沢山買えて、良かったね
「沽券だなんて、随分と難しい言葉を使われるようになって、エーコは感激しています」
「そうだ、この本の筆者は誰だろう。それが分かれば、問い詰めて、改訳版を出させれば良いかもしれない」
勝手に眼を潤ませ感激しているエーコを無視して、ベィミィは本の表紙を見た。表紙の右下、控え目に黒字で作者の名前が書かれていた。
『フレクスズ作』
「フレクスズ?うーん、記憶にないなぁ」
ベィミィは本をよく読む。古今東西、色々な本を仕入れては読み漁ったが、フレクスズという作者は初めてである。
「ねぇエーコ、この本は町で売られていたのでしょ?」
「はい、ボンスにある城下町で購入しました」
ボンスはこの館より約三里南の所にある都市である。何か必要になった時によく館の使い魔をやり、買い物に行かせる場所だ。エーコはこう見えて侍女長なので、料理の腕は一級品である。出掛けるのも好きなので、自ら食材を物色しに行ったりする。彼女は今朝方ボンスの城下町へと買い物に向かい、ついさっき帰ってきたばかりだった。
「それで、この本は沢山あったの?」
「それはもう山のようにございました。本の周りに人だかりが出来ていて、私も買うのに苦労しました。でも、おかげで沢山買えて満足です」
「はぁ、そんなにあったんだ。しかも人だかりって…もうボンスの都市中に、この本の内容が知れ渡っているという事かな。ん?」
エーコの言葉に引っ掛かる所があって、ベィミィは聞き返した。
「沢山買えたって、どういう事?」
「だって、お仕えするベィミィ様の本が売られているのですよ、とても一冊では足りません。幸いベィミィ様から頂いた魔法の巾着に幾らでも入りましたので、お金の許す限り買わなければ、それが私の使命だと、熱く思った所存です」
「え?何冊買ったの?」
「百冊です」
頭が痛くなって、ベィミィは額を手で押さえ付けた。なんで同じ本を、しかもこのような本を百冊も買ったのか。きっと彼女は言い付けた食材も買わずにこの本にお金を全て使ってしまったのだろう。聞かなくても、分かる。
「ご安心ください。百冊買ったところ、なんと一冊おまけで頂きました」
それがこの一冊です。と自慢げにエーコは語る。何も、安心できなかった。さらに嫌な予感がする。
「…で、残りの百冊は?」
「それはもう、この素晴らしい本をこの館の皆様にも共有したく、侍女達を総員させて、皆様に一冊、一冊、配らせました。この館の全員には残念ながら今は届きませんが、それは読み終わったものから借りるしかありません。でも、何れは全員に行き届くようにしたいので、本屋さんには注文済みです。ですから、心配いりませんよ」
目の前が真っ暗になった。どうしてこんな恥ずかしい本が、館中に配られるのか。ベィミィはこの館の主なのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのか。