第45話:絶望と希望
翌日になっても、恭子さんからLINEの返事はない。それどころか既読が付かない。恭子さんが俺の前からいなくなった。
俺はこの事実を受け止めきれないでいる。
今朝も家を出たけど、全く心が追いつかない。他の人と歩くスピードが合わない。
ついには駅のホームのベンチに座り込んでしまった。自分でも普通ではないのは理解しているがどうしようもないのだ。
何本も何本も電車が目の前を通りすぎていく。俺は電車かなにかを見ていたが、別にその情報は脳髄に届いてない。自分で思っている以上に参っているようだ。
そう言えば、恭子さんとの出会いも駅のホームだった。ホームにいれば恭子さんと会えるかも。
俺は吸い込まれるように特急電車に近づいた。電車には恭子さんが……
「将尚!」
名前を呼ばれ、腕をグイッと引っ張られて我に返った。
目の前を轟音を立てて通り過ぎる特急電車。
後ろには、俺の腕を引っ張る花音。そこで俺は理解した。
花音がここ数日俺につきっきりだったのは、これだ。
恭子さんがいなくなることを知っていたのは当然で、俺が衝動的になにかしないか見張って、何かある時には止めにかかるために……
「花音、ありがとう。俺は普通じゃなかった……」
花音は無言だったし、無表情だったが、少しだけ微笑んだように見えた。
俺は、気を落ち着けるために、駅のコーヒーショップに入った。気分的にはもう、学校に行く感じじゃない。
俺は、花音にロイヤルミルクティをおごって、自分はカフェオレを飲んだ。いつかのちょうど真逆だ。まさか俺がコーヒーをおごる方の立場になるとは……
朝のコーヒーショップは比較的客がいたけれど、俺は座って話ができればよかった。別に聞かれたら不味い話ではない。向かい合わせに小さなテーブルについた。これでいい。
「いただくわ」
花音がマグカップに口を付けた。安い店だが、カップは陶器の器で今の気分にはマッチしていた。予てから紙コップのコーヒーはどこか味気ないと思っていたからだ。
「恭子と約束したわ。彼女がいなくなっても探さないって」
花音はなにか知っていないか、俺が気にしているのを察知して、先に答えた。質問する前に答えられたら俺のセリフはない。
ただ、思ったのは、やはり花音は知っていた。恭子さんがいなくなることを。
「理由とか聞いてないかな?」
「さあ?」
花音のことだ。理由くらいは思い当たるのかもしれない。それでも俺には教えてくれないってことだろう。
「私も連絡してみたけど、返事がなかったし、何も聞いてないから、本当にどこに行ったか知らないわ」
なんとなく花音が言っていることは本当だと思った。
「俺も何も聞いてない。……もう、会う気はないってことかな」
「ふっ、恭子もお馬鹿よね」
考えてみれば俺と恭子さんの共通点は何もなかった。出会いも含めて、微妙なバランスの上に成り立っていた関係だった。
なにかひとつ小さなことが変わるだけで簡単に壊れてしまう関係……俺と恭子さんの間で何が変わってしまったのか。
「恭子のことは私も気に入っていたの。だから約束を破るのもなんだし、将尚が恭子との約束を守ったら、私の方が破ってもいいわ」
なんだかよく分からない理論だが、俺がなにかしたら花音が恭子さんを探してくれるというのだろうか。
彼女は探偵ではない。全く手掛かりがなく、つながりが切れてしまった人を探すことなどできるのだろうか。
それこそ、他県に行ってしまっているかもしれないし、日本国内にいるとは限らないのだ。
「信じられないって顔ね。私なら恭子が世界のどこにいても見つけることができるわ」
言い切ったよ!このクールビューティーが!花音が言うからには本当だろう。
「じゃあ、俺が守る恭子さんとの約束って?」
「大学に行くんでしょ?」
なぜ、そのことを知っている!?俺、いつか話したかな?
「次の中間でトップを取れば、大学の推薦がもらえるわ。それでとりあえず守ったことになるんじゃないかしら」
確かに。それはそうかも。でも、俺が1学期期末でトップになれたのは、過去問があったからだし、恭子さんが家庭教師してくれたからだし、花音が手加減してくれたからだ。
その肝心な恭子さんがいないのでは……
「将尚、これなんだか分かる?」
花音が鞄から金槌を取り出した。ついに凶器を!?
