毒沼の主25-3
開けた地面に足を付け、其処に接する艶やかな紫色の毒沼へと着く。
毒沼から発する仄かな光で作り出される空間は、奇妙ながら幻想的な光景である。
(綺麗な光景なんだけどな……)
此処が安全な自然地帯だったらなら、少し暫くは眺めていたかったとガイアは思った。
毒沼とはいえ、これ程美しい自然の沼は見た事が無い。前世の世界にも危険で美しい酸の湖などが幾つか在るのは、ちょっとした雑学基準で知っている程度だ。
しかし、目の前に広がる艶やかな毒沼を見てしまえば、これに並ぶ程の自然は前世の世界に無いと自信を持って言えてしまうだろう。
(……うん、やっぱ写真機欲しいなぁ)
危険でありながら、こういった美しい場所に再び訪れるのは難しいだろう。ならばこの光景を思い出の1つとして写真に残したい、そんな気持ちも抱くのだった。
静寂に満ちた空間を幾度か見回していたその時、毒沼に波紋が生じ出す。
「御出でなすった」
その現象を目にしたダムクはそう口にする。
波紋が発生する毒沼の中央辺りから不自然に盛り上がり、紫色の液体が楕円状に膨らむ。まるで大きな滴が重力に反し、真上の方向へと落ちようとするかの様に、ゆっくりと丸みを帯びる。
そして盛り上がった液体は流れ落ち、その中に居た存在の姿が露わと成った。
身長は凡そ160センチメートル、身体付きから見て女性の姿だ。艶やかな肌は薄紫色で、白目が無くまるで黒水晶が嵌め込まれたかと思わせる黒い眼球を宿す。身に纏うは仄かに光を放つ薄い布、身長を優に超えた長さの濃い紫色の髪、頭には真っ赤な花飾り、そして整った顔立ちは可憐な印象を与える。
(おお……! 初めての精霊……)
見た目に関しては、ガイアの期待を裏切らなかった。
毒沼から姿を現した存在――――毒沼の精霊はクスクスと嗤いながら、一行を煌めく真っ黒な目を向ける。
「いらっしゃい、間抜けな冒険者さん。わざわざ私の為に足を運んでくれてありがとう」
薄い笑みを浮かべた嘲りの表情には、此方を害する意思が伝わって来る。
「此方こそ、わざわざ俺達を招いてくれてありがとよ」
嘲笑の語り掛けに対し、ダムクは平然と笑みを浮かべてわざとらしい丁寧な言葉を返す。
期待外れ以上な反応が気に入らなかったのか、毒沼の精霊はムッと口を結んだ。
「おいおい如何した? お前の言う通り、間抜けな餌がこうやってのこのこやって来たんだぜ? 嬉しくねぇのか? ん?」
更にダムクからの煽りに、表情を不快という色で滲ませる。
だが、彼等の装備品を目にした毒沼の精霊は表情を元の薄ら笑いへと戻す。
「……腕には自信が有るみたいね。それに貴方達、良い物沢山持ってるわね。魔道具に頼る恐れ知らずなのかしら?」
「その口振り、此処何度か冒険者を相手にした事が有るみたいだな」
毒沼の精霊の質問に対し、ダムクも質問で答え返す。
毒沼の精霊は知っている。
冒険者と呼ばれる者は多種多様な魔道具を幾つか身に付け、このダンジョンに潜って来る事を。
そして見て知っている。
冒険者は魔道具の力に頼る傾向の者が多い事を。
敵を粉砕する魔法を封じ込めた道具。己を強化し身を護ってくれる道具。そんな様々な魔道具が秘めた効力が強ければ強い程、より魔道具に頼る傾向が有る事を毒沼の精霊は経験していた。
ある当時、その冒険者一党との戦闘はそれなりに梃子摺った。得意な毒魔法が余り効かなかったのが一番の理由である。彼方は確実に勝てると見込んで挑んで来た。個々としても一党としても実力は中々のものだったのは記憶に残っている。
たった1人では複数人を相手に勝てる可能性は低い。
精霊とはいえたった1体だ!
毒に魔法対策を入念にして来た俺達に負けは無い!
