幕間 神殿の聖女
王都アラムディスト内、都民区画と貴族区画の中間。
その一角に純白な城を彷彿させる、立派な神殿が聳え立つ。
ルミナス大神殿。
神聖系統魔法を扱う聖職者と呼ばれる者が集い、この世界を創造せし神々とそれに属する神聖な存在を信仰し、己が心と神聖なる力を身に付け修行をする場所である。
其処は王都の衛兵や騎士に限らず、国内各地の冒険者や国民達の怪我や病気を治す役目も担う、謂わば医療機関とも言える大切な場所だ。
神殿や教会に属する聖職者は、力量に応じ修めた職業と実績によって階級を定められる。聖職者ならば信徒、若しくは見習いと呼ばれる最も下に位置する聖職序列。高位聖職者ならば、1つ上の序列に位置する下級助祭。神官の場合は下の順から、上級助祭、神官、大神官と呼ばれる。そして更に上の司教、大司教と順に、基本的に職業の水準に応じている。
このルミナス大神殿の管理維持費用は全て、国税によって賄われている。
ラウツファンディル王国に限らず、昔以前の各国の神殿では、魔法による治療を受けた際に治療費を支払う制度が存在した。しかし、貧しい者達にとってその治療費は高く、その所為で怪我や病気を治す事が叶わず、衰弱死するかの様に死を迎える者が多く居た。
だが神殿に属する聖職者側としては、何時までも治療を無償で行い続けては生活が苦しくなる一方である。
聖職者だって人だ。人と言う社会に於いて、食べる物やそれを買う為の金銭が無ければ生きていく事が出来なくなる。
しかし、その放置された劣悪な現状が拍車を掛け、更なる問題を生んでしまった。
軽度の怪我や病気を治した際に法外的な多額の治療費を請求し、挙句には無理矢理巻き上げる悪質な名ばかりの聖職者が出て来てしまったのだ。
貧困と詐欺。この2つが要因と成り、偽善者、守銭奴、聖職者の皮を被った詐欺師などと、善悪関係無く世の聖職者達は世間から悪評という罵声を浴びせらる時世が在ったそうだ。
そんな状況を改善すべく、各国は国税から自国の神殿の維持費や管理費、更には神殿に属する聖職者に対し一定額の給付金を月毎に提供する経済政策を行った。
そして神殿や教会に対する治療費の支払い制度を廃止し、神殿での治療無償制度が誕生したのだ。
それにより怪我や病気による死者数は激減し、それに伴い治療費の高額請求詐欺も激減した。当然詐欺を行っていた聖職者は罪人として罰し、粛清した。
こうして基盤が整った神殿や教会に属する数少ない聖職者達は、私生活に余裕を持つ事が出来た御蔭で、神々への信仰の勤めと聖職者としての修行に励む事が出来る様に成った。
現在では数少ない聖職者を増やす為に、新たな聖職者を育てる為の神聖系統魔法教育を行っている。その中からより優秀な聖職者を輩出出来る様にと、治療系魔法を中心に神聖系統の攻撃系や防御系といった魔法を習得させ、即戦力の人材教育を目指している。
大神殿の奥にある礼拝堂。
神々と神々に仕える天界の天使達を祀る祭壇には、銀を基調として精巧に作られた大きな聖なる十字架が置かれ、左右には白亜の天使像が飾られていた。
礼拝堂の祭壇前に女性が1人、両膝を敷かれている絨毯につき、祈祷を捧げていた。
青よりも薄い水色の輝く様な綺麗な髪は腰にまで流れ落ち、純白を基調とした神官階級や司教階級の者が着る祭服よりも、更に上等なドレスと言える様な美しい純白の上に、金と銀の芸術的美麗な祭服で身を包んでいた。
そんな祈祷をしている彼女の所に向かって来る誰かの足音が、コツコツと響かせながら近付いて来ていた。
礼拝堂に入って来たのはルミナス大神殿の女性神官の1人であり、祭壇前で祈りを捧げている女性とは違う純白の祭服で身を包んだ彼女は、そのまま祭壇前で祈りを捧げている女性に近付いて行った。
