媚びる相手を間違えた
「さて…あなた方、先程から助けてくれだの何だの申しておりますけれど…わたくしがあなたがたを助ける理由について、お伺いしても?」
威圧感は緩めないまま、場違いなほど綺麗な微笑みでルナリアは問う。
「喋れるようにはしてあげているでしょう?」
辛うじて口は自由にされている。言葉も紡ぐことが出来る。
だが、四肢は縫い付けられるように床にへばりついており、身動きは取れない。
男も女も関係なく、ただルナリアを視線で見上げることしかできないのだ。
「騙されていたんです!」
「そうです!私たちはその女達に騙されたんですよお嬢様!お助けくださいませ!!」
「騙されて仕えて、挙げ句捨てられるんですよ?!」
「心を込めて誠心誠意ルナリア様にお仕えしますからどうかお慈悲を!!!」
「ルナリア様ぁ!」
好き勝手叫ばれる内容に、ルナリア付きとなった使用人達は、皆一様に顔を顰めた。
義母に命じられるまま、サンドバッグのようにかつての心優しいルナリアを虐げていたにもかかわらず、手のひら返しとはまさにこの事か、と。
懇願され、無表情にルナリアはそれを聞く。
さぁ、どうしてくれようかと。
そして、思い付いたようにある一人のメイドの傍らにしゃがんで、言葉を続けた。
「ねぇ、貴方なら許せる?顔を洗うために持ってきてもらえるよう頼んだ水はまるで氷水、喉が渇いたからとお茶を要求したら出てきたのは飲めたものではない苦すぎる、まるで泥水のような、紅茶らしき何か。わたくしのアクセサリーは小さいものから奪われ、もうほとんど残っていないわ。そしてお母様の形見のドレスも引き裂かれた」
「っぇ……」
「形見だったのよ。それも王妃様からいただいた一点物のあのシルクのドレスは」
「ぁ…」
「揃いのパールのペンダントは踏み、砕かれたわ。イヤリングもね」
無感情、無表情のままルナリアは続ける。
「全て揃いで作られていたの。白いシルクのオーダーメイドのドレス、パールのペンダント、イヤリング、そしてレースの扇もあったわね。ぜーんぶ、貴方達が笑いながら踏みつけて、壊して、引き裂いて、そしてへし折った」
かねてより母を知っている側仕えの婦人は卒倒しそうなくらいに顔色が悪くなっているが、それを凌駕する怒りが彼女をそこに立たせていた。
忌々しげに年若いメイド達を睨み付け、睨み付けられている気配に気付いた彼女達は視線をそちらに向けないよう必死で耐える。
「気付いていて?貴方達が壊したもの、全てに王妃様からの目印が付いていたことに」
「そ、そんなの、存じ上げません!」
「でしょうね。楽しそうにただただ壊すだけだったんだもの」
つんつん、と。
ルナリアは問いかけを続けていたメイドの髪のひと房を持ち上げて引く。それはそれは軽く、軽く。
「でも、貴方はそれをされて許せるのよね?」
「え」
「許せるから、やったのよね?」
ゆっくりと髪を摘んでいる手に力が込められる。
ただひと房摘んでいた手はいつの間にか外れ、そして鷲掴みにされた。
「ヒィィィっ!!あ、い、いた、い!」
上からは魔力圧がかかる状況なのに、それを無視してルナリアは無表情のままメイドの髪を鷲掴んだままで、無理矢理顔を上げさせる。
上からは下方に向けての圧が、それと反して引き上げられるのは苦痛でしかない。
「お、ぉ、じょ、さ、ま」
「貴方の大切なものはどこ?」
宝石を通り越してガラス玉のような無機質な目が、メイドを射抜く。
「同じようにしてあげなくては」
「や、…………ぇ、て……く、ら…ぁ、ぎ……ぁ…」
「まずはこれから」
反対の手で指をぱちん、と鳴らすとメイドの顔に冷水が弾け飛ぶ。