自分の住処である毒沼に遣って来たその冒険者達は、そう自信満々に言い放ち挑んで来た。
―――――何て間抜けなんだろうか。
その自信は己の力量から湧くものでは無く、驕りという虚栄だ。単調で力押しな闘い方で、抱く情調が容易に解る。その自信は致命的な油断を生じている事に気付かない冒険者達に対し、前以て潜ませていた毒岩の動像を始めとした幾種の魔物を使役し、数の暴力で蹂躙した。
すると、その冒険者達は先程迄の勝ち誇っていた表情は、驚愕、困惑、恐怖の表情へと一変した。
彼等は毒沼の精霊への対策しかしていなかった故、魔法と毒以外への対処が疎かに成っていた。毒岩の動像の膂力に押し潰され、毒怪樹人の大枝に打ちのめされ、毒茸生物の胞子で視覚を奪われたりと、今迄の優勢が嘘の様に瓦解した。
その様子は実に愉快で、毒沼に引き摺り込む時の恐怖で歪んだ情けない顔は鮮明に記憶している。魔道具全て取り上げてみれば、実際の身体能力や魔力の質は低く、特殊技能や武技の技量も大した事が無かった。
その程度の実力で挑んで来るとは、実に滑稽だった。
毒への対策? 私に挑むならしてて当たり前でしょ。
魔法対策もそう。大抵の冒険者なら魔法耐性を向上させる魔道具を身に付ける。
それを知らないとでも思ったの?
そもそも、私がたった1人で闘うなんて誰が決めたの?
そう嗤い、嘲りながら魔法で邪魔をし、彼等を絶望の淵へと落とした。
最後は毒でじわじわと侵し、死体と成った冒険者達から魔力を搾り取り、残りの死肉は支配下の僕達に与えて食事は終わった。
そうやって力を付けて強く成り、現在も尚、こうして生きているのだ。
しかし、今回の獲物は今迄の間抜けな冒険者達とは何か違う。
彼等の表情は区々だが、その何れもが冷静な色が窺える。
間違い無く強い。今迄の冒険者と比べようが無い位に。
毒沼の精霊はそう胸中で生じた警戒を抱きつつも、敢えて立場が上なのは此方だと薄ら笑みを浮かべて示す。
「そうよ。貴方達以外の間抜けな冒険者を殺した事は何度も有るわ。何人殺したかは数えちゃいないけどね」
過去に冒険者を何人か殺したと暗い笑みを浮かべる毒沼の精霊の言葉に、シャラナは僅かに眉を顰め、ガイアは嫌悪な感情を内に生じる。他の者はこういった手合いに慣れている為か、平静が一切揺らいでいなかった。
「……そうか」
ダムクはそう短く、淡々と口にする。
「あら? 怒らないの? 貴方達と同じ冒険者を殺したのよ?」
「そうさ、俺達は冒険者だ。冒険者稼業には命の危険は付き物なんでな。何時何が起こって死んでも可笑しく無ぇさ。例えお前に殺されても文句は言えねぇ世界だろ、ダンジョンは」
「へぇー、酷い事言うのねー」
「最終的には自己責任だ。判断を誤れば危険を招くし、自身の力量を驕り続ければ何時か必ず足元を掬われる。――――其処ん所はお前も例外じゃ無ぇんだぜ」
「……私が驕ってるとでも?」
「さぁ? それは自分の胸に訊いてみると良いさ」
煽りの効果は無く、逆に馬鹿にされた気分を催した毒沼の精霊はムッとした。そんな表情を浮かべた可憐なその顔は、まるで不機嫌な可愛い少女の様である。
「何よ! 魔法なんて使えない癖に生意気よ!」
前言撤回、まるででは無く、不機嫌な可愛い少女其の物だ。
「人間の貴方もそうだけど、其処の人狼に猫人も! 武器も爪も届かない距離で如何やって私に攻撃出来るってのよ!」
不機嫌ながらも嘲笑の言葉を投げ付ける毒沼の精霊は、妙に必死そうだった。
「魔道具が無きゃ如何せ手も足も出せないでしょ! 其方こそ余裕放いてるんじゃないわよ!」
そう毒沼の精霊が騒ぎ立てた後、ダムクは既に引き抜いていた大剣を高速で振り抜く。
肉眼では余り視認出来ない何かが一瞬、毒沼の精霊の横ギリギリを通り過ぎる。そしてその直後、背後の遠くで何かが地面に崩れ落ちた大きな音か鳴り響いた。
「………ほぇ?」
毒沼の精霊は困惑めいた顔で後ろを振り向き、驚愕の色に染まった。
