助けた少女が部室に来ました
清和の涼しい風が窓から入り込んでくる。
高校の新聞部、活動教室。そこにぼくと秋野先輩はいた。
活動教室といっても個室ですけどね。ちょっとした用品置き場くらいの広さです。
先輩はパソコンに向かい、新聞記事の内容を推敲している。
ぼくは時折手で招かれて席を立つ。
どれどれと秋野先輩の後ろから覗き込み、ぼくは適切な言葉や内容に合いそうな表現のアイデアを出していく。
ぼくの意見を一通り聞き終えた秋野先輩はメモ帳にペンを走らせる。それから再びパソコンと対面する。
平和を実感できる日常。
窓から入る日差しのなんと温かなことか。ぼくの僅かに残った理性を、睡眠のゆりかごが揺らしてくる。
――眠い。
ぼくはひとつあくびを浮かべた。
机に突っ伏し、光合成をする植物のように陽光を全身へ浴びる。
ぼくが寝息を立てるのに数秒もかからなかった。しかして平穏な日常は長く続かないもの。
「ここかー!」
ガチャンと大きな音と共に扉が大きく開かれた。
教室に入り込んできたのは、この学校とは違う制服を着用した女の子。
外見は平均的な高校生くらい。赤茶色の髪で小さくツインテールを作っている。
表情をコロコロと変える辺り、ドジっ子のような雰囲気。
世間一般的に美少女の分類に入る顔立ちをしていますね。
女の子は開口一番、腕を振り上げて叫ぶ。
「酷いですよ! なんで何も言わずに置いていくんですか!」
ぼくは少し首を傾げて考える。
……はて、どこかでお会いましたっけ?
ぼくは内部記憶メモリーを確認する。けれどいくら検索しても該当なし。
どこかしら縁が無い限り、こんな場所には誰も来ないと思いますけど。
ともあれお客様であることに変わりはありません。
ぼくは眠り眼を擦り、椅子から腰を上げる。
「どうしま――」
「入部希望者ね!」
秋野先輩が花のような笑顔をパッと咲かせて反応した。
有無を言わさず女の子の後ろに回り込むと、背中をグイグイ押し始める。
さっきまで何か用があるみたいな雰囲気を出していた女の子。
しかし今は、「いやその」と小さな声で目線を右往左往している。
こうなった秋野先輩を止めるのってなかなか難しいんですよね。
ぼくは給水場にあるポットのスイッチを入れる。
それから人数分の茶葉とカップを用意します。
秋野先輩はさっきまでぼくが座っていた椅子に女の子を座らせる。
「入部動機は? 何がやりたいとかは? 好きな怪異は? 怪異について思うことは!」
あーいつものが始まったとぼくは半目を秋野先輩へと向けていた。
グイグイと迫る秋野先輩に、女の子は圧倒されていた。
なのでぼくはていっとジャンプして、秋野先輩に手刀を落として落ち着かせる。
それからポットのお湯を茶葉の入った急須に入れて、二分ほど待つ。時間が経ったら少し揺らし、お茶の濃さが均等になるようカップに注ぐ。
「粗茶ですが」
ぼくは湯気が立つカップを女の子に手渡した。
女の子はおどおどとした態度のまま、ぼくの手からカップを受け取った。
「あ、ありがとう……ございます?」
「熱いですので、ゆっくりでいいですからね」
そうぼくはひとつお辞儀をする。
女の子の表情筋が固まっていますね。どうしましょうか。
あの秋野先輩の対応では無理もないと思いますけど。
安心させるために、何か一発芸でも披露した方が良いのですかね。
ぼくはひとつコホンと咳ばらいしてから、手を挙げる。
「えー、一番上杉氷濃。一発芸、介錯無しで切腹をする人の顔――」
「やらんでいい」
なぜか秋野先輩にツッコミを入れられた。なんで?
