ちょっとしたハプニング
数多の大会にてぼくは剣聖と称された。
対戦するチームは、ぼく相手のときにあえて一番実力のない新人を充てがうようになりました。
仲間からは期待を背負わされているように感じました。
いつしか心が真っ黒に染まるのを感じました。
努力、根性、熱血。
この三つは時代遅れ?
才能がすべて物を言う?
そうかもしれません。
今の時代では、それが当たり前かもしれません。
けれど、それでも、思うんです。
バカにされようと、結局何にもならなかったとしても、ひたむきに前を走るあの人。
あの人だからこそ、ぼくはついていこうって決めたんです。
――新聞部部長の秋野先輩に
* * *
四方八方、暗闇に包まれた山林。
目に沁みるほどの臭気がこの場を支配していた。
ぼくと秋野先輩は共に全力疾走で坂道を駆け下りていた。
すぐ後ろからは少女の外見をした異形が迫っていました。
異形は一見、小学校低学年の少女といった外見をしています。
肌は闇に染まっていて、表情を読み取れない。
けれど異形の眼差しは暗闇の中で、年季の入ったシャンデリアのように煌々と赤く染まっていた。
地面を文字通り泳ぐ異形は、ぼくたちを深淵に誘おうとしていました。
追いつかれれば異形の仲間入りをする危機的状況だというのに、ぼくの隣を走る秋野先輩は快晴のように晴れ渡った表情で喜びを全身で表しました。
「しばらくは安泰だよね!」
「言っている場合ですか」
冷静にツッコミを入れるぼくは上杉氷濃。
女子高生なのによく小学生と見間違えられます。
お昼寝と木刀を振るのが日課で趣味です。
「経験して初めて新聞は新聞になる!」
そして隣で呑気に瞳をキラキラさせているのが秋野結城先輩。
面白い、くだらないと称される新聞を創るのがモットーで、題材は現代に蔓延る怪異とそれに準じる政府が隠した秘密を撮ること。
世間に公表して知ってもらうとかそういう意図はないらしく、本当にあくまで趣味みたいなものとして発行しているそうです。
その割に実際に体験しないと味わえない感覚を描きたいそうで、本当の怪異に出会いに行くという面白い人です。
蓬莱高校入学初日、そんな秋野先輩に誘われたぼくは秋野先輩の瞳の奥で燃え上がる熱意に惹かれ、部員数ひとりの新聞部に所属しました。
元々何となく部活には入っておこうかなぁ感覚ではあったんですが、割と居心地が良いので居座っています。
さて、自己紹介はこの辺で良いでしょう。
現在の状況ですが、ぼくと秋野先輩は新聞のネタで撮りに来た怪異から逃げています。
いつも通りなら逃げ切ることができるのですが……、今宵は少し違ったようでした。
ガサゴソと茂みが揺れ動いたかと思えば、高校生くらいの背丈の丸みを帯びた女の子が飛び出しました。
制服にも巫女装束にも見える、二つの衣装が合わさった不思議な格好をした女の子。
「あだっ!」
その女の子は茂みから飛び出した勢いそのまま、ゴツンと顔から秋野先輩と正面衝突しました。
しかしそこは怪異から何度も逃げ切っている秋野先輩。
瞬時に手を突いて体勢を立て直し、ぶつかって来た女の子の腕を掴み引っ張り上げました。
「えっ? えっ?」
女の子は表情を困惑に染め上げると、怪異とぼくたちを見比べ、わけが分からないといった声を漏らしました。
ぼくは秋野先輩から送られる視線に首を振りました。
「速く逃げないと!」
ここで突っ立っていると判断したのでしょう。
秋野先輩は女の子の手首を取り、通ってきた坂を駆け下りようとします。
しかし女の子は大手を振って、秋野先輩の手を振り払いました。
そして自信に満ち満ちた顔で宣言しました。
「大丈夫です。私の用はあれなので」
女の子はぼくたちを庇うように、怪異の間へと割り込みました。
「同業者?! でも日を改めないと」
女の子は秋野先輩の忠告を無視して、虚空に五芒星を刻み込みました。
何やら九字と思しき呪文を唱え、手を正面に掲げました。
……これは?
「風?」
そう呟いて見せた秋野先輩の髪が、女の子の立つ方向へとたなびいていました。
えっと……何でしょうかこれ。
この女の子は天狗の親戚か何かなのでしょうか?
「さぁ、行きますよ!」
女の子を中心として突風がとぐろを巻き、いきなり怪異へと突撃していきました。
何か棒状の物を手にしているかのような手の形。
その手が縦に横に動くたび生じた風圧が刃となって飛んでいく。
目の前の光景が信じられないといった表情で秋野先輩は声を震わせ、女の子を指さしました。
「ねぇ氷濃……。あれ何なのか分かる?」
「さぁ……」
ぼくは首をゆっくりと横に振る。
五行とか陰陽道、日本の歴史について先祖からいくらか聞いた事はあります。
本当に神宿しと呼ばれる事象が起こるのも。
けど今回はまるで意味が分かりません。
今までこんな現象を起こすのは怪異しか知りません。
そういえば昔先祖から聞いたことのある、陰ながら異形を狩る組織?