目にしたのは、立ち並ぶ歪な樹々が数本断ち斬られた後の光景である。
「お前が今迄相手にした近接戦闘職は中距離・遠距離系の武技を持って無かったんだろうけど、俺達はこの距離からでも攻撃は出来るんだぜ」
そして振り向いた顔を元に戻し、大剣の切っ先を此方に向ける戦士を視界に映した毒沼の精霊は、己の危機を初めて感じ取るのだった。
今のは視えなかった。反応も出来なかった。
断ち斬られた背後遠くの樹々の有様を一目見れば誰でも理解出来る。
喰らっていたら即死していた。
(でも良かった……攻撃精度はそこまで――――)
「言っとくが、さっきのはわざと外した」
そんなダムクから告げられた言葉に、毒沼の精霊は目をひくつかせる。
「悪ぃな、揶揄っちまって」
毒沼の精霊は理解した。本物の強者を招いてしまったという過ちを。
それが複数人となると、流石に此処から逃げるべきだろう。
しかし、折角の獲物が――――今迄に無い上質な魔力持ちが居るのに諦めるのは非常に勿体無い。
特に1匹――――岩石の動像の様な奇妙な生物から漂う魔力は、他とは隔絶する程の極上もの。吸い取ればきっと強大な力を得られる。そして同時に上位級精霊へと昇華出来るに違いない。
頭の中で命の優先と力への欲望が葛藤するそんな時、ダムクの口からある内容を耳にする。
「安心しな。お前の相手をするのは1人だけだ」
「………へ?」
毒沼の精霊はポカンとした表情を浮かべる。
一行の中から、1人の少女が前に出て来る。
「この娘がお前の相手だ」
長い金髪に青色の瞳を宿す人間の少女を目にし、特殊技能〈魔力感知〉で彼女の内在する魔力がどれ程のものか確認する。
「……その人間の娘が?」
毒沼の精霊は訝し気に訊く。
確かに上質な魔力であるのは間違いないが、自分程の力を持っている様には感じなかった。少なくとも戦士の人間と無手の人狼、盗賊の猫人と比べれば相当な質と量だ。とはいえ、以前殺した魔導師の中ではそれなりに上だと言える位だ。
「私を倒せるっていうの? その娘がたった1人で?」
流石にそれは驕りではないかと、毒沼の精霊は彼等を嘲る。
「そうじゃよ。この娘たった1人でじゃ」
其処に勝てると口にした魔導師の老人に目を遣る。
「お前さん、人の実力を〈魔力感知〉だけで判断してるじゃろう。それだけじゃあ感知誤認してしまうぞ」
「感知誤認ですって? 残念、私には〈魔力隠蔽看破〉が有るの。誤認なんて有り得ないわ」
「なら、尚更じゃな」
自分の感知にいちゃもんを付けられた毒沼の精霊は、再びムッとした表情を浮かべる。
「別にあたし達は魔力を抑えているだけで、隠蔽なんてしてないわよ。あんたは表面上を視ているだけで、その根本は視えてないのよ」
「嘘ね! そんなの嘘に決まってるわ!」
魔導師の女からも言われ、負けじと否定の言葉を吐き出す。
(……精霊にしては抜けてる方だな。いや、精霊が故の自尊心さなのかな?)
そんな毒沼の精霊の様子を観ていたガイアは、中位級の精霊とはこの程度なのだろうかと首を傾げながら、少々期待外れに近い何とも言えない感情を抱いていた。
エルガルムとベレトリクスの言う通り、一行の中で魔法を扱える者は全員内在する魔力の気配を意識的に抑えている。それもダンジョンに潜った時からずっとだ。
テウナク迷宮都市に行く前迄は、シャラナもガイアも複数の魔法修得と同時に魔力を抑える訓練も行っていた。
その理由は、敵に己の魔力の質を安易に悟らせない為である。
魔物に限らず、妖精や精霊で上位種となれば、感知系特殊技能に頼らずとも素の感覚で感じ取る事が出来る複数の特定種や個体が存在する。魔力が強大であれば、特殊技能〈魔力感知〉を有してなくても遠距離から感じ取れてしまう。
生命気配に関しても同様に、秘めた気力が強い戦士系の者からは威圧的なものを漂わせる。その気配も意識的に抑えなければ、強大な魔力同様に肌で感じ取られてしまう。
