新天地は悪魔王陛下のお膝元で2
そう決意を新たにしていると、少しずつ空が明らんできた。
いつの間にか夜が明けようとしているらしい。
それに森もそろそろ抜けそうだ。
近くに村や町があると良いのだけれど。
期待と不安の混じる気持ちで、ヴァルのお母さんの背中に改めてぎゅっとしがみつく。
村や町の近くまで連れて行ってもらったら、ヴァル達とはお別れしないといけない。
こんな大きな狼が現れたら驚かれてしまうよね。
二匹に危害を加えようとする者も出てくるかもしれないもの。
「村か町の近くまでで良いですから。なんなら、森から出てすぐでも大丈夫です」
そうヴァルのお母さんに告げたのだが、お母さんはちょっと考えるような様子を見せると、首を振った。
そして森を抜けても私を降ろそうとはしなかった。
「あ、あの! ここまでで大丈夫ですから!」
そう止めようとしても、ヴァルのお母さんは駆け続けた。
それにしても、どこに向かっているのだろう。
途中、村や町っぽいところがあったので降ろしてもらうように言ったのだが、それも聞く耳を持ってもらえなかった。
まるで目的地が定まっているかのように、迷いなく走っていく。
「森で暮らしていたわけじゃなかったのかしら? どこかで飼われていたってこと?」
そう考えれば、綺麗な毛並みなのも良い香りがするのにも説明がつく。
こんなに大きな狼を飼えるって……もしかしてご主人様はお金持ち?
というか、こうなってくると二匹が本当に狼なのかも分からない。
色々と分からなくて頭を捻っていると、なにもない草原で二匹がぴたりと止まった。
「あれ、どうしたの? あ、そっか、休憩?」
お母さんはともかく、ヴァルは疲れたよね。
そういう私も実はお尻がちょっと痛い。
助かるわと降りようとした時、二匹は木の陰の方へとするりと体を滑らせた。
? なにか地面に描いてある。
……え、あれは。
「魔法陣、かしら。こんなところに、どうして?」
この世界で見たのは初めてだが、前世のアニメなんかでよく見た魔法陣にそっくりだ。
魔法が存在するのだから、魔法陣があってもおかしくはないよね。
すると、驚く間もなく二匹がその魔法陣の中に入っていく。
大丈夫なの……?という不安が声となって出る前に魔法陣が光った。
あまりの眩しさに、反射的に目を瞑りさらに手で顔を覆った。
そうしてしばらくすると、空気が変わった気配がして、そっとその手を解く。
「……え!?」
目に飛び込んできた景色が先程とはまるで違っていて、驚きの声を上げる。
そこに広がっていたのは、美しく整えられた庭園。
草原ではない、花々が咲き誇っており、すぐ側には東屋のような場所もある。
そして少し離れたところには……お、お城?
どう見てもお城のような、立派すぎる建築物が建っている。
「なんだヘスティア、人間のガキまで連れて来たのか?」
ヴァルのお母さんの背の上で呆然としていると、低音のものすごいイケボが聞こえてきた。
はっとして声のした方を向くと、そこには背の高い男性が立っていた。
漆黒の髪に、印象的な紅の瞳。
不機嫌そうな表情で眉を顰めてこちらを見ている。
恐そう、だけどものすごく美形だ。
「おい、ガキ。そろそろヘスティアから降りろ」
「え? あ、す、すみません!」
咎めるような声に、伏せてくれたヴァルのお母さんから慌てて降りる。
そうか、お母さんはヘスティアって名前だったのね。
「見つかったのか、良かったな」
「キュゥーン」
男性が近付き声をかけると、ヘスティアは甘えた声で鳴いた。
ひょっとして、この人がご主人様?
お城っぽい建物といい、毛皮付きのマントと軍服に似た豪奢な黒い服といい、男性はなるほど間違いなくお金持ちなのだろう。
「ワウッ!ワウ!」
「きゃうーん!」
「ん?……そうなのか?」
お金持ちのイケメンオーラに圧倒されていると、ヘスティアとヴァルと一緒に、まるで会話しているように話していた男性がじろりと私を見た。
じろじろと値踏みされているみたいで、居心地が悪い。
「……ふん、ヘスティアの子どもの恩人ならば、仕方ないな」
「え? どうして知って……きゃぁっ!」
なんといきなり抱きかかえられた。
……荷物のように、肩に乗せられて。
「軽いな。それにしても、汚いし臭うぞおまえ。とりあえず身を清めてこい」
「な、ななっ……!?」
たしかに村では水浴びが精一杯でお風呂なんて入ったことないし、こんな贅沢な身なりをした男性に比べたら汚いし、臭うだろう。
だけど女の子相手にそんなこと正直に言わなくても……!!
「だが、髪は綺麗な色をしているな。侍女達に精々磨いてもらえ」
「ええっ!? ちょ、ちょっと待って下さい!」
焦る私の言葉など聞こえていないのか、男性はずんずんと歩みを進め、建物の中に入った。
足が長いからだろう、一歩が大きくて進みが速い。
しかも担がれているため、高い。
ヘスティアに乗せられていた時もなかなかの高さと揺れだったが、気遣いが皆無な今の方が怖い。
暴れると落とされるかもしれない、ここは黙って耐えるのが吉か。
そう悟った私は、力を抜いてされるがままになることにした。
「なんだ、大人しくなったな」
「……抵抗するのは得策ではないと思いましたので」
恩人なら仕方がない、身を清めてこいと言われたし、別に煮て食おうというわけではないだろうから。
すると、男性がくくっと笑った気配がした。
「おまえ、面白いガキだな」
「はぁ……そうですか」
それに、この男性はさっき私の髪を綺麗だと言ってくれた。
実は私は、自分の顔をちゃんと見たことがない。
貧しい村にいたから、鏡なんてなかったもの。
水面に映るゆらりとした影で見たくらいでしか、容姿を確認できなかった。
でも肩から腰まで流れる髪の色だけはちゃんと見える。
すみれ色のさらりとした髪。
前世の私の名前と同じ色。
きちんと手入れをしていないわりには綺麗な、この髪の色が私はとても気に入っていた。
だから、初めて褒められたことが嬉しかったのだ。
「おい、このガキを綺麗にしてやれ」
「きゃっ!」
と、一室の扉を開けるとどさりと下ろされた。
どうやら浴室らしい。
「かしこまりました」
メイドさんのような格好をしたお姉さんがそう応えると、男性はバタン!と思い切り扉を閉めてどこかへ行ってしまった。
呆然としていると、メイドのお姉さんにまじまじと見られているのに気付いた。
紺色の髪を綺麗にまとめていて、上品で仕事ができそうなお姉さんだ。
「あら、ごめんなさいね。ふふ、温かいお湯を張るから、身体を清めましょう?――――あなた達、やるわよ」
優しく微笑んでくれたかと思うと、お姉さんは目をきらりと光らせて誰かを呼んだ。
するとお姉さんと同じ服を着たふたりのメイドさんが現れる。
「まあまあ、これは……」
「磨き甲斐がありますね!」
「うふふ、そうでしょう?」
……なんか、嫌な予感がする。
「さあ隅から隅までやるわよ!」
「「分かりました!!」」
お姉さん達のやる気に満ちた返事に、私はひくりと頬を引きつらせるのであった。




