兎狩り3-4
太陽は沈み、青く染まっていた空は薄黒く染まり、日の光を浴びて色鮮やかに輝いていたフォラール大草原は薄暗い輝きの無い緑の大草原の絨毯になっていた。
世界は暗く染まっていた。
だが、決して見えない暗さではなかった。
暗い空には無数に存在する宝石の様に煌めき輝く星空と、幻の様に虚ろに、そして優しく光り輝く月が夜空に飾られ、真っ暗な世界を薄く照らし、寂しくも優しい月光が大地に降り注ぐ。
そんな寂しい光が映し出す世界も、また違った美しい光景に思えてくる。
フォラール大草原にある石を積み上げ作られた大きな囲いの内側から、明るい光りが漏れ出していた。光だけでなく、人々の笑い声も漏れ出し響いていた。
今夜は此処フォラール村では、初めての奇跡の大豊作祭と言う食事会が盛大に行われていたのだ。
村の中心に在る広場は幾つもの灯火の光が、広場全体を明るく照らし出していた。その光源を作り出しているのは魔法の火角灯と呼ばれる何処にでも安価で売っているマジックアイテムだ。角灯の中の灯火は魔法によって作り出され、流出使用した魔力をそのまま吸収し、再利用する循環機能がある御蔭で燃料切れの心配は無い。暗い世界を照らし出してくれる旅の必需品といえる代物だ。
用途はそれだけでなく、硝子部分を外して料理をする際に薪に火を付ける用途もあるのだ。
流石は異世界。
前世の世界での常識は考えられない事であり、魔法はそんな常識を覆してしまう。
未だ、この異世界の事は知らない。
人、種族、魔物、村、国、文化、歴史、社会、魔法、未だ未だ他にも存在するであろうものが、この世界に満ち溢れている。
村の広場は盛大に盛り上がり、幾つもある木製の大きなテーブルには昼食に出た定番の野菜スープに、今回の狩りで大猟に獲れたサーカスムフェイス・ラビットの燻製肉が並べられ、村の皆は喜びに満ち溢れていた。何より楽しみにしている葡萄酒を飲み、熱を通し炒めた扁桃の堅果を摘んでは口に放り込み、酒に浸る。
今夜は今迄の食事よりも、村の人達にとって豪華なものであった。
そして〝恵みの使い〟も豪華な食事に参加していた。
村の皆と一緒に同じ物を食べ、同じ酒を飲む。
村人達の笑い声は響き渡る。
広場は恵みの幸せに満ちていた。
そんな空間に居る大きな岩石の魔獣に集まり、村の人達は葡萄酒を飲み堅果を食いながら語っていた。
「エーッ!? マジか! あの森でそんな事があるのか!?」
その場に集まっている1人の村人が、葡萄酒で酔いが少し回っている所為か、驚きの声を上げていた。
「俺だって驚いたんだぜ! 普通は多くても20匹位の群れを作って森に住んでる筈なのによ。50、60なんて下らなねえ程の数だったぜ!」
語っていたのは狩人のロノタックであった。
今夜は豪華な酒の肴がある所為か、かなり上機嫌に成っていた。
「ホントに驚いたもんだよ! 流石にあの数じゃ俺とロノタックは痛い目に遭う所だったよ」
元冒険者タンタもお酒でほろ酔い状態になり、今回の狩りの出来事を機嫌良く一緒に語っていた。
「だが! 俺達には〟恵みの使い〟様が一緒に居てくれた御蔭で無事に大猟に狩る事が出来たってもんだからな!」
「しかしサーカスムフェイス・ラビットが〝恵みの使い〟に群がる様が今となっては笑えてくるな!」
「ああ! あれか! ありゃあまるで別の生き物だったな!」
「巨大な毛玉の魔獣だった!」
「そうそう! アハハハハッ! ありゃあ今なら笑える光景だな!」
ロノタックとタンタが笑いながら語っている内容は、主に今日のポフォナ森林での出来事だ。今迄とは違った狩りの出来事は村の皆にとっての新鮮な酒の肴だ。
更に酒が進む。
より楽しい気分は高揚していく。
「あっ、そういえば。笑える光景で思い出したが、2人が〝恵みの使い〟様に担がれて物凄い速さで森へ向かった時のあの悲鳴、面白かったぞ!」
本日は門番を1人で務めたカヌンは、2人を揶揄う様に笑い出した。
「お前、あれメチャメチャ怖ぇんだぞ! あれ速過ぎて如何にかなっちまいそうになるんだぞ!」
「よぉし! 今度機会があればカヌン、お前が行くんだ! 俺達と同じ恐怖の体験をして貰うからな!」
「よし決まり! 今度行く時は強制連行してでも連れてくからな!」
「エーッ!! ムリムリッ、絶対に無理だから!」
(…やっぱ怖かったんだな。済みません)
村中の皆からは笑い声が溢れ出る。
そんな中、岩石の魔獣は2人を担いで猛スピードで走った事に反省をしていた。2人の悲鳴を思い出しながら。