気配を完全に抑え消すには、気配隠蔽系の特殊技能や魔法、気配隠蔽の魔道具を使わなければ隠す事は出来ない。
それ等の術や物を持っていない者は、出来る限り抑えられる気配を抑え、己の気配を悟らせないようにしなくてはならないのだ。
しかし、ガイアの場合は魔力の量も質も逸脱しており、魔法の扱いや魔力の操作の仕方を覚えてしまった影響か、強大過ぎる気配を纏ってしまっている。そんな圧倒的かつ超重圧で巨大な気配が通るだけで、逆に近くに居る生半可な生物は恐怖し逃げ出してしまう。これではダンジョンに生息する魔物が絶対に寄って来ないので、様々な戦闘経験を得る事が出来なく為る。
その為、ガイアは常に自身の魔力を著しい程迄に抑え込んでいるのだ。それも無意識に近い水準で。
妖精や精霊種は魔力に長けた存在。僅かな魔力の質から、その者の秘めた強さを見破る事が出来ると言われている。
しかし、この毒沼の精霊は魔力の質を見破る事に関しては出来ていない様だ。
(精霊といっても、ピンからキリまでって奴なのかな)
様々な物や生き物にも優劣が在るのは、前世の世界とも変わらないのだろうなと、ガイアは自分なりに納得するのだった。
「私が感知誤認してるって言うんなら出してみなさいよ! 貴方の魔力!」
毒沼の精霊はエルガルムに指を差し、証拠提示を要求する。
「儂のか? 仕様がないのう」
指名されたエルガルムは緩んだ表情を浮かべ、軽く一息を吐く。
その後―――――
「……!!?」
エルガルムから膨れ上がる様に、抑えが解かれた膨大な魔力が漂い出す。
それは鳥肌が立つ程の強大さであり、その場に居るだけで肌がぴりつく膨大な魔力の圧に毒沼の精霊は驚愕する。
「嘘……でしょ……!?」
信じられない、信じたくないと、目の前の事実を認めたくない毒沼の精霊は喘ぐ。
「何じゃ何じゃ? 未だ軽く抑えを解いただけじゃぞ」
「へ……!?」
呆れたエルガルムの言葉に、毒沼の精霊は思わず間の抜けた声を出してしまう。
「まぁさっきも言ったが、儂等は一切手は出さんよ」
「……間違って手を出したら?」
毒沼の精霊は生まれながら持ってしまった高慢さが勝手に動き、要らぬ質問を口にしてしまう。
「さぁ…? 如何じゃろうな…?」
緩んだ顔をしていたエルガルムの目付きが急に鋭く為り、緑色の眼光を光らせる。
「ぴぃ……!!」
まるで猛禽類と思わせる鋭い目に、毒沼の精霊は悲鳴を上げる。
(何なのあの人間の老爺、私なんかより魔力がメチャクチャ上なんだけど~! あれホントに人間!? 人間の皮を被った化け物じゃないの!? 何であんなのが此処に来るのよ~! って私が招いちゃったんだった~! うわ~ん!)
毒沼の精霊、初めてにして嘗て無い危機に頭を抱える。
(あ、そうだ! 私には僕達が居るじゃない! あの冒険者達、私の僕達に気付いていない様だし、そいつ等で囲って一気に襲い掛かれば良いじゃない!)
ふと自分には手足となる戦力が居る事を思い出し、数による波状攻撃で攻め立てる安易な方法を思い付く。とは言っても、それは良く使っている遣り方なのだが。
(最悪駄目でも、全部囮にして逃げちゃえば良いんだし)
そして安易な逃げる算段を立てるが、本心は此処から離れたくない気持ちが有った。
毒沼の精霊は住処である毒沼から離れてしまうと、精霊としての力が低下してしまうのだ。
精霊や妖精は、環境下に影響され易い生命体だ。炎の精は火の気や灼熱の環境下が在れば力を発揮するが、火の気を消してしまう水場の在る環境下だと力が発揮出来ず、弱く為ってしまう。
毒沼の精霊の場合は毒沼という環境が要だ。毒沼に居てこそ真価を発揮し、其処から離れてしまうと力が余り発揮出来ず、その強さも中位級から低位級へと下がってしまう。
有する属性の性質によって強くも弱くも為るのは、特定の魔物も同様である。
(来なさい、私の僕達。私の領域に踏み込んだ冒険者達を囲って殺すのよ)
毒沼の精霊は周囲を囲わせていた僕達に思念伝達を送り、襲撃するよう指示を出す。
