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ライナヴェイルの賢者

 霧深い夜明け、朝の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込み、遠くに連なる山々を眺めながら、旅路の始まりを感じます。冒険者にあこがれる若者トールはエリュシアの東端、霊峰ゴルダールのふもとにある小さな村、ライナヴェイルに立っています。周囲には古びた木造の家々が並び、そこかしこに灯されたかがり火が、夜明け前の暗闇を静かに照らしている様子です。


 この村には、かつてエリュシア全土で名を馳せた賢者が住んでいたと言われていますが、彼の存在も今は風の噂に過ぎません。最近、村の周辺で不気味な失踪事件が相次いでおり、村人たちは不安に怯え、助けを求める声が増えています。


 ライナヴェイルの村に到着したのは、夜明け前の早い時間。村人たちが村の広場で集まり、深刻そうに話し合っているのが目に入ります。その会話の中から「森で消えた子供たち」「不気味な影」「古の賢者の遺跡」といった断片的な言葉が聞こえてきます。失踪事件の話が頻繁に飛び交い、不安な様子が伝わってきますが、旅人であるトールに直接声をかけてくる者はいません。


 トールは控えめに村人の集まりに近づき、一番年配らしい男性に声をかけます。彼は灰色の髪をひとつに結び、シワの刻まれた顔には気難しそうな表情が浮かんでいますが、あなたが「旅人として食事ができる場所を教えてほしい」と丁寧に頼むと、彼は意外そうに目を細めてあなたを見返し、少し間を置いてから口を開きます。


「食事か…。この村には宿屋はないが、あの広場の向こうに住むベラばあさんがいつも旅人をもてなしている。朝早くからならパンやスープぐらいはあるはずだ。」


 彼の言葉を耳にすると、隣にいた若い女性が顔を曇らせながら囁くように言いました。「ベラおばさんも心配してる。近くの森で、また子供が一人消えたのよ…。今度は…。」


 言葉を遮るように、灰髪の老人が女性を制し、気まずそうにあなたの方を向き直ります。「この話は、よそ者には関係ないことだが…」と、彼は言葉を濁しますが、その表情には不安が隠しきれていません。


「…気になるなら、ベラばあさんに聞いてみるといい。噂や失踪のことも、何か知ってるかもしれん。」


 老人の指示に従って、あなたはベラばあさんの家に向かうことにします。古びた木造の小屋で、ドアを叩くとすぐに、小柄でやさしげな目をしたおばあさんが出てきます。彼女はあなたの姿を見ると、驚いたように笑顔を浮かべて、「まあ、旅人さんかい?こんな早朝に、珍しいねえ。さ、入りなさいな、朝のスープがちょうど煮えてるよ」と親しげに招き入れてくれます。


 室内に入ると、暖かいスープの香りとともに、壁にかかった数々の古びたお守りや植物の飾りが目に入ります。どうやらベラばあさんは、村で信仰されている古い儀式や自然信仰に詳しいようです。


 ベラばあさんはあなたの自己紹介を聞き、微笑みながらスープを器に注いでくれます。


「トール、アルディアの農村から来たんだね。そんな若いのに、見分を広げる旅なんて…立派なことだよ。」ベラばあさんは温かい目であなたを見つめ、器をそっと差し出します。「さ、冷めないうちに召し上がれ。」


 スープは野菜の優しい甘みと、香ばしいハーブが調和した滋味深い味で、身体の奥まで温まるような心地よさが広がります。


 しばらく黙って食事をしていると、ベラばあさんは少し考え込むように目を伏せ、やがてぽつりと話し始めました。「トール、旅の途中で聞いたかもしれないが、ここ最近、この村じゃ不思議なことが起きているのさ。近くの森に入った子供たちが…姿を消してしまうんだよ。」


 ベラばあさんの声はどこか哀愁を帯びていて、少し震えているように聞こえます。


「子供が森に入ったまま戻らない。最初は迷子かと思ったけれど、何度も同じことが起きて、村人たちもただの迷子じゃないと気づいたんだ。古い話だけど、この村の近くに『霧隠れの賢者』の遺跡があるって言われていてね。あの森には、どうも昔から妙な力が宿っているようなんだ。」


 彼女は窓の外を眺め、心配そうに呟きます。「子供たちを助けたい。でも、村の人間にはあの森の奥まで入り込む勇気がないんだよ…。昔、賢者があの森で何かを封印したと聞いたことがあるけど、それが本当かどうかも分からないし。」


