午前2時のヒーロー
昼夜逆転の生活と言うのは、やっぱりなかなか厳しいものがあって。深夜帯のこの場所と言うのはなんとなく危険な香りがする。
先輩、おみやげです。と、後輩の高橋が俺に袋を手渡してくる。腕に感じる重み。開けなくたって中身は何かわかってる。
それにしたって彼は後輩のくせに先輩を敬う気持ちがないのか。いくら自分がもう終業時間だからといって、見つけたのが自分ならそのまま処理してくれよ。よろしく、とわざわざこの見慣れた袋とホウキを俺に手渡す前に。
「どこ?」
三つ目のベンチ脇。と、俺の質問に冷やかな視線をそちらに向けた背の高い後輩は、わりと派手ですよ、と口端をあげて意地悪く笑った。
「…りょーかい」
俺はトボトボと人気のないホームを歩き、上り側の端へと向かう。三つ目のベンチへと。改札の前を通りすぎるとチカチカと蛍光灯が点滅した。
あぁ、これが嫌なんだ。まるでもうすぐ終わるんです、僕は死んでしまうんですよと、俺に訴えてくるようで。俺もこんな風にチカチカと、ヒーローの命が尽きる前のように、己のピンチを周りに知らしめながら惨めに死んでしまうんじゃないかと思わされてしまう。
以前それを意地が悪くて背の高いわりとハンサムな後輩に伝えたら、先輩って意外と面白いこと考えるんですね、もっと単純な感じかと思ってましたよ。と笑われた。高橋は顔は良いけど口が悪い。
そんなことを考えながら目的地に着くと、とっちらかったおみやげが俺を迎えてくれた。
「うぇ、何食ったか丸わかり」
俺は手に持っていた袋を逆さにして中身を出す。袋から出て足元に散ったおが屑は、所謂"おみやげ"の上に上手く着地した。
「この時間は客少ないんだしいっそのことはっきりゲロって言えばいいのに。隠語なんて使わなくても」
真夜中にブツブツ呟きながらおが屑を撒き散らしてホウキでゲロをかき集めている俺はさぞかし不審だろう。あぁ、良かった制服があって。これだけで俺はどこからどう見たって駅員なんだから。
じゃあ先輩俺あがります。と後ろから一息で言い切る高橋に、
「ほいよー」
と生返事を返す。
お疲れっした。と相変わらず敬語なんだか何なんだかわからない中途半端な挨拶を残してひらりとおが屑を舞わせて去っていく。
湿気を含んだ分のおが屑は俺の手により片付けられて、全ての汚れたおが屑がもう一度袋に収まった時、先輩一つ目のベンチに客が寝てます。ともう一度高橋の声がした。
「…マジ?」
と俺がたずねると、マジっす。とけだるそうな顔で彼が答える。
「終電終わってんのに…乗り損ね?それとも力尽きた系?」
さぁ、顔はまだ見てません。ほとんど他人事みたいな言い方で答える後輩は、明日のデートが楽しみで仕方がないようだ。早く帰りたいという気持ちを微塵も抑えることなく俺を見ている。
確かに高橋は今日、超過労働でかわいそうな立場ではある。しかしそれは別に俺が悪い訳じゃなくて松本先輩が、これが、これでさ!なんて鬼の真似をする引くほどベタな動きを添えて、仕事でろくすっぽ帰れない愛の巣へ急げと早めに仕事をあがってしまった為に(もちろん休暇届は出したけど)、高橋がその分の時間残る羽目になったんだから。だけどそれはそれ、これはこれだ。
「運ばなくちゃいけないかも知れないから、頼むよ」
俺が帰り支度をバッチリ整えている彼に伝えると、心底面倒くさそうな顔をして、はい、と呟いた。なんだかんだ真面目なのが高橋の良いところだ。
「お客さん!お客さん!」
