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07 ママチェア

 転入生の登場というのは、学校生活におけるイベントのひとつである。

 といっても、教室の空気を入れ換える程度の、ささやかなものなのだが……。


 此度(こたび)あらわれたその者は、嵐を呼ぶ風雲児……!

 まるで百戦錬磨の喧嘩番長がやってきたような、騒乱をクラスにもたらしていた……!


 担任であるジャンガリアン先生は困ってしまい、おろおろと鎮めようとする。



「み……みんな、静かに……静かにしてくださいぃ!」



 気弱な彼女なりに、大きな声を振り絞ってみたものの、まったく静まらない。

 しかし、



「みんな、コウちゃんがびっくりしちゃいまちゅから、静かにしなきゃダメでちゅよぉ~、し~っ……」



 立てたひとさし指で歯を鳴らす、転入生のささやきには、



 ピタリッ……!



 と水を打った。

 赤ちゃん言葉の女子高生は、転入早々このクラスの空気を支配しつつあった。


 しかし当人はいたってニコニコ。

 菩薩が微笑んだらこんな感じになるだろうな、という慈愛に満ちた笑顔を振りまいている。



「はぁい、コウちゃんのために、静かにできまちたねぇ~偉いでちゅよぉ~」



 ママはさらに「ほら、これを見て」と、白くほっそりした指先で、自分の胸元を示していた。


 指だけでも生唾を飲み込む者がいるというのに、その先にあるものはさらに魅惑的。

 むにゅりと押し出され、華奢な肩まではみ出したソレには……少年の手が、形がわかるくらいにきつくめり込んでいいた。



「コウちゃんが、ママのおっぱいをギューッってしてるでしょ? これはコウちゃんが『こわいこわい』と思っているのよ」



「い……痛くないんですか?」



 そう小声で尋ねたのは、隣で覗き込んでいたジャンガリアン先生。


 彼女は小柄なわりに胸があったので、昔はそれを悪ガキたちから掴まれるというイタズラに晒されていた。

 不意打ち気味にやられると、痛さと怖さのあまりにぺたんと座り込んで、わんわんと泣いたものだ。



「うん、コウちゃんの『こわいこわい』は、とってもコウちゃんの心が痛くなるの。ああ、可哀想なコウちゃん……。よちよち、今日はもう帰りまちょうねぇ~」



 しかしコウ少年はママクッションに埋めたままの顔を、ふるふると左右に振る。

 彼女の制服のブラウスで、恐怖を拭うように。



「んまぁ……! まだ、ここにいたいの? そんなにお勉強がしたいだなんて……偉いわぁ、コウちゃん……!」



 転入早々、ふたりだけの世界を見せつけられ、クラスメイトたちは固まったまま。

 辛うじて先生だけが、その状況にツッコミを入れる。



「あ……あの……。そうではなくて……そんなに胸を強く掴まれたら、ママさんは痛くないんですか?」



 ママほどではないが、先生も天然だったので、ツッコミはやや的外れであった。



「ううん、コウちゃんにおっぱいをギューッってされると、コウちゃんの痛みがほんの少しでも伝わるでしょう? それって、とっても有り難いことよね? だって、コウちゃんがどれだけ『こわいこわい』してるのがわかるから、早くなんとかしなきゃ、って思うことができるし……」



 そしてママの回答についても、常人では理解できぬほど的外れであった。

 先生も、「そ、そうですか……」と答えるので精一杯。


 彼女は額にタラリとひとすじの汗を浮かべながら、クラスを見渡す。



「え、えーっと……そ、それじゃあ、コウくんとママさんの席は……。あそこにある、マスターゴリラくんの隣ということで……」



 すると、ざわめきが再燃した。



「ご、ゴリラの隣かよ……!」



「よりにもよって、このクラスいちばんのワルの隣とは……!」



「あそこって、ずっと空席だったんでしょ?」



「ああ、隣のヤツがあまりにもゴリラに殴られて入院するものだから、ずっと誰も座りたがらなかったんだ!」



「先生は新人だから、そのことを知らないのね……!」



「ああっ、ママさん、かわいそう……!」



 噂のマスターゴリラの席は、教室の一番後ろの窓際の席。

 いわば『不良席』だった。


 そこには、ゴリラのような巨漢が座っている。

 そしてペットスペースには、彼と双子のような、ゴリラそのものが立っていた。


 完全なる、ゴリラコンビ……!

 まさにゴリラ・ゴリラ・ゴリラ……!


 彼らは気に入らないことがあると暴れだすので、窓のガラスは割れ、壁はボロボロになっている。

 まわりのクラスメイトも巻き込まれまいと、席を詰めて距離を取っているほどであった。


 そんな、檻のない猛獣たちの空間に……。

 華一輪のような少女が、生贄のように差し出されようとしていたのだ……!


 まともな母親であれば、先生に抗議して席替えを申し出てもおかしくない場所であった。

 しかしママは、強かった……!


 彼女は「はぁい」と軽やかに返事をすると、ふわりと教壇を降りる。

 腕に息子を抱っこしたまま、クラスメイトの間を通り抜け、教室の隅へと歩いていく。


 その姿は、花びらを舞い散らしているかのように、美しかった。

 開かれた窓から吹き込んだ風に、柔らかな髪がなびくと、甘い香りが教室いっぱいに広がる。



「ふわぁ……!」



 薫香に、誰もがウットリ。

 しかしこのクラスいちばんの問題児は、そうではなかった。


 彼はアゴで、ペットのゴリラに命令する。

 ゴリラは隣の空席にあった椅子をむんずと掴むと、ぐしゃぐしゃと握り潰し、ベランダに放り捨ててしまった。



「お前らの座る場所、なくなっちまったなぁ! うほっ! うほほっ! うっほっほっほっほっほっ!」



 マスターゴリラはペットと一緒にウホウホと笑っていた。

 しかし、それを上書きするような無垢な笑顔が近づいてくる。



「あなたがゴリラちゃんね。隣同士、コウちゃんにやさしくしてあげてね」



 ママはそう言うと、椅子のなくなった机の前に立つ。

 尾てい骨のあたりから、しゅるしゅると犬の尻尾を生えさせると、床に向かってピーンと立てた。


 その尻尾を支柱にするかのように、シットダウン……!

 空気椅子のような座り方のそれは、ママの得意技のひとつである、『ママチェア』……!


 愛息専用の、椅子であるっ……!



 ……ざわっ……!



 教室は、戦慄に包まれていた。


 クラスいちばんのワルは、嫌がらせと脅し、そして新入りへの挨拶がわりとして椅子を破壊した。

 しかし、転入生は眉ひとつ動かさず……。


 いいや、正確にはママを動かして……。

 新しい椅子を、作り上げてしまったのだ……!


 しかも極上の座り心地を誇る、王様の椅子を……!



「す……すげえっ!?」



「普通はあのダブルゴリラを見ただけで、どんなヤツでも縮みあがるはずなのに……!」



「ダブルゴリラにあんな嫌がらせをされても、ちっとも驚かないだなんて……!」



「しかも……へ、平然と……! ま、ママに……! ママに、座りやがった……!」



「ママを、椅子にしちゃうだなんて……!?」



「あの子、いったい何者なの!?」



「あ、あれが、マママスターだっていうのか……!?」



「どうやら、マジで……! マジでヤベぇヤツが、この学園に来たみたいだぜ……!」

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