棄ててしまいましょう
お兄様フルボッコ
立ち位置的に兄であるランドルフを見下ろすこの場所。
わざと笑みを深めれば、義妹と二人ぎゅうぎゅう抱き合い怯えている。
元々婚約していた令嬢とは、結婚しなくて正解だったのかもしれない。
あのまま話が進み、彼女と結婚していたとして、この義妹でなくとも他の女に誑かされてしまえば、遅かれ早かれこうなっていたのかもしれない。
そうなればあの真面目で素敵なご令嬢の精神は、間違いなく耐えられなかっただろう。
はぁ、とわざと大きく溜息を吐いてから二人を見下ろしつつ、背後にずっと控えてくれていたカイルに視線をやる。
「カイル」
「はい」
「終わった家族とはいえ、きちんとお話ししたいの。そこのみっともなく泣き喚く女猿二匹と、それをご大層にも『奥様』だの『お嬢様』とか呼んでいた使用人もどきを全て追い出して、離れの屋敷にでも押し込んでくださる?入口含め、離れの施錠はしっかりとして戻ってきて頂戴。その方たちの処遇も勿論後から決めますから」
「かしこまりました」
「おいルナリア!可愛い義妹になんという口を!」
「あら、そこの娼婦くずれ達は当家の人間として認められてはおりませんわよ?」
「なに…?」
手早く連れ出される義母や使用人達にチラリと視線を移す。
どいつもこいつも縋るように必死にルナリアを見て、『助けて』だの、『違うんです』だの叫んでいるが、救いなど与えてやる気は欠片ほどもない。
そもそも、どうして自分に対して辛辣に当たり散らかしていたり、大切にしてくれなかった人達を、わざわざ己が情けをかけて救ってやらなければならないというのか。
兄から力ずくで引き剥がされた義妹も騒いでいたが、無理矢理立たされ、そのままの勢いで歩かされてはいるものの、ほぼ引きずられるようにして部屋から連れ出されていった。
階段に差し掛かり『歩けるから!やめて!いやだ!転んじゃう!!』という声が聞こえてきた。
騒ぎ声や物音がようやく落ち着き静かになると、ルナリアは改めて兄へと向き直る。いい加減に兄には立ち上がってほしいような気もするが、面倒なので見下ろしたまま話を続けていく。
「そもそも、ソルフェージュ公爵家の家族構成はわたくし、それから思い出したくもないですが元お父様、そしてあなた…元兄であるランドルフ様でいらっしゃいます。あぁ、私達の生みの親である先代女公爵であるお母様は言うまでもございませんが家族構成に含まれておりますが」
「おい、まて。何なんだ、さっきから父上や俺の事を『元お父様』だの『元兄』だの!」
「………そのままの意味ですが」
はて、と、見た目だけは可愛らしく首を傾げるルナリアを忌々しげに見るランドルフだが、いくら睨んでも意味をなさない事にようやく気付き始めたらしい。
ちっ!と舌打ちをしてからようやく立ち上がり、ルナリアを指差して大きく息を吸い込んだ。
「お前には情というものがないのか!この冷血漢め!」
「…冷血漢?あら、貴族として当たり前の事をしているだけですが」
「なんだと……っ、」
「ならばわたくしも問いますわ。あなたには節操というものが…常識というものが少しはございませんの?」
「は?!」
「最初はお兄様も抵抗していたようですが、義妹にしなだれかかられ、あの豊満な胸を押し付けられてだらしなく鼻の下を伸ばし、あれよあれよという間にたぶらかされ…。肉体関係までお持ちになられたじゃございませんか」
「いや、それは、っ…その…」
「こちらから婚約解消を申し出る前に、貴方様の婚約者のご令嬢にはわたくしが丁重にお詫びをして、向こうからの婚約破棄の手続きを以前より取っていただいております。貴方が義妹と肉体関係なぞを持ってしまったから。このまま社交界に参加しようものなら、当家の恥として生きていかざるを得ませんわねぇ。こんな状況でもあなたは、ソルフェージュ公爵家の一員を名乗りますの?脳みそって、頭にあるはずなのに…お兄様の場合は下半身にございまして?」
痛烈な侮辱に顔を真っ赤にしたランドルフは、ルナリアを殴ろうと手を上げたが、それだけで止まってしまった。
動かそうとはしているらしいが、何かに腕を掴まれているようにもがくだけの彼を愉しげにルナリアは一瞥した。
「あら…暴力に訴えかけるおつもりでしたか」
「くそ、っ」
「劣勢になったからといって暴力に訴えかけるなんて、人としてどうかと思いますわ」
わざとらしくため息をついてデコピンをするような仕草をし、そこそこの威力で空気弾(特大)を放てばランドルフは強かに背中を壁に打ち付けられ、ずるずるとへたりこんで蹲ってしまった。
「っ、…………か」
「義妹に暴言を放った、暴力を振るった、などと言いながらお兄様はわたくしに対してひどい暴力をふるいましたね?」
「お、ま…ぇ、こそ……」
「今のこの状況を指していらっしゃるのであればとんでもない見当違いですわね。正当防衛ですもの」
「………に、が…」
「『何が』ですって?殴られようとしたから、殴られないように先にわたくしが魔術で防御しただけ。…そもそも、今まで我慢ばかりしていたのが間違いでしたのよね、きっと」
ひゅーひゅーと必死に呼吸を整え、何とか喋ろうとするランドルフだが、己の妹に正論で叩き潰されてしまっては返す言葉が見つけられない。
ただ睨み付けることしか抵抗らしい抵抗ができないが、妹には鼻で笑われ、呆れたような眼差しを向けられるだけ。
少し前の事を思い返してみる。
ほんの少し前、ルナリアが己の腹部を刺す前までは家族全員に大変従順であったのに、と。