温度は、かつてのルナリアが強制的に顔を洗わされた、あの氷水のようなそれ。
「ぁ、っ!!!つ、め、……っ」
「わたくし、これで毎朝顔を洗わされていたわよね?」
「……………………………?!!!?!?!?」
「こうやって、無理矢理洗面器に押し付けられて」
ぽわん、と。メイドの顔の高さの丁度いい位置に水の玉が浮かび上がる。大きさは頭がすっぽりと収まるくらい。
容赦など無かった。躊躇も無かった。
ルナリアはそのメイドの顔を、水の玉へと押し付けた。
「~~!!!!!!」
ごぼがぼ、と必死にもがこうとしても、もがく事すらできない。息もできない。恐怖に顔が歪む。でもこの行動は。
「苦しい?でも、わたくしも同じようにされたわ。両腕を無理矢理拘束されて、背後から頭を押さえられ、こうやって洗面器に顔を突っ込まれたわね」
義妹付きだった残りのメイドはガチガチと歯を震えさせる。
かつてルナリアに対して、屋敷の中で日常的に行われた虐め行為。
『ルナリア』は、元来大変優しい少女だったのだ。
捻れ始めたのは、母が亡くなった一年前。これはゲームでも同じく、ルナリアが16歳の時。
いつからか父は帰宅しなくなり、次第に金遣いが大変荒くなり、母が亡くなってひと月ほどでけばけばしい女性──義母を連れてきた。義妹も共に。これもゲームと同じだ。
かねてからの使用人には本宅の仕事ではなく遠方の仕事を押し付け、本宅から追いやった。公爵としての仕事はルナリアに。学園を休学し、必死でルナリアが彼らの仕事の調整をし、自分の目の届くところまで引き戻した。
元々跡継ぎ教育を受けており、ルナリアが鳴らした公爵家当主のみが鳴らせる魔力鐘。あれは王家より賜った、代々の当主のみが扱える魔道具でもある。これを鳴らせば、当主として立てるとは知っていたが、躊躇していたのだ。
いつの間にか父も、兄も、連れてきた義母と義妹に溺れ、何もしなくなっていたけれど、かつての兄は『大丈夫、優しくするフリをするだけだ。機を見て父上を元に戻す』と言っていたから、それを信じた。
無理だった。真面目だった兄は呆気なく、堕ちた。
かねてからの味方が常にいるわけではない状況で、ありとあらゆることを一人でこなしていたルナリアに限界が訪れるのも早かった。
加えて、新しい使用人たちからは少しずつ虐めを受けるようになっていった。勿論義母の指示で。
軽く足を引っ掛けられて転びそうになったり、偶然を装ってドレスに水をかけられたり、或いは、領地経営の書類を破かれて笑われたりした。
最初はその程度だった。
だが、義母はどんどんと調子に乗っていった。
ルナリアがやり返してこないことを良いことに、食事には腐りかけの材料を、朝顔を洗う時は氷水に近しい温度の水を、母親の形見という形見をルナリアの仕事中に全て奪い去り、ドレスは破り、アクセサリーは破壊され、母の部屋はぐちゃぐちゃに荒らした。もう影も形もない。ルナリアが母と過ごした大切な部屋。家族の思い出が詰まった大切な部屋だったのに。
ここまでもゲームと同じ。
ゲームのシナリオでは部屋を荒らされている現場を見てしまい、魔力の暴発が起こり、屋敷を半壊させるという出来事が起こる。これをきっかけにして義妹を家から兄諸共追い出し、また、義母は屋敷の半壊に巻き込まれて死亡している。たまたまいた父も同じく巻き込まれてしまって死亡していた。
なお、これはルナリアルートに入らないと分からない出来事であり、公式設定資料集のすみっこにほんの少ししか書かれていない。
内容も小話のような小説が載っている程度だ。
ルナリアルートに入らない人が多すぎるせいで、廉価版のソフトからは弾かれてしまったこのエピソードを、知らない人の方が多い。