 スープを飲み終えたトールに、ベラばあさんは静かに問いかけます。「トール、もし気が向いたら、森の様子を見てくれるかい?もちろん、無理は言わないさ…けれど、村の者たちも子供たちを助けたくても何もできずにいる。旅をしているあんたなら、何か手がかりを見つけてくれるんじゃないかって思うんだよ。」



「勿論です、ベラおばあさん、僕が代わりに様子を見てきます、詳しい場所や消えた子供たちの人数や特徴を教えてください」


 ベラばあさんはあなたの頼もしい返答に目を細め、安堵の表情を浮かべます。


「ありがとう、トール。あんたみたいな子が手を貸してくれるなんて…心から感謝するよ。」と、彼女は椅子に座り直し、少しずつ情報を話し始めます。


「消えたのは3人の子供たちさ。最初に姿を消したのは、6歳の男の子、エルドリック。次は、10歳の少女で、名前はアリーナ。そしてつい最近、村の大工の息子で、9歳のベニックが姿を消したんだ。」


 彼女は深いため息をつきながら、森の方向を指差します。「村の北にある森を知ってるかい?少し歩いたところに古い石碑が立っていてね。エルドリックはあそこで最後に目撃されたらしい。それ以来、森に入ることを村人は恐れているんだよ。」

「その森の奥にある『霧隠れの賢者』の遺跡は、普段は霧に包まれて見えない場所らしいんだ。村でも場所の詳細を知る者はいないけど、賢者の封印に守られているという噂が残っている。消えた子供たちも、霧が深まる時間帯に見えなくなったという話だよ。」


 彼女は少し考え込むと、棚から小さなアミュレットを取り出し、トールに手渡します。「これは古くから伝わる護符さ。森の中でお守りになるかどうかは分からないけれど、持っていきなさい。何かの役に立つかもしれない。」


 トールは護符を手に握りしめ、ベラばあさんにお礼を伝えると、朝の冷たい空気の中に一歩踏み出します。北の森へ向かう道が見える先には、薄く立ち込める霧が、まるで不気味な幕のように森を覆っているのが見て取れます。


 護符を胸に収め、ガイアナへ無言の祈りを捧げると、不思議と心が落ち着き、背筋に温かな力が流れるような感覚が訪れます。ガイアナ、すべての大地と生命を司る神に対するその静かな祈りが、トールの内なる勇気を支えているかのようです。


 森への道は、朝もやが薄くかかり、どこか神秘的な雰囲気に包まれています。村を背にしてしばらく歩くと、木々が生い茂る小道が次第に狭くなり、ひんやりとした霧が足元に絡みつくように漂ってきます。周囲は徐々に静寂に包まれ、鳥のさえずりも次第に遠のいていきます。


 やがて目の前に現れたのは、ベラばあさんが言っていた古い石碑です。苔むした表面にかすかに刻まれた古代の文字が見えますが、年月が経ちすぎてほとんど判読できません。石碑の周囲には枯葉が敷き詰められ、霧がその周囲だけを特に濃く包んでいるように見えます。


 トールは石碑の周囲を慎重に観察し、足元の枯葉や土の上に目を凝らします。霧に覆われた薄暗い環境の中、注意深く辺りを見渡してみると、いくつかの手がかりが見つかりました。


 まず、枯葉をかき分けると、小さな足跡がいくつか見つかります。子供のものと思われる足跡が石碑の方向に向かっており、石碑の前で一度止まっているようです。その足跡は明らかに子供の小さな靴跡で、3人分ほどが重なっているのがわかります。しかし、そこから先に続く足跡はなく、不自然に途切れています。


 また、石碑の側面には、何かが擦れたような細い傷跡がいくつも残されています。まるで硬いものが石の表面に押し当てられ、無理に引っ張られたかのような跡です。ただ、争ったような明確な痕跡は見当たりません。


 石碑の上に手を触れると、表面がほんのりと冷たく、不思議な静けさを放っています。さらに観察を続けると、石碑の基盤の部分に微かに輝く刻印が浮かび上がっているのがわかります。古代語のようで、ガイアナへの祈りの言葉と似た響きがあるものの、意味を完全には読み解くことができません。


 トールは石碑に手を添え、慎重に表面や基盤部分を調べ始めます。石のひんやりとした感触が指先に伝わり、細かく観察するうちに、いくつかの特徴的なものが見えてきました。


 まず、石碑の基盤に浮かび上がった微かな刻印に触れると、それは淡い光を帯びて温かくなるような感覚がします。この刻印は何らかの封印の一部である可能性が高く、触れたことで魔力が反応しているようです。また、基盤の奥にごく小さなくぼみが二か所あるのに気付きました。ちょうど指先が収まるようなサイズですが、その形状や配置は単なる摩耗とは思えません。


