虫蠢く暗き迷路26-1
汚染毒沼領域に転移で飛ばされてから早4日。
毒沼林を抜けた一行は、ひたすら歩み進む。
そんな中、シャラナは疲労の色を顔に滲ませていた。
それは慣れ切っていない劣悪な環境に永く身を置いた故の精神的疲労から来るものである。
肉体的疲労知らずのガイアも彼女と同様に、疲労の色を顔に滲ませていた。
どれ程体力が有ろうと、この環境に身を置くのは精神に堪える。
永年の冒険者稼業での経験で慣れているであろう堅実の踏破のダムク達でも、長期間は流石に厳しい筈だ。
野営するのも一苦労する事もそれなりにあり、衛生面的に悪く無い場所を探したり、休む為の安全を確保する為に広範囲に亘る周囲の魔物を排除しなければならない。そしていざ就寝しようとしても、悪臭や汚染毒沼特有の湿気、更には就寝中の深夜帯には飛行型怪昆虫種が何処からともなくやって来る事もある所為で、中々寝る事が出来ない。
野営する中で最悪なのは、魔物の群れに囲まれるといった状況だ。殲滅するまで一睡する事が許されず、無事に終えても心身が更なる疲労を溜めてしまう。エルガルムやベレトリクス、ダムク達の実力なら汚染毒沼領域に生息する魔物は容易く殲滅する事は出来る。
しかし、多かれ少なかれ、心身の疲労が更に溜まってしまう。それに就寝による休息時間も削られてしまう。こんな事が長期間幾度も続けば、鬱に為るのも無理は無い。
汚染毒沼を探索し、その先へと進む際は毒・酸・疫病対策の魔道具や、安全に野営する為の魔物避けの御香は最低限必須に為る。
最低限必須の中で、食糧も当然含まれている。
冒険者はダンジョンに潜る際、携帯食糧を必ず持参する。ダンジョン内の魔獣種を狩って食事を賄う者は多いが、そんな彼等も、いざという時の為に必ず長期間保存出来る携帯食糧を持参する。
しかし、この汚染毒沼に生息する生き物は食用に適してない物ばかりだ。怪昆虫系は見た目が気色悪いので食べようとは思えないし、疫病大鼠の様な疫病持ちの魔獣系は当然駄目。自生している植物の果実は基本毒が含まれている。食べられるとすれば、隠伏の紫毒蛇と毒抜き処理をした紫毒大蝦蟇の肉くらいだ。
そんな場所に何日も過ごすのだ。多くの食糧を前以て用意して置かなければ耐えられない。
特に飲み水は絶対に必要だ。言う迄も無く、この領域内で飲める水など存在しない。在るのは汚水、良くても泥水。だが、その何方も毒が多量に含まれている故、錬金魔法や専用の錬金器具で分解・抽出でもしなければ飲む事が出来ない。
実に劣悪な環境だ。
なので進める内は、どんどん進んだ方が良い。
もたもたと歩を鈍らせれば、進行しない分だけ苦境に見舞われ続けるのだから。
そんな領域をシャラナとガイアは経験豊富な者達の先導に従い、ひたすら歩む。そして奥へ奥へと進んで行く程に、此処がどれ程広大なのか嫌という意味で思い知っていく。
だが、決して悪い事ばかりでは無い。
倒した多種多数の魔物の中で、37体の毒怪樹人を解体した内の6体から、紫毒樹脂が偶然固まって出来た琥珀――――紫毒琥珀が採れた。普通は樹脂が土中に埋没し、化石と成る非晶質の宝石だ。紫毒琥珀も同様に、毒怪樹人が時折分泌する毒が含んだ紫色の樹脂が土中に埋没し、化石化すると出来る物質である。
宝石に部類するという事を聴いたガイアはもしかしたらと思い、それを1つ試しに食べてみた。
その結果、特殊技能〈宝石物質生成〉が反応し、通常の琥珀と紫毒琥珀を生成出来る様に成った。更には新たな特殊技能〈樹脂生成〉と〈毒樹脂生成〉を獲得した。
〈………毒を出す神獣って如何なんだろう)
まさか毒を分泌する事が出来る様に為るとは夢にも思わなかったガイアは、何とも言えない気持ちを抱いた。
