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再誕せし神話の獣8-1

 シャラナと別れた後、その老人は行きたくない目的の場所へと早足気味に歩く。

 多くの人が()()う長い大通りを、ひたすら歩いていた。

 街の大通りを歩けば周りから注目の視線を、子供からは憧れの視線、大人からは尊敬の視線をその老人に送るのだった。

 その老人がそんな視線を送られるのは当然の事だ。

 彼は誰もが知る有名人だからだ。

 英雄にして最強の魔導師と呼ばれる存在。

 賢者エルガルム・ボーダムである。

 彼は周りからの視線を気にもせず、ただ真っ直ぐ目的地へとひたすら歩き進む。

 エルガルムは永年、憧れや尊敬の視線を向けられる事には慣れている為、気にする事は全く無い。

 しかし、彼がこれから行く場所では、憧れと尊敬が(ねじ)れ歪められた視線が集う場所――――富が欲しい、名誉が欲しい、権力が欲しい、あの御仁と繋がりを持てれば賢者の名を使い思うが(まま)の事が出来る、そんな私利私欲というヘドロの様な不純物が混ざり込んだ嫌らしい視線だけは慣れなかった。

 そういう(やから)を軽くあしらい追い払う事は手馴れてはいた。

 いや、手馴れないと何時(いつ)までも引っ付いて来るに違いない。

 だから厄介者の追い払い方を自然と出来る様に為った。

 そんな嫌な場所に今、厄介者達が集う(ほとん)ど無意味な場所へと、エルガルムは嫌々ながらも向かうのだった。

 だが、今回はどんなに嫌な場所だとしても、行かなければならない事があるのだ。

 その理由はただ1つ。


 ――――岩石の魔獣についてだ。


 岩石の()()とは呼んではいるが、これはあくまで仮称(かしょう)だ。

 あの岩石の身体をした存在は魔獣ではないが、妖精獣なのか精霊獣なのか特殊技能(スキル)〈鑑定の魔眼〉を(もっ)てしても解明出来なかった謎に満ちた存在。

 ラフォノ平野で遭遇(そうぐう)し、野盗達との闘いでエルガルム達を助け、王都アラムディストに付いて来た。

 王都までの旅路の途中で見た、奇跡と言っても良い神秘の光景を思い返す。

 岩石の魔獣が何かの特殊技能(スキル)を行使し、月光花を咲かせ、更に咲かせた月光花から種を作り出し、()かれた種をそのまま一気に咲かせたあの光景。

 驚愕(きょうがく)した。

 岩石の魔獣が四大元素を扱える可能性に。

 自然系統の魔法をすんなり覚えてしまった事も大きな驚愕を受けた。

 そしてあの自然系統魔法に酷似したあの奇跡、その時の心境に歓喜の色はよりも驚愕が勝っていた。

 あれは上位(クラス)魔法――――〈肥沃なる癒グラウンド・オブ・ファしの大地(ーティル・リカバリー)〉を遥かに超えた力。

 あの力は、まさか、もしかしたら――――。

 その時の驚愕と共に、賢者としてあらゆる膨大な知識を頭の中に刻み記した、あるほんの一部に一筋の光が差し込まれ、岩石の魔獣の見せた特殊技能(スキル)と結び付いたとある(いにしえ)の歴史から、薄っすらとではあるが垣間(かいま)見え、そのほんの一部だが――――一筋の情報を掴んだ。


 ――――恵みを(もたら)す偉大なる獣。


 そう、あの力はまさに、恵みを齎す力そのものだった。

(あの力は歴史の中で、最も古い歴史書に記されていた筈……。あの恵みの力……信じられんが()()()()()()()()()()()()。しかし、あくまで予想だ。確信を得られなければ、予想の証明が出来ん。じゃが、彼奴(あやつ)の正体があれ以外の可能性が思い浮かばん)

 エルガルムは岩石の魔獣の正体をある予想が付いていた。

 いや、(むし)ろその予想しか思い浮かばなかった。

 だが今は、そのたった1つの予想を確信となる証拠も、情報に関しては岩石の魔獣の持つ恵みの力だけだ。

 たった1つの予想を確信に変えるには、余りにも少な過ぎる。

(解き明かさねば! 彼奴の正体を! 確信を得なければ!)

