先祖はいつも大人げない
「それでは秋野先輩」
「おん、稽古頑張ってね」
「はい。失礼致します」
ぼくは秋野先輩にお辞儀をして部室から出て行く。
バタンッと音をたてて扉を閉め、ぼくは下校する。
ぼくの一日は、基本こんな感じです。
新聞部で活動をした後、日々精進するため己の刃を研ぐ。
自分勝手な思いで新聞部に迷惑を掛けているのは重々承知。
ですが、怪異を撮りに行くということは常に命を失う可能性も孕んでいる。
故に秋野先輩もぼくの腕が落ちる事だけは避けたいのでしょう。
ぼくが剣の修業について質問をしたとき、秋野先輩はノータイムで
「趣味を邪魔するのは悪いもんね。いいよいいよ」
って言ってくださいました。
……今更ながらに考えてみると、秋野先輩大してぼくがいなくなっても困らないのでしょうか?
思えばぼくが活躍するのって怪異のボディーガードだけですし……。
新聞は基本秋野先輩がおひとりで執筆なされていますし……。
あれー?
もしかしてぼくっていらない子扱いされていない?
気のせいでしょうか。
ともかくぼくの修業について申し出は断れることなく、許可を頂いたのでした。
* * *
学校から家に帰るときは大体30分ほどかかります。
カードをタッチさせて改札を通り、電車の座席で揺られながら15分弱。
最寄り駅のアナウンスが聞こえて、ぼくは降りる。
「今日もお疲れ様です」
「あらまぁ、こんにちは」
駅から家への通り道。
ぼくは近所でよく世間話をする40代くらいのおばちゃんへあいさつをします。
それからまた15分くらいで、ぼくの家、時代劇に登場する武家屋敷を丸ごと持ってきたかのような家に到着する。
ただいまぁと、ぼくはガラガラと引き戸を開ける。
トントンと足音を立てて自分の部屋へ。
バッグを布団へ放り投げ、制服を脱いで道着に着替えます。
ぼくは自分の長い髪を、邪魔にならない様にゴムで結ぶ。
それからまた家を出て、門を入って右手方面にある、石タイルの道が続く先にある道場へと向かう。
木造の壁、三角瓦の屋根、そして白い引き戸の玄関。
ここまで何も変哲が無い状態ですが、唯一違う点があるとすればピリピリと肌を撫でる剣気を感じる事でしょうか。
ぼくは息を吐いて、自然と気が引き締められる思いになります。
よしっ、と小さく声を出してぼくは両頬を叩く。
それからガラガラと道場の引き戸を開けて、ぼくは張り裂けんばかりの声を上げる。
「よろしくお願いします!」
「おっ来たかの」
しゃがれた声が返ってくる。
横10メートル、縦10メートルの、畳の床が敷き詰められた道場の中央で佇むは、ひとりの剣士。
老齢の見た目。けれど、背筋は伸び切っており、立ち方からして万夫不当の風格が漂っている。
鋭い眼光から放たれる威圧感だけで、ぼくの足が少し後退るほどです。
体は半透明に空けている幽霊。白いポニーテイルになった髪。そして侍が現代によみがえったかのような風貌。
もしこれが修行ではなく、実践であったのなら、ぼくは一凪で斬り伏せられていますね。
心臓がバクバクいってうるさいので、もう一度ぼくは深呼吸をする。
「……先祖、……少々、いえすごく剣気を出しすぎでは?」
「ふっふっふっ、我が子孫よ。強者の風格、圧倒的力で撫で伏せることこそ、今の世では流行っているそうじゃ。ならば儂も、その流行とやらに乗っかるべきだと思うてな」
「相手をさせられる身にもなってください」
「だってちるのちゃんしか儂のこと見えていないんだもん。このハンサムな儂が」
「お年を考えてくださいね」
それにしても今は伊達男ではなく、ハンサムっていうのがカッコいいを指すんですね。
炎樹や秋野先輩のために覚えておきましょうか。
先祖は踵の無い足でぼくに近づいてくる。
トストスッ、トストスッと。
「よろしくお願いします!」
改めてぼくは大きな声を張り上げる。
このどうしようもなく、水底の見えない先祖に勝つために。
畳から香るイグサの匂いを胸いっぱいに吸い込み、ぼくの修業は始まった。