「リーダー、周囲を囲ってる魔物達が一斉に距離を縮め出した」
ミリスティの言葉を耳にした毒沼の精霊はドキッとする。
「おっと、思念伝達で指示を出したか」
更にダムクの言葉に胸の鼓動が大きく打つ。
「ん? 如何したその顔。もしかして、お前の支配下に置いた奴を使って不意打ちするのがバレて焦ってるのか?」
そしてダムクから揶揄われる様に問い掛けられ、冷や汗を流し出すのだった。
「気付いていないとでも思ってたか? 此方には優秀な野伏が居るんだ。俺達の周囲を毒岩の動像やら毒怪樹人やらが包囲していた事は知ってたぜ。それにお前、最悪其奴等を囮にして逃げるつもりだろ」
考えていた事が見透かされていた事実に、毒沼の精霊は引き攣った笑みを浮かべ、視線を何処かへと逸らす。
(うわー……判り易い)
まるで嘘や言い訳という手段が封じられた子供。そんな毒沼の精霊の様子に対し、ガイアは何だか憐れに思えてしまうのだった。
「さっきも言ったが、俺達はお前には手は出さねぇよ。お前を倒すのはこの娘だからな」
ダムクはチラッと視線をシャラナに向けながら、余裕の言葉を語り掛ける。
「如何した、最初に見せた高慢な態度は消えているぞ。毒沼に住まう精霊よ」
其処にヴォルベスも参加し、呆れた様な口調で毒沼の精霊を揶揄い出す。
「まさか精霊の身でありながら、たった1人の人間――――それも可憐な娘に敵わなぬのか? 精霊とは思ったよりも大した事は無いのだな」
更に続けてわざとらしく挑発を吹っ掛ける。
(それはちょっと安易では……)
シャラナとガイアは、その挑発は効果有るのだろうかと思う。
毒沼の精霊を逃がさない為の挑発なのだろうが、流石に乗らない――――
「何ですってぇぇえええ……!!」
(えぇ~、煽り耐性低~い)
毒沼の精霊は静かにブチ切れ、可憐な顔を怒りで歪ませた。
精霊としての自尊心が高い故か、あっさりと挑発を真に受けた様だ。
「良いわ、見せて上げる! 毒沼の精である私の恐ろしさをその身と頭に刻んで上げる! 其処の人間の娘が殺されても恨まない事ね!」
そして両手を前に突き出し、突如と魔法を発動させた。
「〈猛毒濃霧〉!」
魔法によって発生した緑色の霧は、広範囲に亘って一行へと迫り行く。視界を遮る程にその霧は非常に濃く、猛毒が多量に含まれている。少しでも吸い込めば猛毒に侵され、あっという間に死に至らしめる死の霧である。
「視界を遮られるのは厄介ですね」
猛毒の濃霧を目にするシャラナは短杖を前に突き出し、此方もと言わんばかりに魔法を発動させた。
「〈突風衝撃〉」
前方に突風を発生させ、迫り来る猛毒の霧を押し返すが如く吹っ飛ばす。
「な……! あの人間、風使いだったの!?」
毒沼の精霊は不意でも衝かれたかの様に驚く。
風系統魔法を使う相手では、視界を遮る霧の魔法は簡単に吹き飛ばされてしまう。猛毒を含ませても、吸わせる距離まで届かなければ意味も無い。となれば、攻撃系と束縛系の魔法で対抗するしか――――。
「〈疾風の矢〉」
「ちょっ、わっ、速!」
そんな事を思考する最中に、続けて放たれた風属性の魔力で構成された矢が疾風の如く迫り、毒沼の精霊は慌てて避けた。
「ちょっと動かないでくれる!〈締め付ける毒茨〉!」
そしてシャラナの足元の地面から多数の毒茨を生やし、巻き付かせて拘束しようとする。
「〈赤熱の刀剣〉」
シャラナは即座に感知し、短杖の先端から高熱魔力を剣へと形作ったそれを幾度振るい、縛り付こうとした毒茨を全て焼き斬った。
「炎も使えるの!?」
それを目にした毒沼の精霊はまた驚き、悔しい表情を浮かべながら別の魔法を放ち出す。
「〈猛毒液の飛沫〉!」
「〈魔力大障壁〉」
多量の猛毒液を散弾の如く放つのに対し、シャラナは透かさず魔力の障壁を前方広範囲に展開して防ぐ。
「だったらこれなら如何!?〈猛毒豪雨〉!!」
更に続いて上空に大きな魔法陣を展開し、猛毒の豪雨を一行に勢い良く降り注ぎ出す。