 だからこそ、エルガルムは早足の歩みの速さを緩めず止めず、向かうのだった。

 ()の賢者としての知識的欲求を止められる者は居ないだろう。たとえ、国王であっても。



 ひたすら早足気味の速度で歩き続けたエルガルムは、ある出入り口前に立ち止まった。

 大きな出入り口――――門の先には広大な敷地に巨大な建築物が(そび)え立つ。

 それを目にしたエルガルムは、溜息(ためいき)()いた。その溜息には2つの理由があった。

 1つは、(ようや)く着いたと疲れを腹から外気へと吐き出した事。

 もう1つは、着いてしまった、来てしまったという憂鬱(ゆううつ)な気持ちが生じた事である。

 エルガルムが岩石の魔獣について調べる為に、嫌々ながら来た目的地。

 バーレスクレス魔導学院。

 魔導師を目指す者が魔法を学ぶ場所であり、魔法の研究をし、未だ見ぬ未知の魔法を探求する場所である。

 魔法に限らず、魔法薬学や魔道具学といった錬金術分野、魔物学や精霊学といった生物分野も学ぶ事が出来る。

 ――――本来の学院であれば、それが普通だ。

 しかし、残念ながら此処(ここ)バーレスクレス魔導学院は、学院としての機能が殆ど成り立っていない魔導師養成所とは名ばかりの魔導学院なのだ。

 この学院に通う生徒は殆どが貴族、しかもただ魔法が使えるだけで、使えない者を見下すという傲慢(ごうまん)を宿す貴族ばかりだ。学院に通う(わず)かな平民にすら、魔法が使える使えない関係無しに見下す傾向が非常に強い。

 そんな生徒を正すのが本来教師の役目だ。

 だが、此処の教師はそんな貴族の生徒に対し、一切注意も叱責もしようとしない。

 それもその筈、此処の教師も全員が貴族出身の魔導師であり、学院に通う殆どの貴族生徒と同じ高い地位と権威欲する人間だからだ。

 教師も同じく、貴族の生徒と同じ魔法を使えるだけで、自身を一流の魔導師――――上級魔導師(アーク・メイジ)だと誇張している者が殆どである。

 ただ、使えるだけだ。

 魔法技術水準も底辺。学院生徒よりは上だが、余り差が無いと言って良い。

 全教師や殆どの貴族出身生徒は、魔法が使えるだけで使いこなしていると勘違いをした(まま)、己を一流の魔導師だと傲岸不遜(ごうがんふそん)な態度で自身たっぷりに威張り散らす。

 そして学院に通う地位の高い有力貴族の生徒に対しては、必ずといっていい胡麻擂(ごます)りで繋がりを持とうとし、そこから自分の地位や権力を補って貰う、若しくは、その繋がりを利用して高い地位と権力、大きな利益を手に入れようとあれやこれやの御機嫌取りや賄賂(わいろ)を無理矢理にでも贈ろうとする。

 シャラナも、そんな胡麻擂り対象とされていた内の1人であり、其処の生徒だった。

 彼女は周りの貴族生徒と全教師からずっとしつこく胡麻擂りで迫られ、何度も何度もそれを振り払い続け、真面(まとも)に学業に手を付けられない学院生活を()いられてきた。

 半年程前、そんな彼女の下に賢者エルガルムが修行の旅の誘いによって、漸く魔導師として念願の魔法の勉学と習得、そして魔法の鍛錬を賢者の下で学ぶ事が出来たのだった。

 学院側は貴重な神聖系統魔法を使える彼女を連れてかれ、フォルレス侯爵家と繋がりを作る機会を失い、異常な迄に絶望を(あらわ)にしたそうだ。

 バーレスクレス魔導学院は魔法を学ぶ場ではなく、ただの有力貴族との繋がりを持つ為の社交場と化しているのだった。もはや、学院としての機能は殆ど成っていない無意味な建築物なのだ。