 さらに、石碑の上部に目をやると、そこにも指輪のような模様が彫り込まれています。この模様は、古代語の符号のように見え、ガイアナ信仰の祈りを象徴するようなデザインであることがわかります。祈りの力や護符に反応する可能性がありそうです。


 もしこの石碑が「霧隠れの賢者」の遺した封印に関係しているのであれば、何かしらの「祈り」や「魔力」を持って操作する仕掛けであるかもしれません。護符や祈りを通じて石碑に触れることで、さらに反応が得られるかもしれません。


 トールは静かに呼吸を整え、手のひらに意識を集中させて、少しずつマナを集め始めます。農村での生活の中で何度か練習したマナの扱いが、今その技を試す機会として息を潜めて待っています。手のひらがじんわりと暖かくなり、微細な力が集まっていく感覚が訪れると、トールはその手を石碑の基盤にある文様にそっと触れさせました。


 すると、石碑に刻まれていた古代の刻印が、マナに応じるようにしてさらに明るく輝き始めます。柔らかな光がゆっくりと広がり、まるで霧のように淡い紋様が石碑の表面に浮かび上がっていきました。その光は淡い緑色を帯び、ガイアナの生命の象徴のようでもあります。


 しばらくすると、低く静かな音が響き、石碑の中心部分がわずかに開いて、狭い隙間が現れました。中には、古びた小さな鍵が納められています。その鍵は奇妙なデザインで、古代の賢者が使用したとされる魔法の象徴が刻まれています。どうやらこれが、封印の一部に関連する道具である可能性が高そうです。


 さらに光が薄れていくと同時に、石碑の前方の霧がゆっくりと晴れて、森の奥へと続く道がぼんやりと見え始めます。道の先はまだ薄暗く、何が待ち受けているかはわかりませんが、この鍵がその道で役立つのかもしれません。


 トールは鍵をしっかりと握りしめ、示された道へと一歩踏み出します。霧が静かに晴れた森の奥には、薄暗いながらも明確な小道が続いており、両脇の木々が不気味にそびえ立っています。鳥のさえずりや動物の気配もなく、森全体が静まり返っているのが、不安を増幅させるようです。


 道を進むにつれて、森の中の霧がまた少しずつ濃くなり、視界がぼんやりとしてきます。だんだんと周囲が薄暗くなり始めたころ、遠くにかすかに揺れる光が見えました。それは、青白く輝く小さな明かりで、まるで何かがあなたを誘っているかのようにゆっくりと浮かんでいます。


 その光に近づいていくと、やがて古びた石のアーチが現れました。アーチの上部には、あなたが手にした鍵と似た紋様が刻まれており、明らかにこの鍵がアーチと何かしらの関係があることを示しています。この先に「霧隠れの賢者」の遺跡があるかもしれません。


 トールは石のアーチの周囲を慎重に観察し、地面や周囲の痕跡に目を凝らします。霧が立ちこめる薄暗い森の中で、足元に散らばる枯葉をかき分けながら丁寧に調べていくと、いくつかの手がかりが見つかりました。


 まず、地面には小さな足跡がかすかに残っています。子供のものと思われる足跡が複数あり、それらはアーチの方へと続いていますが、奇妙なことにアーチを越えた先で跡が完全に途切れています。これはあたかも、子供たちがアーチをくぐった瞬間に消え去ったようにも見えます。霧が深まるにつれて、まるで子供たちの痕跡が意図的に隠されているかのようです。


 さらにアーチの両側には、樹木に浅く刻まれた引っかき傷が見つかります。これは野生動物のものではなく、何かが無理に通ろうとした際に付いたような跡で、爪ではなく刃物のように見えます。子供たちを連れ去った者がいるのか、それとも他の何かが隠れているのか、不穏な気配が漂います。


 トールの心には、森が発する静寂が、ただの自然の静けさではないと感じられてきます。足跡が消えるこのアーチをくぐれば、別の領域、あるいは賢者が封じた場所への入り口かもしれません。


 トールは心を決め、手にした鍵を握りしめたまま、アーチの下へと足を進めます。霧がさらに濃くなる中、冷たい空気が肌に触れるたびに緊張感が高まりますが、子供たちのことを思うと、彼の決意は揺るぎません。


 アーチをくぐった瞬間、頭がかすかにくらっとして、空気の密度が変わるのを感じます。霧が一層深まり、周囲の景色がぼんやりと変わり始めました。アーチの先には、今までの森とは異なる、不思議な静けさに包まれた領域が広がっています。木々はますます高くなり、その葉は青白い光を帯び、まるで生きているかのように揺れています。森全体が異次元のように見え、冷たさが増していくのが分かります。