シャラナは展開していた魔力の障壁を半球状に変化させ、全員の周囲を囲い猛毒の雨を防ぐ。
だがそれは、毒沼の精霊の狙いである。
「そうよね、そうするよね!〈締め付ける毒茨〉!」
再び毒の茨を彼等の足元の地面から多数生やし、今度は全員を拘束して毒でじわじわと苦しめようとする。
外部から干渉する事は出来ずとも、障壁が張られていない地表なら潜り抜ける様に魔力を地面に干渉すれば、蔦や樹を生やしてそれ等を操作する事が可能だ。
シャラナの自らを含む仲間全員を毒雨から護る障壁が、逆に逃げ場を無くす結果を招いてしまったという事だ。
これは失態だ。そうシャラナは未だ未だ自分は未熟者だと痛感する。
そんな刹那――――多数の毒茨全てがあっという間に斬り飛ばされた。
「ふぅ、危ねぇ危ねぇ」
ダムク、ヴォルベス、ミュフィ、そしてライファの4人が瞬時に行動し、自身を含む全員に襲い掛かる毒茨を全て斬り裂いたのだ。
無手のヴォルベスの場合は、武技による手刀で容易く毒茨を断ち斬っていた。毒に対する耐性特殊技能と魔道具の恩恵が在る御蔭もあり、鉄の針すら通さない身体をしている為、毒の棘に刺さる事も無い。
「御嬢様、御怪我は?」
「ありがとうライファ。私とした事が判断を誤りました」
失態の補いをしてくれたライファに、シャラナは感謝を告げる。
「……嘘ぉ…!」
発生させた多数の毒茨を瞬時に葬った4人の目にも止まらぬ速度に、毒沼の精霊は驚愕で顔を引き攣らせた。
「全方位を防御するのは良いが、内側は安全圏に成る訳では無いからの。それに障壁を展開した儘じゃと、此方からは攻撃が出来なくも成る。今後注意しなさい」
「はい、先生」
エルガルムは悠々と障壁による防御の扱い方を指摘し、シャラナは己がした失態を貴重な経験としてしっかり受け入れる。
「シャラナ、防ぐ障壁じゃなくて特定のものを弾く結界が良いわ。毒液限定の魔法、教えたでしょ」
「そっか、あの魔法!」
ベレトリクスの助言に、シャラナは思い出した魔法を発動させた。
「〈防毒液結界〉」
魔法発動時、周囲を帳の様な薄い膜が広がり、半球状と成って一行を包み込む。完全に周囲と天井を覆ったのを確認したシャラナは〈魔力大障壁〉を解除する。
魔力の障壁は消えたが、代わりに仄かに光る魔法の膜が猛毒の豪雨を弾き、結界内への侵入を防ぐ。
これで此方から攻撃を飛ばす事が可能に為った。
「〈疾風の刃〉!」
シャラナは反撃の魔法を繰り出し、空を疾走する鋭利な風を3発撃ち出す。
「ちょっ、〈魔力大障壁〉!」
毒沼の精霊は慌てて前方に障壁を張り、鋭利な風を防ぐ。
「〈疾風の投槍〉!」
「そ、それは無理ぃ!!」
続け様にシャラナが放った〈疾風の投槍〉に、毒沼の精霊は展開した障壁を置いてけ堀にしてその場から逃げる様に離れた。
案の定、シャラナの放った風魔法の投槍は障壁を穿ち、見事に破壊した。しかし、肝心の標的には命中せずではあった。
「もう! 毒液を弾く結界魔法も使えるなんて反則よ!〈毒晶針〉!」
毒沼の精霊は都合の悪い事に文句を言いながら、細い針の形へと結晶化させた毒をシャラナに向けて多数放つ。
「〈大衝撃波〉!」
それに対し、シャラナは強力な魔力の衝撃波を放ち、大気に歪みが生じた空間内の〈毒晶針〉を弾くが如く粉砕する。
「うげぁ…!」
そして不可視の衝撃波はそのまま前方へと伝い、毒沼の精霊に直撃する。
「もう嫌ーっ!〈魔獣召喚〉!」
鈍痛を生じ苛立った毒沼の精霊は召喚魔法を発動し、幻惑の眼鏡蛇2匹と大眼鏡蛇1匹を呼び出す。
「あの人間の娘を殺すのよ! 行け!!」
召喚者の命令に従い、3匹の眼鏡蛇は弾かれたかの様に毒沼を勢い良く泳ぎ出す。
向かって来る魔獣3匹を迎撃しようとシャラナは魔法を発動させようとした。
「あれは任せて」
その直前に、ミリスティがシャラナの射線上を手で遮りながら前に出て、自然な流れで矢を取り出し弓を構え、弓弦をスッと引き絞る。