 だからエルガルムは、出来ればこんな無駄な場所には来たくない気持ちで一杯だった。

 だが、今はこの学院に対する嫌悪(けんお)の気持ちよりも遥かに満ちている気持ちがあった。

 岩石の魔獣の正体を知ろうとする探究心が、嫌悪の気持ちを()き消してくれるのだ。

(彼奴には感謝すべきだのう)

 エルガルムは、岩石の魔獣との出会いに感謝を心の中で告げるのだった。

 そして彼は再び歩み始め、目の前の無意味な魔導学院の敷地へと足を踏み入れた。



 建物は豪華とは言えないが立派で、学院としては余りにも広大な校内だった。1部屋1部屋(もう)けられた広い教室に研究室、魔法実技授業に使用される訓練場は特に広い。寧ろ、訓練場は広くないと魔法による被爆や誤爆による被害や範囲魔法といった、強力な魔法が他者を巻き込む被害が起こる為、充分以上の安全スペースを確保出来る様に造られているのだ。

 しかし、実際此処の魔法実技授業では、その様な被害が起こる事は()ず無い。

 現在、殆どの生徒は上位や中位(クラス)の魔法どころか、基本的な低位(クラス)の魔法を真面に扱えていない為、被害が起こる様な強力な魔法を使えないのだ。

 強力な魔法を使えない理由は至極簡単だ。

 殆どの貴族出身の生徒は強力な魔法を習得しようとするが、基礎中の基礎を練習すらしないからだ。

 基礎が出来てもいないのに強力な上位(クラス)魔法や魔力制御が必須な複合魔法ばかりを習得しようと、積み重なければいけない基礎を数段すっ飛ばしているのだ。

 結果、今では真面に魔法を扱える魔導師は数少ない平民出身の生徒と、魔法を扱える冒険者ぐらいしか居ない。

 にも関わらず、貴族出身の生徒や全教師は基礎が出来ていないのにも関わらず、完璧に使いこなしていると勘違い――――いや、錯覚しているのだ。

 そんな彼等は今も間違った魔法適性理論での見方で下の者を見下し、我々は魔法を使いこなせる選ばれし存在だと威張るのだった。

 だが、最近では学院()(もの)の評価が落ち続けている。

 その理由は学院の魔導師達の実力が上がらず、いざ実戦形式になると無謀な闘い方をする。1分どころか30秒も持たずにあっさりやられてしまうという、何時も威張り散らしていながら無様な結果を出す始末なのだ。

 負けた後は必ず見苦しい言い訳を口にし出し、「あんなの勝てる訳が無い」「魔法を防ぐのは卑怯(ひきょう)だ」「接近されなければ勝てた」等と、魔導師団の入団試験で実戦経験豊富な数少ない真面な人材で構成された魔導師団員に対し、必死に取り(つくろ)うとする。

 無論、不合格だと冷徹に言い渡し、それでも言い訳を続け取り繕うとすれば、力尽くで追い出す。

 そんな魔導師ばかりがバーレスクレス魔導学院から来て、魔導師団の入団試験では似たり寄ったりの敗北結果、ただ魔法が使えるだけの貴族魔導師ばかり不合格が出るのだ。

 自分勝手な言い訳や世の中の広さをまるで理解していないトンチンカンな馬鹿ばかり来る為、流石の魔導師団はバーレスクレス魔導学院の貴族の教師と生徒に対し煮え返り、国王陛下にこの散々な結果を包み隠さず報告した。バーレスクレス魔導学院の魔導師生徒は余りにも実力が低過ぎる―――いや、それ以前に魔導師というものを舐めていると、魔導師団の視点からの意見を告げたのだ。