 そして、ふと遠くから、かすかな泣き声が耳に届きました。それはか弱い声で、はっきりとは聞き取れませんが、どうやら助けを求めるような声に聞こえます。その声がどこからともなく漂ってくる中、あなたの足元には、先ほどの子供のものと思われる小さな足跡が再び現れ、森の奥へと続いています。


 トールは身を低くし、足音を殺しながら声の方角へと慎重に進みます。霧が濃くなる中、森の静寂を破るように、かすかな泣き声がだんだんとはっきり聞こえてきます。声は、どうやら一人の子供のもので、すすり泣くような音が小さく響いています。


 やがて、朽ちかけた大木の根元にたどり着いたトールは、霧の合間にうずくまっている小さな影を見つけます。薄暗い森の中で、不安げに肩を震わせているのは、9歳のベニックと思われる少年です。彼は膝を抱えてうずくまり、震える手で涙をぬぐっています。


 トールが気配を消して近づくと、ベニックが気づいて驚いたように顔を上げますが、すぐに救いを求める目でトールを見つめ、震える声で言いました。


「…誰か、助けに来てくれたの…?他の子たちも、探してくれてるの?」


 森の霧がますます濃くなる中、ベニックは怯えきった表情で周囲を見渡しています。どうやら彼は何かに襲われた様子はなく、ただここで身をひそめていたようです。


 トールはベニックの側にしゃがみ込み、彼の肩に手を置いて安心させながら、周囲を注意深く見渡します。霧は相変わらず濃く、遠くまで見通すことは難しいものの、今のところ目に見える範囲には危険な気配は感じられません。木々のざわめきもなく、周りはしんと静まり返っています。


 慎重に確認を終え、状況が比較的安全だと判断したトールは、ベニックに優しく問いかけます。


「ベニック、僕はトール。村の人たちが心配している。ここで何が起きたのか、僕に教えてくれないか?」


 ベニックは少し落ち着きを取り戻したのか、涙で濡れた顔をぬぐい、震える声で話し始めました。


「僕たち…アリーナとエルドリックと一緒に、ここに探検しに来たんだ。あの石碑を見つけて、何か不思議なものがあるかもって…。でも、霧が急に濃くなって、気がついたら周りが真っ暗になって…」


 彼は言葉を詰まらせ、辺りを見回してまた小さく震えます。


「それで、気づいたら、アリーナとエルドリックがいなくなってたんだ。森の奥から…変な歌声みたいなものが聞こえてきて、すごく怖くて…僕はここでずっと隠れてた。」


「その歌声って、どんな感じだった?」トールがたずねると、ベニックは思い出すように目を閉じ、震える声で答えます。


「…誰かが、優しく囁くような感じだったけど、すごく悲しい声だった。遠くから呼んでるみたいに…」


 どうやら他の二人の子供たちは、霧にまぎれて森の奥へと引き寄せられていったようです。歌声の正体が何であるかはまだわかりませんが、それが「霧隠れの賢者」に関連する存在である可能性も考えられます。


 ベニックを守りつつ、さらに奥へ進むこともできますし、一度村へ連れて戻り、改めて準備を整えることも可能です。どちらにしますか?


 トールはベニックに安心させるようにうなずき、「さあ、僕と一緒に村へ戻ろう。きっと家族も心配してる」と優しく声をかけます。ベニックは頷き、トールの手をしっかりと握りしめました。彼の手は冷たく震えており、この異様な森の恐怖がどれほど彼を怯えさせていたかが感じられます。


 慎重に来た道を引き返しながら、二人は霧の中を進んでいきます。アーチの方角を目指しつつ、目印になる木や石を確認しながら歩を進めていくうちに、やがて、見覚えのある石のアーチがかすかに霧の向こうに浮かび上がりました。


 トールがアーチをくぐると、再び頭が軽くくらっとし、冷たい空気が霧と共に晴れていきます。そして視界が開けたその先には、来たときと同じ静かな森が広がり、ベラばあさんの話していた古い石碑が見えてきました。無事に元の場所に戻ることができたようです。


 少し歩くと、村の灯りが見え始め、やがて村人たちがこちらに気づいて集まってきました。ベニックの無事な姿に気づいた人々は安堵し、抱きしめて涙を流す家族もいます。老人や村の男たちが集まり、トールに感謝と敬意の言葉をかけてくれますが、同時に心配そうな顔を向けてきます。