『私』はルナリア信者とも言えるほどに推していたから、知っているけれど。
ゲーム本編が始まるのはこれより後、ルナリアが17歳になり休学していた学園に復帰したところからだ。
その時はもうすぐだが、ゲームの大筋から離れてしまう出来事が起こる。
それはルナリアが魔力の暴発を引き起こさなかった代償として、精神の限界を迎え、自死する道を選んでしまい、己を殺すことの出来るアイテムを引っ張り出してきてしまったこと。もうひとつは『私』の魂が『ルナリア』の体に入ってしまったこと。
魔力の暴発がきっかけで学園でも居場所を失ったルナリアは、唯一の居場所であった王太子の婚約者の場所を取り上げようとした聖女を虐め倒し、結果として断罪され、死を迎えてしまう。
だが、誰がそんな事をさせるかと決意してしまったのだ、『私』は。
屋敷の半壊は起こらず、今こうして手始めとしてメイド達や義母、義妹、兄に復讐をするに至った。
は、と我に返りルナリアは反応が鈍くなったメイドから水の球を引き上げてやる。
ゲホゴホと噎せている様子を無感情に眺め、震えているメイド達にも極寒の水をお見舞いしてやった。
「きゃーーーーーーーー!!!!!!」
「ゃ、さ、む…!」
「貴方達、平気だからわたくしに毎朝毎朝水をぶちまけてくれたんでしょう?寒いとか何をおっしゃいますの?」
ついでに義妹の方にも水を飛ばしてぶっ掛けてやると、義妹は視線だけでぎろりとこちらを睨んでくるが、怒りのレベルがそもそも違うのだ。
底冷えするような眼差しを向けて、ぎくりと体を強ばらせる義妹に、全身ずぶ濡れになるように水をぶちまける。
「きゃぁぁぁぁぁ!!!!何をなさるんですかお姉様!!」
「いつも貴女がしてきたことなのに何を今更…。そこのメイド達もよ?やってきた事が己の身に起こるというのはどんな気分かしら」
「だ、だからってこんな仕返し!」
「殺されないだけマシだと思って下さらない?やられた事全部やり返そうとしたら、あなた方みぃんな耐えられなくて死んじゃうし…」
一呼吸おいて、再びにっこり微笑んだ。
「わたくしが疲れるでしょう?」
ようやく理解した。
媚びる相手を間違えていたことを。
兄でも父でもない。
この目の前にいる、この家の隠れた女帝たる少女にこそ、ひたすら媚びを売り、己が如何に有用であるかをアピールしなければいけなかった。
「さて、と。皆様におかれましては即、我が家からの退去を命じます。明日の朝までに。そうそう、義妹様にはお兄様を、後々ですが義母様には父を与えて差し上げますわ」
義母も義妹もニヤリとほくそ笑んだのだが、その喜びは一瞬だった。
「二人とも貴族としてしか働いたことのない人達でして…えぇ。平民の生活を知らないのだから、四人で仲良くどうぞ♪」
「「………………………………へ?」」
過信していたのかもしれない。
やり返すと言いながら、どこまでも家族に甘いルナリアだから、きっとこの別邸に住まわせてくれるのではないかと。
「穀潰しを飼う趣味はございません。あぁそうだ、ここに無理矢理残っても無駄ですわよ?こうして…」
ルナリアが指をぱちん、と鳴らせば見える範囲のガラスが一瞬で木っ端微塵に砕かれ、最後の温情なのか砕けたガラスの破片は外へと一斉に吹き飛んだ。
「少しずつ、この別邸はこうやって解体していきますので、いずれ更地になりますから。さ、皆様お急ぎになって?残りはあと…………そうですわねぇ………時限式魔術を展開して……えぇと、ここをこうして、こう、っと」
おもちゃで遊ぶ子供のようにふわりふわりと魔法陣を構築していき、時限爆弾をセットしていく。
