毒沼の主25-2
太陽が地平線から顔を出す早朝に、全員は起床する。
無論、ダンジョン内では太陽は無い。
どんよりとした薄暗い空間である為、朝なのか判断がし辛い。
腹八分目の朝食を摂り、天幕の解体や篝火の後始末をする。
そして錬金防酸塗布剤を各自の持ち武具に塗布する。垂らし付けたそれは油膜を張る様に武具の全体を覆い、溶け込むかの様に浸透する。何かの薬品が塗られた様な湿りは一切無く、最初から何も塗られていないとしか思えない状態だ。実に不思議な魔法の塗布剤である。
ダムクが装備する武具全てには防酸魔法が施されているが、ダムクは念には念を入れて塗布し、酸への対策を十全にする。
最後に魔物避けの御香の器を回収し、解毒防覆面を装着した一行は石塔から出立した。
視界全体におどろおどろとした汚染毒沼の光景を映しながら、出来る限り毒沼から離れる様に陸路を進んで行く。
ミリスティの感知特殊技能には、多数の魔物の気配が常に入り込む。距離や場所はバラバラで、大体が常に徘徊している。そして当然の様に進む先に居る魔物も捉えている。
メッチャ行きたくない。
一行の中で幾人か――――主に女性――――は胸中でそう嫌悪する。
だが、其処を通らなければ進まないし、進まなければ抜けられない。
行く先の道を陣取る様に居座る疫病大鼠、紫毒の粘体、黄酸の粘体、毒怪樹人。
道中で上空からは暗窟の蝙蝠、肉食奇形蠅。
そして毒沼の水面下からは毒蠕虫、毒沼蛭、紫毒大蝦蟇がやって来る。
ほぼ何れもが毒や酸、疫病を持つ厄介な生物ばかりだ。
少しでも時間を掛けてしまえば毒や酸を引っ掛けられる上、素肌を晒した手で触れれば毒が付着したり、相手によっては疫病をうつされる。真正面から排除するのは明らかに危険だ。なので、汚染毒沼での戦法は遠距離攻撃や一撃必殺の奇襲が主となる。
武器で排除するなら弓矢に投擲吊革、投槍や投げナイフといった飛び道具系の消耗品だ。そして当然、魔法による確実な殺傷も有効だ。
戦闘は出来る限り大きな音を立てずを心掛ける。下手に騒いだり喧しい戦闘音を響かせば、それを聴き付けた魔物達がやって来てしまう。余計な戦闘は無駄に体力を消耗するだけだ。
少数に対しては弓矢や暗殺、単体攻撃魔法による各個撃破。
多数に対しては武技による多数を巻き込む遠距離攻撃や、広範囲攻撃魔法による速攻殲滅。
倒した大半は短杖型の魔道具――――火を噴く松明で焼いてしまい、芯まで加熱殺菌してから魔石を回収する。紫毒大蝦蟇と毒怪樹人は有用な素材と成るので、魔法の小袋に仕舞い込む。
残りはゴミ処理ならぬ死骸処理として、擬態宝箱の口の中へ放り込む。
盛り上がった陸路を踏み締め、連なる様に毒沼から突き出た大きな石柱の上を跳んで渡り、大岩の外壁が不自然に削られ出来た道を滑落に気を付けながら下り進む。
多数の岩石が小さな山を形成し、周囲に毒沼が無い道を挟まむ様に連なった谷底を進む途中で、隠伏の紫毒蛇や毒茸生物に遭遇する。当然の如く倒し、死体を回収して先を進む。
隠伏の紫毒蛇は感知特殊技能に優れた者が居るので奇襲は無意味であり、毒茸生物は空気中に散布される毒胞子に気を付ければ余り脅威には為らない。万が一に毒の牙や毒胞子によって毒状態と成っても、解毒魔法薬が多数有るので然程問題は無い。
今の所、進行はそれなりに順調である。
だが、石塔から小さな岩石連山の谷底まで、既に凡そ5時間が経過していた。
常人なら脚が棒になっている長時間の徒歩だ。
一旦小休止するべきだが、半径25メートル前後範囲に魔物が複数うろついている為、一時休憩するには高い危険が伴う。
其処で強壮魔法薬の出番である。
石塔を出立する前にベレトリクスから渡された魔法薬を取り出し、その場で各自1瓶飲み干す。
ベレトリクス特製の上級強壮魔法薬の効能により体力的疲労は回復し、長時間持続の体力上昇効果が各々の全身に染み渡る。
これで暗闇が訪れる時間迄は充分に体力が持つ。
岩石小山の谷底を抜けた先には、異様な生え方をしたおどろおどろしい樹々が立ち並ぶ光景が広がる。
通称――――毒沼林。
其処は毒草や毒茸といった毒性植物類が多く群生し、毒怪樹人や毒茸生物などの有毒怪植物類が最も多く生息している場所だ。
鬱蒼とした森とは違い、先を見通し易い。とはいえ、視界の端から端まで樹々が映る広さだ。方向を確認せず適当に突き進めば迷ってしまうだろう。
「良し、此処は今日中にでも抜けるぞ。ミュフィ、此処からは俺達との距離を縮めろ。下手に先行しねぇ様にな」
「了解」
「ミリスティ、頼むぞ」
「了解」
ダムクがミュフィとミリスティに指示を出した後、毒沼林へと足を踏み入れる。
枯れ木の様な樹々並び立つ不気味な林の中を、全員は気を引き締め突き進む。