 その結果、現在魔導学院に規制を幾つか設ける方針と、魔導学院()(もの)撤廃(てっぱい)する方針という2択を学院の全教師側に王が文書で送り付けた。

 王の直筆に加え、王の印影が押された文書に、教師達は頭を悩ませる事態に(おちい)っている状況なのだ。

 (ちな)みに、規制の内容は殆どが貴族に対する事ばかりだ。

 1つ目は、貴族という立場の利用と差別を禁じる。全教師も含む。

 2つ目は、賢者の提示した正しき魔法適性理論を認め、誤った魔法適性価値観を正す事。

 3つ目は、学院に通う者は地位や権力を求めず、魔導師としての研鑽(けんさん)に目を向けよ。勿論、教師も含む。

 4つ目は、学院側は魔導師の実力水準を一から見直し、提示された水準で正しく評価をすべし。

 最後は、これ等の規制を破った生徒は学院から永久退学。教師は魔導師教員の地位と資格を剥奪(はくだつ)し、学院から追放するという罰則だ。

 今の所の規制内容は少ないが、場合によっては後々増やしていく方向で話を進めるとの事。

 この規制が教師達を悩ます原因なのだ。

 提示された規制を設ける事になれば、今迄(いままで)の様に有力貴族の生徒経由で繋がりを作る事が出来なくなり、出世の機会(チャンス)が無くなってしまう。

 もし断れば、魔導師教師としての地位も資格も、積み重ねてきた黒く甘い私利私欲に満ちた人生が崩壊するのは目に見える。

 教師全員は自分の都合だけで悩み、頭を抱えているのだ。

 地位と資格を守る為に私利私欲を捨て、自分にとっての不自由を選ぶか。

 私利私欲という自由を抱えた儘、積み重ねてきた地位も資格も全て捨てる事を選ぶか。

 そして、その何方(どちら)でもない新たな都合の良い選択肢を探し、作り出そうと考える。

 だが、そんな都合の良い答えは出て来ない。

 しかし、提示された2択は選びたくない。

 彼等は其々(それぞれ)、私利私欲な人生の袋小路に詰まってしまったのだ。

 (いず)れ教師だけでなく、貴族出身の生徒全員が教師達の選択によって、同様に頭を抱え悩む事だろう。


 エルガルムは広い学院内を堂々と歩き、学院に設けられている図書館を目指して突き進む。

 そんな彼の姿を目にした学院内の生徒達から尊敬の視線を送られるが、エルガルムは彼等に対し一瞥(いちべつ)すらせず、さっさとその場から去る様に進む。

 その理由は言わずもがな、彼等の瞳には私利私欲が混じり込んだ濁りが宿っているからだ。

(相変わらず変わっておらんのう…)

 エルガルムは若い時代のある時期から、このバーレスクレス魔導学院を既に見限っていた。

 今もそうだ。

 未だに貴族層の生徒の意識改善がされていない。

 そして教師全員もだ。

 教える立場の者が考えや意志が底辺であれば、生徒の心も実力も育つ訳が無い。逆に悪い方へと成長してしまう一方だ。

(もう、此処取り壊す様にラウラルフに言っちゃおうかのう)

 正直な所、エルガルムは此処を潰そうかとちゃっかり恐ろしい事を考えていた。

 だが、今の現状ではその考えは正しい。

 教師全員は真面な授業もせずに有力貴族の生徒を祭り上げ、更にはその貴族家との繋がりを作る為に胡麻を擂り、教師も含む全ての貴族出身の生徒の傲慢な意思と怠慢(たいまん)な甘い考えを正さず、魔導師としての研鑽よりも地位と権力ばかりに目を向ける始末。

 もはや、魔導師養成の意味を成していない施設に投資や援助をしても、ただ無駄に成るだけだ。

(いや! 今はそんな事よりも彼奴についてが優先じゃ!)

