新天地は悪魔王陛下のお膝元で6
* * *
「こちらの書類もお願い致します、陛下」
その頃、国王であるシルヴェスターは、秘書官である眼鏡の男、フィルとともに執務室で書類仕事をしていた。
「ああ。……ヘスティアと行方不明になっていた末っ子はどうしている?」
「庭で過ごしております。……貧しい村で保護されていた割にはとても発育が良いですね。兄弟達も彼を受け入れたようです」
フィルからの報告に、シルヴェスターは口元に手を置いて考える。
たしかにそれはシルヴェスターも不思議に思っていた。
ヴィオラの身なりから、その暮らしが貧しかったことは想像に難くない。
ではヴィオラが自分の分の食事を与えていた?
いや、そうだとしてもその量が十分だったとは思えない。
あれは一見犬か狼に見えるが、聖獣・フェンリルの幼獣だ。
ただの人間の、しかも貧しい食事を分けてもらったくらいであれだけ成長できたとは考えられなかった。
今でこそ他の兄弟達と遜色ないほどに成長したが、生まれたばかりの頃はものすごく小さくて兄弟達から弾かれていた。
そんな中、隣国との戦争の合間に迷子になった、ヘスティアの末っ子。
それがヴァルだった。
「……あの少女になにか秘密があるのかもしれないな。それにしてもあの少女をこれからどうするか……」
「陛下、恩があるのは承知しておりますが、幼い子どもとはいえ得体の知れない者を長期滞在させるのは……」
フィルが苦言を呈するのに、シルヴェスターは眉を顰めた。
その表情を見て、フィルははあっと深いため息をつく。
「小さくてかわいらしい少女を気にかける気持ちは分かりますが――――」
「陛下!」
フィルの言葉を遮ったのは、興奮したガイが扉を開く音とその大きな声だった。
「陛下、フィル! こっちに来てくれ! すごいぞ、ヴィオラのやつ、天才だ!」
今まさに話題に上っていた少女の名前に、シルヴェスターとフィルは顔を見合わせた。
* * *
「これは……!」
「見たことのない料理だな。これはスープか?」
「毒味はもう済ませたからな! 安心して食え!」
ガイさんが陛下と眼鏡の男性……改めフィル・ローマン、フィルさんを呼んで来てくれた。
「どうぞお座り下さい。お口に合うかどうか分かりませんが……。少しでも食べて頂けると嬉しいです」
テーブルにと促すと、席に置いた料理を見て、ふたりは口をあんぐりと開けて驚いた表情をした。
「お待たせいたしました、“だし巻き玉子定食”です!」
前世で私が得意だった、そして小さい頃から大好きだった“定食屋そうま”の人気メニュー。
実際にお客さんに出したことはないけれど、かなりの完成度だってお父さんからもお墨付きをもらっていた。
「食べやすいように、ご飯はおにぎりにしてみました」
オニギリ?と陛下とフィルさんが首を傾げるのに、ご飯を軽く握って中に具を入れたものだと説明する。
意外にもこの国では結構お米を食べられているらしく、三人とも嫌いじゃないとのことだった。
「米で作ったオニギリ……と、これは卵、か? こんな形のものは初めて見るな」
「それとこれはスープでしょうか? 変わった色をしていますが……」
だし巻き玉子とみそ汁を指してふたりが眉を顰めている。
そうよね、見たことのない料理を警戒する気持ちも分からなくはない。
「とりあえず食ってみろよ! 絶っ対美味いからよ!」
すでに味見……というか一食分ぺろりと平らげたガイさんがわくわく顔をしてふたりをせっつく。
そんなガイさんの催促に、恐る恐るふたりがフォークを手にする。
「おにぎりはそのまま手で食べて頂いても構いません。どうぞお召し上がり下さい」
にっこりと微笑む。
そうしてまず、陛下がおにぎりを、フィルさんがみそ汁の具をひと口。
「! これは……」
「すごく、美味しいです……!」
もぐもぐと咀嚼した後、ふたりは目を見開いた。
「おにぎりの具は、みなさん辛いものが大丈夫だとお聞きしたので明太子を入れてみました。おみそ汁には鶏肉とキャベツ、それにニンジンとシメジを。その玉子はだし汁を含ませておりますので、そのままでもふんわりとした優しい甘みが感じられるはずです。箸休め……って箸じゃないか、ええと、口の中をさっぱりとさせる浅漬けもあります」
私の説明に、ふたりは他の料理にも手をのばし、次々と口に入れていった。
「このさっぱりとした塩気のある野菜、オニギリとの相性が抜群ですね……! それにこの玉子料理、仄かな甘みと玉子の風味が良く合います。この層のようになっている形も、とても美しいですね」
まるで美食リポーターのような食レポを披露するフィルさん。
食べる前はあんなに料理を警戒していたのに、次々と口に入れている。
そして陛下は……。
ちょうど野菜のたっぷり入ったみそ汁に口をつけたところだった。
野菜など自分には必要ないと言っていたが、美味しそうに食べるフィルさんを見て、食べてみようと思ってくれたのかしら。
どきどきしながらその顔を見つめる。
そしてごくんと嚥下したのを確認し、その反応を待つ。
「――――美味い」
「ほ、本当ですかっ!?」
あまりに嬉しくて、つい身体を乗り出してしまった。
フィルさんとガイさんも、自ら野菜を口に入れた陛下を驚きの眼差しで見ている。
「ああ。今まで野菜もスープも美味いなどと思ったことはなかったが……。変わった味だが、悪くない。野菜だけでなく、肉も入っているのが良いな」
意外にもしっかり感想を言ってくれ、さらにもうひと口、具を口に含んでくれた。
「鶏肉からも出汁が出ていますからね。おにぎりやだし巻き玉子の相性もとても良いんですよ」
「ダシ? 良く分からんが、たしかにどれも美味い」
そこからはもう、陛下はとても良く食が進んだ。
野菜嫌いならば、野菜そのままである浅漬けは無理かなとも思ったのだが、ひと口食べてみるとお気に召したらしく、ぱくぱくと口に入れていた。
そしてフィルさんとふたり、あっという間に完食。
「残さず綺麗に召し上がって下さり、ありがとうございました!」
定食屋の手伝いをしていた時の気持ちが蘇る。
久しぶりに作った料理を美味しく食べてもらえたことが嬉しくて、思い切り笑顔でお礼を言う。
「――――いや。こちらこそ、礼を言う。初めて食事が美味いと思った」
無愛想な陛下の表情が少しだけ緩んだ。
……なんだか、お父さんを思い出す。
私が家でご飯を作って待っていた時も、仏頂面をこんな風に崩して喜んでくれたっけ。
「ふふ、良かったです。ご飯って、本当は食べ終わった時に、そうやって笑顔になるものだと思うんです。料理人の方達も私が作っているところを見ていらっしゃいましたから、レシピを覚えたと思います。良かったら、また作ってもらって下さいね!」
陛下には失礼かもしれないけれど、お父さんの面影を感じて、じんと胸が温かくなった。
食材や調味料のことも知れたし、これだけでもここに連れて来てもらえたことに感謝したい。
「―――おまえ、ここに住まないか?」
さあそろそろお暇の挨拶を。
そう思った時に、陛下からそんな言葉をかけられた。
「――――え?」
「陛下!?」
「へえ、良いじゃねぇか!」
呆気にとられる私、驚くフィルさん、乗り気のガイさん。
そんな三者三様の反応に、陛下は面白そうに口の端を持ち上げた。
「王城で、料理人として働いてみないか?」




