強欲な愚者、天罰招く9-3
世界を照らす太陽は天の頂から時を掛け、青空から地平線へゆっくりと降りながら向かい、自身と世界を照らす光の色を変えていった。
世界を照らす太陽は、白く輝く眩ゆい色を落ち着きのある優しい橙色へと徐々に変化し、地平線の近くまで空から降りていく。そして世界も橙色へと染まっていった。
黄昏に染まった敷地内でポツンとたった1体、ガイアは澄んだ青色の空から橙色へと染まった空を見上げていた。
ガイア以外、敷地内には誰も居なかった。
世界の色が変化する前にベレトリクスは何時も通り、ガイアから魔法薬製作等に使う素材を大量に貰い、アルドカスト城の研究室兼自宅へと帰った。
エルガルムはフォルレス家の屋敷に泊まり、彼を含めガイア以外は全員屋敷の中だった。
但し、騎士は別であり、交代性で屋敷の敷地内、そして門を含む外側周辺を24時間警備する形となっている。
屋敷内では使用人達が食材を調理し、食事の準備をしているのだろう。その間にシャラナは、屋敷内の何処かの部屋でエルガルムの魔法講義を受けているに違いない。レウディンは自室の机上で何かしらの仕事をしているのだろうか。フィレーネは今この時間何をしているのかは予想が出来なかった。
食事は今まで屋敷内の食堂でしていたのだが、ガイアが来てからは外で食事をする様に為った。
ガイアは彼等に〝食事を大量に取る必要が無い身体だから大丈夫だよ〟と紙に書き綴って伝えたのだが、彼等からは、たとえそうであっても神獣であるガイアを除け者にする様な失礼な事は出来ないと、皆から力強い礼儀と誠意の言葉が飛んできたのだ。
流石に彼等の礼儀と誠意を断るのは余りにも失礼だと思い、ガイアは彼等の言葉に甘える事にしたのだ。
(今日の夕飯は何が出るかなぁ?)
最近は食事の時間前には献立内容を想像しながら待つのが日課の1つとなっていた。
しっかり火を通し焼いた厚切りベーコン、綺麗に洗い冷やしたシャキシャキとした食感の緑鮮やかな甘藍に萵苣、艶のある赤茄子は野菜とは思えない果実の様な甘味、半熟の目玉焼きの黄身の濃厚な味、鶏肉を網焼きにし食欲をそそらせる香辛料を掛けた鶏肉の網焼き、甘味のある茹でた菠薐草、ホワイトシチューの濃厚でクリーミーな味など、頭の中でふわふわと楽しみにしながら想像していた。
(楽しみだな~)
沢山食べる事を楽しみにしている訳ではない。
味わう事を楽しみにしているのだ。
毎日身体の大きさの分だけ沢山食べ続けてしまえば、フォルレス家の食費がとんでもない程に負担を掛けてしまう。そこに関してガイアは、レウディンに念押しして伝えていた。
空腹には為らないので沢山食べる必要が無い、と。
だが、ずっと何も食べない儘だと、口の中が寂しく感じるのは如何しようもなかった。
一生食べなくても平気だからといって、空腹を満たしたい欲求ではなく、美味しい物を食べたいという欲求は湧き出てくる。それは人間だろうが人外だろうがその欲求は必ずある筈だ。
美味しい物を食べるという幸福は、どんな生き物でも必ず求める。
生きる者として、ガイアは美味しい物を食べる大きな幸せは捨てられない。いや、捨てたくないと言った方が正しいだろう。食事をする事を止めるという事は、一生の大きな幸福の1つを捨てるという事なのだから。
ガイアこと白石大地は食事というものが人生に置いてどれだけ幸福で大切な事かを前世で理解し、実感していた。
一生懸命に仕事をこなし、仕事で溜まった疲労と同時に空腹が増し、口の中と舌の上に美味しい味と、空っぽに為った胃袋に空腹感を満たし、満腹感という幸せを何度も感じてきた。
しかし、元上司の逆恨みによって誰も居ない荒廃し枯れ果てた土地に放り出され、不味い物を胃袋に入れ最低限生きられる拾い採取した少ない食糧で生き続け、満たされない空腹感に耐えてきた。
