転生1-1
――――何も見えない。
――――真っ暗だ。
見渡す限りの暗闇が、何処迄も広がっていた。
いや、目を開けているのかいないのか、それも分からない。
自身の確認も出来ない。
そりゃそうだ。死んでしまったんだ。
ただ理解している事は1つだけ。
――――孤独。
独りぼっちだという事。
真っ暗闇の中に自分以外なんて居る訳が無い。
とても静かだ。
静寂な闇が其処に広がっていた。
(あぁ……とても静かだ…)
暗闇の中に居るのに、不思議と安心感を、居心地良いとさえ感じている。
このまま暗闇の空間に身を任せてしまい、暗闇が行く先に流れ着いても良いかもしれない。
何だかウトウトと眠気までしてきたみたいだった。
こんなに心地良い気持ちは初めてだった。
未だ生きてた時でさえ抱かれた事など無いにも関わらず、まるで母親に優しく抱かれる様な、とても安らかな心地良ささえ感じてしまうのだ。
何より、こんなにもポカポカとした暖かさを感じ――――。
(――――あれ? 暖かい? え? 死んだん……だよね?)
そう、死んだ筈だ。
なら何故、感じる事が出来るのかという違和感に気付いた。
死んでしまえば、暖かさなど感じ取れる筈が無い。
まさかと思い、違和感の疑問を解こうと、暗闇に溶け込んだ見えない手に意識し、動かしてみた。
(! う、動ける!? 動ける!!)
手の感覚は死んでいなかった。
手だけではない。身体の全身の感覚が今も死んでいない事に気が付いた。
白石大地は驚いた。
まさか未だ命があるとは夢にも思わなかったのだから当然だ。
(助かったんだ!)
自分が未だ生きていると理解し、全身に力を入れ動こかそうとした。
(あ、あれ? 思う様に動けない)
しかし、思う様に身体が動かせなかった。と言うより、全身が埋まっている所為で動き難いだけなのだった。
埋まっているという事は、未だ自分は土砂の中だという事だ。
(フヌウゥゥゥゥゥゥッ!!!)
自分の身体全体を埋めて拘束する土砂に力の限り抵抗し、身体がある程度動かせる様に暗闇で見えない空間を作り出す。
必死に真っ暗な土砂の中を搔き分けようと両手を動かし、腹に力を入れ、脚で踏ん張りをつける。
見えない自分の手で土砂を搔き分けながら掘り続ける。
掘り進んでいる方向は地上に向かっているのか、はたまた、全く違う方向に掘り進んでいるのかは判らなかった。
何せ、気が付けば真っ暗闇の中で、何方が上で何方が下かも判らない状態だったのだ。
だが、それでも掘り進む。
自分の感覚を信じて進むしかない。
上へと掘り進んでいると信じて、掘り進むしかないのだ。
だからひたすら、白石大地は掘り進む。
そして遂に、暗闇の中に一筋の光が差し込んだ。
(やった! 外だ! 助かった!)
光が漏れ出す小さな穴に、未だ視認出来ない両手で搔き分け、穴が広がり、一筋の光が大きく広がった。
外だ! やっと出られる! 助かったんだ! と心の中で奇跡と言う不可視な現象を感じながら、光溢れる世界へと脱出した。
そして、白石大地は光溢れる世界をその目に映した――――。
(……え? ……あれ?)
白石大地は外の世界を見渡した。
山の中ではなかった。
瘦せこけた大地でもなかった。
いや、それ以前に、全く知らない場所だった。
とても暖かい気候が肌に優しく触れる。
視界には色鮮やかな緑の草や、そこまで大きくも太くも無い樹々が彼方此方と生えていた。そして所々には綺麗な花がちらほらと咲いていた。
上を見上げ見れば、密集した木の葉が日の光を遮っている。木の葉の隙間から漏れる僅かな光が、少しだけ薄暗い森を照らしている。そんな木漏れ日がこの森の風景を幻想的に作り出しているかの様だ。
そんな緑の風景が、奥まで広がっていた。
今迄この様な、美しく、色鮮やかな大自然を見た事が無かった。
そんな色鮮やかな風景に感性が刺激された白石大地は、初めて心の底から感動した。
(わぁ……。何て綺麗な…)
色鮮やかで豊かな大自然に目を奪われた。
彼にとっては、この大自然は心奪われる美しい風景であった。
無理も無い。長年殺風景な環境で生きてきたのだから仕方が無い。
しかし、今の現状見渡し、感動から我に返った。
(…ハッ! いやそうじゃなくて。あれ? やっぱり変だ。土砂崩れがあったのに、何でこんなに植物が生い茂ってるんだ?)