ホームの下り側、一つ目のベンチ、厄介な酔っ払いはうつ伏せになって爆睡している。大の大人がその身をだらんと投げ出しているのだから、ひっくり返すのもなかなか力がいる。
「ちょっと!お客さん!」
あんたの家はここじゃないだろ!と唸る高橋に手助けをしてもらいながらその体を反転させる。
「悪い、駅員室に運ぶのも手伝ってくれ」
大人二人に両手両足を持たれ、エアーハンモックで眠る彼は、スピースピーという寝息の合間に時折、ンゴッと喉を鳴らしている。よくこんな状況で眠れるな、よっぽど酒をあおったのだろうか。憎らしくて睨んでやったが、よく見るとなかなかのイケメンだ。
あぁもし俺がこんなに格好良かったらこんな惨めな姿になるまで飲まないのにな。駅員室に戻ってパソコンとにらめっこしていた視線を酔っ払いの彼へと向ける。
この部屋まで彼を運んで寝かせたところで、じゃあ俺帰ります。と今度は断固とした口調で高橋が言った。
「あ、おい―」
と俺が呼び止めて振り返る前に、お疲れ様でした俺もこれがこれなもんで。と早口で捲し立て、振り向いたころにはまるで忍者のように既に姿を消していた。
「-は?おい高橋!!」
俺が取り残された孤独に大声を出すと、
『怒ら、ないで…』
とそれに答えるように酔っ払いが唸った。
ビックリして彼を見たがそれきり喋らない。それからというものこの酔っ払いは、スピーとンゴッの繰り返しでただ気持ち良さそうに眠っている。
「身分証確認しまーす」
と適当に抜き取った財布から運転免許証を拝借した。運転免許証の写真なんて皆いつもの2割増し不細工になるだろうにこの男ときたらまぁ爽やかだ。こんな小さなな写真からでもわかるキラキラオーラを持つ奴がどうしたらこんなベロベロになるって言うの?真夜中にゲロをかき集めている俺の方がよっぽど酒に溺れたいよ。
「世の中不公平だよな…」
スピスピうるさいイケメンを横目にパソコンに目を戻すと、スリープモードの黒画面が俺の顔を写し出す。
「はぁ…」
ため息をついた。別にこの顔そこまで嫌いじゃないけどさ。イケメンを見た後に直視するとまぁ現実ってこんなもんだよなって思う。切なさをはらんだままもう一度免許証に目を通す。
新城隼人。1986年…あ、俺と同い年じゃん。10月15日生まれ…あれ?誕生日明日?あ、いや違うもう今日か。え、こんな泥酔状態で誕生日迎えてんの?どう見ても幸せな酔い方してなさそうだけど。
俺はなんとなく悲しくなって、新城を見る。
「イケメンはイケメンらしく、陽の当たる道を歩いてくれよ…」
なんて身勝手な願望を口にすると、新城は突然涙を流して、
『かおり…行かないで…』
と嘆いた。
…マジかよ。
もしかして彼女と別れてヤケ酒?自分の誕生日前日に?
そりゃなんて、なんてむごい。
「泣くなよ…」
勝手に彼の思い出を想像して、勝手に彼の思いを感じ取って、勝手に彼に同情する。思わず彼の頬を流れた涙を指で拭ってやると、
『―かおり!!』
と言って飛び起きた。
ガバッという効果音がしっくり来る勢いで飛び起きた彼は、俺の左手をがっつり握りしめていて、ちょっと痛いくらい。あんまり勢いがいいので少しビビったけど冷静なフリをして聞いてみる。
「目は覚めましたか?」
『―え?…あ、え?』
突然の出来事に頭がついていきません、とその綺麗な顔に書いてある。でもそれはどっちかというと俺の方なんだけど。
「―そりゃまた、なんというか…」
彼になんと言っていいやら。暫くして現状を理解した彼に一言、