そんな経験をして生きた白石大地ことガイアだからこそ、食事というものが如何に大きな幸せなのかを知っていた。
一生の幸せの内の、大きな幸せの1つなのだと。
ガイアは食事の時間が来るまで、敷地内を歩き回り始めた。
此処に来てからは殆どの時間を魔法関連の書物を読み耽る事ばかりの為、その分身体は殆ど動かしていない。流石のガイアも、1日24時間もジッと鎮座し続けるのは退屈という意味で精神的に辛い。
街には行けないが敷地内を自由に歩き回れるので、最近この時間は気分転換で敷地内を日課の様に散歩する様になったのだ。
今日も太陽が橙色に赤みが混じり込み茜色へと変わりゆく時間帯に、ガイアは敷地内の彼方此方を歩き回るのだった。
気分転換の為の散歩。
散歩する理由はとても簡単で単純な事。
ただ暇だからだ。
暇だから気分転換に散歩をする。
何も考えず、頭の中をボーッとさせながら適当に広大な敷地内をうろつき回る。
ガイアはボーッとする心地良い感覚に浸りながら、食事の時間が来るまで目的無しに歩き回る。
ぼんやりと茜色に為りつつある夕焼け空を見上げながら、金属製の格子柵沿いを歩いていると、敷地を囲む格子柵を登る誰かの姿が視界に映った。
(ん? なんだ?)
ぼんやり気分から覚まし、その場で歩みを止めた。
格子の細かな隙間から見える影は、上へとゆっくり登って行く。攀じ登る速度から見て手慣れてないか、単純に身体能力が低い所為の何方か、若しくは両方だろう。
(あ、もしかして)
ガイアは格子柵を登る影が誰なのか、直ぐに予想出来た。
影の形から見て人間だという事も判る。
そして此処に入ろうとする人間が誰なのかも、ある事情を知っていれば直ぐに判る。
格子柵の最上から覗き込む様に出てきたのは、予想通りの知った顔だった。
(やっぱり…。またお前か)
ガイアは呆れた視線を格子柵の上に居る人物に向けた。
予想通り、ガウスパー・ドウブ・デベルンスだった。
(ホント、懲りない奴だなぁ)
取り敢えずは直ぐに投げ飛ばすか、何なら試しに魔法で吹き飛ばすのもありだ。そう考えが浮かび上がった後、何時でも追い出せるよう格子柵の上に居る馬鹿の様子を見る事にした。
ガウスパーはフォルレス家の敷地全体を、キョロキョロと見回していた。
(安全確認してもお前には意味無いと思うんだけど)
ガイアが此処に住み着いてから、ガウスパーは不法侵入する度に必ず投げ飛ばされるという同じ行為ばかりを繰り返している。
おそらくは、ガイアが敷地内の何処に居るのか把握する為に見回しているのだろう。見付かればば即、空高く投げ飛ばされるからだ。
しかし、今回は何故か障害となるガイアが見当たらないのに困った表情を浮かべていた。普通なら居ないと分かれば、ニヤリと嗤っている筈だ。
(……あの顔、シャラナが目的で此処に来たって顔じゃない?)
ガイアは未だ自分が直ぐ近くの下に居る事に気付いていないガウスパーの表情を見て、別の目的で此処に来た可能性を浮かべた。
そのまま、ほぼ真下から彼の様子を見続けた。
周囲を見渡し終えたガウスパーが敷地内へ侵入しようと身を乗り出し下を向いた時、ガウスパーの視界にガイアが映り込んだ。
「あ」
(やぁ)
1人のストーカーと1体の幻神獣の目が合った。
ガウスパーは凍り付いたかの様に一瞬で硬直し、引き攣った笑みでガイアを見下ろす。
ガイアは変わらず呆れた目で、固まるガウスパーを見上げる。
まるで時が止まったかの様に、お互いは動かず、お互い声を発さず、茜色に染まった太陽の光を浴びながら、少しの間、その場は静寂に支配された。
少しの時間が経った後、ガウスパーはハッと我に返る。
そして格子柵の向こう側から、何かを下から引っ張り出す。
(何やってるんだ?)