「金槌……」
「そう、南京錠は上手く叩くと鍵なしでも開くのよ」
なにそのライフハックみたいなやつ。そんなの聞いたことがない。そもそも今なぜ急にそんな話をし始めた。
花音は金槌を仕舞うと、次に古い封筒をカバンから取り出した。そして、その中身をテーブルの上に取り出した。
「これでしょ?」
封筒には「③」と書かれていた。よく見ると、封筒の口には糸がグルグル巻けるようになっていた。あの名前は……玉紐だったか。
テーブルの上に出された紙には見慣れた文字と、見慣れた名前があった。
これはまさしく恭子さんの過去問。これがあれば2学期中間テストも80点くらいは取れるようになるというチートアイテム。
「なんで、花音がこれを……」
「私は出来ないこと以外は何でもできるの」
ただ普通のことを言っているだけなのに、花音が言うと凄いことのように感じる。何だこの説得力。
「今回、計画は私が立てるわ。進捗は一緒に見ていきましょう。工程管理はアプリがあるから、簡単に見れるようになるわ」
1学期期末テストの時の環境を、今度は花音で再現してくれるってことか!?
「家庭教師も住み込みでやるわ。将尚のお母様には既に了承を得ているし」
いつの間に!?しかも、本人の俺不在の中!!しかも、うちに住み込む気だし!
「性奴隷の部分は私では恭子のようにはいかないけれど、できるだけ将尚の欲望に応えるようにするわ」
そこは勉強とセットじゃないから!俺は勉強を教えてくれる人を襲う習性とかないから!
「今回は、テストまで約1か月あるわ。普通に頑張れば楽勝じゃない?」
「そうは言っても、学年トップだろ……」
「大丈夫よ。私がいるもの」
ああ、花音の言葉を聞いたら、絶対大丈夫って思ってしまった。
ついさっきまで、特急電車に吸い込まれそうになっていた俺が、2学期中間テストで学年トップを取ろうとしている。
なんとなく、まんまと花音の口車に乗せされているような気もするけれど、恭子さんを見つけるには花音の協力が必須だ。
時間と手間はかかるけれど、一番確実で結果的に最短ルートに違いない。
俺は、全力で勉強することにした。
「じゃあ、推薦も取らないといけないし、出席点稼ぎに学校に行きましょ?」
「分かった」
前向きに学校に向かっている俺は、完全に花音にコントロールされている。もしかして、人ってこうやって洗脳していくのか!?
■
学校に着いた。既に1時間目の最中で、学校内は静かだ。俺の横を歩いていた花音が俺の腕に自分の腕を絡ませてきた。
「お、おい」
「あら、今は学校内では私と仲良くしておかないと、大変なことになるわよ?」
そう言えば、花火大会の時に「恭子さんが彼女だ宣言」を健郎&明日香と委員長にしてしまったのだった。花音を目の前にそんな話をするような連中じゃない。
俺は花音と一緒に過ごす必要があるようだ。
教室に向かって廊下を歩いた。ドアを開ける時、教室中のやつが注目するから、俺のメンタルではやられそう。ドアを開けた後は「すいません、遅れました」と言って教室に入るのだ。
そこまでは普通のことだとしても、横に花音がいて、腕を組んでる……もう考えただけで胃が痛い。
クラスメイト達は何故遅れたのか考えるだろう。下世話なことを考えるやつもいるだろう。想像とはいえ、花音が汚されるのが俺には耐えられない。
「将尚」
廊下を歩いている最中に花音に話しかけられた。
「誤解されないように、トイレとかに行く?」
「一人がトイレとかで時間を潰して、別々に教室に入るってこと?」
「『あの二人、どこかでセックスしていたから遅れたんじゃないか』と何もないのに思われないように、ちゃんと事前にしておけば、誤解にはならないわ」
発想が斜め上!とんち問答か。花音は、一休さんかよ。そして、可愛い顔でセックスとか言うなよ。
花音が腕を組んだ状態で教室に入ったら、案の定、教室内がザワザワしてた。
『え?え?え?藤倉さん、武田と付き合ってるの!?』
『結局付き合った!?』
『藤倉さんの方が武田を好きって話本当!?』
『カラオケんときの話、本当だったー↓』
『なんで二人そろって遅刻!?なにかしてたんじゃ!?』
『そういえば、花火大会で見たって人がいるって』
なんか色々聞こえる。SNSとかあるから、俺の見えないところでコソコソやってほしいんだけど……ちょっと涙目。
「よお!なんか凄いことになってるな!」
席につくと、健郎がこっそり話しかけてきた。
「概ね想像してる通りだよ」
鞄を机の横のフックにかけながら、こっそり返事をした。
「俺の想像ではすっごいことになってるけど、それでおけ?」
どんな想像をしているか分からないけれど、恭子さんとは肉体関係で、俺は恭子さんと花音の二股かけてる最低野郎ってところだろう。それはそのままなので、誤解でもなんでもない。
「おけ」
「おおーー!ちょっと今度詳しく話聞かせてくれよ!」
俺の最低話は健郎や明日香には話してもいい気がする。なんか悪気があるとか、変に蔑もうとしているのではないのが伝わるからだ。
その上で、批判があるならば俺はちゃんと耳を傾けないといけないのだ。
恭子さんがいなくなってからの学校生活は今まで以上に大変そうだ。