秋野先輩は先ほどと打って変わり、恥ずかしそうに頬を掻く。
「ごめんね。つい入部希望者が増えると思ったらうれしくなっちゃって。あたしは秋野結城。そしてこっちが助手の」
「どうもどうも上杉氷濃です。新聞部にいますけど大したことはできない弱アナログ人間です」
ぼくは手を振って見せる。
これで少しは和ませることができたでしょうか?
女の子は俯きながら、もじもじと指を動かした。
「えっとその、風梶羽江といいます」
羽江さんね。今度は忘れないよう脳に刻み込んでおきましょう。
羽江さんは湯気が立ち昇るお茶にふぅふぅと息を吹く。
それからゆっくりと口をつけ、お茶を嗜んでいた。
我慢の限界を迎えた秋野先輩が再び声を荒げる。
「それで何々! 入部希望者!?」
「えっとその、そうではなくてですね?」
羽江さんは申し訳なさそうに目を逸らしてみせる。
あー違う系ですね。まぁいつものことです。
秋野先輩はわなわなと身体を震わせて数歩下がり、がっくりと膝から崩れ落ちた。
羽江さんはカップを机に置くと、勢いよく立ち上がる。
「昨日! 怪異が出る場所にいましたよね!」
「うん、いたいた。ああ、もしかして――!」
秋野先輩は手を叩いて羽江さんの顔をまじまじと見ている。
反対にぼくは何一つ分からなかった。
秋野先輩は気づいたようですけど……。
なんで羽江さん、ぼくたちが昨日山にいたことを知っているんでしょうかね?
秋野先輩はぼくに聞いてくる。
「あれ? もしかして引っかかってる?」
「どこか服ほつれてます?」
ぼくの制服に引っかかる要素は特にありませんからね。
首動かして見渡してみても、別段引っかかっていません。
ほつれても縫い直せばいいですし。
そういえば最近、制服のスカートから糸くずが伸びていましたっけ。帰ったら直しておきましょう。
妹の分もやっておきましょうか。
秋野先輩が額に手を置き、呆れた顔で首を振っている。
「誰も服の話はしていない。いたでしょ。ほらっ、山に女の子が」
「……あぁ」
ぼくは納得がいった顔で手をポンと叩く。
そういえばいましたね。風の方が印象強くてすっかり頭から消え去っていました。
あの時の風使いの女の子が、羽江さんだったんですね。
すっきりしました。
「昨日怪異が居なくなった原因知りませんか!」
「ちょっ、まっ!」
今度は羽江さんが秋野先輩に詰め寄る番でした。
たじたじになって身体をのけ反らせる秋野先輩、ぼく初めて見たかもしれません。
羽江さん、やりますね。
しかし羽江さんは秋野先輩の制服へと掴みかかる。
「教えてください! お願いします! もしかすればその人は!」
羽江さんは秋野先輩をグラグラと揺する。
声量を上下させながら、秋野先輩はぼくに懇願する目を向けてくる。
「いや本当に分からないから! ヘルプミー氷濃ー!」
……気づいていない?
