01 コウちゃんとママ
その日、コウとママは、連れ立って屋敷の探索へと出発した。
ふたりが住んでいる屋敷はとても広く、贅を尽くした作りになっている。
世界中の豪邸がひとつに集められたかのような、『王様のマンション』であった。
使用人などはおらず、ふたり暮らし。
地平線まで続いていそうな長い長い廊下を、足早に進むコウ。
天井のホワイトシャンデリアは、キラキラの魔法がかけられたマジックシャンデリア。
きらめく光の粒子が降り注ぎ、あたりにダイヤモンドをちりばめたかのように彩っていた。
愛しの我が行く道には、キレイなものでいっぱいでありますように、というママからの祈りである。
踏みしめるレッドカーペットは、ふかふかの魔法がかけられたマジックカーペット。
転んだ場合にはトランポリンのように柔らかくなって、膝小僧ひとつ擦りむくことはない。
愛しの我が子が転ぶことなく、また転んでもケガしませんように、というママからの祈り……。
というよりもかなり具体的な配慮であったが、それでもママは不安であった。
彼女はコウのすぐ後ろを、過保護な使用人のように追いかけている。
転ぶより前に助けられるように、手をさしのべながら。
少しでもバランスを崩す気配があったら、「あぶないっ!」と抱きかかえられるように。
そんな『母の見えざる手』を背後に従え、コウはずんずんと廊下を進んでいく。
少年はまず、図書館を目指した。
馬車も通れそうな、巨大な両開きの扉に立つ。
鍵穴に、ママからもらった金の鍵を差し込んで捻ると、軋む音ひとつ立てずにスーッと自動で開く。
奥にはドーム球場のような空間が広がっていて、巨大迷路の壁のような本棚が居並ぶ、世界最大の図書館となっていた。
「コウちゃん、ママといっしょに絵本を読みまちょうねぇ~」
ママは図書館に入ってすぐのキッズコーナーに、コウを誘導しようとする。
「ほら、これなんてどう? 新しい絵本よ。ママが川からどんぶらこ~どんぶらこ~と流れてきて、そこから生まれたコウちゃんが、ママを連れて『ママヶ島』を目指して旅するお話よ。コウちゃん、冒険モノの絵本が大好きでしょう?」
「ママのオリジナル絵本はもういいよ。それよりもこっちの絵本を見て、ほら」
息子が差し出してきたのは、乳離れをテーマにした絵本であった。
4歳の子供が紆余曲折をへて、ママのおっぱいを卒業する話である。
「この絵本だと、4歳でも遅いって書いてあるよ? それなのに、ボクは14歳の誕生日までママのおっぱいを飲んでたんだ!」
「ん……んまあっ。そ……それは嘘よ。ママのおっぱいは完全栄養食だから、14歳になっても飲んでいいものなのよ」
「……ほんとに?」
「うん、もちろん。それに10秒チャージで2時間キープできるから、忙しい朝にもピッタリなの」
ママはエネルギーがたっぷり詰まっていそうな胸をゆさっと持ち上げ、
「……10秒チャージ、する?」
期待を込めた上目遣いをコウに向ける。
「ううん、さっき冷蔵庫のを飲んだからいい。それにもう決めたんだ、この絵本の子みたいに、ボクもママのおっぱいを、『ママから飲む』のは卒業しよう、って」
「んまあっ!? そ、そんな……! コウちゃんがママのおっぱいを卒業する歳は、ママがちゃんと考えてあるのに……!」
「ほんとに? それっていつなの?」
「コウちゃんが60歳になった時よ」
なんとこのママは、還暦まで息子に授乳するつもりでいたのだ……!
しかも、仮にここで約束したところで、年金のように75歳まで引き伸ばす算段まですでに用意しているという、周到さであった……!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
図書館を出たコウは、新たなる知識を仕入れてイキイキとしていた。
それはママとしては嬉しくあったが、悲しくもあった。
最愛の息子が本を1冊読むたびに、どんどん自分から離れていくような気がして……寂しかったのだ。
彼女は当初、図書館への施錠だけではなく、ママオリジナルの絵本を除いてすべて焚書してしまうことも考えた。
彼女の力を持ってすれば、アメリカ議会図書館を遙かに凌駕する蔵書ですら、一瞬にして灰にできる。
でも……できなかった。
もし本がなくなったら、息子が悲しむかも……。
そう思うだけで、コウの涙ぐんだ顔が頭の隅によぎるだけで……。
ママは身を引き裂かれるような思いに、苛まれてしまうからだ……!