「ベニックは無事戻ってきたが…アリーナとエルドリックは…まだ森に?」と、村の長老が不安げに尋ねてきました。


 トールは村人たちに向かってこう言った「僕はあと二人を探しにアーチの向こうへ戻る。だけどまだ何が起こっているのかは全く分からない、皆で行っても危険なだけかもしれないしそうではないかもしれない。そこで提案だけど、僕が一人で先に行く。2時間たっても僕が戻らなければたぶん僕は何か失敗したという事だしアーチの向こうは危険だという事だ。その場合どうするかは皆で判断してくれればいい。よそ者一人が危険を冒していなくなってもみんなには被害はないだろう?」


 トールの言葉を聞いた村人たちは、驚きと共に静まり返ります。ベニックを助け出した勇敢な若者が、さらに奥へと進む覚悟を決めたことに、彼らは感動と不安が入り混じった表情を浮かべています。やがて、村の長老が一歩前に出て、静かにトールを見つめ、深くうなずきました。


「トール…よそ者と言うが、村の我々にとって君はもう恩人だ。しかし、君の言う通り、無闇に手を出すのは危険だと私も思う。この森は、古い伝承と霧隠れの賢者の呪いが絡んでいる。誰も、その奥に何が待っているのかを知らないのだ。」


 周りにいた村人たちも、それぞれに深刻な面持ちでトールの提案に賛同するように頷きます。ベニックの母親が涙ながらに「どうか…どうか気をつけて」と言葉をかけ、彼にお守りの石をそっと手渡しました。


 長老は手を伸ばし、トールの肩に静かに触れます。「君が二時間で戻らなければ…それがアーチの向こうの危険を示していると受け取ろう。そして、その時は皆で集まり、どう対処すべきかを改めて話し合うつもりだ。無理をしないでくれよ、トール。」


 村人たちの視線を背に受け、トールは再びアーチの方へと向かいます。霧が立ち込める森の中へ、静かに戻っていくその姿は、村人たちの心に深い印象を残します。冷たい朝の空気が再び肌に触れ、トールの心は再び決意で満たされます。


 トールは強い決意を胸に、再びアーチをくぐります。瞬間的に視界が揺らぎ、霧がさらに濃く立ちこめる異界の気配が森全体を包みます。冷たい空気が肌にまとわりつき、森の静寂が深まる中、足元の枯葉がざわめくように音を立てました。


 奥へ進むにつれて、先ほどとは違う奇妙な感覚が漂っていることに気づきます。森の木々がさらに高くそびえ、葉の隙間から青白い光が差し込み、道を淡く照らしています。やがて、かすかな歌声が風に乗って響いてきました。まるで誰かが悲しげに囁くような、不思議な音です。ベニックが話していた「誰かが呼ぶような歌声」がこれかもしれません。


 足早に進むトールの前に、また足跡が現れます。小さな子供の足跡が、森のさらに奥へと続いており、やがて少し開けた場所に導かれます。そこには、**古びた石のほこら**が静かに立っています。祠は苔むしており、かつての賢者の住処、あるいは封印に関わる場所であるかもしれません。祠の周囲にも子供たちの足跡が残っており、彼らがここでしばらく留まっていたことを示しています。


 そして、祠の前には、扉を守るように光る文様が浮かび上がり、霧の中で怪しく輝いています。文様には、トールが持つ鍵の紋様と似た模様が刻まれており、どうやら鍵を使ってこの扉を開けられそうです。


 トールは祠の扉を前に、疑問を胸に抱きながら慎重に周囲を見渡します。確かに、鍵が必要であればアリーナとエルドリックが通ったとは考えにくい。それならば、この祠の中の人の気配は一体誰なのか…警戒を強めながら細かく調べることにしました。


 まず、祠の周囲には、先ほど見た子供たちの足跡が幾つか散らばっています。しかし、扉の前で足跡は途切れ、どこにも続いていません。まるで、扉の前で彼らが立ち止まり、別の道を辿ったかのようです。


 さらに、祠の石壁には、古代の文字がかすかに彫られていることに気付きました。これらの文字は、エリュシアの伝承で「結界」と呼ばれる魔力の封印を表す印と似ています。よく観察すると、結界の一部がわずかに壊れている箇所があり、もしかするとこの場所に何かが侵入した可能性を示唆しているかもしれません。


 また、祠の周囲の地面には大きな獣のような足跡も見つかりました。その足跡は祠を中心にゆっくりと周回しているかのようで、祠を監視しているかのような不気味な動きを感じさせます。おそらく、村で言い伝えられている「霧隠れの賢者」の遺跡には何かが封じられており、それを守る存在がいるのかもしれません。