「しっかし、よくこんなに扁桃の堅果を採ってこれたな。群生地とか見付けたのか?」
村人の中の別の1人が、ロノタックとタンタに質問を投じた。
「ポフォナ森林に扁桃の樹の群生地は無いよ。所々には生えてはいるけど」
「此処に居るだろ! 沢山採れた理由が!」
ロノタックは隣に居る〝恵みの使い〟をペシペシと硬い岩肌を叩きながら答えた。
その答えに村の皆は、「ああ!」と納得の声を上げた。
村の皆はもう知っている。
此処に居る岩石の魔獣が起こした恵みの奇跡の光景を。
決して忘れられる様な光景ではない奇跡を。
「いやーあの扁桃の実が次々と溢れる様に実っていく光景は凄かったなぁ!」
「全くだ! 次から次へとポンポン実るもんだからホントに驚いたな!」
「あっ、そうだ驚いたといえば! 村に帰ろうとした時にいきなり現れたイナクティブ・ウルフにはビビッたなぁ!」
「そうだ、イナクティブ・ウルフ! 今回不意に現れたから驚いたもんだ」
そして2人は乾いた喉を葡萄酒で潤し、続きを語り続けた。
「だが、此処に居る〝恵みの使い〟様の御蔭で喰い殺されず、命拾いしたもんだ!」
ロノタックは再び隣に居る酒樽を持ちながら、ゆっくりと味わいながら飲む〝恵みの使い〟をペシペシと叩く。
「ホントだよ。もし俺達だけだったら間違い無く喰い殺されてたよ」
「いやー、本当に有り難ぇ事だったよ。感謝し切れねぇよ」
そんな話を聞きながら、岩石の魔獣はゆっくりと食事を堪能し、わざわざ貴重な葡萄酒を大きな酒樽1つ丸ごと譲ってくれた物を有り難く味わっていた。
(ふあぁ~。美味しいなぁこの葡萄酒。この程良い葡萄の甘味と酸味が、何とも言えない美味しさだ。…ポートワインはこんな味なのかなぁ? まぁ…お酒自体を飲む機会なんてそんなに無かったから分かんないけど、これは美味しいのは間違い無いね)
岩石の魔獣はただ話を聞いているだけだった。
理由は簡単。
だって言葉話せないからさ。
(扁桃の堅果も美味しい。この硬い食感、堪んないなぁ。沢山採って来て正解だったよ)
扁桃の堅果を大きな岩石の指で器用に摘み、そのまま口の中に放り込みカリカリと咀嚼する。そしてまたゆっくりと酒樽の中の葡萄酒を少しずつ飲み味わう。
(サーカスムフェイス・ラビットの燻製肉も凄く美味しい。燻製にしてるのに意外と軟らかいし、味付けは少し濃い塩味だけど、これはこれで肴に最高だ)
サーカスムフェイス・ラビットの燻製肉を少しずつ、また少しずつ喰い千切って食す。直ぐに食べ切ってしまわないように。そして村でお馴染みの野菜スープを冷めない内に残さず食べる。
(ああ…。幸せ…)
「なぁ、〝恵みの使い〟様は此処に住むのかい?」
1人の村人が〝恵みの使い〟に訪い掛けた。
その問いに村の皆が此方を一斉に見て、答えを待っていた。
(ううん、此処から出るよ)
言葉を発せられないので代わりに首を横に振り、否定の意を示した。
それを見た村人達は、少しながら残念そうな表情を浮かべた。
だが、誰も引き止めようとはしなかった。代わりに別の質問がロノタックから投じられた。
「何処か目指している場所とかあるのか?」
その問い掛けには、首を傾げながら考えた。
はっきりとした目的の場所は無い。けど、何処かを目指しているという曖昧さが今の現状だ。
その様子を見て察してくれたのか、ロノタックは話し出した。
「目的は決まってる訳じゃないみたいだな。気の向くままの歩き旅ってヤツか」
「けど大丈夫か? 俺達は善い奴だって分かってるけど、他の所じゃ敵対されるんじゃないか?」
「それは大丈夫だと思うぞ」
村人の心配の言葉にタンタが入り込んだ。
「〝恵みの使い〟様は人間の様な知能を持っているんだ。言葉は喋れないけど、こうして俺達とコミュニケーションが取れてるんだ。他の村なら問題無い筈だ。問題があるとすれば……」
「ああ……貴族か」
カヌンがその問題を答えた。
「ああ、確かに其奴は面倒な事だな。大抵の貴族なら、魔獣ってだけで殺しに掛かって来るのが目に見えるな」
ロノタックは溜息を吐きながら少し嫌そうに言う。
「出来れば真面な貴族に会えるといいんだけどな」
「そうだなカヌン。そればかりは祈るしかねぇな」
村の皆は同感だと頷く。
皆は〝恵みの使い〟の身を案じていた。自分勝手な貴族達に殺されてしまうのではないかと。
だがロノタックは、そうでもないんじゃないか、と意見を言う。
「よく考えてみればよ、〝恵みの使い〟様に勝てると思うか?」
ヘラッと笑いながら岩石の魔獣をペシペシとまた叩く。