戦いの最中、女の子が顔だけこっちに向けてくる。
「今ですよ!」
そういって見せた女の子は爽やかな笑顔で、期待に満ちた眼差しでぼくたちを見てくる。
もしかしてこの女の子……、ぼくたちが怪異と戦うためにここへ来たと思っているのでしょうか?
返すように秋野先輩は首から提げたカメラでぱしゃりと撮りました。
女の子は徐々に頬を引きつらせて言葉を濁らせていく。
「あのーー同業者さん……ですよね?」
「えっと、その、新聞部です」
「新聞部ーーーー!? やばいやばいやばい!! なんで一般人がこんなところに!?」
女の子が慌てた表情で戦闘の手を止めてしまう。怪異はその隙を見逃さない。
「下!」
秋野先輩が咄嗟に指摘するも間に合わない。
怪異が女の子の足をがっしりと掴んだ。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?」
女の子が声にもならないほどの絶叫を上げる。
万力の如く力で怪異の指が女の子の足に食い込んだ。
骨が折れるほどの音が森中に響き渡り、女の子は苦悶の声と共に嗚咽を漏らす。
息は絶え絶え、目からはとめどなく涙が零れ落ちていた。
それでも怪異は容赦しない。
怪異は地面へと潜り込み、女の子を地獄へと引きずり込む。
秋野先輩がぼくの肩を叩いてきました。
「お願い! 助けてあげて! 氷濃ならできるでしょ!」
ぼくは肩にある秋野先輩の手を離れさせ、ひとつ息を吐きました。
「またネタが消えますよ?」
「人命救助が最優先!」
ぼくを真っ直ぐと見る秋野先輩の目は言葉通りの意志を内包していた。
自分の新聞よりも、誰とも知らない他人を助けてあげたい。そんな想いが籠っていた。
ただでさえ今月、いえ毎月新聞部はノルマでピンチだというのに。お人好しですか。
――嫌いじゃないですけどね。
ぼくは背中に担いでいた刀袋の紐を解いた。
取り出したるは正真正銘、反りかえる刃を持つ真剣。ぼくは滑らすように柄を握る。
やることはただひとつ居合で振り抜く。
臭いが遠くなる。視界は怪異ただ一点に集中。他の四感も針のように研ぎ澄まされる。
怪異の気配が鮮明に描かれる。雑念は無に。心は空に。
そして一歩、瞼を閃かせ踏み込んだ。
――チッ
ぼくの抜刀術に余分な音は無かった。
勢いを殺すことなく振りぬかれた刀身は、まるで吸い込まれるように怪異の頭部を捕らえた。
怪異は霞となって消滅する。
「よいしょっと。終わりましたよ」
やはり音を鳴らすことなく、ぼくは刀を鞘に納めた。
それから目を瞑り、迎えるはずのない終わりに備える女の子の肩を叩く。
秋野先輩から刀袋を受け取り、銃刀法に引っかからないよう、しっかり紐で結んでからまた背中に下げた。
独特な瘴気の気配は既にない。霞に揉まれたかのように消え去っている。
ぼくは秋野先輩に声を掛ける。
「どうします?」
「焼肉!」
ヤケクソ気味に言ってくる秋野先輩。
せっかくの新聞ネタが白紙に変わっちゃいましたからね。いつも通り付き合いますよっと。
「……えっ? えっ? ……わたし生きてる?! あれ!? ……なんで!?」
ここまでの道のりは特に険しいわけではありませんし、このままほっといても問題ないですよね。
後のことは知らぬ存ぜぬです。
「待って、あの子を置いていけない!」
「もう怪異はいなくなりましたよ」
「そういうとこだよ。山道を女の子ひとりは危ないでしょ」
秋野先輩は女の子の肩に手を回した。
こうなるとテコでも動かないのを知っているので、ぼくも手伝うと致しましょう。
身長がまるで足りませんが……。
ちらりと覗く秋野先輩のカメラには、怪異が丸ごと消えた、不気味さを孕んだ森だけが映し出されていた。
* * *
この世界には怪異と呼ばれる存在がいる。
秋野先輩とぼくのペアはその摩訶不思議な怪異を取りに行く、オカルト新聞部である。
まだまだ知らない未知の神秘。そのすべてを治めて記事にするのがぼくたち新聞部。
そしてこの世界にはそんな怪異と戦う秘密の組織も存在している。
そんな怪異討伐組織と怪異たちに巻き込まれながらも、ぼくたちは神秘を新聞に描いていく。
……そうこれは、何か任務をこなしたり、普段から怪異と戦うことのない。
ぼくと秋野先輩による何でもない第三者の物語。