 祠は思っていたよりも大きく、石造りで高さはトールの背丈の倍以上あります。外観は厳格で無駄のない四角い形状をしており、古代の威厳が漂っています。建物全体が苔やツタで覆われ、年代を感じさせる一方で、どこかしら神秘的な気配も宿しているのが感じられます。


 祠の正面には唯一の入口があり、その扉には不気味なほど精巧な彫刻が施されています。彫刻には、自然の中に潜む動物たちや、不思議な霧の中で踊る人影が描かれており、中央には鍵の紋様が刻まれた円形の装飾が配置されています。その装飾には、微かながらも魔力の反応が感じられるため、確かに鍵で開閉する仕組みがあるようです。


 また、祠の裏手や側面を調べてみると、幾つかの窓のような小さな通気口が確認できます。外から内部を伺うには狭いですが、空気や光が通るため、祠内は完全に密閉されているわけではなさそうです。そのため、誰かが内部にいる場合、外にいるトールが何かを感じ取れるのも納得がいきます。


 祠の周囲に立つ木々もまた不気味な雰囲気を醸しており、特に古びた木々の根元に散らばる石には、見慣れないルーン文字が彫られています。この文字は、古代エリュシアの賢者たちが結界を施す際に用いたものと似ており、霧隠れの賢者がここに封印を施していた可能性を強めます。


 慎重に観察を終えたトールは、この祠がただの建物ではなく、何か強力な結界の中心として使われているのではないかと考え始めます。


 トールは深呼吸をして、持っている鍵をしっかりと握りしめました。祠の正面扉にある円形の装飾部分に鍵を差し込むと、低く不気味な音が響き、鍵がゆっくりと回ります。すると、扉の魔力が解かれたかのように、文様が淡い光を放ちながら消え、重々しい扉が少しずつ開きました。


 中に足を踏み入れると、冷たい空気が肌にまとわりつき、視界の先には広がる闇が続いています。内部は思っていたよりも広く、天井の高い石造りの空間が奥へと続いています。壁には古い灯りがかすかに揺らめいており、明かりは少ないものの、足元や周囲を見渡すことはできそうです。


 やがて、かすかにすすり泣くような声が聞こえてきました。声は祠の奥から聞こえており、どうやら一人ではなく、複数の子供たちのようです。恐らく、アリーナとエルドリックがこの奥にいるのではないかと考えられます。すすり泣く声には恐怖が混ざっている様子で、何かに怯えながらも、声を殺しているかのようです。


 祠の中はどこか異様な気配が漂っており、慎重に進む必要があります。トールがさらに奥へと進むと、床の石に見たこともないルーン文字が刻まれているのに気付きます。この文字は、かつて賢者たちが「霧隠れの封印」をかける際に使用したもので、何かしらの結界や罠を示している可能性があります。


 トールは決然とした足取りで、祠の奥へと進んでいきます。鍵を使って正当な手順で扉を開けたのだから、自らの行動に揺るぎはありません。霧隠れの賢者が何を封じたかは分からないが、ここに入ることが必要だと信じ、堂々とした態度で歩みを進めます。


 奥に進むにつれ、子供たちのすすり泣く声が徐々に近づいてきました。やがて視界が開け、小さな円形の部屋にたどり着きます。部屋の中央にはアリーナとエルドリックの二人がうずくまり、怯えた表情でこちらを見上げています。彼らはトールの姿を認めると、驚きと安堵が入り混じった顔になり、恐る恐る声をかけてきました。


 トールが部屋に入ると、怯えた様子でうずくまる二人の子供が彼に気づき、恐る恐る顔を上げます。見知らぬ人の登場に、二人は一瞬身を固くしましたが、すぐにその少年が助けに来てくれたと気づいたようです。


「き、君は…誰?」とアリーナが震えながら尋ねます。彼女の目には不安と希望が入り混じっているのが見て取れます。


「どうしてここに…?僕たち、ずっと出られなくて…」エルドリックも怯えた様子でつぶやきます。


 その時、部屋の奥から低い声が響き渡ります。霧隠れの賢者の亡霊とも思えるその声は、静かでありながらも威圧感に満ちており、まるでこの祠を侵した者への警告のようです。


「この地に足を踏み入れし者よ、何のためにここへ来たのか。封じられし契約を知らず、ただ迷い込んだとあらば、直ちに去るがよい…さもなくば、再び封印の力を呼び覚ますこととなろう。」


 声は部屋全体に響き、壁や床のルーンが微かに輝き始めます。この場所には、古代の賢者が強力な結界を施していたことが感じ取れます。しかし、トールの持つ鍵が反応してか、その結界の力は完全には発動していない様子です。