白石大地の頭の中に当然の疑問が浮かび上がった。
土砂崩れの後の筈なのに、まるで何事も無く、いや、土砂崩れすら無かったかの様な風景が目の前に広がっているのだ。
如何見ても別の場所としか思えなかった。
(流された!? 別の場所に!?)
新たな疑問に頭の中が混乱してきた。
状況の整理が出来ない。
ぐるぐると頭の中は土砂崩れと今居るこの場所の情報で渦巻いていた。
分からない。
いったい何が何だか。
そして不意に自分の右手を目に映し――――。
(――――エッ!? 何だこりゃ!!)
白石大地は目を大きく見開いた。
彼の目に映った自身の右手は、人の手ではなくなっていた。
――――岩だ。如何見ても岩だ。岩石だ。
岩石の手だ。
その手は白に近い灰色をし、かなりゴツゴツとしていた。
かなりの大きさではないだろうか。人間の身体より大きいに違いない。
岩石の掌を見れば、人間と同じ生命線の様な模様が確認出来る。指の関節部分もちゃんと機能している。岩石の手なのに如何やってくっ付いているのか全く分からない。
白石大地は、岩石と化した右手を凝視する。
(何だ……これ!?)
有り得ない。
そんな非現実な事が自身に起こっている。
咄嗟に視線を左手へと動かし、右手同様に岩石と化していた事を確認した直ぐ後、更に頭の中の混乱が渦巻く。
(僕の身にいったい何が!? 何で手が岩石に!? ………まっ、まさか手だけじゃない!!?)
そして慌てて周りを見渡し、歩き出した。
何だか何時もより歩き辛い違和感もあるが、今はそれどころではなかった。
(何処かに湖は、いや、池でも良い! 兎に角探そう!)
池や湖を探そうとする理由は1つ。
自分の姿だ。
今、自分がどんな姿に為ってしまったのか分からない。
なので、水の鏡で自分の姿を確認する術はそれしかなかったのだ。
白石大地は森の中を手当たり次第に探し始めた。見知らぬ森を無作為に歩き回れば迷って道も場所も分からなってしまうが、そんな事など今は関係無い。
辺りを何度も何度も見渡し、縦横無尽に歩き回る。
そして、彼の目は水面に反射し煌めく光を捉えた。
(彼方か!)
その煌めく方向に一直線に歩き出す。
樹々の間を幾度か通り抜けた先、大きく開けた場所へと抜けた。
其処はとても広く、大きな一面の水溜りは日の光を反射し、揺れる煌めきを放っていた。
(在った、湖だ!)
思ったよりも早く見付ける事が出来、白石大地は少しだけ安堵した。長時間も探し回るのは流石に疲れてしまい、森の中を途方に暮れてしまうだろうから。
彼は目の前に広がる湖へと、ゆっくりと再び歩み始めた。
視界に広がる湖は、何とも美しい光景だろうか。泥などの濁りなど見当たらない透き通った水が煌めき、快晴の青空を映し出している。まさに自然が作り出した巨大な水鏡だ。
緊張が少しずつ、鼓動が少しずつ、速度を徐々に上がってくる。
不安が原因なのも理由の1つでもある。自分の身に何が起こったのか不明なのだから。
だが、不安よりもとても大きいもう1つの理由が在った。
――――期待感だ。
自分の身に起こった事や今居るこの場所などの、不思議な出来事に対する期待感が不安を上回っているのだ。
まさか、もしかして、ネガティブ思考ではなくポジティブ思考が圧倒的に頭の中を占領しているのだ。
この先の真実を知りたい。
今はそれだけしか考えられなかった。
白石大地の心胸には、もう混乱も不安も何処かに吹き飛んでいた。
運命の瞬間――――。
目の前に広がる湖の前に立った。
(これで自分が何に為ってしまったのか分かる。全てじゃないけど、もしかしたらこの世界の事も解るかもしれない)
決心と同時にゆっくりと身体を低く屈み、岩石の両手を生い茂る草の地面に付ける。脚は如何なっているのかは分からないが思う様に動かす事が出来るみたいで、苦労なく両膝を付く事が出来た。しかし、未だ全身が普段の様に動かす事が出来ない違和感がある為、未だ身体を動かす事に苦労しそうだ。
ゆっくりと、身体を岩石の両手で支えながら、頭の上から半身を、湖に落ちない様に伸ばした。
そのまま湖を覗き込む様に見下ろし、自分の姿を――――。
(ウ……ウソ…!!)