ガイアは彼のこれからする行動が予測出来ず、首を傾げながら様子を窺い、無い眉を顰める。
(しかし妙だな。外には騎士達が警備してるのに何で気付かれてないんだ? 一目で簡単に見付けられる場所なのに)
ガイアは今回を含む、是迄のガウスパー不法侵入に違和感を感じた。
敷地の門を除けば、格子柵を乗り越えての侵入しか方法はない。しかし、少なくとも3メートル以上はある高さの格子柵が敷地を囲い、敷地の外側は人どころか野鼠すら隠れられる物陰など無い。
その周囲を巡回している幾人の騎士に直ぐ見付かる筈の見通しさだ。
盗賊の隠密技術など持っている訳がないあんな馬鹿が、是迄如何やって騎士達の監視網を潜り抜けているのかが不思議だった。
そんな疑問から、ある可能性が浮かんだ。
(まさか魔法か?)
魔法には〈不可視化〉という対象の姿を隠す幻術に属する隠蔽魔法が存在する。姿だけでも見えなくすれば、隠密技術を持たないガウスパーでも簡単な隠密は可能だ。
しかし、あの馬鹿がそんな魔法が使えるとは思えない。〈不可視化〉は中位級の魔法だ。低水準に属する魔導師であるガウスパーが使えるとはとても考えられなかった。
(それは流石に無いな)
そうガイアは頭を振る。
何より、はっきりとその間抜けな姿が視界に映るのだから、幾ら何でもその可能性は無い筈。
(……でもだったら何で外側を警備してる騎士達に見付からないんだ?)
やはり可笑しい。
あんな見通しの良い通りで何故か発見されないのに、こうしてガウスパーの姿ははっきりと視認出来る。
そんな矛盾、隠蔽系の特殊技能か魔法が無ければ成り立たない。
それを可能にする要因をガイアは考察する。
(……マジックアイテム? 何か隠蔽の魔法が付与されたマジックアイテムを使ってるのか?)
脳裏に浮かび上がった可能性に、ガイアは納得を抱く。
間違い無い。使えない隠蔽魔法をマジックアイテムで代用しているとしか考えられない。
高額なマジックアイテムは一般人には手が出せないが、視界に映る馬鹿は貴族家の子息だ。金持ちの貴族家なら1つや2つ所有してても不思議ではない。
(……あれ? でもだったら何で見えてるんだろ? もし隠蔽系のマジックアイテムを使ってるなら、僕の視界にも映らなく為る筈だよね? 何でだ?)
ガイアには隠蔽系を看破する特殊技能や魔法は持っていない。なのにガウスパーの姿ははっきりと視界に映っている。
(まさか欠陥品? それを知らずに使ってるとかか?)
そういえばと、ガイアは是迄のガウスパーの不法侵入で妙な過程を思い返す。
最初は気にしていなかったが、暫く経ってから幾度と懲りずに繰り返す行動に違和感が在った。
敷地内に侵入した後に屋敷内へと侵入しようとする際、何故か大体ガイアの目の前を通るのだ。本当に学習能力が無いのかと呆れながら幾度も投げ飛ばしていたが、如何も違和感を感じる。
幾ら馬鹿とはいえ、何かしらの隠蔽を使用せずに自分の目の前を素通りしようとは流石にしない筈だ。
しかし、本人はバレてないと思っていたのか、毎度捕まえる度に驚愕と困惑が混ざった表情を必ず浮かべていた。
(う~ん…。如何も妙だなぁ…)
はっきり解明し切れないその過程に、ガイアは胸中で唸る。
そんな最中、ガウスパーは下から引っ張り上げた。
大きな袋だ。何かが中に詰まっている。
(てかその袋、何?)
そしてその袋の中を、ゴソゴソと漁り出す。
その袋の中から贈物箱を取り出してサンタの真似事でもするのか、はたまたその袋の中から何か窃盗する際に使用する道具を取り出し泥棒を働こうとでもするのか、袋から何を取り出すのか一応待ってみた。
(ん? この世界って、クリスマスとかサンタの概念って在るのかな?)