そして刹那、3本の矢が音も無く射られた直後に3匹の眼鏡蛇の脳天を穿つ。
穿たれた幻惑の眼鏡蛇と大眼鏡蛇は長い軀体を撓んだ鞭の様に力無く崩し、バシャンと毒沼の水面へ倒れ、そのまま浮いて動かなく為る。そして全身を煌めく無数の粒と為って跡形も無く消えた。
召喚された存在は召喚者の魔力で仮の身体を構成し、それに己の意思・生命力・魔力を宿らせて本来の身体と同様に動かす事が出来る仕組みである。しかし、魔力のみの構成体はずっと居続ける事は出来ず、一定の時間経過で強制送還されてしまう。そして召喚した存在は倒しても生命が完全に潰える事は無く、戦闘不能状態と為って強制送還されるだけだ。
但し、暫く再召喚する事が出来なくなるという欠点がある為、何度も同じ存在を召喚して肉壁として酷使する方法は出来ない。
「あ! ちょっと! 何勝手に邪魔するのよ! 手は出さないって言ってたでしょ、嘘吐き!」
「貴女には何もしてないから、約束は破ってないよぉ」
「それに、其方だって私達にも攻撃して来たし、御相子」
ミリスティとミュフィに正論を言い返され、毒沼の精霊は言い返せず悔しい表情を浮かべる。しかし、その表情は怒りの色が滲み出た笑みへと変える。
「……そう。だったら……もう容赦しないわよ!!」
毒沼の精霊がそう口にした直後、一行の背後に在る林の中から多数の魔物と動像が次々と現れた。
毒茸生物は上空に毒性の胞子を散布し、紫毒の粘体と紫毒の大粘体は毒液の弾を多数飛ばし、その中を毒岩の動像と毒怪樹人が駆け抜け、隠伏の紫毒蛇がその後を追う様に地面を密かに這って、一斉に襲い掛かり出す。
「〈中度麻痺〉!! 無抵抗のまま殺られちゃえ!! キャハハハハハハハ!!」
其処に毒沼の精霊が強力な麻痺の魔法を一行全員に掛け、狂った様に嗤い声を上げた。
どれだけ強かろうと、動きを封じてしまえば肉の案山子だ。
防御が高かろうと、毒岩の動像達による暴力で壊すが如くグシャグシャに叩き潰せば良い。
それでも未だ耐えるなら、直接毒を注入して徐々に死へと至らしめてしまえば此方の勝ち。
馬鹿正直に真っ向勝負なんてする必要は無い。
勝てば良いのだ。
此処では全ての卑怯な手段は生存する為の正当な行為なのだから。
毒沼の精霊は彼等の惨たらしい姿を頭の中で無意識に浮かべた。
しかし、その確信に近い予想は完全に外れるのだった。
「良ーし、遣るぞ皆」
ダムクの平然とそう口にしたその後――――襲い掛かる魔物と動像が多数同時に吹っ飛んだ。
「…………へぇ?」
目に映ったのは、幾度も切断され、砕かれるが如く肉体を破壊され、石屑や木屑と化した身体の破片が飛び散る光景だった。
一瞬の出来事に、毒沼の精霊は何が起こったのか理解が追い付けず呆けてしまう。
「何で……? 何で動けるの……? 私、麻痺の魔法掛けたよね?」
そして思わず、彼等の中の誰かに問い掛けた。
「何でってそりゃあ、俺達は全ての状態異常耐性を上げる魔道具を付けてるからさ。毒だけ対策するだけじゃ生き残れないんでな」
ダムクから告げられたあらゆる状態異常へ万全に対策している事実に、毒沼の精霊は歯を食いしばり口から悔しさが溢れる声を漏らす。
因みに耐性系の魔道具を一切持っていないガイアは――――。
――――特殊技能〈麻痺耐性〉獲得――――
(あっぶな!! そういえば僕、麻痺耐性無かったんだった!)
運良く麻痺に対する耐性特殊技能無しで抵抗する事が出来、その一度の麻痺抵抗によって〈麻痺耐性〉を獲得する事に成功していた。
麻痺の魔法を掛けられた時は如何しようかと、内心ヒヤッとしたのは内緒である。
「畜生が!!〈魔獣召喚〉〈怪昆虫召喚〉!!」
そして再び召喚魔法を発動し、幻惑の眼鏡蛇6匹と射殺し大蜂13匹を呼び出す。
「〈妖精召喚〉!!」
そして更に呼び出したのは毒沼の精霊の眷属である2体の妖精種――――毒妖精である。
(お! あれって妖精か!?)
