第八話 野盗
「誰だっ!」
野盗の野太い声があたりに響いた。表へと様子見に来たのは三人の男で、よほど慌てて出てきたのかその内の一人などは半裸のような状態である。そんな彼らが目にしたのは、社の入り口の床を踏み抜いて狼狽えている一匹の鬼だった。
「あ、兄貴! こいつ角が生えてますよっ!」
「馬鹿野郎、びびってんじゃねえ! こっちは三人居るんだ。化物の一匹や二匹、何てこたぁねえ!」
野盗達はアガラの姿に一瞬驚いたようだったが、刀や斧などそれぞれ自分の得物を持つと、足がはまって動けなくなっている彼女のことを取り囲む。そんな野盗達を威圧する意味も込めたのかアガラは床をさらに壊すような乱暴さで足を引き抜いて不敵な笑みを浮かべてみせた。
「……面白い。汝らのようなただの野盗が鬼であるこの我に立ち向かってくるとはな!」
「ひぃ!!」
野生の獣のような特有の荒々しさを持ち合わせるアガラの恫喝を受け、野盗の口からは悲鳴が漏れた。彼女は野盗達が怖気付いた隙を逃さず、一気に距離を詰めるとそのまま力任せに腕を振るった。攻撃を受けた野盗は、辛うじて刀を前へと突き出すことができたが、与えられた衝撃を受けきることなど当然できずそのまま吹き飛ばされてしまい境内に生える大木に激突する。
野盗の持っていた刀はぐにゃりと曲がり、本人は血反吐を吐いて気絶した。
「くははっ。どうだ、我の力思い知ったか!」
「ざけんじゃねぇ!!」
一撃で野盗を沈め上機嫌のアガラに、別の野盗が斧を振りかざしてくる。しかし、彼女は難なくそれを受け止めると逆にその野盗の頭をつかんで社の床に叩きつけた。仲間の体が床へと突き刺さりぴくりとも動かなくなったのを見て、一人残った野盗は恐怖のあまり手に持っていた刀を落としてしまう。
あまりにも呆気なく仲間を蹴散らした化物に、手向かおうとする気概も、もはやなくなった野盗はへたへたと腰を抜かしてその場に座り込んでしまった。
「……あー」
そんな情けない野盗の姿を前にして、さすがに少し暴れすぎたかとアガラは気疎そうに頭を掻いた。夜の冷たい空気の中で冷静さを取り戻した彼女には先程までの荒々しさはなかった。
思いのほか野盗の数が少なかった上に一人一人の手応えが無さ過ぎたため、ボウタケマルの分の盗賊を残しておくことができなかったことについて残念に思いながら、アガラは残った野盗へと手を伸ばす。へたり込んで蚊の鳴くような声をあげている男は、ふん捕まえて村へと連行すれば良い。そうすれば村人達も山神の正体に気付き、正体の分からない者に恐れる日々を送ることもなくなるだろう。
彼女が盗賊の服に手を掛けたとき、背後から寝ぼけたような男の声が聞こえた。
「おやおや、こりゃあ一体全体どうしたもんかね?」
「お、親分っ!!」
戸惑うアガラとは対照的に野盗の男は安堵したような声を上げた。
おそらく彼女の背後にいる声の主は野盗達の仲間なのだろう。野盗が親分と呼んでいるから彼らの元締めなのかもしれなかった。何にせよ背後から攻められるのはまずいと判断したアガラは、素早く後ろを振り向いて攻撃の態勢に移ろうとする。しかし、声の主はそれより早く彼女の腹部へ強烈な打撃を食らわせた。
強い衝撃を受けたアガラの体は、本来であれば先に彼女の攻撃を受けた野盗の男と同じように吹き飛んでいるはずだった。しかし声の主は、打撃を繰り出すのと同時に彼女をしっかりと押さえつけていたものだから、吹き飛ぶことで少しは分散されるはずの衝撃もそのまま強く深く彼女へと叩き込まれることになった。野盗の男達より余程頑丈なアガラの体であってもたまったものではない。彼女は短い悲鳴を上げてその場に倒れ込んでしまった。
「…………うぐっ、ぁっ」
「おや、まだ意識があるみたいだな。おい、お前ら!」
「へい! 親分」
親分と呼ばれた男の後ろには、別の男達が二人立っている。姿格好はアガラと対峙した男達と似たようなものであり彼らも野盗の一員のようであった。
