08 オーバーヒート
この世界の調教師というのは、従えているペットが強力なほど、または希少なほど地位が上となる。
小等部であれば、犬や猫などの、どこにでもいて御しやすい動物。
コウのいる中等部であれば、多少バリエーションが増えて、動物園にいるような動物。
高等部ともなれば、希少な動物や、なかには低級モンスターを従えている者もいる。
そこから上のプロの冒険者ともなると、精霊や使い魔や、中級以上のモンスター。
さらに上の達人ともなると、ドラゴンなどの上級モンスター。
教科書に載るような伝説級の調教師ともなると、天使や悪魔、神獣をも従えることができるという。
しかし今日、『アーネスト第一学園』の調教師クラスに転入してきたコウ少年に連れ添っていたのは……。
動物どころか、犬や猫ですらない……。
ママっ……!
ただの、肉親っ……!
犬や猫であっても、最弱のモンスターくらいであれば倒せる。
しかし、まだあどけなさすら残し、おっとりしていそうな彼女は……。
スライムどころか、料理で使う包丁で、自分の指を切ったくらいで失神しそうな……。
いかにもか弱い、お姉ちゃんママっ……!?
しかし注目度に関しては、伝説クラスであった。
天使を従えた調教師が来たかのように、クラスメイトたちはコウ少年をチラチラと見ている。
『ママチェア』に座り、世界一柔らかいヘッドレストに頭をあずけていた少年は、視線を感じて顔を伏せていた。
この人いきれにも少し慣れたが、見られるとまだ恥ずかしいようだ。
クラス担任のジャンガリアン先生は、問題児が増えてしまったかのような戸惑いを感じていたが、始業のベルに背中をお押されるように、口を開いた。
「え……えっと、じゃ……じゃあ、1時間目の授業は、『調教師の歴史』です。えーっと、教科書の5ページ目。ドラゴンを従えた偉大なる調教師について、勉強していきましょう」
ママはピカピカのランドセルから、真新しい教科書とノート、そして筆記用具を取り出し、机の上に広げた。
こうしていると、主婦というよりも完全に女学生にしか見えない。
ちなみにランドセルは新たに買ったものではなく、屋敷にあったもの。
ママはコウを抱っこして学園生活を送るつもりだったので、両手が自由になる鞄が良いと思ったためである。
……ママはコウがまだ幼い頃には、コウが学校に通うことがあるだろうと、通学に必要なものはひととおり揃えていた。
図書館にあった『はじめてのがっこう』も同様の理由から定期購読していたのだ。
しかしコウが大きくなるにつれ、親バカ度が加速していき、
「コウちゃんが危ないお外に出るだなんて、とんでもない! コウちゃんはずっとこのお屋敷で、ママと一緒にいるのが幸せなんです!」
危険ともいえる思考に到達。
世間との繋がりを立った屋敷で、14年間も子育てを続けていたのだ。
しかしそれも、つい数日前までの話。
制服のママはいくぶん若返った気持ちでもあったが、心は老いたようであった。
「コウちゃんもついに、学校に通うようになったのね……」
そうしみじみつぶやくと、目頭が熱くなる。
「どうしたの、ママ?」
「ううん、なんでもないの。ママといっしょに、いっぱいお勉強しましょうね」
ママは王子様の教育係のように、当然のように教科書を手に取り、我が子の見やすい位置へと持っていく。
そして授業の進行にあわせて、同時通訳のように……。
いや、ヒザに園児を乗せた保母さんが、絵本を読み聞かせるように、
「ドラゴンさんを従えている調教師さんは、いま50人ほどいるんでちゅよぉ、50というのは、10個のリンゴが入った箱が、いつつあるということでちゅねぇ~」
やさしさで包み込むような声で、耳元でささやきかける……!
教科書のページをめくるのも、要点をノートにまとめるのも、ママが……!
この状態は、母子にとっては珍しいことではない。
全部ママにやってもらうことを、『全ママ』という略語で呼んでいるほどに、日常なことであった。
まるで睡眠学習のような、全自動……!
恐るべしっ、『全ママ』……!
この、石油王の息子でもなし得ないような、驚愕の勉学の姿勢に、下々の者たちも授業そっちのけ。
「お、おい、見ろよ……!」
「あの転入生、ママに教科書を読んでもらってるぜ……!」
「しかも、ノートまでママが取ってる……!」
「っていうか、実技ならともかく、座学を手伝ってくれるペットって何だよ!?」
「なんか完全に、ふたりだけの世界を作ってない……!?」
「うん、あのママ……まるで赤ちゃんに話しかけるみたいに、すっごいやさしい声で……!」
「あっ、今、頬ずりした! 『よくできまちたねぇ~!』だって!」
「本当になんなんだよ、アイツらは……!?」
仲睦まじい母子に、気が気でないクラスメイトたち。
なかでいちばん、釘付けだったのは……。
隣の席にいる、マスターゴリラであった。
彼はママが『ママチェア』形態になってからというもの、魂を抜かれたように呆然としていた。
マスターゴリラが今まで多くの者たちに与えてきた、椅子破壊の洗礼……。
それを受けた者のリアクションは、様々であった。
大半は先生にすがり、席替えを申し出……。
なかには突然泣き出す者もいた。
たまに殴りかかってくる骨のあるヤツもいたが、机ごと丸めて外に放りだしてやった。
多くの戸惑いと泣き顔、そして怒りと苦悶をつみかさねてきた、猿山の大将にとって……。
ママはまるで、その遙か上空に現れた、太陽……!
「あなたがゴリラちゃんね。隣同士、コウちゃんにやさしくしてあげてね」
春日のうららかな日差しのような、心まで染み入るあたたかい微笑みは、ゴリラ少年の冷たくなっていた心をあっという間に溶かした。
少年は忘我の極地にいたが、心は誰よりも叫んでいたのだ。
――う……うほっ……! こ……こんな……!
こんな母ちゃん、いるわけない……! いるわけないだろっ……!
こっこんな……! こんなこんなこんなこんな……こんなっ!!
やさしくて可愛くて、若くて綺麗で、髪も肌もすべすべで、オッパイがでかいのに華奢で……!!
近づくといいニオイがして、声まで透き通っていて……!!
こんなの……母ちゃんじゃなくて、女神様じゃねぇかっ……!!
……うほぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーっ!!!!
ママが息子にほおずりしていると、ふとした拍子に彼と目が合った。
ママは何かを思い出したように、彼のほうを向くと、
「あっ、そうだ、ゴリラちゃん。さっきはコウちゃんが座るのに邪魔なものを片付けてくれて、ありがとう」
……パァァァァァァァ……!!
その、まばゆいほどの微笑みは、ゴリラちゃんの心を、溶かすどころか……。
沸騰させ、それどころかオーバーヒートまでもを一気に通り越し、
……ドッ!
ガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーンッ!!
粉々に、破壊していた。
コウ少年とママの学園生活が始まった…ところで、ここでいったん完結とさせていただきます。
元々箸休めのために書きはじめたお話だったので、5話くらいでひと区切りつけるつもりでした。
気が向くようなことがあったら、続きを書きたいと思います。