 トールは部屋の入口に立ち、緊張感を保ちながらも優しく二人に声をかけます。


「大丈夫だよ。僕は君たちを助けに来た。ゆっくりこちらに歩いてきて、出口に向かおう。」


 アリーナとエルドリックは不安そうに周囲を見渡し、トールの言葉に小さく頷きます。二人はゆっくりと立ち上がり、おそるおそるトールの方へ歩き始めました。彼らの目には恐怖が浮かんでいますが、希望の光も見えています。


 しかし、子供たちが半分ほど距離を縮めたところで、部屋の奥から再びあの不気味な声が響き渡ります。


「去ることを望むか…ならば、封印の守護者を通り抜けられるか試すがよい。」


 その言葉と共に、部屋の一角から灰色の霧が立ち上がり、霧がゆっくりと人の形を成していきます。やがてその姿は巨大な狼のような輪郭を帯び、まるで霧そのものが生き物となって動き始めました。目は暗い赤色に光り、不気味な唸り声が低く響きます。


 アリーナとエルドリックは足を止め、恐怖で震えながらトールに助けを求める目を向けてきます。


 トールは毅然とした声でこう言った「声の主よ!僕も子供たちも契約のことは知らずに来た。何も知らずに入り込んだことは謝罪しよう。しかし、去ることを提案しておきながら障害を用意するというのはどういう了見なのか?説明を求める!」


 トールの強い声が祠の中に響き、霧の守護者がその場に立ち止まりました。部屋全体に静寂が戻り、しばらくすると低く重々しい声が再び響き渡ります。


「…ほう、正当な道理を問うか。無知のままに踏み入れたことを謝罪する、その誠実さは認めよう。」


 声は冷たくもどこか興味を引かれた様子で、霧の守護者の姿がゆっくりと薄れ、部屋の中の緊張が一瞬和らぎます。しかし、声はなおも問いかけるように続きました。


「この祠には、古より封じられた“もの”が眠っている。この守りは、不用意に近づく者たちに、結界の力を示すためのもの。もし、真に子供たちを救い出す意志があるのなら、封印の契約を継承し、結界の試練を受ける覚悟はあるか?」


 その言葉には明らかな試練の気配が感じられますが、声の主がトールの言葉に耳を傾けたことで、子供たちを助け出す機会が与えられるかもしれません。アリーナとエルドリックは、怯えつつもトールの背後に隠れ、希望の眼差しで彼の決断を待っています。


「判った、試練を受けよう」


 トールの決意の言葉が響き渡ると、部屋の空気が張り詰め、声の主が満足したように応じます。


「よかろう、意志を示したか。ならば、封印の試練を受け、賢者の遺した結界を越えてみせよ。」


 その瞬間、部屋の中央に石でできた小さな円形の台座が現れました。台座には、古い言葉で「真の勇気と誠実を示せ」と刻まれており、中央にトールが持っている鍵と似た紋様が浮かび上がっています。


 声が続きます。


「この台座に鍵を置き、祈りを捧げるがよい。試練を通して、結界の力が試されよう。その力は、ただの肉体や魔力だけで越えられるものではない。“心”の力をもって、道を見つけ出すのだ。」


 子供たちは不安そうに見守りながらも、トールの行動に期待を寄せています。


 トールは鍵をゆっくりと台座の中央に置き、ガイアナへの祈りを込めて精神を集中させます。目を閉じ、深く息を整えると、心の奥から自然の息吹を感じるような感覚が広がっていきます。すると、台座から柔らかな光が湧き上がり、部屋全体を包み込みました。


 視界が再び開けたとき、目の前には先ほどの霧の守護者が立っていましたが、今度は赤い目ではなく、穏やかな光を宿しています。守護者は一歩下がり、道を示すように横にどきました。


「試練を超え、真の誠実を示した。ゆくがよい、契約の承継者よ。子らを連れ、封印の地を離れるがよい。」


 祠の出口へと続く道が再び現れ、トールと二人の子供たちに戻る道が示されました。二人の手を引き、トールは霧の守護者に一礼して、堂々と出口へと向かいます。


 こうしてトールは、無事に子供たちを救い出し、祠をあとにすることができました。


 トールは、子供たちの手をしっかりと握り締め、全身に緊張を張り詰めながら祠を抜け出しました。まだ何かが追ってくる気配はないものの、油断は禁物。祠の声や霧の守護者がどこまで試練を見守っていたのか、その目的や意図は完全にはわからないままです。