ふとそんな疑問を浮かべている少しの間に、ガウスパーが袋から何かを取り出した。そしてその何かを投げず、そのまま落とすのだった。
直ぐ近くに落ちた何かを、ガイアはその場から動かずに視認した。
(ん? 林檎…?)
落とされたのは1個の果物、只の林檎だった。
ガイアは落とされた林檎を拾い上げ、手に持ったそれと落としたガウスパーを交互に視線を動かした。
(……もしかして、毒か?)
林檎に毒が仕込まれているのではと、ガイアは疑る。
しかし、ガイアにとって毒物類は全く問題が無い。
特殊技能〈毒無効〉を有しているガイアに、毒殺する事は不可能である。
なのでそのまま一口で林檎を平らげた。
その後に直ぐ、ガウスパーへと視線を動かした。
(残念だったね。僕には効かない―――)
するとガウスパーは、また何かを落とした。
今度は甘橙が落とされたのだった。
(え? 未だする気?)
また果物? と疑問に感じながらも、取り敢えずまた一口で平らげる。
ガイアが平らげた事を確認したガウスパーは後直ぐ、別の果物を落とす。
(今度は檸檬…? いったい何がしたいんだ彼奴?)
毒が効かない事が伝わっていないのだろうか。
そう不可解に思いながらも、ガイアは取り敢えず、落とされた檸檬も一口で平らげる。
(うわっ、酸っぱ)
次は桃を1個落とし、甘蕉を1房落とし、甜瓜丸々1個落とし、そしてまた林檎を落とす。ガウスパーは果物の種類を無作為に落とし続け、ガイアは落とされた果物を全て平らげる。
(特に毒らしい異物は感じないな……。本当に彼奴は何がしたいんだ?)
特殊技能による毒の無効化が有る御蔭なのか、解った事が1つ在る。
果物全てに毒は一切仕込まれていない。
なら何故、ただただ果物を落とし続けるのか、その行動の意図が全く見えなかった。
「良し良し…。喰い付いたぞ…」
落とした果物を食べているガイアの様子を、格子柵の上から見ていたガウスパーは満足気に呟く。
彼の呟き声をガイアは聞き逃さなかった。
(喰い付いた? 何が目的なんだ?)
格子柵の上に居るガウスパーを視界に映しながらガイアは訝しげに思う。
(果物喰わせるだけで何がしたいんだ?)
そう疑問を思った時、彼は果物を落とす事を突然止めた。
袋から取り出した果物を片手に持ち、手招きをし始めた。
「ほ~ら、此方に来ぉい。お前の好きな果物だぞ~」
その誘い言葉を聞き、ガイアは格子柵の上に居る馬鹿が何をしに来たのか、何故果物を落としガイアに与えていたのかを漸く理解し、呆れた感情が浮かぶのだった。
(彼奴……まさか僕を餌で手懐けようとしてた……?)
餌さえ与えれば言う事を聞くだろうという、単純かつ安易過ぎるガウスパーの考えとその行動に対し、ガイアは馬鹿馬鹿しく感じてしまうのだった。
(いや、実際に彼奴、馬鹿だったわ)
明らかに見え見えの罠と思われる単純な誘いに、いったい誰が乗るのだろうか。
そうと解ったガイアは格子柵の上の馬鹿を吹き飛ばそうと、見えない様に掌の中で風系統魔法を発動し、強風を圧縮し球状に留め――――。
(――――ん? 待てよ……)
風系統魔法で発現させた風球を解除し、彼の家――――デベルンス伯爵家について以前聞いた事を思い出す。
(この誘いって……実はチャンスじゃないか?)