「暴れないように縄で縛っておけ」
「わかりやした!」
野盗達の頭目の重い一撃で、体が思うように動かないアガラを手下の男達は荒縄できつく縛っていく。不意に彼女は堂にいた狼が縛られ放っておかれたことにひどく腹を立てていたことを思い出した。ただし、アガラ達と違って野盗達は縛った相手を放っておいてはくれない様子だ。しばらくするとアガラはすっかり手足を縛られ囚われの身となった。
「やれやれ、ちょっと留守にしてたらとんでもない有様だな。……それにしても村から生け贄が来るのは明日の夜のはずだろう? なんだって村の連中はこんな娘を寄越してきたんだ?」
社の床に頭から派手に突き刺さっていながらも,床自体が古く崩れやすくなっていたおかげか気絶だけで済んでいる手下や、手にはひしゃげた刀を持ち社から少し離れた境内の木に寄りかかるようにして同じく気絶している手下を見て頭目の男はそうぼやいた。彼は社の留守番をしていて唯一無事のへたり込んでいる己の手下へと声を掛ける。
「……いえ、それが村とは関係ないただの化物……というか鬼みたいでして。村では明日の生け贄のためにいつも通りに祭りをしてたみたいですぜ。ちゃんと笛の音や太鼓の音がこの社まで聞こえてきましたもんで……」
「そうか。まあ、それなら良いんだけどね」
むしろ生け贄の来る前の日に、鬼などという化物を捕まえてしまったのは僥倖だと頭目は朗らかに笑った。化物に一切動じない己の頭目に対し、へたり込んでいた野盗は頼もしさを感じるとともになんだか空恐ろしくなった。
☆☆☆
社の中は燭台に灯る火によって妖しく照らされていた。部屋に浮かんだ影法師が誘うようにゆらゆらと揺れている。
「…………むっ……んぐ……ぐぇ」
縛られて身動きの取れないアガラは、頭目に首を押さえつけられ赤黒い液体を浴びるように飲まされていた。そのせいで、彼女は川や海にいるわけでもないのに溺れそうな思いをしている。
「どうだい? 商人から奪った舶来品の酒なんだがどうにも口に合わなくてね、たくさん余っているんだ。鬼にはどう感じるんだろうね」
そう言って頭目はアガラから手を離す。急な解放と同時に彼女はむせかえった。きつく縛られていたため体を支えられずにそのまま倒れ込んでしまう。ヤマブドウを腐らせたようなひどい味の液体を大量に飲まされたせいか体には力が入らず、本来であれば引きちぎってしまえるような縄も今はきちんと彼女の四肢を拘束することに役立っている。
頭目は倒れたアガラの頭へさらに舶来の酒を浴びせかけた。
「……よくそんな鬼の近くにいてへいきですねぇ親分。俺なんか縛られてると分かってても近づきたくないですよ」
野盗の一人がそう頭目へと声を掛けた。もっともその野盗は、アガラに殴られ気絶していた男だったので彼女の恐ろしい印象が強く残っているのかもしれない。
「いやいや、なかなかどうして美しいじゃないか。鬼と言ったら山姥とかそういった姿ばかり想像していた身からすれば驚愕だよ」
「……はあ。まあそういうもんなんですかねえ」
頭目の言葉に野盗は頭をひねった。捕らえた鬼はたしかに美しいかったが、やはり恐ろしい化物だ。そんな化物を恐れず、逆に責め苛む頭目は、野盗にとって底の知れない人物だったが、味方として一緒にいる限りは安心して良さそうだと胸をなで下ろす。
しかし突っ伏していたアガラが笑いをこぼすと、そんなつかの間の安心は消え去り野盗は恐怖で体を震わせた。
「…………ククッ。馬鹿め」
「なに?」
囚われた鬼の呟きに頭目は眉をひそめる。突っ伏していたアガラは、ゆっくりと顔だけを上げて彼を睨み付けた。ぬるりとした赤黒い液体で濡れそぼった彼女の姿は、獲物を仕留めその血で顔を汚す肉食獣の様にも思えた。
「……汝らに明日なんぞ来ぬわ」
そう言って凄惨な笑みを浮かべるアガラに頭目は舶来の酒をぶちまけた。