* * *
ぼくと先祖、二つの竹刀がぶつかり合い、道場内に木霊する。
タンッタンッという音が良く使われるそうですが、ぼくと先祖の竹刀がぶつかる音は、そんな生易しいものじゃありません。
ダンッダンッ! と軽く火花が生じるような音が響きます。
もうこれで何合打ち合ったか分かりません。いえ、記憶しようとした時点で敗北の二文字がちらつくのです。
「これで終いか?」
「いえ、まだです!」
ぼくは重心をずらされながらも、竹刀をぐっと握る。
先祖の剣は一振りだけ。なのにその剣捌きの凄まじさたるや、花の根のように幾重にも枝分かれした残像を生み出すほどです。
攻めるに攻め込めない。少しでも攻撃に転じようとすれば、まったく予期していない方向から竹刀が放たれる。
さらにいえば先祖の細腕が繰り出されるとは到底思えない豪力。
――滝。
そうこれは滝です。重力の赴くまま岩石をも砕く、非常識な力技。
「グッ……」
「ほれほれ、どうしたのじゃ?」
一撃一撃に殺意でも込められているのかと思うほど、ぼくの腕は着実に力を削がれていく。
それが川を流れる流水のように、なだらかな動作で繰り出されるものだから溜まったものではありません。
一撃を入れたら次の二撃へと繋げる。かと思えば三撃目が飛んでくる。
対応して腕を伸ばした瞬間に、四撃、五撃。
ダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ!!
ぼくの耳から雑音が消える。
余計な思考は消えていき、視界も先祖だけがくっきりと視認できている。
いつもなら怪異を斬れる流れ。この状態に入ったぼくは、怪異に負けたことがない。
……なのに。なのに。なのに! 先祖の場合はまるで違う!!
この状態に入ってなお、勝ち筋は何一つとして見えやしない。
力の限りを尽くして挑んでいるのに、勝利の道筋は霧が掛って何も見えない。
けど今日こそは! 先祖を絶対越える為にぼくは!!
右ががら空きになった瞬間を狙い、ぼくは竹刀を横薙ぎする。
パシンッ!
「あっ……」
しかし、ぼくの攻撃はあっけないほど簡単に崩された。
竹刀は切っ先はあらぬ方向を向いている。
先祖はその一瞬を見逃さない。
ハイエナが如き速度で竹刀を潜らせると、大上段から一気に幹竹割に振り下ろす。
「ほいっ!」
バシィィィィィ――――――ンン!!!
ぼくの頭から、隕石かの如き衝突音が道場中に響き渡った。
ぐらりと揺さぶられる意識。
ぼくと先祖の勝負は兜や甲冑といったものは一切付けない。
ゆえに衝撃は、直にぼくの頭を抜けて足のつま先まで響き渡る。
一歩、二歩、ぼくは後退る。
膝から崩れ落ち、舌を噛むことで気絶だけは免れる。
コヒュー……、コヒュー……っと危ない領域にまで踏み込んでいるぼくの呼吸。
ぼくはその上で、遥か高みから見下ろすように立つ先祖に顔を向ける。
「……参り……コヒュー……まし……コヒュー……た。ゲホッゲホッ!!」
「まだまだ詰めが甘いの」
先祖は息切れひとつない余裕な笑みで、腰に手を当てそう言った。
……また勝てませんでした。
何がダメなのかまるで分りません。
何回か怪異と手合いをしました。
何回か死ぬかもしれないと思ったこともありました。
――けど先祖は悉く無視して格が違う。
体が沸騰しそうなほど熱い。
熱い……、熱い……、熱い。
熱い熱い熱い熱い熱い。
始まった。いつものが。
もし熱した鉄板を全身に貼り付けたら、これほど熱くなるだろうか。
それともマグマの温泉に入るくらいの温度でしょうか。
あまりの熱さに、ぼくは畳の上を無様にのた打ち回る。
先祖との一戦は、多分人の身だとかなり負担が大きいのだと思う。
だからいつも、先祖と試合をした後は、こうしてぼくの体が異常なまでに熱くなる。
「…………」
もう言葉も出ない。
出そうにも咳と嗚咽が止まらない。
ぼくの髪の毛から滴り落ちた汗が、容赦なく畳を濡らしていく。
先祖は何か口を開いているけど聞き取れない。