ガイアは頭の上に閃きという、誰にも見えない豆電球が光り出した。
(敢えて餌付けされた振りをして付いて行けば、彼奴の住む屋敷に入る事が出来る筈だ。上手く行けば皆の役に立てられるかもしれない)
悪徳貴族であるデベルンス家が不法不正を行いながら村から税を規定以上の量を分捕る様に徴税し、村の飢饉問題を引き起こし、莫大な資金を掻き集め贅沢三昧をしているという話をレウディンがしていた事を思い出したガイアに、更なる閃きが浮かんだ。
(確か、無駄に大金持ちなんだよねぇ…。……丁度良い豪華な食事場所じゃないか)
ガイアは内心で悪い笑みを浮かべ、前世ではした事が無かった初めての嫌がらせをしに行く事にした。
(よぉし! 覚悟しろよぉ。っと、行く前に…)
格子柵の上に居るガウスパーに気付かれない様に、背中の樹木に引っ掛けていた紙と羽根洋筆を取り出し、ササッと置手紙を書いた。書いて直ぐにその場には置かず、また背中の樹木に引っ掛ける。
ガイアはガウスパーから見えない様に土系統魔法で両脚が接する地面から丈夫な足場を作り、素手で攀じ登っている様に見せながら足場をゆっくりと上昇させる。
「良しっ! 来たっ!」
登って来た様なガイアを見て、ガウスパーは餌付けに成功したと勘違いをする。
彼は次の行動に移し、格子柵から敷地の外側へと降りて行った。
ガイアは焦らずゆっくりと格子柵を静かに登って行く様に、魔法で地面から石柱をゆっくり伸ばし、自身の身体を上へと運び格子柵の最上へと到達する。
(さて、彼奴は何処だ?)
視界に映る敷地の外側の景色を、左右に視線を動かしながらガウスパーを探した。
直ぐに発見したのはガウスパーではなく、果物の道標だった。
勿論その道標を置いたのはガウスパーだった。
餌付けに成功したと思い込んでいる所為か、ガイアが付いて来てる事を全く確認せず、ひたすら果物を適当な間隔で置いて行くのだった。
(え~……。何その原始的な罠への誘い方…)
それは小動物を餌で誘き出しながら編み籠に紐を結び付けた棒で簡単に支え、編み籠の中まで入って来た時に紐を引っ張り棒を引き寄せ、棒の支えが無くなった籠が蓋の様に閉じて小動物を閉じ込めるという方法を連想させてしまうものだった。
(彼奴の親っていったいどんな奴なんだ? ……まぁ、悪い奴なのは判るけど)
そんな見え見えな企みを呆れた目で見ながら敷地の外側へと同じ魔法を使い、静かにゆっくりと降りるのだった。
降りた後にはガウスパーの姿は見えなくなり、在るのはガウスパーが道標の様に置いた果物しかなかった。
「あれ? 何でガイアが敷地の外なんかに居るんだ?」
左の方から知っている声が耳に入った。
左の方を向いて見れば、其処には門を警備する1人の騎士が此方に気付き近付いて来ていた。
「ん? な、何だこれ!? 何で果物が道に落ちてるんだ!?」
騎士は視線の先に映る道に、果物が適当な間隔で奥へと続いて落ちている謎の光景にちょっと驚く。
まぁ、驚いて当然だ。
こんな変な光景は中々見ないものだから。
「……またあのデベルンスの七光か…。取り敢えず報告を…」
道に転がり落ちている果物の原因がガウスパーだと直ぐに悟り、1人の騎士は仕える主人に報告しに行こうとした直前、後ろからガイアが腕を摘む様に掴み引き止めた。
如何したんだろうと、騎士はガイアの方へ振り返った。
「ん? これは…?」
騎士は突然ガイアから紙と羽根洋筆を渡され困惑する。
そしてガイアは騎士に背を向け、果物が落ちた道へと静かに歩き始めた。
「え、ちょっと…?」
落ちた果物を一口で食し辿りながら進んで行き、角を曲がり入ったガイアの姿は騎士の視界から消え去るのだった。
見送る様に呆然とする騎士は、ガイアの姿が見えなくなった後に渡された紙に視線を移した。
「……! これは…!」
騎士は紙に書き綴られていたある文字を見て驚き、急ぎ敷地内へと門から入りレウディン侯爵に先程見た事と紙に書かれた内容を報告しに駆け出した。
「侯爵様! 無礼を承知の上、急ぎ失礼します!」