そもそもそれがおかしい状況であることに気付けていない時点で、思考回路がだいぶねじくれているのだが、それを今まで必死に訴えかけてきてくれていた優しいルナリアはもういない。
「だからね、お兄様。わたくし…死のうと思いました。本当に疲れていたから…。でも、死ねなかった。まるでお母様に『生きなさい』と言われているようで。そこで考えましたの。要らないものはさっさと処分してしまうに限るな、って」
静かな口調で、無表情で語る妹の感情は一切読めない。
「これが貴族でなければ…きっと、家族の情で色んなものを救おうと努力しましたわ。けれど、わたくし達は貴族。…何が言いたいか、おわかり?」
ようやく整ってきた息に安堵しながらも、問いかけの意味は解らずに首を横に振った。
「要らないものは要らないとして、さっさと始末しなければならない。有能な血を残し、そして領民を、己の領土を、国のために繁栄させるのが我ら貴族としての役目。そこに貴方やお父様なんか、必要ないんです」
じわり、と背中を汗が伝う。
「お兄様、先程も申しましたが…さようなら」
あの、さようならの意味は。
「貴方もお父様ももう要らない。廃嫡ならびに、家族として縁切りをさせていただきます。もうソルフェージュ公爵家に残るのは、わたくしだけで良い」
「ま、って」
「許す限度はとっくに超えております」
「い、いやだ…っ!」
「どうして?」
「い、いれかえ、る!こころを、いれかえる、から!」
「どうして信用してもらえるとお思いになったのかしら」
「たのむ、ルナリア…っ!」
「貴方なんかを信用して、我が家が、わたくしが何の得をいたしますの?」
ルナリアの纏う空気が氷点下にまで達し、蹲ったままのランドルフの首に手をかけ、再び身体強化を発動させて片腕だけで、己の視線と合うようにぐぐっと持ち上げた。
「か、ひゅ…。ぁ、……ぁ、が、たしゅ、け…」
「わたくし、何度も、何度も、何度も止めましたわ!!あのような義妹と関わるべきではないと!!それを全て拒否なさったのは貴方とお父様じゃないの!!」
忌々しげに兄を睨み付け、叫ぶように一気に言うと少しだけ息が上がってしまったので、ルナリアはゆっくりと深呼吸をする。
恐怖と痛み、呼吸が上手くできない恐怖で引き攣る兄の顔を、一切の感情を消した顔で彼女は見つめ、淡々と言葉を続けた。
「わたくしはもう、貴方なんかの妹ではないわ。貴方の人生から、ルナリア・イル・フォン・ソルフェージュはいなくなった。貴方が、妹としてのわたくしを」
耳元に口を近付けて低く囁く。
「…殺したのよ。この、人殺し」
違う、違う、と首を横に振る兄を心底鬱陶しげに見つめて、乱雑に床に投げ捨てた。
「ゲホッ…!ゲホゴホゲホ!!!るな、りあ…!」
「呼ばないでいただきたいわ」
「ほんと、に…こころを、いれかえ、る!」
「出来もしないことをそんなに必死に言わないでくださいな、ランドルフ様」
じわりじわりと、魔力での威圧をかけられて喉の奥が締め付けられるような感覚に襲われる。
必死に呼吸をすればするほど苦しくなり、もがき、伸ばした手は取られることもなく、空を切る。
かひゅ、と奇妙な息を吐き、酸欠状態のようになりそのままランドルフは意識を失った。
「…昔のお兄様なら、魔力障壁くらい張れたのに…とんだ役立たずになっていたのね…」
呆れたように呟くと、気絶した兄を風魔法で浮かせてからそのまま離れの屋敷に向かうべく自室を出た。
「…国王陛下からのお返事が来る前にさっさと片付けなければね…。あら、カイル」
「ルナリア様、遅くなり申し訳ございません!」
「構わなくてよ。こちらの方もついでに離れへ運びましょうか。一気に処理しましょう」
「あの…」
「殺したりしないわ、出ていってもらうだけよ」
艶やかな笑みを浮かべて告げられた言葉に、カイルは深深と頭を垂れる。
離れに向かい歩いていくと、離れの外にようやく出てきたらしい己の使用人達に軽く手を振ると、そこに居る全員の表情がふわりと明るくなった。
「あなた達が来る前に片付けようと思ったのだけれど、よく考えれば離れに移動させただけだな、って思ったのよ。さ、もう少しだけ始末の手伝いをしてちょうだいな」
「かしこまりました」
カイルが代表して頭を下げ、つられる様にして残りの面々も恭しく頭を下げる。
「使用人もどきには解雇通告を改めて、義母様達は早々にご退出願いましょう。一応、説明はしておかないと面倒なことになるでしょう?…あぁ勿論、ランドルフ様はあの義妹にくれてやるわ」
離れの鍵を開け、ドアを開くと同時に浮かせて運んでいたランドルフの体を思い切り邸内にぶん投げる。
古くからのメイド長が『お嬢様!』と思わず叱るような声を上げるが、別に咎めることも無く小さくため息を吐くだけに留まった。
「おにいさまぁ!!」
甲高い義妹の声は無視して、こちらを怯えたように、縋るように、または媚びるように見つめてくる全員と真っ直ぐ対峙する。
「あなた方の処分を、正式に言い渡しに参りました。本宅で言い渡して、暴れられても困りますので」
にっこりと、それまでに見せたことの無い表情でルナリアは優雅に微笑む。そして。
「本当の、『さようなら』を、あなた方全員に申し伝えますわ」
一瞬で残忍な笑みを浮かべ、魔力をそこに居る全員に浴びせ、土下座のような体勢を取らせた。
退場まで、もう数刻。
次の話で、本当の意味で義妹も義母も、お兄様も使用人もどきも退場です。




