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第32話 大町発9時50分⑦

今回も花沢さん目線のお話です。


 誠さんからの電話を切り、彼の書斎に向かった。


 引き出しの鍵を開けると、赤いパスポートが二冊、そして指輪の箱が一つ入っていた。


 パスポートを一つ開くと、それは誠さんのパスポート。

 もう一つのパスポートを手に取って開くと、

「TERAUCHI MASAMI」

 顔写真はどこかで見覚えがあるような…森山さん?優香さんが見せてくれた写真に写っていた看護師の森山さんに似ている。いや、違う、似てるけど別人。もしかして、森山さんが正美さんの妹?


 正美さんのパスポートの間から写真が一枚落ちた。拾い上げると、きれいな海を背にした誠さんと正美さんと思われる女性が笑っている。正美さんのパスポートの出入国スタンプが押されているページを開くと昨年の二月の日付、行先はパラオ。他にスタンプの押されたページはない。





 翌日、午後五時少し前に、二冊のパスポートと指輪の入った箱を持って、大町駅前の喫茶店に入った。誠さんの姿はなかった。


 暫くすると、誠さんがやって来た。

「お待たせしました。お手数をお掛けして申し訳ありませんでした。」


「いいえ、お手数だなんて思ってませんよ。また、誠さんにお会いできて良かったわ。」


「…焼き厚揚げ、前の妻が良く作ってくれたんです。表面をカリカリになるまで焼いて、ネギ、しょうが、鰹節をのせて醬油をかけて、ビールと一緒に食べるのが好きで…、花沢さんが作ってくれた厚揚げ食べてそれを思い出しました。」


「そうでしたか。」


「少し、僕の話を聞いてもらってもいいですか?」


「ええ、勿論ですよ。私で良ければ。」


「ありがとうございます。


 前の妻である正美と結婚したのは五年ほど前、当時、正美はリハビリ専門のクリニックで作業療法士として働いていました。正美のことは正美の妹の森山もりやま 久美くみを通して知り合いました。正美と付き合い始める前は、僕は久美と付き合っていました。

 久美と僕は同じ職場だったので、当時、久美には僕以外にも付き合っている男性がいるということは、噂話で聞いていました。相手は、僕の上司の助教授で佐々木先生だということも知っていました。ただ、佐々木先生は既婚者で、久美も結婚の望みがないから彼とは別れたと言っていました。

 ある日、久美から別れて欲しいと言われました。佐々木先生が今の奥さんと別れて、自分と結婚することになるからと。久美には振り回されっぱなしで、彼女との関係に疲れていたこともあり、直ぐに承諾しました。


 久美と別れて直ぐ、正美からキャリアアップのためにと大学病院への転職について相談されました。正美といろいろ話をしていくうちに、彼女の穏やかで、真っすぐな性格に魅かれ、僕たちは結婚を前提に付き合うことになりました。


 正美との新婚旅行中に、久美から電話がかかってきました。

 久美は泣きながら『貴方のせいで、佐々木と結婚できなかった。もう子どもを産めない体になってしまったかもしれない。』と言いました。

 久美の話では、僕と別れた時には、僕の子どもを久美が身ごもっていて、それが原因で佐々木先生は久美との結婚の約束を反故ほごにして、奥さんとも離婚をしなかったそうです。その後、久美はお腹の子どもを堕したそうです。」


 そこまで話すと、彼はコーヒーとをひとくち飲んだ。

 私は、彼の話の続きを待った。


「僕は責任を感じ、久美が望むならば正美と別れて久美と一緒になろうと思いました。でも、久美が望んだのは、教授もしくは院長の妻でした。もしかすると、久美にはどんなに尽くしてもずっと妻にしてくれない佐々木先生を見返してやりたいという思いがあったのかもしれません。

 そして、久美から言われたのは、

『あなたは教授にはなれないだろうから、院長になって私と結婚するの、それがあなたが私に出来る唯一の罪滅ぼしだわ。私があなたを院長にさせてあげるから、私の言う通りにしてね。』


 その後、助教授だった佐々木先生が、大町市の大学病院で教授になったのを機に、私も一緒にこちらにやってきました。久美も同じ大学病院に転職してきました。久美の紹介で今の妻である優香ゆうかさんと出会いました。彼女の家は、ご存じの通り長谷病院を経営しています。彼女と結婚すればクリニック開業も夢ではありませんでした。優香さんと結婚するにあたり、私は正美と正式に離婚をしなければなりませんでした。

 正美にはちゃんと話をして離婚の手続きを取ろうと思っていたのですが、久美がそれを許しませんでした。多分、久美は姉の正美にコンプレックスを抱いていたんだと思います。

『ダメよ、姉には内緒で離婚するの。自分の夫だと思っていた人が、ある日突然、別の女と幸せに暮らしているのを見たら姉さんどんな気分だろう。姉さんは、ずっとあなたのことを狙っていて、私と別れたと分かった途端、あなたにちょっかいを出してきた。子どものころからずる賢いのよ、良い所は全部姉が持って行く。一度くらい不幸を味わうべきよ。』


 そして、正美にパスポートを更新させるため、正美と二人で海外旅行に行きました。その時のパスポートも私の引き出しにあったでしょう?」


「ええ、正美さんのパスポートも持ってきました。それと、指輪も。」


 それを聞いた誠さんは悲し気に微笑んで話を続けた。


「あなたならば、騒がずにそうしてくれると思ったんです。今更ですが、この話は自分から長谷家の皆さんには説明しないといけない事なので、他の人から漏れ聞かれるのは避けたかった。」


