ヤンデレは一途?
依頼人の住むアパート。
近くにある駐車場に秋野先輩は車を停め、今回の心霊現象について語ってくれる。
「なんかね、女の悪霊が憑りついているんだって。んで、その悪霊が同僚の女性社員に対して何かしら囁いたり、事故を起こしたり、さらには依頼主の背後に立っていたり、金縛りに合わせてくるんだって。それで会社に居られなくなっちゃったみたい」
「割と陰湿ですね。憑かれた原因とかは発覚しているんですか?」
昭雄先輩は指をひとつ立てて答えてくれる。
「それがね、この依頼主廃墟めぐりが趣味だったんだって。それでついてきちゃったとか」
「自業自得な面もありますね。まぁきっと、生きているのが憎いだとか、棲み処を荒らされたとかでしょう。幽霊視点からしてみれば、家にいきなり押しかけて来た強盗と何ら変わりはないですから」
廃墟巡りをする人の大抵は未知への冒険心やらだと思いますからね。
もしくは心霊検証か危険が好きな人たちか。
どの道、自業自得なことに変わりはないですからね。
秋野先輩はニヤニヤとした笑みを浮かべる。
「悪霊側の肩を持つのかぁ」
「持つも何も、客観的に見ればですよ」
そんな風に他愛のない会話をしながら、ぼくと秋野先輩はアパートの二階へと昇る。
右から三番目。依頼人の住む部屋のインターホンを鳴らしました。
バタバタと慌ただしい音がしました。
秋野先輩は夜遅くなのを分かった上で、大声を上げます。
「すいません! 新聞部です! 取材したいのですが」
扉の向こうからバタバタと音が聞こえてくる。
それから数秒もしないうちに、中からげっそりとやせ細った男性が出てきました。
白いシャツ一枚に短パン。
髭も剃っていないのでしょう。ぼうぼうに生え散らかしています。
秋野先輩の話しでは20代とのことでしたが、既に30を超えているかのようにも思えます。
部屋の中から放たれるのは、納豆と汗と何かの臭いが入り交じった鼻が曲がりそうになるほどの臭気。
ぼくは思わず鼻を摘まみたいところでしたが、依頼人の前ですので少し顔をしかめるだけに留めます。
……秋野先輩は名刺を取り出すと、男性に手渡した。
「こんにちは私は秋野結城と言います。こっちは助手の氷濃。取材に参りました
そう言って秋野先輩はぼくに手を向けて自己紹介しました。
「ああ、うん。私は只野和喜男と言います。ここで話すのもなんですし、中へどうぞ。あっ、靴はそのままで。汚いので」
そう言って、只野さんはぼくと秋野先輩を部屋の中に招き入れてくれる。
秋野先輩がこそこそとぼくの耳元で聞いてくる。
「それで、なんか分かる?」
「なんかも何も、バッチリ見えているんですよ。何なら今もこっちを睨んできているんですよ」
ぼくの目にはハッキリと、只野さんの首元に腕を絡ませている存在が見えていました。
――女性。
只野さんに纏わりついているのは女性です。
20代前半くらいの女性が只野さんの身体に後ろからもたれているんです。
濡れた海苔のように黒い髪。
その髪は床にべたりと貼りつくように伸びていて、今も引きずっているんです。
しかもです。その髪は女性の身体にもべったりと貼りついているんです。
さながら上着を着るかのように。髪が貼りついているんです。
顔もそうです。
もはや魔物、といっても差し支えない雰囲気を感じます。
雪原の中で転がるかのような、蒼白な顔。
しかしてその瞳は、さながら雪原の中にこび付いたトマトのように真っ赤でした。
白い顔と真っ赤な目。そんな顔が今まさに、グルンとぼくたちの方へと向いているんです。
首を曲げてぼくたちの方を般若の如き形相で睨んでいるんです。
といったことを適当に秋野先輩へとぼくは説明します。
「……こっわ」
「けどぼくなら斬れるんですよね」
「一瞬で怖くなくなった。もう少しさ、雰囲気をさ、大切にしよ?」
そうは言いましても、どれほどの幽霊に会おうとも、先祖以外は斬って終了ですから。
ええ言っちゃいましょう。ぶっちゃけ怖くないです。
ぼくからしてみれば、異世界ファンタジーで幽霊が出てくるようなものです。
なんも怖くないです。
そんな感じの会話を交わしつつ、只野さんから話を伺います。
ちなみに部屋の内装はゴミ屋敷でした。
足の踏み場もないほどゴミが散乱していて、何なら真っ白いはずの壁が茶色く変色しているほどです。
カビやら錆やらが、数か所簡単に見つかるほどです。
壁を五匹ほど黒光りするゴキブリがよじ登っていく。
その光景に秋野先輩は悲鳴をあげて飛びあがり、ぼくを盾にするかのように後ろへと隠れました。