 今はこの魔導学院の事など如何(どう)でもよかった。

 エルガルムは此処に来た目的の為に、図書館に続く道をひたすら歩き進むのだった。

「エルガルム様! 御待ち下さい!」

 そんな最中、後ろから声を掛けながら走って来る足音を耳にする。

 エルガルムは思わず眉を(ひそ)め、仕方なく後ろを振り向いた。

 此方(こちら)に向かって走って来たのは、此処の教師の1人だ。教師にしては若いが、顔の印象は何か悪い事でも企んでいる狐の様な顔立ちだった。高価な魔導衣(ローブ)の上に羽織った外套(マント)で殆ど身体全体を包み、小さな丸眼鏡を掛けていた。

「何じゃ、スェルヌーか。(わし)は今お前さん等に時間を割く気など無い」

 魔導学院の教師の1人、スェルヌーに対し冷ややかな言葉を投げ当て、さっさと先に進もうとエルガルムは再び歩き出す。

「そ…そんなっ、如何か御待ちを…! 折角我が学院に入らして下さったのです、高品質な紅茶を御用意致します。勿論、高質の生地で作られた紅茶菓子も御用意――――」

「何方もいらん」

 スェルヌーの接客サービスに対し、エルガルムはスパンと冷たく返す。

(ぐぅ……相変わらず我々に冷たい…。だが、これは滅多に無い機会だ! 如何にか繋がりを結ばねば…! 何か…何かエルガルム様にとって価値の高い恩を売らねば…)

 スェルヌーは必死に賢者との繋がりを作ろうと、今後の自身の未来の為に私利私欲な考察をする。

「とっとと消え失せてくれんか。お前さん等の胡麻擂りに付き合うのは御免じゃからのう」

 スェルヌーの考えている事は判り易いと言える程にバレバレだった。

 スェルヌーに限らず、此処の貴族出身の教師と生徒全員は訪れる度に必ず胡麻擂りをしにやって来る。まるで習慣の様に滲み付いた無駄な行為を。

 さっさとその場から立ち去ろうと歩くエルガルムを、スェルヌーは引っ付く様に追い掛ける。

「そ…そうだ! エルガルム様が今王都に居られるという事は、学院から御連れしたフォルレス嬢はお戻りになられたんですよね!?」

 機会(チャンス)は他にも在った。

 それを思い出したスェルヌーは表情をパッと明るくした。

 未だシャラナという大きな足掛かりが在る。

 彼女が学院に戻って来れば、会う機会も話す機会も沢山得られる。

 これは実に運が良い。出世の足掛かりが戻って来る。

 これでフォルレス侯爵家との繋がりを得られれば、その後ろ盾を利用し更なる高い地位を得られる筈。

 自身の未来が明るくなると確信したスェルヌーは、シャラナについて賢者エルガルムに尋ねた。

「何時頃にフォルレス嬢は学院に戻って――――」

「シャラナを此処に在学させる意味など最早無い。此処にはシャラナの求めるものは何も無いからな」

 それを聞いたスェルヌーは表情を凍らせた。

 賢者エルガルムから返された言葉は、スェルヌーにとって残酷な言葉であった。

 いや、彼に限らず、魔導学院の教師全員にとってだ。

 抱いた都合の良い確信が粉々に砕かれたスェルヌーは、機会を失う事を危惧し、先の言葉を撤回して貰う為に慌てて取り繕い出す。

「そ、それでは彼女の将来に支障が…! 正式に学院での卒業試験を合格しなければ、フォルレス嬢の経歴に傷を付ける事になってしまいます! そんな事になれば平民共に軽視される恐れが…!」