「お誕生日おめでとうございます」
なんてしょうもない言葉と免許証を返すと、
『ご迷惑をお掛けしたようで…』
と眉を下げて謝った。
俺はそこで彼をとっとと家へと返せばいいのに、好奇心か、老婆心か、
「あの…何か、どうかされたんですか?」
なんて質問をぶつけてしまった。
彼は目を丸くして驚いたが、先程よりも眉毛を下げて事の顛末を語りだした。
彼の語るそれは俺の想像したそれと幾分も違わなかった。まさに彼は誕生日前日に結婚秒読みの彼女にフられたわけだ。別れを告げられた理由もなんか、しっくりこない。
彼はどうやら、女性以外も視野に入れられるタイプであるようで。それを彼女に日常の何でもない会話で流れに乗ってさらりと告げたら、突如嫌悪感を丸出しにした彼女にこっぴどくフられた、ということのようだ。
理解できないとはねつけられて、彼はどんな気持ちだっただろう。
何か声をかけてあげたかったけれど、他人の俺がズカズカ足を踏み入れていい問題でもないだろうから、
「―そりゃまた、なんというか…」
が精一杯の返答になったって仕方ない。
なんの励ましにもならない俺の一言を受け止めた彼は言う。
『嫌な顔しないんですね』
「ー何がですか?」
俺が聞くと新城は爽やかな微笑みを俺に向けて、俺の事、気持ち悪いとか思わないんですか?とたずねてきた。
「…世界は広いですから」
今まで苦労をしたのだな、などと思うのは同情しているようで気が引けた。十人十色と言う言葉があるじゃないか。昔の人が昔から言っているのに、意外と浸透しないよな。
新城はあははとはっきりと聞き取れるくらい声を出して笑った。
『変わってますね』
「そちらこそ」
間髪入れずに返すと新城は目をキラキラと輝かせて、
『お名前、何て言うんですか?』
とご褒美を貰う前の犬のような顔で俺を見る。
「え?」
しがない駅員の名前なんか聞いてどうするんだ、と俺が疑問を浮かべる頃には、
『年はいくつ?』
『恋人はいますか?』
『俺の事どう思いますか?』
と立て続けに質問をぶつけてくる。
最初の質問にもまだ答えられていない俺は、待ての後のご褒美を楽しみにしている大型犬を見て、
「お客さん、今どういう状況かわかってます?」
ととりあえず聞いた。
『はい、なんとなく』
なんとなくって何だよ。
キラキラ楽しそうな彼はこの深夜帯にそぐわない。
『僕とあなたの二人だけです』
朝一番の太陽よりも眩しい笑顔で彼が言った。言われてみれば二人きりだ。いやいや、おかしい。もう田中先輩が来ていい頃だ。てか遅刻だろ。本当は松本先輩と、いや今日は高橋だけど。いやともかくその時間に交代するはずなんだから。
なんで俺一人なの?
『俺何か間違ってます?』
「いや正解です」
思考を巡らせる俺に彼が言う。むしろ田中先輩の事を思い出させてくれてありがとう。
『…良かったら今度飲みに行きません?』
「新城さん、」
屈託のない笑顔の彼の話を遮って、
「酔いが覚めたようならお帰りいただけますか?業務が残っておりますので」
いやその前に田中先輩に鬼電だな。
『電車はもう無いのでは…』
「タクシーなら走ってます」
『手持ちがなくて…』
淀みない攻防戦に、
「…意外ですね」
『何がですか?』
案外しつこい、とは言えない。
「彼女はもういいんですか?」
かなりエッジの効いたストレート1発。
鮮やかに放たれた俺のパンチは彼を途端に無言にした。
少しえぐかったかな。彼が怒ったら俺は勝てるだろうか?