岩だ。
岩石だ。
というか、殆ど岩石其の物じゃん!
身体の全身が、岩石で構成されていた。
まるで夢物語や空想に出てくる動く石像――――ゴーレムみたいだった。
顔の形は最早人間の名残すら見当たらなかった。
顔はまるで空想の神話に出てくる竜――――ドラゴンの骨格に非常に似ていた。首は長くなく、以前より少し短くなった気もする。角は生えてはいなかった。
身体の上半身は非常に幅広く、少し逆三角形の様な形をしていた。下半身も非常に大きく、幅は其処まで広くはないが、大きく人の身体回りの2倍以上の岩石の両脚が、自身の力強さを示し物語っている様だ。そして岩石の両腕は更に太く丈夫で、何処ぞの猛獣など敵ではない腕力を秘めているのだろう。
背の高さに関しては比較対象が居ない為、巨大なのかそうでもないのかさっぱり分からなかった。
直立で立っているつもりだが、如何見ても猫背の様な姿勢に見える。又は前屈みの様な姿勢にも見える。おそらくは身体の構造上こうなっている為で、直そうにも直す事は出来ないのだ。これは仕方が無い。
自分の目で確認する事が難しい背中は、人が数人乗れる程に広く、寝っ転がっても落ちる事が無いなだらかさだ。
そんな背中を湖の鏡越しでよく見てみると、苔が―――いや、草が生えていた。背中に生えている草は其処まで背が高くはなく、芝生より少しだけ伸びている。最初は地面から這い出た時に背中にくっ付いたのかと思ったが、それは違っていた。実際に身体から生えているものであったのだ。
もし頭にでも生えていれば、緑色の髪の毛を生やしている様に見えるかもしれない。だが流石に違和感があるのでそれは困る。頭に草が生えていない事に、白石大地は安堵した。
この身体は最早、生物なのかと疑問に思ってしまう。
だが唯一、目だけは生物らしい外見をしていた。
人の顔位の大きさはあるであろう眼球に、瞳は青空の色と彷彿させる蒼玉の如き輝きさえある様に見えた。
その目からは恐怖や殺気の様な凶悪性、怪物特有の威圧感はまるで無かった。
とても穏やかな目をしていた。
彼にとっての、唯一人としての面影が残っていた。
そして心は以前の人のまま――――白石大地のままだった。
(こっ……これって、も、もしかして!)
漸く理解が追い付いた。
漸く理解が出来た。
有り得ない現状を理解した。
そして納得した。
してしまった。
この不可思議な出来事を全て受け入れてしまった。
(やっ、やっぱりこれは――――!)
受け入れてしまったと言うよりは、受け入れるべきだと、自身の心がそうしろと感じてしまったからだろう。
夢の様だ。
だが、夢じゃない。
彼は自分の両手の拳を握り締め、心の中が歓喜で溢れ出した。
夢の世界。
空想の世界。
幻想の世界。
そんな未知に溢れた不思議な世界に。
今、此処に居る。
彼は両拳を天に向け、両腕を力一杯伸ばした。
そして心の底から、歓喜が身体の外へと、噴水の様に溢れ吹き出した。
(僕は異世界に来て、生まれ変わったんだぁあああああああっ!!!)
白石大地は人間として死に、人外の生き物、岩石の獣という奇妙な生き物としてこの異世界へ転生をし、恵み豊かな大地の中から生まれ変わったのだった。