「スェルヌー……お前が言う平民共とは、儂も含まれておるのか?」

「ひっ!」

 突如と歩みを止めた賢者エルガルムからギロッと視線を向けられ、スェルヌーは顔色を青く染め、口から恐怖の声を漏らす。

 賢者エルガルムから向けられるその目は鋭く、背筋を凍て付かせる様な極寒の如き冷たさを宿していた。

「それに経歴じゃと? こんな低水準(レベル)な場所での卒業経歴を得ても何も役に立たんわい。寧ろ逆に、世間から実力の低い見習い以下の魔導師だと正当に侮られるのが落ちじゃ」

 声は張っていないにも関わらず、静かな声音(こわね)からも鋭い眼光と同様に、相手の精神を屈服させる程の圧力(プレッシャー)を放っていた。

「卒業試験の内容も初級水準、魔導師団入団試験の合格基準と比べれば明らかに低水準なのが容易に理解出来る筈じゃろう。最近の入団試験記録は未だ見とらんが、過去の魔導師団の入団試験の記録を全部見るか? 是迄に入団しようとした魔導学院出の未熟な貴族魔導師共の記録を」

「そ、それは……たまたま運が――――」

「たまたまじゃと?」

 エルガルムは目を細め、更に目を鋭くする。

「貴様等はそれでよく教師を名乗れるのう」

 更に増した威圧感に、スェルヌーの心中は恐怖で凍て付く。

「過去の結果の記録を全て見れば誰でも理解出来る。偶然が幾十年も続く訳が無い。貴様等は教師として今まで何を教えてきた?」

 賢者エルガルムからの質問に対し、スェルヌーは素直に、正しいと今でも抱いている教授内容を答えた。

「も…勿論、上位(クラス)魔法やその複合魔法を習得させる事を第一に――――」

「この愚か者が!!」

 賢者エルガルムの憤怒に満ちた声が辺りに響き渡り、スェルヌーは凍て付いた様に全身が固まり、顔は恐怖で歪まされるのだった。

 少し近くで様子を窺い、胡麻を擂る機会を待っていた貴族の生徒や遠くから観ていた貴族の生徒達もエルガルムの怒声に畏縮し、顔を青ばむのだった。

 エルガルムの周辺に居た貴族の生徒達は悟る。

 あの方と繋がりを持つ機会は到底無理だ、と。

 スェルヌーは恐怖しながらも疑問を浮かべる。

 何か間違った事でも言ってしまったのか?

 何が間違ってたのだ?

 上位(クラス)魔法を習得する事は魔導師として当たり前の筈。

 自身が口にした答えが何故間違いなのか、スェルヌーは頭の中で賢者エルガルムが憤怒する理由を必死に考える。

 しかし、そんな猶予など与えんとエルガルムは正論を突き付ける。

「基礎中の基礎が出来なければ当然こうなる事ぐらい直ぐに判るじゃろうが! 仮にも貴様等は教師! 基礎の大切さぐらい解る筈じゃろう!」

 だから来たくなかった。

 だからこの学院を潰そうかと考えてしまう。

 エルガルムは無能な教師達の1人であるスェルヌーに鋭い視線を突き刺す。

(いま)だにあの陳腐(ちんぷ)な適正理論を通しておるのじゃろう! 貴様等は何時まで間違った事を教え続ける気じゃ! 少しは〝豪焔(ごうえん)の侯爵〟を見習え! 貴様ら教師に限らず貴族の生徒もじゃ! ()ずはその人として腐敗した中身を如何にかせんか!」

「そ、それは幾ら何でも、学院の生徒達に対して酷い良い様では――――」

「それを改善すらしなかった貴様ら教師もじゃ!!」

「ひぇっ!」

 スェルヌーはエルガルムの憤怒の威圧に恐怖し、また身体が固まってしまった。

「という訳で、シャラナの事は儂自ら国王と魔導師団に今の実力に見合った魔導師としての権威を貰い、この学院に関する経歴等は全て白紙にして貰う」

 エルガルムの発言に驚愕し、スェルヌーは異常な迄の焦りを(あらわ)にした。

「そ…そんな!! それは流石に横暴というものではありませんか…!!」

 教師側にとって、シャラナがこの学院から完全に去ってしまえば、魔導学院の看板娘が居なくなってしまう。更には二度と彼女から間接的にフォルレス侯爵家との繋がりを作る機会が無くなってしまう。

