前編
よろしくお願いします。
そこは闇の中、薄気味悪い紫の炎があちこちに灯る途方もなく広い建物だった。
私はそこに大勢の人間と共に並んでいた。
なんでこんなとこにいるんだっけ?と考えると、一瞬で答えを見つけた。
ああ、私、自殺したんだった。
◇◇◇
佐藤 あやめは高校二年生だった。両親は親になるには幼すぎ、自分が一番大事な人達で、今風に言うなればネグレクトだった。中学までの義務教育の間は児童相談所や学校の先生が何くれとなく世話をしてくれて、なんとか卒業できた。
しかし、高校に入ると頼れる大人はいなくなった。たまに会う両親はイライラしており、掃除がなっていない、飯が不味いと言ってあやめを殴る。顔を腫らして登校するあやめはヤバイ人認定で誰も声をかけない。
いつも一人。それでも必死に勉強し、バイトし、何とか高卒の資格だけは得ておこうと歯を食いしばって頑張った。
しかし、
「えー!先生、佐藤さんと修学旅行の班一緒なんて勘弁してよー!」
「そーよ。私達に押し付けるのも大概にして?」
「修学旅行くらい、私達だって楽しみたいよ!なんであんな暗い人のお世話で潰されないといけないの?」
クラスの女子達が担任に口々に不満を訴えて、自分をなすりつけあっているのを聞いてしまった。
あやめは、誰にも迷惑をかけず、地味に生きているつもりだった。なのに……存在自体が邪魔だったなんて……
疲れたあやめはそのまま学校を出て、ホームセンターでロープを買い、電車で山に行き、自ら命を絶った。
◇◇◇
あやめの順番がきた。最初に衛兵?からこの場では嘘をつくとバチが当たるので、正直に答えるよう説明を受け、その〈審判の間〉に入った。
大きい実用的な机の向こうに角が三本ある鬼?がいた。鬼といっても全身を覆う紺のコートのような服を着ていて腰巻一枚などではない。肌は浅黒く一重の瞳は冷たく緑に光り、何もかも見透かしているようだ。
あやめの資料でも載っているのか、重そうな本を眺めている。
「ここは……人の世界で言ういわゆる地獄なんだけど、どうしてここにいるのかわかる?」
「……自殺だったから?」
「御名答」
低い、テレビの渋い俳優のような声だった。それにしても、やはり地獄なんだ。
「君は……難しいね。自殺以外、何一つ罪が見当たらない。ただその自殺が大罪なんだけれど……」
そう言って鬼はアゴの下で手を組んで、私を見つめた。
私のことを、正面からじっくり見てくれる相手などいなかった。いつもチラチラと腫れ物扱いだった。私はポッと顔を赤らめた。すると鬼は眉をひそめた。
「君は……保留だ。ちょっと上官に相談しよう。君の処遇が決まるまで……君は飲食店でアルバイトしていたようだね。ここの食堂で働いといてもらえる?」
「はあ」
嫌ですとか言えないと思うんだけど。
その鬼はリアムと名乗った。立ち上がった彼はスラリとしていて私より頭二つ大きかった。リアムに案内され、食堂に行くと、ツノが四本あるばかりか背中に羽まである白い肌の女の鬼、リラと、ツノは二本だが全身青い大鬼、マシュがいた。
私は彼らの指導のもと、せっせと働いた。野菜の皮を剥き、プレートに料理を盛り付け配膳し、皿を洗い、営業後の食堂の掃除をした。食堂の控え室で寝起きした。
3日もすると、マシュもリラも私にたくさんご飯を食べさせてくれるようになった。
「アヤメ、もっと食え!じゃないと夕ご飯まで持たないぞ!って言ってもアヤメは食事必要あるのか?」
「アヤメー。上手に味付けできたわねー!とっても美味しいよー!」
二人はココについて調理の合間に教えてくれた。
ここはいわゆる地獄の入り口であること。つまり、閻魔様の判断は既に終わっていて、ここでは罪の刑量が決められ、後にそこに送られる裁判所のような場所であること。リアムは若いけれど優秀な判事もどきであること。ここはそんな地獄の裁判所もどきのスタッフとその家族のための食堂であること。ちなみにこの大きな建物の外は「無」だそうだ。何もない、暗闇。必要なものはこの広大な建物の中に全てある。昼も夜もないこの空間で、職員の鬼達は交代制で働いている。皆自分の活動時間を元に、朝だ昼だ夜だと考えて過ごしている。
ここの鬼達は離島勤務の公務員って感じだな、と思った。
「アヤメを食堂に置いていくってことは、アヤメへの判断が難しいってことね」
「しかし、アヤメがこれまで人を傷つけていないことは間違いない」
「マシュ、何でわかるの?」
私は自分の人生など、惨め過ぎて話していない。
「人殺しの作った飯が上手いわけないんだよ。食は生命に直結してる。我々の鼻は敏感なんだ」
私は……初めて人生?で肯定された気がして……ちょっと泣いた。マシュとリラが大騒ぎになった。鬼は泣かないそうだ。
しばらくすると、ここでの生活も慣れ、周りをみる余裕が出来た。色んな色の色んな容姿の鬼がいる。頭部だけ馬だったり、ツノが十本あったり、虹のようなグラデーションの髪をしていたり。
でも、みんな優しい。ここにいる私が訳ありだってことがわかりきってるからだろうか?