慌てながらに門を警備していた1人の騎士が、扉をノックもせずに開けるのだった。本来なら、仕える主人の部屋に入る際は扉をノックしてから部屋に入る許可を貰ってからでなければならない。
「如何した、何かあったのか?」
レウディンは入って来た1人の騎士を咎めなかった。寧ろ、冷静さはあるがその慌てた様子が何か不測の事態が起こった故の行動だと一目で理解したからだ。
「はい! また性懲りも無くデベルンス伯爵家の子息がやって来ました!」
「またシャラナ目当てで来たか!」
デベルンス伯爵家の子息と聴き、レウディンは苛立ちの色を顔に浮かべた。
「いえ、如何やらガイアが目当ての様です」
「何!? ガイアが目当てだと!? それは如何いう事だ!?」
まさかの御目当てが自分の愛娘であるシャラナではなく、幻神獣フォルガイアルスである事にレウディンは驚愕と困惑の色を浮かべた。
「それと…これを見て下さい」
騎士はガイアから渡された紙と羽根洋筆を、レウディン侯爵へと渡した。
レウディンは渡された紙に書き綴られた内容を見た。
〝餌付けされた振りをして、デベルンスの屋敷にちょっとお邪魔しに行ってきます。夕飯までには帰って来ますので安心して下さい。〟
「餌付け……された振り? …ホントにこれは如何いう事だ?」
ガイアの書置き内容にポカンとした表情を浮かべながら困惑するレウディンは、眼前に居る騎士に問い掛ける。
「はい……。餌付けに関しては…恐らくデベルンスの子息がガイアに対しての事ではないかと思います」
「! まさか、ガイアを懐柔するのが目的で来たという事か!」
「私もそうではないかと思っています」
「それで…この……〝された振り〟というのは…?」
「そうですねぇ……何か考えがあっての事ではないかと…」
「そうか…。ガイアがデベルンスの所に行ったのは間違い無いんだな」
「はい。明らかに見て分かる程に、道に落ちている果物を拾い食べながら其処へ辿って行ったと思われます」
レウディンはガイアの書置きの紙をもう一度見て、気になる文章に目を留めた。
「屋敷にちょっとお邪魔しに行ってきます、か」
レウディンは屋敷にお邪魔するという内容に、引っ掛かりを感じた。
「……もしかすると、ガイアはデベルンスの屋敷で何かをしようとしているのかもしれんな」
「何か……ですか?」
ガイアは以前に協力すると文字を書いて伝えてきた。そして、デベルンス家の事については隣で聞いていた。何度もデベルンスの子息からシャラナを護り投げ飛ばしてもいた。
間違い無く、デベルンス家に何かをするつもりだ。
それもおそらく、デベルンス家にとって最悪な何かを――――。
「済まないが、ライファを此処へ来るように呼んでくれ」
「はっ、畏まりました。直ちに」
レウディンがライファを指名した理由を騎士は即座に理解し、部屋を一度退出し、侍女のライファを呼びに向かった。
少し時間が経ち、扉をコンコンと叩く音が響いた。
「入ってくれ」
レウディンは扉の先に居る人物に入室の許可を伝え、それに応じ扉が開かれた。
「失礼します。レウディン様」
「急に呼び出して済まない、ライファ」
ライファが入室に続く様に、後ろから更に2人が入って来た。
「何かあった様じゃのう」
「賢者様。それにシャラナまで」
ライファの後ろに居たのは賢者エルガルムとシャラナだった。
「何かあったのですか? 御父様」
シャラナはエルガルムと同じ言葉を父親に問い掛けた。
「ああ、実は、さっきまたデベルンスの馬鹿子息がやって来てな」
「え~…またですかぁ…」
またあのストーカーが来た事に、シャラナは嫌悪の表情を浮かべた。
「だが今回はシャラナではなく、ガイアが目的で来たみたいでね」
ガイアが目的という言葉に、シャラナはガウスパーが来た理由を即座に理解し眉を顰める。
「まさか、あの子を無理矢理懐柔するのが目的で!」
もしガイアがデベルンス家に懐柔されてしまえば、誰もデベルンス家を止められなくなり、私利私欲の赴くままに暴力を振るうが如く権力を振るい、好き勝手に悪行を続けるだろう。
