は変な痙攣を起こしてピクピクするのみ。
「え?お友だち、ですか…」
そりゃあ、腑に落ちてないよね…なんか、暑くもないのに汗が出て来る。
「香織さんにはご家族もありますし、僕と二人で会っていたなんて噂が流れでもしたら、ご迷惑をおかけしてしまうことになります。あなたにそんな迷惑はかけられません。ですから今日は彼女に同席してもらったんです。彼女は口は堅いので安心してください。」
またもや甘くて切なげな表情。よくこんな表情ができるなと、本当に感心する。
「そんな、私は迷惑だなんて思いませんわ。」
さっきのヒステリーな声からは想像もつかないしおらしい声。
淡いブルーの帽子と鮮やかなグリーンのジャケットを脱ぐと、白いタートルネックの上に、白い人食い花が描かれている茶色地のノースリーブのワンピースを着ていることが分かる。さっきよりは目がチカチカしないけど、白い花がニタニタした笑みを浮かべてこちらを見ている気がして、やっぱり落ち着かない。
「香織さんの悩み、お話いただける範囲で聞かせいただけますか?」
「…何からお話すればいいのかしら、エバンズさんは私の夫に会ったことはありますか?」
「はい、来海を学童に迎えに行ったときに、少しお話しました。とても素敵な方ですね。物腰が柔らかくて穏やかで、しかも一流企業にお勤めとか。」
「ええ、殆どの人が彼をそう言って褒めてくれます。それだけ、彼は世間からは良い人だと思われているんです。だから、きっと私が何か言っても誰も信じてくれない、夫の方が信頼があるから、みんな夫の言うことを信じてしまうのです。」
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