そして、祭壇前で祈る彼女との一定の距離で止まり、女性神官は声を掛けた。
「――――教皇猊下」
そう呼ばれた女性が女性神官の声に反応し、祈祷を止めてゆっくりと立ち上がった。
瞼の下から顕にした彼女の瞳は、蒼玉と彷彿させる美しい青の輝きを宿し、そしてその瞳の奥深くには慈母の如き深い慈愛が宿っていた。
「あら、如何かしましたか?」
穏やかで綺麗な声音で返事をしながら、美しく整った綺麗な顔を女性神官に向けた。
教皇猊下と呼ばれる彼女の名は――――ソフィア・ファルン・シェルミナス。
生まれながらの神聖系統魔法に秀でた才を持ち、若くしてこの大神殿で歴史上初めて、聖職者の中で最上位職業にして聖職序列最高位である教皇――――彼女の場合は女教皇である――――と成った女性聖職者であり、世界で最上位級の神聖系統魔法を扱える数少ない魔導師でもある。
神聖系統魔法だけなら賢者エルガルム・ボーダムをも上回り、聖職者として、又は魔導師としての高い実力を兼ね備えてた女傑である。
そんな女教皇――――ソフィア・ファルン・シェルミナスに1人の女性神官が笑みを浮かべながら、世間話でも口にする様にちょっとした話を口にした。
「先程、シャラナ・コルナ・フォルレス様が賢者様との修行の旅から戻られたそうですよ」
「まぁ! シャラナが帰って来たのですね」
ソフィア・ファルン・シェルミナス教皇はそれを聴き、穏やかながら実に嬉しそうな声を発した。
実はソフィアは、シャラナとは昔から仲の良い姉妹の様な関係であり、今の魔導学院に通っていたシャラナの事をずっと心配していた。彼処の内情が酷い事は、前々から把握している為、私利私欲な他の貴族達に良い様に利用されてしまう不安をずっと抱いていた。だが、賢者エルガルムの助けによってそれは消え去った。その後は修行の旅に出たシャラナの無事を祈って、再び会える事を楽しみに待っていたのだ。
「今日のこの後、予定は在ったかしら?」
「いえ、本日は急ぎの入り用は在りません。直ぐに御会いに行かれますか?」
「えぇ、直ぐに行きます。シャラナの成長した姿を早く見たいわ」
ソフィアは少し早く歩きながら、礼拝堂から出ようと――――。
「…!」
――――突然、彼女の歩みが止まった。
後ろから伴っていた女性神官が、その様子に違和感を感じた。
「教皇猊下? 如何なされましたか?」
女性神官は教皇猊下に疑問を投げた。
「……今…この王都に、大いなる存在が入って来ました」
「大いなる…存在…?」
大いなる存在とはいったい、女性神官はソフィア・ファルン・シェルミナス教皇の言葉を理解する事が出来なかった。
「とても不思議な……大地……いえ、これは大自然の如き巨大な存在…」
女性神官はソフィア・ファルン・シェルミナス教皇の言う大自然の如き巨大な存在について理解が出来なかった。だが、その言葉は決して嘘でも偽りでもないという事は理解していた。
ソフィアは〈魔力感知〉とは違った特別な特殊技能を持ち、〈魔力感知〉だけでは測れない、その者の存在と本質を感じ取る事が出来る聖女としての力を有しているのだ。特に、神聖系統を使いこなす最高位である女教皇のソフィアは、高次元の神聖なる存在を感じ取る力に長けているのだ。
その事はルミナス大神殿に所属する聖職者全員が知っている。
ソフィアは何も無い中空を見る様に、感じ取った気配の方へと向けていた。
「それにこの優しくも暖かい気配……まるで豊穣の女神の如き大いなる生命の恵み…」
彼女はその神聖なる気配を辿る様に導かれて行った。
大いなる恵みを司る――――幼き偉大な存在へと。