意味無いんですけどね。
だってその後ろにもゴキブリがいるわけで。
広さ的には1DKといったところでしょうか。一人暮らしをするなら、最適の広さだと言えます。
「ええっと、それでですね」
と、只野さんは秋野先輩から聞いた情報と同じようなことを話してくれました。
けれどそうですね。新しい情報もありました。
少し青白い顔をさらに青くして、只野さんは落ち着きのない様子で教えてくれます。
「実は廃墟でカメラを回していたんです。幽霊が本当にいるのかどうかって、仲間内で楽しむために」
「動画サイトとかでその様子をアップロードしてらっしゃいますもんね」
秋野先輩は具体的なチャンネル名を上げ、見ていて面白かったですと笑いながら感想を述べました。
只野さんも驚きと喜びが混じった表情で声を上げた。
「見てくれているのですか! ありがとうございます! それでとある廃墟に行った時からなんです。夜な夜な女の幽霊が出てくるようになったのは」
只野さんが向かった廃墟は、そこの地本では相当有名な心霊スポットだったらしいです。
風水的にも最悪。過去に墓地が並べられていたという話があるほど。
墓場はどこにでも存在する。
生物が死ななかった土地なんてありません。
今回もいつも通り何も起こらないだろと、只野さんたちは向かったらしいです。
その予感は的中。結局ラップ音や、物音が響くだけで特に何も起こらなかったそうです。
しかしその日からでした。
毎晩夜な夜な枕元に女の幽霊が現れて、魅力的な言葉を掛けてくるようになったのは。
「悪意や思惑を持って近づいてくる毒虫はいないか? 何かお願いや相談事は無いか? 何でも聞いてやるって」
「神社には行かれたんですか?」
ぼくの言葉に只野さんは首を縦に振った。
しかしすぐ「けどダメでした」と言葉を付けて首を横に振りました。
「うちでは祓えないって。何なら妄想癖を発症しているのではないか、なんて疑われちゃいましたよ」
「神社の人でも見える人って割かし少ないって聞きますもんね。巫女もバイトですし」
よく住職の前で先祖が煽っていたのを思い出します。
こう写真に写りたがりの人みたいに、左右に揺れてですね。
っと、先祖は今どうでもいいんです。
只野さんは半狂乱気味に、嗚咽を漏らしました。
「多分……、いえ絶対今夜も出てくるはずです! 毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩!! もう何がしたいのか分からないんです! こんなに苦しめられる羽目になるなら……いっそもう」
覚悟を決めた顔を上げました。
秋野先輩は手を振ると共に宣言しました。
「待ってください! 私たちがその幽霊と対談しますから! だからまだ待ってください! 絶対、何とかしますから!」
秋野先輩の言葉に、只野さんは少し嬉しそうな顔を浮かべました。
もしかすれば、信用されたことが嬉しかったのかもしれません。
幽霊のせいで毎晩うなされているなんて言っても、精神を疑われて終了ですもんね。
「……ありがとうございます。期待しないで待ってますので。……どうか無事でいてください」
「大丈夫です! 内には怪異両断の助手がいますので!」
なんてぼくの判断を無視して、秋野先輩は安請け合いをしたわけです。
只野さんの追い詰められた雰囲気から、取材なんて気分じゃなくなったんでしょうね。
ぼくが斬ったら写真からも消えちゃうのに。
そんなわけで秋野先輩は只野さんをケアするために、お風呂場に隠れて行きました。
ぼくは只野さんが普段寝ているという、布団の上で座禅を組んでいます。
いつでも対処できるように。
近くには一振りの刀。
すでに深夜遅く、微かな物音すら聞こえぬほど静かです。
まぁ雰囲気づくりしているところ申し訳ないんですが、既に目の前にいることが分かっているんですよね。
この幽霊、秋野先輩を襲うのではなくぼくとの対話を選んだようですし。
声を掛けていいのかな、これ。
「あの~、既に見えているので単刀直入にお聞きしたいのですが、なぜ只野さんを狙うんです?」
「やっぱり見えているのね。……怪異混じり」
「怪異混じり?」
怪異混じりとは何でしょう。
目の前の幽霊は真っ赤な瞳を滾らせ、ぼくに向かって言い放ちます。
「決まってるでしょ! 私と和喜男さんは付き合っているの。なら、邪魔する女は片っ端から始末しなきゃ」
「一方的に憑いているなら分かりますが、付き合っているようには見えません」