 折角彼女が王都に戻って来たのだ。ここで逃がしてしまえば、今の学院の現状、出世する為の僅かな糸口は二度と現れない。

 それは学院にとって――――最悪の事である。

「横暴? よくそんな事が言えたものじゃな。何度も言わすな、シャラナが此処で学べる事など何1つ無い! 貴様等の様な教師が居るなら尚更(なおさら)じゃ!」

「そんな……! エルガルム様!! 如何か、如何か御考え直しを…!!」

「考え直すべきなのは貴様等の方じゃ!!」

 スェルヌーのしつこさに苛立ったエルガルムは、片手に持っていた(つえ)を突き出す様に差し向けた。

「一流の魔導師と名乗りながら何故、この学院の生徒は魔力と魔法を扱う為に必要な技術が成長しておらんのだ! 一流ならばそれを教授出来る筈じゃろうが!」

「そ…それは魔法適性の有る者には必要の無い事です。後は上位(クラス)魔法とその複合魔法の習得に励めば――――」

「先程も言うたじゃろう!! その間違った魔法適性理論を()い加減切り捨てろと!! それを正さん限り、貴様も含むこの学院の魔導師風情の連中は一生未熟者以下の愚か者ばかり増える一方だと、以前に貴様ら教師全員に言った筈じゃ!」

「そ…それは心配に及びません…。何時かは必ず、上位(クラス)魔法とその複合魔法を使える魔導師が、この学院の生徒の中から排出されますので…」

 非現実的で簡単に論破出来る反論に、これ以上何を言っても理解が出来ないのだろうとエルガルムは悟る。

 いや、もう既に悟っていた。

 幾十年も前――――あの侵略戦争後の時から。

 失望はとっくの昔にしていた。

「……そうか。それで一生通すのなら、この魔導学院自体が不要となるのも時間の問題じゃな」

 エルガルムは怒りを通り越し、呆れた気持ちへと冷める。

「え? それは如何いう意味で……?」

 全く理解していないスェルヌーに対し、エルガルムは冷ややかな視線を向け、仕方なく説明する。

「貴様の言うその〝何時か必ず〟は来ないと言っておるんじゃよ。基礎を積む事のしない未熟者には一生、上位(クラス)魔法も複合魔法も習得出来んよ。無理矢理発動出来たとしても、それは基礎以下のものじゃよ」

「何を言うんですか、エルガルム様! 一流の魔導師を目指す者ならば、上位(クラス)魔法やその複合魔法を極めるのが当たり前ではないですか!」

「未だ言うか。極める順番が間違っとるんじゃよ、この馬鹿者が」

 スェルヌーの魔導師としての魔法向上の大雑把な理論に、エルガルムは呆れ溜息をついた。

「スェルヌー。貴様はその頭で如何やって教師と成ったんじゃ? ん? コネか? それとも賄賂か?」

 冷ややかと為った声音で賢者エルガルムに問い詰められる様に訊かれたスェルヌーは、恐怖が張り付いた顔に冷や汗を滲ませる。

「フン、やはりな」

 問い詰める迄もないかと、今更な質問を口にしたエルガルムは鼻で(わら)う。

 何方(どちら)の方法にしろ、魔導教師という肩書きが持つ地位と権威を楽して得たのは間違いない。

「どんな事にも必ず基礎が関わってくる。基礎という土台がなければ力も技術も伸びん。じゃから貴様を含むこの学院の生徒が基礎を学ばぬ限りは、上位(クラス)魔法の習得なんぞ決して出来んよ」