「美味しいよ」
「ありがとう」
そう言って給仕する私の頭を撫でてくれる、鬼の皆さん。
マシュが言うには、鬼は優秀であればあるほど人型に近くなり、ツノの本数が減るらしい。そして、服の色が濃くなっていく。
「じゃあマシュってとっても偉いんだ!」
「まあ……オレは歳食ってるだけだ」
「え?何才?」
「ん……800?」
マシュは下界で言えば油ののったプロレスラーのような力強い若々しさ。私は目を見開いた。
「アヤメ、リラに歳聞いちゃダメだぞ?」
「あーい」
女性が年齢に敏感なのは万国共通のようだ。
リアムもちょくちょく様子を見に来てくれる。
「あやめ、不自由はない?」
「はい!マシュもリラも丁寧に指導してくれて、前菜を任されるようになりました。美味しいおやつも食べさせてくれます。お客さんの役人さん達もみんな親切です」
「そうか。よかったね。あやめのおかげで食堂の方も助かったって聞いてるよ」
「ほんとですか⁉︎、うわー嬉しい!」
リアムの表情はわかりにくいが、頭を撫でてくれる手は、誰よりも優しい。
「あの、みんな私の頭撫でてくれるんですけど?」
「我々にとってツノがないのは子供だという認識だからね。ついつい撫でたくなる。ツノがないと撫でやすい」
「ガーン!子供扱い!」
でもそりゃそうだ。800歳と比べれば、ねえ?
「撫でられるのイヤか?」
「ううん?大好き!撫でられたことなんてなかったもの。とっても嬉しい!ほんと、私今が一番幸せ!私にとって、ここが天国だよ!」
リアムさんの顔が固まった。私は何か失言をしたのだろうか?
「うつし世に、会いたい人ややり残したことはないのか?」
ないのはおかしいのだろうか?あったら自殺などしないと思う。
「私が一番大好きなのは、リアムとマシュとリラだよ!」
◇◇◇
審判が保留になったあの日から、何日経ったかもうわからない。私は食堂でご飯を作り、マシュに抱っこされて、この大きな建物のグラウンドに連れて行かれて、体力作りだとボール?を蹴る?サッカーのような遊びをし、リラに手を引かれ、ショップに連れていかれ、正式なコック服を仕立ててもらった。
そしてリアムにはいつも建物内の公園のような憩いのスペースに連れていかれ、ベンチに腰掛け仕事で辛いことがないか尋問される。私は自分で焼いたクッキーを差し出しながら、とても楽しいと答え、逆にリアムに辛いことがないか、聞いてみる。
するとリアムはビックリした顔をした後、眉毛をハの字にした。困ってる?