それを聞いたタンタとカヌンも互いに顔を合わせ、「確かに」と同意の声を上げた。
「そうだな。この見た目から想像が付かない足の速さがあるから、闘うにしろ逃げるにしろ、全く問題無いだろうな」
「しかも魔法だって使えるんだ! 薄っぺらな力を誇示するだけの貴族なんざ目じゃないさ!」
タンタとカヌンの意見を聞き、村の皆は各々の納得の声を上げていた。
確かに敵対する人間と戦闘した場合、先ず単純な力で負ける事は無い。防御だって特殊技能〈鋼鉄の肌〉が有る御蔭で、滅多な事じゃなければ傷付かないだろう。たとえ傷を負わされても〈光合成〉の自己回復であっという間に全回復だ。
巨体に見合わない速さで間合いを詰め寄り、取っ捕まえてしまう事だって可能だ。何より、これまで練習してきた魔法だってあるのだ。いざとなれば土系統魔法で拘束するのも、今ならお手の物だと自信がある。
しかし、余り敵対行動は不用意にしたくない。下手に敵を作るのは、この先様々な場所に赴く旅をするのに邪魔になる。世界中から危険視されて町や国に入る事が出来なくなるのは困る。
そうなってしまえば、この世界を見て回る願いが叶わなくなるだろう。それは何としても避けたい。
たとえこの身が魔獣であろうと、全ての人間と敵対する気は無い。
寧ろ、友好を結びたいくらいだ。
こうしてフォラール村の人達と友好を結ぶ事が出来たのだから、言葉が喋れなくても友好の意思を伝える事は出来る筈だ。
一番に友好の意思を伝える方法は助ける事だ。たとえ拒絶されても、根気良く自分の意志を貫き続ければ相手だって解ってくれる筈だ。
白石大地は人との繋がりは大事にしてきた。そんな繋がりを持つ人達に沢山助けて貰った事が数え切れない位あった。
だから助ける。
自分を助けてくれた人達が困っていたら、今度は此方が助ける番だ。
お互いの苦労を分かち合い、一緒に乗り越え、達成した喜びを皆で分かち合う。
たとえ人から魔獣に生まれ変わっても、誰かを助ける意志は今も変わらなかった。
魔獣になろうとも、その優しい心は前世の時の儘だった。
「俺は世界を巡って行って欲しいと思うよ」
「ん? 何でだ?」
タンタの発言にロノタックは疑問を投げた。
「俺達が独り占めするは良くないと思うんだ。寧ろ世界中の人達に、あの恵みの奇跡で助けて上げて欲しいと思うんだ」
「あーそうだった! 此奴は〝恵みの使い〟様だもんな! もしかしたらよ、貧しい奴等に恵みを分け与える使命を持ってるんじゃないか!? なあ、皆!」
村の皆は「おお…!」と感嘆の声を上げた。
それに続いてタンタは語り続けた。
「そうさ! この恵みの奇跡はこの世界の為にあるものだ! だから〝恵みの使い〟様には、世界の人達に恵みを分け与えてくれる方が世の中には良い影響が与えられる筈だ!」
「そうなれば食料の枯渇問題なんか無くなる! そいつは良い!」
「だな! なら無理に引き止めるのは罰が当たるってもんだ」
「そうよね! こんなにも大豊作の恵みを与えてくれたんですもの! それが世界中に与えたら皆飢えに困らなくて済む筈よ!」
「私達をこんなにも助けてくれたんですもの。世界に必要な子よ」
「頭良いし器用だし、何より子供達に優しいしねぇ」
村の皆は口々に〝恵みの使い〟を褒め称え、大げさではあるが、この世界に必要な存在だと力説する人も居た。
「だから如何か、旅行く先で困ってる人が居たら助けてやってくれ! 〝恵みの使い〟様ならこの世界を豊かにする事が出来る! だから、その恵みの奇跡を他の人達に分けて上げて欲しいんだ!」
タンタは〝恵みの使い〟に真剣に満ちた御願いを申し出た。
(本当に善い人達だな。独り占めをせずに、此処以外の人達の為にか…)
岩石の魔獣は本当に善い人達に出会えて良かったと、心の中で安心感を得た。
そしてタンタの御願いを叶える事を了承し、岩石の右手を前に突き出し、握り拳を作り、親指を立てて星々が輝く暗い空を指した。竜の様な骨格をした顔は表情が読み取り難いが、その穏やかで優しそうな目が微笑んでいるのが分かる。
「ンンンンン」(任せて)
岩石の魔獣の野太く少しだけ甲高い声が響いた。
村の人達は明るい表情を浮かべ、感嘆の声を次々と上げていった。
そしてロノタックが片手に葡萄酒が入ったコップを持ち、立ち上がり村の皆に聞こえる様に声を発した。
「さあ、祝おうぜ! 我等の〝恵みの使い〟様の明日への旅路に無事を祈って!」
その言葉と共に村の皆は歓喜の声を上げ、盛大に盛り上がった。
フォラール村は歓喜に満ち溢れ、暗い夜の世界に響き渡った。
恵みの祝福に感謝を込めて。