「いや、ガイアを懐柔するなど奴等には無理じゃろう」
エルガルムはシャラナの心配する最悪の事態を気楽な口調で否定した。
「レウディンよ。ちょっとその書置きの紙を見せてくれんか?」
エルガルムはレウディンから紙を受け取り、紙に書かれた内容をざっと見た。
「ふむ……安心せい。ちゃんと此処へ帰って来る」
「ですが、奴が隷属の首輪を犯罪組織〝背徳の金鼠〟から最近買い取ったとの情報が有ります。無理矢理にでも嵌められてしまえば不味い事に成りますよ!」
「あ、それでしたら心配無い筈です、御父様。あの子は〈精神操作無効〉の特殊技能を持っているので、隷属の首輪を無理矢理掛けられても大丈夫です」
「〈精神操作無効〉を持っているのか! 流石は神獣様だ」
シャラナから隷属の首輪が効かない事を聞き、レウディンはホッと胸を撫で下ろした。
「さて、ライファ。君にはデベルンス家の屋敷に単独潜入をしてガイアと奴等の様子を監視して貰いたい。もし出来ればで構わないが、奴等の何かしらの企んでいる場合はその情報を出来る範囲で調べて欲しい」
「畏まりました、直ぐに支度します」
レウディンの命令を受けたライファは直ぐに行動を開始しようとした直前に、エルガルムに待ったというジェスチャーに対し脚を止めた。
「情報収集ならこれを持って行きなさい」
エルガルムは〈収納空間〉から首飾りを1つ取り出し彼女に渡した。
その首飾りはミスリルで作られた装身具で、きめ細かく精巧に作られた米粒程の小さな幾多の鎖を繋げた首飾りだ。それに付いた同じミスリル製の下げ飾り中心に小さな丸い水晶が埋め込まれていた。埋め込まれた水晶を中心に細かい金細工が施され、下げ飾りを上品かつ綺麗に彩る様だった。
その下げ飾りはマジックアイテム――――監視目の下げ飾りと呼ばれる魔法の下げ飾りであり、着用すれば自分の意思で視界に映る全てを自分の目を通して下げ飾りに埋め込まれた水晶に見た映像を記録する事が出来、映した記録をホログラヒィック映像で見る事が出来るマジックアイテムだ。
「使い方は解るな?」
「はい、存じております」
ライファは監視目の下げ飾りを首に掛け、念入りに正常に効力が作動するかを確認する。
魔法の下げ飾りが問題無く作動する事を確認し終え、ライファはこの場に居る者達に向かい一礼をする。
「それでは、行って参ります」
「頼むぞ」
一礼を終えたライファは受けた命令を遂行する為に、レウディンの自室から出た。そして扉から離れていく彼女の足音は、忽然と途切れる様に消えるのだった。
「しかし、まさかガイアに目を付けるとはな」
「それはそうですよ、何たってあの子は幻神獣ですから」
「奴から見れば非常に珍しい魔獣だ。ガイアが幻神獣だという事は未だ知らない筈だ」
ガイアの正体が幻神獣フォルガイアルスである事実を現在知る者は、賢者エルガルム・ボーダム、貴族令嬢シャラナ・コルナ・フォルレス、フォルレス家専属侍女のライファ・ベラヌを含む全使用人と専属騎士、フォルレス侯爵家当主レウディン・レウル・フォルレス侯爵、レウディンの妻フィレーネ・ルウナ・フォルレス侯爵夫人、錬金の魔女ベレトリクス・ポーラン、そして最後が教皇ソフィア・ファルン・シェルミナスだ。
ガイアに会った騎士団長セルシキア・ケイナ・サイフォンは、ガイアが幻神獣である事実を未だ報せていない。
しかし、幻神獣である事実を抜きにしても、ガイアは珍しい生き物である為、何処の誰が目を付けても不思議ではない。
そして今回、ガイアに目を付けたのがデベルンス家の馬鹿子息という事だ。
エルガルムは書置きの内容をジッと見詰めながら考察をしていた。
「お邪魔しに……のう」
その内容の意味に気付いたエルガルムは、ニッと笑みを浮かべた。
「レウディンよ。これは又と無い大きな好機やもしれんぞ」
その言葉にレウディンだけでなく、シャラナも疑問の色を浮かべた。
「大きな好機とは、如何いう事でしょうか?」
「これは儂の予想じゃが、もしかすると今日、デベルンス家の奴等は大損害を被るかもしれんぞ。――――ガイアによってな」