「仕事とは、辛いものだ。大なり小なり。今回は……特に……」
私は残ったクッキーをリアムの手に押し付けた。朝からリアムのために頑張って作ったクッキー。忙しいリアムが、少しでも癒されると、いいけれど。
リアムがサクリと私のクッキーを齧る。また口に運んでくれる。サクリ。嬉しい。
ああ……私はリアムが好きなんだ。初恋の相手が素敵な人で、よかった。
人生初めての穏やかな日々は唐突に終わった。
リアムに呼び出された。公園でも、食堂の談話室でもなく、審判の間。
私は嫌な予感がして、敢えてこの世界の、コックの服のまま入室した。
リアムが初めて対面した時と同じ、無表情な顔をして、デスクに着いていた。私は心臓……今更あるのかわからないけれど……をバクバクいわせながら、腰掛けた。
「君の処遇が決まった。君は地獄にいるには清らかすぎる。しかし、自死した以上ここに来るしかない。よって、君の自死をなかったことにする裁定が下された」
「は?」
「佐藤あやめ、君を元の世界に戻す」
「な、なんで、どうして……イヤよ、戻りたくなんかない!何でそんなこと決めるの?私は自分から死んだのよ!」
「君にやり直すチャンスを与えると言っているんだ」
「そんなの頼んでない!勝手なこと言わないで!ひどいよ!ここでの天国味わわせてといて、またそのあと地獄に突き落とすの!」
「……ここは天国ではない」
「天国だよ!私にとっては!お願いリアム!私をここに置いて?何でもするから!お願い!」
「君はこれまであまりに不遇過ぎた。故に初めて知る優しさに支配されてるだけだ。うつし世でいうところのすりこみだ。……今後戻ってからは違う。君の魂がこれ以上傷つかぬように、毒は排除しておいてやる。
君はうつし世で温もりのある本当の人生を過ごすことができる。幸せになれる」
「私の幸せを勝手に決めないで!ここが一番幸せって言ってるじゃん!いい、わかった。じゃああっちに戻ってすぐ、なんか悪いことして死んでやる!そしたらここにいられるんだよね!」
リアムはガタンとイスを倒して私の横にツカツカ来ると、私の頰をパンッと平手で打ちつけた。信じられなくて頰に手を当ててリアムを見ると、リアムは激怒していた。どんなに優しくともやっぱり鬼だった。身の毛もよだつほど、恐ろしい。
「そんなことしてみろ、今度はここも通らず火の池に真っ逆様だ!!!」
どうやっても……残れないのだ……
私の目からハラハラと涙が溢れた。
すると、今の今まで激怒していたリアムが目を見開いて、オロオロし、
「クソッ!」
と言って、私を胸に抱きしめた。私はリアムの胸で静かに泣いた。リアムはギュッと抱きしめたまま、私の頭を撫で続けた。
「リアム」
「なんだ」
「私を……鬼にして……」
「無理だ。君は、ヒトだ」
私は絶望して、力が抜けた。あんなうつし世で生きていかなければいけないなんて。大好きな人はここにしかいないのに……
リアムの逞しい腕は、難なく私を支えているけれど……小刻みに震えている。
ああ……私は愛する人を困らせている。
結局覆せはしないのに。
私は気力を振り絞って、自力で立った。リアムの胸から顔を上げた。
「そんな虚ろな顔をするな」
どんな顔をしろと?これから苦しみばかりのあの世界に戻るのに。
また、涙が流れる。
リアムは初めて顔を歪めた。そして恐る恐る、まだ腕の中にいる私の瞳を舐めた。そして、涙を全て口で吸い取った。私はあまりに親密な仕草に驚いて視界が晴れて、すぐそばのリアムの瞳を覗き込んだ。瞳の奥の苦悩が見えた。
「君はここでは……生きていけない存在なんだ……」
そういうことなのか……。
今の私は人?幽霊?霊魂?亡者?宙ぶらりんなのだ、きっと。
この地獄の入り口の建物にあってはならない存在。
道なんてない。……長引かせても、双方辛いだけなんだ。リアムに迷惑なんてかけたくない。
嫌われて、別れたくない。
せめて、聞き分けよく、可愛い魂だったなって、思い出してほしい……なーんて今更、遅いか……
「……もう送ってください」
背の高いリアムが屈み込み、目を閉じて額を合わせてきた。ここでの楽しい毎日が何故か高速で再生される。優しいマシュ、陽気なリラ、飲んべえのお客さんたち。しかめっ面だったリアムが少しずつ、穏やかな表情になっていくのを見て、ときめいている私。
リアムの緑の瞳が開いた。
「……君が、真っ当に生きて、天命を全うした後、それでも鬼になりたいと思っていたら……私も尽力すると約束しよう」
「ほんと?」
「ああ、ここは嘘はつけない空間だろう?」
そうだった。
じゃあ、信じてもらえる。
「リアム、愛しています」
「あやめ……」
リアムが私を抱き寄せ、私の顎を長い指で持ち上げキスをした。リアムの穏やかな吐息が私の中に入りこんだ瞬間、私の意識は遠のいた。
次に目が覚めたとき、私は真っ白な病室で横たわっていた。