ふと、タオルがぼくの上に降ってきた。モフモフの触感。
先祖ですね。
「急ぎすぎなんじゃよ」
先祖のその一言が耳に届いたのを皮切りに、ようやくぼくの体は動くようになった。
熱はもう完全に収まった。
あれほど熱かったあの感触はもう、影が潜むかのように消えている。
ぼくは震える手でタオルを取る。
雨のように浮き出る汗を拭いながら、「ですね」と反応する。
「相手のペースに飲まれました。それにあの隙はわざと作られたもの、ですね」
「分かっておるならよい。まだまだ子孫に抜かれるわけにはいかぬからな」
「……大人げないですね」
「勝負に大人も子どもも関係ないのじゃ。負けた方が悪い。全力を出さないのは相手に失礼というものじゃ。それにちるのちゃんは気づいていないと思うのじゃが、お主相当強くなっているからの?」
納得は行きますけど、納得できません。
先祖は全力を出しすぎなんですよ。獅子はウサギを狩るのにも全力といいますが、流石に全力すぎでしょう。
もしぼくが強くなっていたとして、実感できる材料はまるでないんですよ。
先祖はにひりと笑って見せる。外の突きを指さして、ぼくにいつもの頼みを告げてきます。
「それよりほれっ。今日もやるぞ」
……ですね。
踊るような足取りで、先祖は道場に備え付けられた縁側へと向かって行きます。
ぼくも呼吸を整えつつ、急須と茶葉、お湯と湯呑を持って先祖を追います。
ぼくが縁側へと移動すると、そこには何もなくある種の懐かしさを感じる景色が広がっていました。
黒く染め上げられた海のような空で、でかでかと豪華に輝く真ん丸の満月。
強烈な存在感を植え付ける真っ白な月を見上げて、ぼくは小さく感嘆の息を漏らす。
「なるほど。今宵は満月でしたか」
草の茂みからは、名も知らない虫の声が聞こえてくる。リンリンと、鈴にも似た静かな音を鳴らして鳴いている。
夜鳥はほうほうと耳に残る旋律を奏でる。一陣の風はさぁさぁと雑草を擦り合わせて弄ぶ。
運動して火照った体にこの風は少し寒すぎですね。冷えなければいいのですが。
ぼくはそう思いながらも、冷える空気にそっと体を小さく震わせました。
「こっちじゃこっち」
先祖が手を招いて呼んでくる。
ぼくは先祖の隣に正座しまして、急須に茶葉とお湯を入れます。
蓋を抑えて三分ほど。急須をゆらゆらと揺らしてから湯呑へと傾けます。
茶色の左右均等になるよう入れ終わり、ぼくは先祖に手渡します。
「団子の類は用意しておりませんが」
「構わんよ。ふむ、……良い手前じゃな。迷いがない」
先祖は満月を肴にお茶を飲む。
小学生の頃、幽霊の先祖がタオルや茶を飲むのに疑問を覚えていました。
身体は半透明ですし、やろうと思えば床とか壁とかすり抜けられますからね。
そんな先祖がなんで実在しているお茶を飲めるのか。
先祖も良くは分かっていないそうですが、まぁ竹刀を持てるのだからお茶くらい飲めるだろうって返されました。
あれからもう6年ほど経ちます。
色々考えた末に、答えの出る気配がないため、もうそういうものだとぼくは思うようになりました。
ぼくもお茶で喉を潤しながら、ほぅっと白い湯気を吐きました。
「綺麗ですよね」
「月は魔性の魔力を秘めているともいうからの」
それから言葉はありませんでした。
ただ先祖と、風景を肴にお茶を飲む。それだけです。
これがぼくの日常。いつもの流れ。
修行とは言いますけど、ぼくと先祖は一日一度しか手合いをしません。
素振りを続けたり、走り込みや足運びの練習なんかもいたしません。
そして……ぼくと先祖の剣は相手に敬意を表しません。
礼節も重んじません。
あるのはただひとつ、勝つことのみ。
――剣道とは根本から違うのです。
いうなれば殺人剣の一種なのかもしれませんね。
けれどそんな家の歴史、ぼくは一度として聞いたことが無いんですよね。
先祖が教える剣がそうであるってだけですからね。
なんかこう、ゆったりできる空間があるのは良いですねぇと思いながら、ぼくはお茶を口に含みます。