「だって言ってたから。このまま童貞でいるより、いっそ幽霊でもいいから恋人がほしいって。それって遠回しに私に告白したってことでしょ。現に今、言ってたじゃない。このまま死んで、同じ幽霊になって一緒に居たいって!」
「何をどう見たらそのように解釈するのでしょうか。只野さんは明らかあなたから逃れようとしていましたよ」
熱意だけは認めますけど。
なんて口が裂けても言えませんね。
「そんな訳ない! そう、あの女。あの女が和喜男さんを誑かしたのね……。絶対許さない……。待ってて和喜夫さん。今からすぐ、あなたを私と同じ仲間にしてあげるから。そしたら永遠に一緒に居られるよね」
支離滅裂な言葉を吐きながら、およそこの世の者とは思えぬ表情で幽霊はお風呂場へ行こうと浮遊する。
その一瞬の隙を突いてぼくは刀で一凪する。
「その前にぼくの刀がお前を斬る。選べ、今ここで斬られるか。未来永遠に只野さんに会えないか」
「そういうの、選択肢って言わないわ!」
やはり話は通じそうになし。
せめて苦しまぬよう瞬きの間に。
ぼくが一歩踏み込んだ直前でした。
「ちょーーっと待ったぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!」
風呂場に通じる扉から、飛び出した勢いそのままに前のめりに只野さんは転んだ。
「今は出てこないでください。危ないですよ」
ぼくの制止する手を振り切ってまで、只野さんは悪霊の目の前に飛び出した。
跪いて言い放つ。
「俺と結婚してください!」
………………
……えっ?
えっ? えっ?
今の、ぼくの聞き間違えじゃないですよね? うん。聞き間違えですよね。
ほらっ、悪霊までポカンとしていますよ。そしたらまた只野さんが同じ言葉を口にした。
これってまさか……プロポーズなんですか? 只野さんが、悪霊に?
「はいっ! もちろんです和喜男さん!」
そしてあちらも受け入れていた……。なんか抱き合っている、ように見えるし。どうすればいいんですかね、これ?
というかぼくは何を見せつけられているのでしょうか? 悪霊を何とかしてほしいという話しじゃありませんでしたっけ?
チラと秋野先輩の方を向いてみれば、同じように口と目をあんぐりと開けている。ああこれダメな奴ですね。
ぼく含め、完全に置いて行かれた。誰か説明してくれる人は……いないですよね。
「すいませんいきなりの事で」
「ああっ、いえっ」
急にこっちに向き直ってきた。えっと……つまりはどういうことですか?
「悩みは解消されたよ。ありがとう!」
そう言うと、只野さんと悪霊は再び自分たちの世界に入り込んでいった。
お互いの名を呼びあっているし、元気すぎるし、悪霊の力は弱いし、憑かれているってわけでも……なさそう?
「帰ろ、氷濃」
「そうですね。ぼくもう眠いですし」
幽霊から一方的ならともかく、人からのアプローチをどうにかするのは、ぼくとしても遠慮したいですしね。
呪われているとか、憑かれているとか、無理やり言わされているってわけじゃないですし。幸せそうな二人を無理やりはがすために来たわけでもないですし。
ぼくと秋野先輩は、ゆっくりと幸せオーラを放つこの部屋から出て行った。
後日、新聞サークルに一枚の写真と手紙が送られてきた。
写真には、昨日の幽霊の女性と男性が写っている。もう片方の手紙には、男性の廃墟に行く趣味と、このままでは行き遅れること。
なんだったら可愛い女の子の霊がついてきて、ラノベみたいに暮らせないかな等々といった思いが綴られていた。
そういえばあの悪霊。わずかに美人な面影ありましたもんね。あれ多分、ちゃんと浄化されたら美人になるやつですね。
幽霊だからそう簡単に触れられないと思いますけど……。
そういえば魅力的な言葉って、只野さん言っていたような……。もしかして、願いをかなえるという部分じゃなくて……。いやいやそんなそんな。
まぁ多様性の時代ですし、外野がとやかく言う物ではないですね。
ただぼく達、壮大な茶番に巻き込まれただけのような。
「秋野先輩。ヤンデレって怖くないですか?」
「そうかな? 人によっては、ずっと愛してくれる一途な人って解釈もあるよ! 他にもすぐにデレてくれるから犬みたいで可愛いとか。よしっ、記事書けた!」
「なんでいつもより速いんですか」
後日、きちんと許可を貰ってから張り出したこの新聞は、一部すぎるオカルトファンと、幽霊になっても愛する人と居たいという観点が、恋愛好きな生徒に突き刺さったのか、しばらくの間流行ったとかなんとか。