それならいいんですけどね。
ぼくは羽江さんの腕を掴むと、無理やりにでも秋野先輩から引きはがす。
「い”た”た”た”た”た”っ! あなた本当に人間ですか?!」
「見ての通りか弱い人間です」
ぼくは腕を折り曲げて力こぶを作ってみせる。
しかし力こぶは、山にもこぶにもならなかった。緩やかな道が続いている。
力を入れてこれです。よく握力測定装置を握りつぶしていますけど、ぼくの力こぶはこの程度です。
秋野先輩が制服を正しながら呆れた表情で言う。
「いやそれだとこの学校にいる人みんなか弱いから」
「確かに炎樹にもよく言われますけど。ぼくより力の強い人いるでしょう?」
「それは間違いなく、種族が怪異だと思う。卵を握りつぶせるのは間違いなく異常」
流石に失礼だと思います。
ボディービルダーのようにムキムキじゃないですよ、ぼく。
あと慣れれば卵くらい余裕です。先祖なんて触れることすらせずに割りましたからね。
羽江さんが若干引き気味の表情で会話に入ってくる。
「えっとその違くて……。実は昨日見たことをあまり他言しないでもらいたいのです」
「というと、あの風のこと?」
「それですそれです」
羽江さんは何度もうなずいた。
あれはぼくも不思議に思っていました。
風を自在に操るなんて、天狗の仲間か何かなんですかね。
「あれ何!? 教えて教えて!」
秋野先輩が目を輝かせて羽江さんに迫る。さっきとは完全に逆の構図。
今度は羽江さんの方がぼくを見ているような気がしますけど。
新聞部は毎月ピンチ。部員人数は二人と少なく、内容が内容ですからね。
校内新聞としてはあんまり認められないんですよ。よって部活動に入らないんです。
羽江さんの目が段々グルグルと回っていくように見えた。
それから目を瞑り、半ばヤケクソ気味に叫ぶ。
「カミサマです!」
ぼくは自分の耳を疑っていました。
数回目をパチクリさせてから再起動する。
「神様? あの、自分勝手で妙にひとつの概念に密集していたり、鶴の恩返しを再現した八百万はいる神ですか?」
「なんか違うような気がしますが、それですそれです! わたしのはまだ名も無きカミサマなんですけどね」
名も無き神様?
無名?
神様?
羽江さんは巫女の一族なんでしょうかね?
分からないことだらけで少し頭がパンクしてきたような気がします。
「物にはカミサマが宿ります。大なり小なり。その力を授かり、わたし達は怪異と戦うんです」
羽江さんは祈るように手を結ぶ。
その動きはあまりにも自然に行われていた。
刹那、羽江さんの方向から一陣の小さな突風が発生する。
これはいつぞやの風と同じと思いながら、ぼくは風の当たった肌を撫でた。
開けた窓とは明らか違う方向からの風。
ここまでされると信じざる負えないような気がします。
何か知っているといった顔で秋野先輩が目を向けてくる。けれど、ぼくにできるのは首を振ることだけですね。
今度先祖に聞いてみましょうか。
秋野先輩は今度、一重の希望を秘めた光る眼差しを羽江さんに向ける。
とはいえ羽江さんの返答も変わらない。ハッとした顔で「一般人に話しすぎました!」と頭を抱えている。
羽江さんはグイっとお茶を一気に飲み干して立ち上がる。
「じゃあわたしは失礼します。本当に他言無用で。お茶、美味しかったです」
バタンッ!
羽江さんはそそくさと足早に教室から立ち去っていった。
「あっ……」
名残惜しそうな顔で秋野先輩は教室のドアに手を伸ばす。
伸ばした手をそっと下げ、それから秋野先輩はひとつ息を吐く。
それから「よっしっ!」と腕を振り上げた。
「再開しよ! 氷濃、手伝って」
秋野先輩はぼくにひとつ目配せする。
ぼくはそんな秋野先輩に分かりましたと同じように目でアイコンタクトをすると、席に戻り机に寝そべる。
気を取り直すの相変わらず速いですね。
まぁ昔は入部希望者だと勘違いして来客にいちいち聞いていましたし。もう慣れっこって奴ですよね。
同じく指定位置に戻った秋野先輩は少し思考しているのか、目を泳がせる。
「そういえばなんで怪異を斬れるの?」
ぼくは秋野先輩からの問いに微笑みを返すだけに留める。
心当たりはありますけど、その疑問はそのままにさせてあげましょうか。
秋野先輩、答えを暴くのは好きですけど。答えを暴露されるのは嫌うタイプですから。
ぼくが答えを言う気が無いのが伝わったんでしょう。
秋野先輩は「知ってた」と諦めた表情で両手を掲げると、さっきと同じようにパソコンを叩き始めた。