運動神経には自信があるけど逃げるだけになりそうだ。背は俺と同じくらいだけどウェイトとパワーは彼の方が上だろう。
『…えぇ』
叱られた犬のような彼は呟く。
『正直俺にとって、性別なんてたいした概念じゃないんです』
うつむいたまま喋りだす彼を遮ることもできるが、それをするには気が引けた。
『俺にとって大事なのは、ありのままの俺を受け止めてくれているか、どうかで…』
ポツリポツリと話す彼は先程よりも一回り小さく見えた。
『あり得ない、と思うのはいいんです。人それぞれですから。けれどそれを、そのまま跳ね返されてしまうと…心臓が、潰れてしまいそうになるんです』
正直そんなことじゃ心臓は潰れないけどな、なんて思う俺はダメな大人になったもんだ。
『理解してもらえなくてもいい、だけどそれでも、一緒にいてくれる人がいいんです』
随分わがままだ、そう思うけれど気持ちはわからなくもない。
「相手の気持ちは理解してあげれるんですか?」
『え?』
あぁ、言っちゃった。なんでかなぁ俺、この人にさっさと帰って欲しいはずなのに。
「ありのままの自分を受け入れて欲しいのは、みんな一緒ですよ」
『俺は…受け入れてきたつもりです。合わないところもあったけど、きっと彼女もそうだと思ってたし…だけど昨日の事は、どうしても許せなかったんでしょうね』
まぁ、そうなんだろう。人の逆鱗というのはそれぞれで、何がきっかけかはバラバラだ。なんとなくだけど、この人のそれは"自分を跳ね返された時"なんじゃないだろうか。
「そうかも、知れませんね」
俺はこの部屋で誰となんの話をしてるんだ一体。田中先輩まだ来ないのか、高橋は明日どこに行くんだろう?そんなしょうもない疑問ばかりが頭に散らばる。
『すいません、俺…』
まだ酔ってるみたいです、と新城はばつが悪そうに微笑む。
『帰ります、俺。変なことばかり言ってすみませんでした』
突然吹っ切れたような彼が立ち上がった。
「歩いて帰るんですか?」
『いえ、タクシーでも捕まえます』
さっきは手持ちがないって言ってたのに、と表情にだだ漏れている俺の顔を見て、
『すいません、構って欲しくて嘘ついちゃいました』
またばつが悪そうに笑った。
綺麗な彼の笑顔には微かに切なさが滲んでいる。俺はそれがなんだか無性に悲しかった。
世の中は不公平なはずだろ?
そうじゃないと困るよだって、俺はそう言い聞かせてなんとかうまくやってるんだもん。そうやって自分を保ってるんだから。仕方ないって、言い聞かせて。イケメンにはイケメンの、ヒーローにはヒーローの、しがない駅員にはしがない駅員なりの人生を歩んでもらわなきゃ。
俺は『じゃあ失礼します』と部屋を出ていく彼をとっさに呼び止める。
「新城さん!」
『―っはい?』
「今週の木曜日なら、大丈夫ですよ」
目を見開く彼に言った。
『―え?』
「飲み、木曜の夜なら」
目を丸くしたままの彼に、
「その誘いも嘘でした?」
あぁ、俺はなんでこんなことを言ってるんだろう。おかしいな、今日はおかしい。夜勤もゲロ掃除もイケメンへのささやかな劣等感もいつもの事なのに。まぁ独りぼっちは想定外だけど。
あのチカチカと点滅する蛍光灯がまだピンチをアピールしている。
彼はその下に立って、俺を見つめている。チカチカと点滅していた光の間隔が遅くなった。その点滅に合わせるかのように彼はこちらに歩いてくる。
俺、寂しいのかな。あとなんか、嬉しいのかな。よくわかんないけど、きっと、そうなのかもな。
『これ…俺の連絡先です』
スッと差し出された紙を見ると、働く男、って感じの名刺が一枚。
「あ、はい」
視線を落としていた名刺から顔をあげると、びっくりするくらい幸せそうに笑ってる。
『俺、必ず連絡しますから…連絡先教えてもらえませんか?』
「あ、はい。えっと―」
唐突に心臓が高鳴り始める。
なんで?やっぱりなんか変だな今日は。慌てて携帯を取り出して、番号を読み上げようとするけど、
『その前にまず、』
と新城さんは俺の手をつかんだ。
「へ?」
『お名前、何て言うんですか?』
あれ、そうか俺まだ言ってなかったっけ?あぁ、名札も、つけ忘れてる。
「…あ、橘です」
俺が複雑な面持ち(だっただろう)で自己紹介をすると、
『橘さん』
と微笑んだ彼の後ろで、死にかけていた蛍光灯の灯りがまたついた。
まるでヒーローがもう一度立ち上がって、世界を救う時のように。