この毒の樹脂を出す特殊技能は、不用意に使うと近くの者に被害を出し兼ねない。そう危惧したガイアは何かしら有用と為る特定の状況以外は〈毒樹脂生成〉を使わない様にする事にした。
道中ではキンニンと呼ばれる樹を見付け、特殊技能〈植物記憶蓄積〉が反応するか如何か確かめる為に幹から伸びた小枝を取り、それを齧り喰らった。
結果これも反応し、キンニンという植物が記憶され、何時でも生み出せる様に成った。
キンニンだけでなく、汚染毒沼の領域内で生えた植物類も食して記憶し、生成可能な種類が増えた。
しかし、大半以上が毒物。
この数日で毒物を生み出す自分ってもはや危険な化け物なのでは、とガイアは色濃い不安が混ざった複雑な気持ちを抱くのだった。
大なり小なり便利な能力なのは間違いないと思うが、生み出す物が毒だ。
これは印象が悪い。客観的に。
〈もうちょっとこう……毒々しいのより神秘的な植物が欲しいなぁ)
そんな様々な事を思いつつ、早くこの汚染毒沼から抜け出したい気持ちが強く為るのだった。
因みにだが、汚染毒沼を短期間で突破する簡単な方法は在る。
それは〈飛翔〉による飛行移動だ。
とても単純な方法だが、非常に有効な手段だ。
汚染毒沼は領域全体の中で、陸地の割合が少なく、残りは幾つも在る広大な毒沼や硫酸沼で占めている。地形的に沼を必ず避ける様に、幾度も大回りしなければ進む事が出来ない。毒沼を小舟か何かで渡ろうと試みた冒険者は幾人か居たが、毒沼に潜みし異形と呼ばれる毒沼に潜む人型の魔物に襲われた過去の目撃情報が在る。
濁りに濁った毒沼の中から突如と長い奇怪な腕に掴まれば、毒沼に引き摺り込まればぐちゃぐちゃに喰い殺される悲惨な最後を迎える。たとえその化け物の手から逃れても、引き摺り込まれた時点で全身を毒沼に浸かってしまっている為、毒による確実な死を迎え、結局は其奴に喰われる。
そして喰い殺され遺体と成った冒険者は毒沼の底へと沈み、その無残な有様は毒沼の濁りで永遠に隠されてしまう。
なのでこの場所で消息を絶った冒険者は、毒沼に潜みし異形に殺され毒沼の底に沈んでいる可能性が高く、その遺体を確認する事は非常に困難な為、その者に関する報告を冒険者組合にする場合は死亡したと言うより、行方知れずだと遠まわしな言い方で伝えるそうだ。
そんな危険な毒沼でも、腕を伸ばしても届かない空中を飛んでしまえば、引き摺り込まれる事は無い。そしてそのまま飛び越えてしまえば、遠回りという面倒な徒歩をせずに済む上、時間短縮する事も出来る。
それを敢えてしないのは、シャラナに徒歩で進む経験をさせる為である。
とっとと突破して先へ奥へと進むなら飛行魔法を使った方が楽だ。長時間の徒歩や高所へ上ったり下りたりする労力も無く為り、全力で走った後の疲労も無い。時間的にも体力的にも良い。
しかし、その方法ばかりを頼っては地上での対応力が身に付かない。〈飛翔〉による飛行はとても便利だが、全ての場所で通用する訳では無い。
だから苦労させてでも、エルガルムはシャラナに地上での対応力を養わせる為にダンジョン内は徒歩で進む経験をさせているのだ。
「見えたぞ。今度は彼処を抜けてくぞ」
長々と歩き続け、ダムクは遠くに見えるある場所を指差す。
シャラナとガイアは、彼が指差す遠方へと目を遣る。
視界に映ったのは鎮座する巨岩だ。それも城壁と思わせる程の大きさだ。周囲には広大な毒沼が巨岩を囲う様に広がっており、其処に線を引かれた様に地表が巨岩へと続いていた。
他に別の道は無いだろうかとガイアは見渡すが、毒沼の範囲が広過ぎて巨岩へと続く一本道以外の経路は見付からなかった。
抜けるといっても、あの一本道を進んでもあの巨岩が行く先を塞いでいる。
如何やって彼処を進むのだろうか。
(まさかの岩登りで超えるとか?)