「そ……それは……」

 スェルヌーは取り繕う様な胡麻擂りも、エルガルムの全ての正論に対する反論も出来なかった。

 たとえスェルヌーでなく別の教師であっても、同じ結果になるに違いないだろう。

「その結果、今も1人たりとも上位どころか中位(クラス)の魔法を使える者が居ないではないか。間違いを改めないこの魔導学院なんぞ、近い内に潰される日が訪れる」

 その言葉に、スェルヌーは不安と焦燥を抱いた。

 いや、その感覚は随分前から抱いていた。

 今、魔導学院に提示された規制を幾つか設けるか、設けなければ魔導学院を撤廃(てっぱい)するかという2択を、国王から迫られている現状に立たされている。

 王からその内容が記載された文書を送り付けられて、既に4ヶ月が経過しており、学院側はそれに対する返書は未だに送っていない。

 それは明らかに不味い事だ。

 しかし、何方を選択しても教師側にとってはマイナスでしかない。

 スェルヌーは必死に考える。

 如何すれば、()()()()()バーレスクレス魔導学院が潰されずに済むかを。

 もし、潰されてしまえば彼の甘く贅沢な人生が崩れ消え去ってしまう。

 学院が潰されるという事は、人生が転落するという事。

 それはスェルヌーに限らず、全教師、そして、貴族出身の生徒全員が今の考えや価値観を正さなければ、そうなってしまうのだ。

 だが、彼等は今の考えを正す以前に、今もその考えが一流の魔導師になる為の正しい教えだと思い込み続けるのだった。その原因は私利私欲――――愚かな欲が邪魔をしているのだった。だが、それすら気付かない。

 そんな愚かな魔導師風情の教師スェルヌーは、自分にとっては最高の考えではあると同時に、酷く愚かな考えを閃いた。

「そうだ! でしたら尚更、フォルレス嬢を学院に戻すべきです! 学院で彼女の優秀さを魔導師団…いや、国王陛下に示せば、我がバーレスクレス魔導学院の存続を改めて認められ、我が学院の優秀さを示す事が出来ます! あのフォルレス侯爵家の御令嬢ですから、素晴らしい宣伝に成る筈でしょう!」

 この提案なら賢者エルガルム様も喜んで納得して下さるだろう、そう思いスェルヌーは酷く愚かな提案を自信満々にエルガルムに述べるのだった。

 その愚かな提案にエルガルムは額に血管が浮き出し、再び心を憤怒に満たすのだった。

「なるほど……。つまり、シャラナを出しに使って貴様ら自身の地位と資格を保証して貰おうという魂胆か」

 図星を突かれたスェルヌーは反論すら出来ず、黙ってしまった。

「フン! やはりな。じゃが、そんな事をしても無意味に等しい。たった1人優秀な生徒が居ても、それ以外の生徒がそれに近い実力が無ければ、良くても(ただ)の時間稼ぎにしかならんよ」

 実際、その通りだ。

 たとえ、どんなに優秀な生徒が1人だけいても、それ以外の生徒の実力が一定の基準以下であれば、魔導学院から優秀な魔導師が輩出(はいしゅつ)されているという宣伝には決してならない。それでは学院の教師が優秀である事すら証明する事が出来ない為、魔導学院其の物の評価は上がる事は無い。

「これ以上、貴様等と話す意味など無い。この学院に居るだけで時間の無駄じゃ」

 エルガルムは引っ付いて来た愚か者を置いて行く様に去ろうと、再び歩き始めた。

「儂が此処に来たのは図書館に用があるからで、貴様等に対し用など何1つ無い。もう付いて来るな。儂は今忙しいからな」

 エルガルムは冷徹な言葉を投げた後、さっさと図書館へと向かって行った。


 付いて来るなと言われたスェルヌーは脚を止め、力が抜けた様に膝を床に付き、この先待つ絶望に対する焦りで歪んだ表情を顕にしながら(うつむ)くのだった。

「そんな……。如何すれば……如何すれば……」

 (いず)れは肩書きだけの魔導師教師達に訪れる危機に、悩み、焦り、絶望した最初の者は――――スェルヌーだった。

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