ちなみに過去、庭を出た時にコウを驚かせた蜘蛛がいたのだが、ママはその品種を庭からどころか、屋敷のある付近一帯から絶滅させたことがある。
我が子が嫌がるものは、この世に存在してはならない……。
全身全霊を持って、滅殺する……!
それが彼女の信念なのだ。
さて、そうこうしているうちに……。
コウは今まで入ったことのない、施錠されている扉を選んで鍵を差し込んでいた。
上品なドアマンが、うやうやしく招き入れるように開いた、扉の向こうは……。
ホテルのスイートルームのような部屋だった。
「ここは……?」とコウが尋ねると、
「ここは、ママのお部屋よ。ママも入るのは、久しぶりだけど」
コウ少年が生まれてからは、ママはずっと子供部屋で暮らすようになった。
そのためママ自身も、この部屋に入るのは14年ぶりだった。
部屋の中を見て回ったコウ少年が、興味を示したのは……天蓋つきのベッドであった。
「ママ、これは何?」
「これはね、ベッドっていうのよ」
「ベッド……? 本で見たことある! この上で寝るんだよね!」
「ええそうよ」
コウは試しに飛び乗って横になってみる。
それは王族ですらなかなか体感しえない、雲の上にいるような柔らかさのベッドだったのだが……。
「……うーん、ボクのベッドより、硬い……。ぜんぜん気持ちよくない……」
おろしたてのようなシーツに身体を埋めていた少年は、贅沢にも顔をしかめていた。
「じゃあコウちゃん、そろそろ『おひるねんね』の時間だから、ここで『ねんね』しましょうか」
ママに促され、ベッドから「うん!」と飛び降りるコウ。
その時ママの肩甲骨からは、白い猫足のようなものが生えていた。
そして尾てい骨のあたりには、ふさふさの犬のしっぽ。
それらをピーンと立てつつ、後ろ向きに倒れると……。
猫足と犬のしっぽが、身体を支えてくれて……。
はい……!
『ママベッド』……!
「いらっしゃい、コウちゃん」
仰向けになったママが手を広げると、コウは彼女の上に乗った。
そそり立つ双丘、その間にある深い谷間に顔を埋め、枕がわりにする。
このラッコの親子のような体勢こそが、ふたりの就寝スタイルなのだ。
「あぁ、やっぱりベッドは『ママベッド』だよね!」
「んまぁ……♪ そうでしょう? じゃあ、おねんねしまちょうねぇ~?」
ママはどこからともなく取り出したタオルケットを我が子にかける。
さらに頭をやさしく撫でながら、シンフォニーを奏でた。
「♪ね~んね~んころりよ~おころりよぉ~ ♪コウちゃんいい子だ~ねんねしましょ~」
ママの滑らかな肌触りと、ママの甘い匂い、ママのやさしい声……。
そして、
とくん……とくん……とくん……。
子守歌の伴奏のように脈打つ、ママの鼓動。
こうしていると、ママに全身を包み込まれているようで……。
まるでママの中にいるみたいだ、と少年は思った。
ちなみに彼は、『ママベッド』以外のベッドを見るのは、今日が初めてであった。
またこの屋敷には、テーブルはたくさんあるものの、椅子はひとつも存在しない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
子守歌が途切れて、どれくらい経っただろうか。
コウが耳を澄ますと、安らかな吐息とともに、胸が上下しているのを感じた。
「……ママ?」
息が漏れるくらいの声量で呼びかけても、返事はない。
コウはママを起こさないように、静かに胸の谷間から頭を抜いた。
「ううん……コウ……ちゃん……」
不意に呼びかけられて身体が硬直したが、寝言だとわかり、コウはゆっくりとママの身体から降りる。
そして……忍び足でママの部屋を出ると……。
ママのいない冒険を、開始したっ……!
新連載です。
とりあえず5話くらいまで書いてみて、読者様の評判が良ければ続けてみたいと思っています。