 子供たちも無言で頷き、トールに従って全力で走ります。湿った森の地面が足元でざくざくと音を立て、冷たい霧が身体にまとわりつきますが、トールは決して振り返らず、無心で北のアーチを目指して駆け抜けます。


 途中、背後からかすかな風のざわめきが聞こえましたが、トールは気を緩めません。アリーナとエルドリックも一生懸命についてきています。


 ようやく、霧の中からアーチが見えてきました。アーチの向こうには、薄く朝焼けが差し込み、見慣れた森の風景が広がっています。トールたちは最後の力を振り絞り、アーチをくぐりました。その瞬間、身体が温かい光に包まれるような感覚がし、霧の冷たい空気がゆっくりと薄れていきます。


 振り返ると、霧の向こうにあった祠も守護者も、まるで何もなかったかのように消え去っていました。エリュシアの穏やかな朝の光が、三人の無事を祝福しているかのようです。


 トールは大きく息をつき、安堵のため息を漏らします。アーチをくぐり、祠を抜け出してからの緊張が一気に解けると、疲れがどっと押し寄せてきます。子供たちも無事であることにホッとした様子で、肩を寄せ合って座り込みました。


 体感では一時間ほどだったように思えますが、アーチの向こうでどれほどの時間が経過しているのかはわかりません。霧の中の結界に入ると、空間と時間が歪むことがあるとも言われており、実際の時間は予測がつかない状況です。


 しばらくして、森の中に足音が聞こえ始めます。木々の間からランタンの灯りが揺らめき、心配そうな村人たちがこちらに駆け寄ってくるのが見えました。長老やベニックの家族をはじめ、集まった村人たちはアーチの周りで待っていたようです。彼らは無事な姿を確認すると、歓声と安堵の表情を浮かべ、トールと子供たちを温かく迎え入れます。


「よくぞ戻ってきてくれた、トール!そして、二人とも無事で本当によかった!」長老が深く頷き、涙を浮かべながら三人を迎えました。


 ベニックの母親もほっと胸を撫で下ろし、アリーナとエルドリックの家族も駆け寄って無事を喜びます。トールに感謝の言葉が次々とかけられ、村人たちは彼を称賛し、温かく労う言葉を惜しみません。


 村へ戻った後、祠の出来事についてトールが説明すると、村人たちはその勇気と誠実さに感銘を受けます。特に、祠の封印と試練についての話は、村にとっても重要な伝承として受け止められることでしょう。


 トールの心に、静かな満足感と達成感が広がります。子供たちも無事で、村人たちは心から喜びと感謝を伝えてくれる――これ以上ないほどの大成功です。見知らぬ土地での挑戦と恐怖、そして古の力に向き合いながらも、トールはその勇気と誠実さで試練を乗り越えました。


 長老は深く礼をし、こう告げます。「トールよ、君の勇気と優しさは村の者たちすべてにとって、かけがえのないものだ。この村に君の伝承が語り継がれるだろう。どうか、エリュシアの旅路に、さらなる幸があるように。」


 村の者たちはトールを宴で称え、ささやかながらも彼のための祝宴を準備しました。夕暮れに灯る村のかがり火と共に、温かな食事と心からの感謝がトールに贈られます。冒険の第一歩でありながら、この成功はトールの心に深く刻まれることでしょう。


 村の祝宴がひと段落し、ふとトールは胸元に触れ、ベラばあさんとベニックの母親から託されたお守りのことを思い出しました。旅路の途中で手渡されたものの、祠での試練の中であまり気にかける余裕がなかったそのお守りが、今になって気になり始めます。


 まず、ベラばあさんがくれたお守りは、小さな石に古い文字が刻まれたもので、触れるとほんのりと暖かさが感じられます。実はこれ、エリュシアでは「道しるべの石」と呼ばれる古い護符で、道に迷った時や、危険から守る力があるとされています。祠で霧の守護者に直面した時、自然とトールの心が落ち着いたのも、このお守りのおかげだったのかもしれません。


 次に、ベニックの母親から受け取ったお守りですが、こちらは小さな木のペンダントで、ガイアナの象徴である「命の葉」の模様が彫り込まれています。これはガイアナへの祈りを込めて身につけることで、自然の精霊たちの加護を得るとされるお守りで、子供たちの無事を祈りながら手渡してくれたものでした。もしかすると、祠の奥で祈りを捧げた時、心の奥底でガイアナの息吹を感じたのは、このお守りの力があったからかもしれません。


 こうして見てみると、この二つのお守りがトールに見えない支えを与えていたことがわかります。どちらも持っておけば、今後の旅路でも心強い味方となってくれるでしょう。



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