その妖精種を初めて目にしたガイアは、目を見開いてその姿を観察し出す。
身長は成人した人間の掌くらいで、性別が違えど何方も可愛らしい顔をしており、妖精ならではの特徴である蝶の羽は毒々しい模様で彩られている。そして毒妖精の美しい羽の鱗粉は幻惑作用を含んだ毒であり、吸い込めば幻惑作用によって毒に侵される苦しみを感じず、知らず知らずに死に至ってしまう。
「おやおや、護衛の毒妖精も呼び出しおったか」
(なるほど。あの妖精は近衛的な奴か)
エルガルムが口にした内容を耳にしたガイアは、召喚された2体の毒妖精の役割を理解する。
「あれはちょっと厄介ね。あれはあたしが排除するわ」
ベレトリクスが杖を毒妖精に向け、魔法による一撃でシャラナの闘いの妨げを排除しようとし出す。
「いえ、ベレトリクスさん。あの毒妖精は私が遣ります」
そんな彼女の行動をシャラナは止め、自分が相手すると答えた。
「あら、良いの? あれも纏めて遣るのは結構キツいわよ」
「そうですね。ですが、これも今後の自分の為に必要な経験です。これくらいは越えないと、この先思い遣られますから」
「……そうね。こんくらいは熟せる様にしなくちゃね」
ベレトリクスはふっと笑みを浮かべ、シャラナの遣る気を重んじる。
「良いわ。他の邪魔な奴等はあたし達が始末するから、打ちのめしてらっしゃい!」
「はい!」
「余裕振ってんじゃないわよ!!〈毒茨の鞭〉!!」
毒沼の精霊は多数の毒茨を発生させ、ベレトリクスに向けて鞭の如く打ち付けようと仕掛ける。
「――――〈枯死への導き〉」
ベレトリクスがそれに対する魔法を発動したその瞬間、毒茨が急速に萎れ、パキパキと乾いた音を立てながら全てが朽ちた。
「ヒェ…! 私の毒茨が一瞬で枯らされた…?!」
毒沼の精霊はその魔法による現象に怖気を催した。
「あらあらぁ、あたしに攻撃してくるなんて良い度胸ねぇ。シャラナ以外は手を出さないって言ったから、手を出しても危険は無いって高を括っちゃった? それとも、手を出すと如何なるのか知りたくて好奇心が湧いちゃったのかしらぁ?」
ベレトリクスが浮かべた暗みの在る笑みは美しながら恐ろしく、嗜虐的な目付きで向けられた視線からは「あんたも同じ様に枯らして上げましょうか?」と告げているかの様である。
「ピェーッ!!」
そんな恐ろしい視線に、毒沼の精霊は思わず恐怖の声を上げてしまうのだった。
(ヒェー……マジでおっかない)
そんな毒沼の精霊の心境にガイアは同情を抱く。
ホントに怖い。
本気で怒らせたら、此処一帯を何もかも枯らし朽ちさせてしまいそうだ。
「おーおー、おっかないのう」
ベレトリクスとは永い付き合いの仲であるエルガルムは、その幾度も見た様子に呆れるのだった。
「へぇー、植物を枯らせる魔法か。俺達が知ってる森司祭が使う魔法とは違う感じだな」
ダムクはベレトリクスが行使した自然系統魔法が知っているものとは性質が異なっていると何となく感じた。
ベレトリクスが使った魔法は、植物を操る点は森司祭が使う魔法と同じである。
森司祭の魔法は樹木や草花、それ等に関わり宿る精霊といった超自然的な存在を崇め、それ等が持つ自然活力と調和する事によって、植物や治癒、そして高位の者は天候を操る事が出来る神聖系統に類似している魔法である。
一方、ベレトリクスが修めている職業――――植物呪術師は神への信仰や自然崇拝といった神聖的な魔導師系職業では無い。己の魔法で様々な植物を生やし、時に直接干渉して様々な作用を齎すのが主である。
解り易く言ってしまうとこうだ。
森司祭は自然的様々な存在に呼び掛け、それ等の持つ力を貸して貰い魔法として行使する。
植物呪術師は己の魔力で植物生成と支配を可能とし、干渉した植物に対して特定の作用を起こす魔法を得意とする。
因みに、毒沼の精霊が使っていた毒茨を生やす魔法も植物呪術師が扱う魔法の1つである。
「それにあの魔法、如何やら怪植物類にも有効みたいだね」
ミリスティの言う通り、毒茨の枯死現象を目にしていた毒怪樹人と毒茸生物が脚を止めていた。本能的に、不用意に近付けばあっという間に枯らされてしまうと悟っているのだ。
ベレトリクスの魔法は、相当な牽制効果を怪植物類に影響させたのだ。
「くははは! 余程枯らされるのが怖いと見える。ではリーダーよ、そろそろ本格的に始めても良いか?」
ヴォルベスは左右の拳をガツンと当て、遊撃し出そうとする構えを取りながらダムクに訊ねる。
「ああ、良いぜ!」
ダムクはそう言い、互いはニッと不敵な笑みを浮かべる。
「行くぞ! 掃討開始だ!」