─────本気だ。
「制限時間はそんなにありませんから、さぁさぁお早く。命がある内にどうぞお逃げ下さいまし」
ぱん、と大きく手を鳴らしてようやく魔力圧から解放される。
「これまでの一連の出来事は全て文にして残して、大量の写しを作成する予定なのと…あとはそうねぇ…。あ、忘れてはいけなかったわ!使用人の皆様への次の職場への紹介状もございません。当家で行った出来事は全て職業紹介所へと共有致します。魔術でね」
駆け出そうとした矢先の死刑宣告。
全員の顔が蒼白だが、そんなものルナリアは知ったこっちゃないのだ。
「せいぜい、頑張って生き延びてください。さぁ、一つ目爆発いたしますわよー?」
のほほんとした口調とは裏腹に、激しい爆音と爆風が巻き起こった。
勿論ルナリアに仕える者たちは、彼女が張った結界にきちんと守られている。
あちこちから上がる悲鳴と、せめて男手を確保しようと叩き起こされた兄は、義妹に引きずられるようにしながら別邸を後にして、ただひたすら逃げていった。
「本邸には結界なんか張っていないから荷物を持っていけば良いのに…人間の防衛本能って凄いわね。あの方達、荷物も持たないで身一つで出ていくなんて。まぁ良いわ、ようやく静かになったことだし」
あちこちで爆音が響く中、結界の中はとても静かで崩れ落ちてくる破片からもきちんと守られている。
執事のカインは背筋を改めて伸ばし、ルナリアに頭を下げた。
「お嬢様、いえ…公爵様。遅くなりましたが我等一同、命を以てソルフェージュ公爵家の家臣としてお仕え致します。まずは身支度を急ぎ致しましょう。国王陛下より電文を賜っております」
「内容を」
「はい。『目出度い知らせ、嬉しく思う。急ぎ王城へと参れ』とのこと」
「そう。…さ、準備しましょうか」
本邸にも強力な結界を指先ひとつで張るルナリアには疲労の色はない。
全員を結界で守りながら、悠々と本邸に歩み向かい、別邸が跡形もなく崩れ落ちたのを最後尾を歩いていた最年少のフットマンが見守った。
なお、散り散りに逃げたかつての使用人たち、義母や義妹、兄がどうなったかなんてルナリアは一切気にしなかった。
支援もしない、働き口の斡旋もしない。
栄誉ある公爵家で仕えた事実もない。今ある事実は公爵家の制服のまがいものを着ているだけの、場合によっては経歴詐称にもなりそうなレベルの妄想を言う危ない人、という事だけ。
ピロン♪
【国王陛下への謁見時、王太子殿下に会えます。王太子の色を纏いますか?】
▶はい
▶いいえ
歩くルナリアの周囲の時がぴたりと止まる。
数回見たものよりも、少し『はい』が強調されるように輝いている。
「…婚約者の色を纏うのが本来の形式だけれど…いらないわ。不要よ、不要」
躊躇なく『いいえ』を選択する。
ふらふらと社交界に出ている父親は、恐らく家の惨状を知ると慌てて登城してくるだろう。
人前で恥をかくことが何より嫌いな父。
考えていると続けざまに浮かび上がる選択肢。
ピロン♪
【国王陛下の前で父を裁こうか?それとも温情をかけようか?残されたただ一人の家族だよ!】
▶裁く
▶温情をかける
「あらいやだ…」
予想通り、かつての優しいルナリアが選んでいた『温情』。
「……………」
不要なものはさっさと切り捨てる。
それが、貴族なのだから。
倒壊した別邸は、ルナリアの魔術でさっさと修復されています(きっと)
落ち着いて考えたい時の秘密の場所としてお気に入りだった別邸なので、室内に残る義家族の空気すら残したくなかったルナリア。
建物はそのまま再現、邸内の家具は一新していく予定。
これからは気ままにしながらも当主としての役割は果たします。