先祖がお道化た声で言ってきます。
「それよりちるのちゃん。もう少しフランクでもいいのじゃよ? 若いおなごなのじゃし」
「十分フランクですよ?」
「これをフランクだというなら、妹にも敬語で接したらどうじゃ?」
「嫌です。妹に敬語を使う姉がどこにいるのですか。妹より優れた姉はいないのです」
妹に対してのフランクさと、先祖に対するフランクさは違うと思うのです。少なくともぼくは。
先祖は手元で湯呑を回す。
月を見上げては語り掛けるように口を開いた。
「……月も時代の移ろいで絶えず変わっておる。変わらないものはひとつとしてない」
「隕石とか落ちているって言いますからね」
「そうではないのじゃが……、まぁそうとも言うのぅ」
流れ着いた暗雲が、自分のものだと主張するかのように、満月を覆い隠す。
同時に夜の太陽を失った世界は、急激に闇を纏っていく。
どこまでもどこまでも、闇は広がっていく。
けれど、町には街灯がある。
怪異が出没するような、暗黒世界に変貌することは決してない。
先祖は急須に残った最後のお茶も飲み干すと、終いとばかりに立ち上がる。
「月も休憩に入ったようじゃの。儂等もこの辺で切り上げるとしよう」
ぼくはトレイにお茶一式セットを纏める。
先祖は道場へと戻ろうと歩き出し、「そういえば」と後ろ姿のまま忠告してくれます。
「怪異を斬るのも良いがほどほどにの」
「存じています。そういえば先祖、神って知っていますか?」
そう切り出して、ぼくは昼間の出来事を説明する。
もちろん、神話に語り継がれている神様のことではなく、実在している神様について等も説明する。
先祖は「ふむぅ」と一考したのち、「いや、存じてないのう」と答えを返してくる。
「本当のところ、知っていますね」
「まぁの。でもまだ内緒じゃ」
先祖はそう言うなり、逃げる様に道場へと消えていきました。
いつもの感じではぐらかしましたね。
こうなると問いただすなんてことできませんし、また羽江さんと相まみえた時に問うとしましょう。
その時、ぼくの眼下に中学2年生の妹が目に入った。
刀袋を背中から引っさげているところを見るに、恐らく剣道部の帰りでしょうか。
ぼくとは違い、礼節を重んじる真っ当な剣道の。
炎樹は気づいているのか、それともいないのか。
ぼくと同じようにストレートに伸ばした髪を揺らしながら、家の玄関に手を掛けている。
「おーい炎樹~」
ぼくは手を振って炎樹に声を掛ける。
夜遅くまで関心関心。
炎樹はぼくの姿を捉えました。
それから嫌そうな顔をして、ぴしゃん! っと玄関を閉めてしまいました。
無視ですか。年頃の子は気難しいですね。
ぼくもトレイを片手に、道場へとお辞儀する。
思うように動かない足を引きずりながら、道場を後にするのでした。
* * *
「因果なのかのう」
暗がりの道場の中心で佇む半透明の老人は、誰に聞こえるわけでもなく呟いた。
自分の力の継承者がカミサマを使役する者達と出会う。
それは奇しくも、昔の自分同じ。
瞼を閉じれば、昨日のようによみがえる。
あの頃の風景、光景、地獄が湯水のように蘇る。
剣を振ればあの時の感触。
自分の剣は、今の世には必要ない。
しかしそれでも、築き上げた力を無に帰すのはただただ辛い。
引き継げないセーブデータのように。ただひっそりと消えていくのが何よりも心苦しい。
「できれば、普通の生活を送って欲しかったんじゃがのう」
その生活を奪ったのは自分なのにと、老人は静かに自嘲する。
願ったとしても、氷濃の期待に満ちた表情をどう裏切れよう物か。
あの時の、期待に胸を張り巡らせた氷濃の、唯一自分を視ることができた年端も行かぬ少女をどう断れよう物か。
老人は日々の手合いを思い出す。
その度に鬼神の血が疼くのを感じ、老人は「これも原因じゃろうな」と震える手首を押さえつけた。
「この先どうするのかはちるのちゃん次第じゃ。怪力乱神の力をどう扱うのか」
次は12時ですね。