 私は、小さく頷いた。


「正美のパスポートを使って、久美と一緒に離婚手続きをしました。役所から特に問い合わせもなく、正美と私の離婚届は受理されました。その後、優香さんと結婚をして、クリニックの開業までこぎつけました。このまま、数年かけてクリニックの名義を自分だけのものにして、その後、優香さんと何らかの理由をつけて離婚、そして久美と結婚するという話になっていました。でも…」


「でも、あなたのお子さんじゃなかった。」


「はい。優香さんが、検査結果のことを花沢さんには話したと言っていたのでご存じだと思いますが、久美が身ごもった子どもが僕の子どもであった可能性はほぼゼロに近いんです。それに…佐々木先生との関係が続いていることは気が付いていました。」


 誠さんの次の言葉を待つ間、アイスコーヒーを飲んだ。


「久美には同情はしますが、これ以上彼女に振り回されるのは耐えられません。僕は、どうしたら良いんでしょうか。」


 私は、夕日で赤く染まる窓辺に目をやった。


「…すみませんでした。花沢さんに話を聞いてもらって少し考えがまとまりそうな気がします。じゃあ、パスポートをいただいて戻ります。」


 私は、二冊のパスポートと指輪を入れた袋を誠さんに手渡した。


「焼き厚揚げをカリカリに焼くコツはね、一度、厚揚げをでるの、熱湯でぐらぐらと。そうすると悪い油が外に出て、新しい水が中にたくさん入ってくるの。水分を沢山含んだ厚揚げは、表面がカリカリになるまで焼いても焦げないの。あら、私なんの話しようとしてたのかしら

 ...そうそう、誠さん、選ぶのはあなたでしょう、自分の気持ちに嘘だけはつかない方が良いと思いますよ。」


「ありがとうございます。」


 そう言う、誠さんの目が潤んでいる様に見えた。




 ~~~~~~


「うわ…。」

「玉枝ちゃんにそんな報告したら、山口県中に話を広めてしまうかもしれない。何て説明しよう。」

 夏子ちゃんとあかりちゃんは話を聞いて、口をあんぐりしていた。


「生半可な優しさって時には害にもなるんだよね。」

 勤務日ではなかったが、すき焼きパーティーに参加するためにエバンズ家にやって来た中島さんが遠い目をして呟いた。


「誠さんが久美さんに同情しちゃうって気持ちもわかる気がするな…」

 大河たいが君がしみじみと呟いた。


「出たよ、大河たいがの不幸体質。東京で変な男に引っかからないでよね。」


「夏子、僕の事を不幸不幸って言うけど、幸せか不幸せかを決めるのは自分だから、自分がそれで幸せって思えれば、幸せなんだよ。」


「バンドマン目指してた元カレと別れた後、めったクソに罵ってたじゃない、一度の不幸から少しは学びなよ。」


「学んだよ、ロックはダメだね。」


大河たいが、僕も同感。それが幸せか不幸せかなんて自分が決めることだもんね。周りから何と言われようと、尽くしたい人に尽くす。ねえ、赤身のお肉ってもうないの?」


「ジョシュア君、赤身はこっち。」


「ありがとう。霜降りて胃にもたれそうで。」


「おじいちゃーん、、、、  かよ。」


「中島さん、酔ってるみたいですけど、今日は泊めませんよ。帰って下さいね。」


「え、明日来るんだから、いいじゃん。」


「凄い偶然が重なりましたね。不妊症検査のこともそうですけど、花沢さんがビール好きだってことと、おつまみに作った焼き厚揚げのお陰で、誠さん、花沢さんに話を聞いてもらおうって思ったのかもしれないですよね。」


あかりちゃん、私、実は日本酒好きなの、ビールはお腹が膨れちゃってあんまり飲めないのよね。」


「え?じゃあ、花沢さんは、話を聞き出すために相手に話を合わせたんですか?でも、どうやって?」


「早川さんのノートに書いてあったの、誠さんはビール好きで、焼き厚揚げが好きって。だから、今回は早川ノートのお陰ってことかもしれないわね。」


「今日は僕のために、こんな盛大な壮行会を開いてくれてありがとうございます。夏子やあかりから何と言われようとも、東京に行って、尽くしたい人に尽くしてきます。」


 そうだった、今日のすき焼きパーティーは大河たいが君の壮行会だったっんだ…


「花沢さん、日本酒好きなの?飲んじゃえば?どうせ中島さん泊ってくことになりそうだし。」


「そうねえ、ジョシュア君も飲む?だったら熱燗にでもしようかな。」





「大町発9時50分」はこれにて一件落着…ではないですが、今回で終わりになります。

この「大町発9時50分」は、アガサ・クリスティの「パディントン発4時50分」から発想を得て考えたお話です。殺人事件は起きないし、ストーリーも全く違うけれど、ちょこちょこ要素はお借りしてるかもしれません。

感想を聞かせていただけると励みになります。


毎週水、日の14:30更新予定です。


今って、あえてお願いしないと、パスポートに出入国のスタンプって押されないんですよね。ちょっと寂しい気も。



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