ガイアは疑問を抱きながら、皆と共に向かって行く。
巨岩を中心に広がった毒沼に辿り着き、唯一巨岩へと続く一本道に足を踏み入れた。
(わぁー、デカいなぁー)
視界の大半以上を占める巨岩との距離が少しずつ縮まる毎に、ガイアは僅かながら徐々に上へと無意識に顔を上げていく。
とても静かだ。
風は無く、広大な毒沼は僅かな波すら無い。
特殊技能〈魔力感知〉で探ってみるが、如何やら此処の毒沼には何も潜んで居ない様だ。とは言っても、感知出来る最大範囲までの話だ。感知の範囲外に何かが潜んで居る可能性は在る。
「さあ、着いたぞ。此処を抜ければこの領域の出口まで後少しだ」
巨岩の前まで着き、ガイアは如何やって進むのかを理解した。
視界全体に映るその巨岩の彼方此方に穴が開いており、大小異なるがその何れもが大人でも充分に入れる広さだ。
つまりはこの中を通り、向こう側へ渡るという事だ。
「………これって何かの巣でしょうか?」
シャラナは幾つも穴が開いた巨岩を見渡す様に観ながら質問を口にする。
「巣といえば巣だな。まぁ、言う迄も無いんだが、中に居る奴は基本毒持ちだ」
そんな彼女の質問に対し、ダムクは答える。
「あの……因みに〝アレ〟も居たり……」
「あ~……一応居るっちゃあ居る」
黒褐色の〝アレ〟が中に生息している事実に、シャラナは嫌悪の色が滲んだ困った表情を浮かべる。
「仕方あるまいて。アレはこの領域の彼方此方にうろつく上、住処と成る場所なら何処にでも潜んでしまうからのう」
(オゥ……流石ゴ◯ブリ…)
またアレにわらわらと襲われる可能性が在るのかと、ガイアもシャラナと同じ表情を浮かべるのだった。
アレには何度も遭いたくない。
「此処は汚染毒沼の中で一番の難所で、俺達冒険者は〝蠱毒巣窟〟って呼ばれてる」
(こ…蠱毒……!?)
ダムクが口にした不吉な名所の響きに、ガイアはゾッとする。
蠱毒巣窟。
其処は巨岩内に長い空洞が幾多も入り組んだ小規模な迷宮。数十年か数百年か、巨岩に空洞が出来たのはどれ程前かは定かでは無い。行く先を塞ぐ巨岩に開けられた空洞は、この汚染毒沼に生息する魔物によって造られた物だと言われている。
そして、一番多く巣くっているのは怪昆虫種であり、中で別種同士による喰らい合いをしているそうだ。毒を有する者同士で獲物の身体を喰い千切り、噛み殺し、強引に毒の耐性をも捻じ伏せる多量の毒で侵し殺す。
そんな毒を持った害虫同士での弱肉強食の図はまさに蠱毒。
今目にしている巨岩は言うなれば、巨大な蠱毒の壺。
故に其処は蠱毒巣窟と呼ばれているのだ。
「中は複雑に入り組んでるから、初めて入る冒険者の多くは此処で良く躓くんだ。俺達も最初は中々進めなくて苦労してな、入っては途中で引き返してを繰り返して、中の通路に空間構造を数日も掛けて調べたもんだ」
ダムクは当時初めて蠱毒巣窟に挑んだ時の話をしながら、魔法の小袋から火を噴く松明を取り出す。
彼の行動に同調でもする様に、他の仲間も自前の同じ物を取り出し、腰の革帯や衣服に取り付けられたホルダーに差し込む。
「御令嬢さんもコレを出しとけ。照らすのは俺が遣るが、万が一の事態に直ぐ火を噴き出せる様にそのホルダーに差し込んとけ。火を灯してるだけでも牽制に成るからな」
ダムクにそう言われたシャラナは、自分の小袋から火を噴く松明を取り出し、瞬時に引き抜き使用出来る様に短杖ホルダーに差し込んだ。
「魔力残量は如何だ?」
「半分切っちゃってる」
「俺は問題無い」
「私はそれなりに減ってる」
ダムクからの火を噴く松明に蓄積された魔力残量確認に対し、ミリスティ、ヴォルベス、ミュフィは其々の残量状態を答える。
「御令嬢さんのは大丈夫か?」
「あ、えっと……はい、上限まで貯まっています」
シャラナは一度確認をし、問題無いと伝える。
「魔力が減った奴は満タンにしとけ」
ダムクはそう言い、手に持った特殊な短杖の柄の中央に刻まれた小さな魔法陣に親指で触れ、所持者の意思に従い魔力蓄積が起動する。
冒険者御用達の短杖型魔道具の1つ―――――火を噴く松明。
