新天地は悪魔王陛下のお膝元で1
「ガルルルル……」
「ゔゔーっ!!」
ど、どうしよう……。
ヴァルのもふもふした体をぎゅっと抱き締める。
あれ、あれよね、絶体絶命ってやつ!
厄介者だと思われていることは十分分かっていたが、まさかここまでするなんて。
今の状況を説明しよう。
暗い森の中、それは変わっていない。
傍らにヴァルがいる、それも変わっていない。
けれどもうひとり側にいるはずのお父さんの姿がなく、代わりに私達の前にいるのは……。
「グゥアーッ!」
「きゃぁぁぁぁ!」
狼型の魔物、フォレストウルフ。
突然の雄叫びに、反射的に叫んでしまう。
幼児のこの体は前世のすみれの時よりも疲れやすく、森の中だというのにぐっすり寝入ってしまった。
そして目が覚めたらお父さんの姿がない。
ちなみに魔物除けの薬草袋も私は持っていない。
「姥捨て山……いや、口減らしってやつ?油断してたわ……」
その内出て行くつもりだったのだが、それほどまでに生活は追い込まれていたのだろうか。
だが今はそんなことを言っている場合ではない、この魔物をなんとかしないと……。
「せっかく新しい命を授かったのに、こんなところで死んでたまるものですか。一か八か、魔法でなんとか……」
動物系の魔物ならば、弱点は火だろうか。
火事にならないかだけが心配だが、今はとにかくやれることをやってみよう。
そう決心して手のひらに魔力を集中させる。
すごい魔法なんて使えない。
けれど、今できる精一杯を。
そうして火属性魔法を放とうとした、その時。
「ギャウウウウ!」
「ギャッ!?」
背後から、とても大きな銀色の影が飛び出してきた。
狼!? いや、それにしては大きすぎる。
「ガァルルルルル……!」
「キュイン……キャイン!」
その大きな狼のような生き物は、威嚇だけであっという間にフォレストウルフを追い払ってしまった。
「た、助かった……?」
その姿が見えなくなって緊張の糸が切れた私はその場に座り込んでしまった。
「きゃうっ!」
するとそんな私をすり抜け、ヴァルがその大きな狼のところへと駆け出した。
「!? ヴァル、危な……い?」
噛みつかれてしまうのではと焦ったが、ヴァルはその狼の前に来ると尻尾を振って体を狼に擦り付けた。
まるで甘えるように。
「ひょっとして……ヴァルの、お母さん?」
「クゥン」
思わずそう口に出てしまった私に、大型の狼はかわいらしい声を出して応えた。
そう言われてみれば、大きさこそ違えど毛並みとか顔つきがよく似ている気がする。
まだ小さいから犬だと勘違いしてしまったが、そうか、狼だったのか。
「そっか……良かったね、ヴァル」
「きゃうん!」
嬉しそうな鳴き声を上げるヴァル。
しかし母親が見つかったということは、私とはお別れということ。
「元住んでいたお家へお帰り。ヴァル、今までありがとう」
寂しい気持ちを押し殺し微笑む。
でも、私の側よりも本当のお母さんと一緒にいた方が良いに決まっている。
「私はもうあの家には帰れないから、このまま森を抜けて、違う町を探すわ。だから、ここでお別れよ」
自分に言い聞かせるようにヴァルに話しかける。
「ガウッ!」
するとなぜだろう、ヴァルのお母さんは声を上げてしきりに自分の背中を向くようにして首を振った。
「わうわうっ!」
「え? ちょ、ちょっと、ヴァル!?」
そしてヴァルも私の服の裾を噛んで引っ張った。
私をヴァルのお母さんのところに引き寄せるようにして。
そうしてヴァルのお母さんが体を伏せると、ヴァルが私を今度は押しやった。
「ひょっとして、乗れってこと?」
「ガウッ!」
「わうっ!」
正解!とでも言うように二匹は鳴いた。
そんな二匹に私は目を見開いたが、まるで連れて行ってあげると言われているようで、じんわりと胸が温かくなる。
「……うん、ありがとう。ごめんなさい、じゃあお願いします」
そう言ってヴァルのお母さんの背中に乗る。
もふもふであったかい。
汚れなどないふわふわの毛並み、なんとなくいい匂いもするし、こんな森の中に住んでいるとは思えない。
しっかり乗ると、ヴァルのお母さんは体を起こした。
そして私が落ちないようにだろうか、ゆっくりと駆け出した。
それにヴァルもしっかりと並走してついてくる。
前からヴァルのことは賢いと思っていたけれど……。
私に気遣いもできるなんて、この子達賢すぎじゃない?
そう驚きながら背中につかまり、周りの景色を見る。
随分奥まで来たと思っていたけれど、まだまだ先は続いていたらしい。
そういえば私が捨てられていたのも、この森だったのよね。
誰が置き去りにして行ったんだろう。
ひょっとして、この先にある村か町に手がかりが……?
その時、ずっと握り締めていた布の存在を思い出す。
お父さんが寝る前にかけてくれていたもの。
それにしても意外と手触りが良いわねと視線を落とすと、布に刺繍されていた文字が目に飛び込んできた。
“ヴィオラ”
「これ……。おばあちゃんが私を拾った時にくるまれていたっていう……」
そうだ、その後村で数少ない、文字が読めるお医者さんに見てもらって、ヴィオラと名付けられたんだった。
あの時のおくるみ。
お父さん、取っておいてくれてたんだ。
「……だからって、あんなところに置き去りにしたのを許すわけじゃないけど。でも」
寝入り際に聞こえた、悔いるように謝るお父さんの声。
あれは夢じゃなかったって思いたい。
「真実がどうであれ、都合の良いように思っておくのも、生きるためには必要なことよね」
事情がある。
どうにもならない、ままならないことだって、人生にはあるから。
「でも、そのおかげでヴァルのお母さんと会えたんだし、悪いことばかりじゃないよね」
「きゃうん!」
前を向いて進もう。
ここまで育ててくれたことには、感謝している。
これからは自分の足で、歩いて行かなきゃいけないんだから。