それは照明として使うだけなら魔力消費はほぼ無い。燃料として使用した魔力は炎と為って先端部分の真っ赤な宝石に灯るが、その現象は放出と言うより宿ると言った方が正しく、燃焼に必ず必要な周囲の酸素は消費するが、一定量使用される魔力は消えずに短杖内へ戻り循環する。ある程度の魔力量が蓄積されていれば、ずっと灯していられる非常に便利な魔道具である。
更に敵を撃退させる火炎放射機能が備わっており、魔法が扱えない者でも付与された〈放火〉と〈大放火〉の魔法を使用出来る所が魅力である。但し、この機能は魔力を放出する為、当然威力に応じて消費した魔力は短杖内に戻る事は無い。
そして触れた小さな魔法陣の上に付けられた細い長方形の硝子は、耐熱性が優れた魔力残量表示器であり、魔力残量に応じて常に赤色で表示し、内在する魔力の増減によって変化する残量を目視出来る仕組みである。
半分未満程減っていたダムクの短杖の魔力残量表示器は、温度計内の液体が上昇する様に透明な部分を染めていき、魔力残量が満タン状態と成った。
「此処からは厳しいぞ。中は狭い空洞だから、遭遇戦は殆ど隊列が縦一列での戦闘を強いられる。広範囲魔法は当然使用禁止だ。空洞が崩壊して生き埋めに為っちまうからな」
ダムクは蠱毒巣窟に入る前に、中での注意事項をシャラナに伝える。
「それに幾つかの場所には毒液や硫酸溜まりが在って、此処を抜ける為には避けて通れない経路にも在る。それと毒ガス部屋もな」
(うわぁ……毒虫だけでも充分厄介なのに、きっつー……)
それを聴いていたガイアは、嫌そうな顔を思わず浮かべる。
狭い空洞が入り組んだ迷路に毒持ちの魔物、特に数が多い怪昆虫種だけでも充分困難なのに、進む先で毒液に硫酸が溜まった場所や毒ガスが充満する場所が幾つも在る。
中層とはいえ、冒険者に対する殺意が高過ぎるとしか思えない難易度である。
「感知なら任せて。それに斥候はミュフィも居るから、うっかり魔物とかの群れに突っ込む心配は無いよ」
ミリスティはニコッとした顔を浮かべ、シャラナの不安を和らげる。
感知が高精度で広範囲のミリスティが居れば、迷路内に点在する敵の位置や動向が常に把握出来る。更にミュフィは進む経路上の痕跡や仕掛けられた罠の類の看破、真っ暗闇の空間をはっきりと視認出来る特殊技能を持っている。
彼女2人の存在は、この蠱毒巣窟という迷宮を攻略するには決して欠かせない重要な人材だ。もし失ってしまえば、其処からの脱出は困難を極まる。そうなってしまったら攻略は諦めて、帰還の巻物で地上へ帰還した方が身の為である。
「暫くは狭く暗い空間を過ごす事に為る。遭遇戦もそうじゃが、精神的負担との永い闘いに為る。気をしっかり保つのじゃぞ」
「はい、先生」
師からの言葉に、シャラナは承知の返事をする。
「あぁそれと、毒沼林の時は仕方が無かったが、アレを見ても叫ばん様にの」
序での注意事項に対し、シャラナは何度も首を縦に振って承知の意を強く示すのだった。
「御嬢様、御安心下さい。アレに出遭した瞬間に最大火力でその奥深く先まで燃やし尽くしますので……!」
「ライファ、それは中の酸素が無くなってしまいそうなので控えて……」
アレへの殺意を宿すライファに、シャラナは炎系統魔法の過剰使用をしない様に釘を刺す。
「………ガイア、いざという時に酸素の生成御願い」
「ン、ンン」(あ、うん)
シャラナは念の為に、ガイアの特殊技能〈酸素生成〉に頼る事にし、頼まれたガイアは了承する。
「それじゃ、何時も通りの隊列で進むぞ。ミュフィは進む先の偵察から戻って来る時はそれを灯す様に」
ダムクから偵察から戻る際の決め事に、ミュフィは頷く。
「ライファよ、彼女と共に行きなさい。此処なら御主の力が大きく発揮出来る」
「はい、畏まりました」
エルガルムにミュフィと共に斥候を頼まれたライファはスッと綺麗な御辞儀をし、了承の意を示す。
先程のアレに対する殺意を一瞬で抑え込み、何事も無かったかの様な冷静という感情へと鎮静。彼女は己の感情を制御しているのか否なのか、良く判らない。
「さあ、行くぞ!」
ダムクが出発の声を上げ、一行は狭く暗い迷路へと踏み入った。