そんな世界をガイアはキョロキョロと見渡す。
(あれは……怪樹人じゃない)
視界に映る無数の立木は今にも動き出しそうな不気味さを感じさせ、感知特殊技能で擬態した怪植物類じゃないと看破しても、必要以上に疑ってしまう。
ガイアが唯一持っている感知系特殊技能の〈魔力感知〉は魔法や生物に限らず、魔力が宿ったあらゆるものを感知するが故、はっきりとした識別までは出来ない。識別するには感知力をより鍛錬して高め、特殊技能〈魔力識別認知〉を修得しなければならない。
現時点でのガイアは、感じた魔力の強弱や属性は直ぐに理解出来るが、生物と無機物が宿す魔力波長といった微妙な違和感を識別するのは余り出来ない。
魔法での識別方法も在るが、それも修得していない。
補助系の魔法も多く修得しておくべきだったと、ガイアは後悔を抱くのだった。
「止まって」
ミリスティの短い言葉に、全員はピタリと脚を止めた。
「彼処の立木、毒怪樹人だよ。隠蔽特殊技能を持ってる個体みたい」
ミリスティが指差す先に在る歪な樹木に、ガイアは〈魔力感知〉を集中させる。
(う~ん……。他の樹と違いが判らん……)
感じ取れる魔力は他の樹々と大体同じ微弱なものであり、違いが判らないガイアは首を傾げる。
「良く判りますね。私の〈魔力感知〉では他のと同じ立木にしか感じれませんが」
シャラナも〈魔力感知〉を集中させて確認したものの、それが毒怪樹人だと判らなかった。
「私は識別の特殊技能が有るから直ぐ判っちゃうんだぁ」
ミリスティには有している感知系特殊技能を補助する識別系特殊技能を持っている。生命気配と魔力気配の両方がはっきり識別出来る為、何かに擬態する魔物は直ぐに見破れる。
「立木に擬態する怪樹人は自身の生命と魔力の気配を小さく抑え、感知を欺く個体が少なくは無いからのう。特に古き怪樹人といった上位種となると殆どが有しておる。貴重な感知訓練に成るから、良ーく感じ取っとくのじゃぞ」
気配を隠蔽した存在に対する感知訓練は、普段では中々出来ない事だ。ダンジョンではそういった経験も積む事が出来るのが長所である。
「ミリスティ、近くに他の奴は居るか?」
ダムクは他に魔物が近くに居るか如何かをミリスティに問う。
「近くても半径凡そ30メートル」
「それなら静かに排除するのが最善だ。ミュフィ」
「了解」
ミュフィは腰に付けた破貫の漆黒短刀をスルリと鞘から抜き取る。その直後、彼女の姿は消え其処に影が残るが、それもほんの極僅かで消え失せる。
音も無く、仄かな閃きが2つ線を引いた。
「完了」
ミュフィがそう短く、もの静かに口にした時には擬態していた毒怪樹人の身体が切断され、困惑と痛みの呻き声を漏らした後、沈黙する。
「回収」
切断した毒怪樹人の身体が地面に崩れ落ちる前に、ミュフィは自前の魔法の小袋へと即座に仕舞い込む。
まさにあっという間である。
「良し、進むぞ」
そして今の一連が無かったかの様に一行は直ぐに進行を再開し、瞬殺した毒怪樹人が居た場所を通り過ぎた。
進む先で密かに待ち構え、擬態し、襲い掛かる魔物を排除し、素材と成るものは回収し続け、不気味な静寂が満ちた林を進んで行く。
「――――此方に来てる」
大分奥まで突き進んだその時、ミリスティの言葉に全員が脚を止めた。
「何が来る?」
ダムクは前方を向いた儘、短くミリスティに尋ねる。
「生き物じゃない奴。この感じ、毒岩の動像だね」
「毒岩の動像か。って事は、この先に毒沼の精霊が居るな」
(スピリット………って事は、もしかして精霊!?)
ダムクが口にした存在の名称に、ガイアの内に在る好奇心が反応した。
未だ見た事が無い幻想の異世界ならではの存在に初めて会える事に、ガイアはワクワクと子供の様な心境を抱くのだった。
「毒沼の精霊…。沼の精霊なら聞いた事はありますが、どんな精霊なのですか?」
シャラナは毒沼の精霊について尋ねる。
その問い掛けに対し、答えてくれたのはミリスティである。
「毒沼の精霊は毒沼地帯に生息する中位級の精霊でね、猛毒の魔法で仕留めた獲物から魔力を吸い取って力を蓄えるの。結構危ない精霊なんだ」
(あれぇ? 何か思ってたのと違う…)
ガイアは想像してた精霊の印象と違う事実に、内心困惑した。
余り精霊に関する知識が余り無い者は善の印象を良く抱くが、悪に偏った精霊もこの世に存在するのだ。特にダンジョンに出現する妖精や精霊に属する種は他者に害を為す。例外も存在するが、それ以外の殆どは危険な種である。
「さっき言った動像は毒沼の精霊が造り出した物なの。だからこういう場所であれが居たら、毒沼の精霊が近くに居る証拠になるの」
つまりは、毒沼林は毒沼の精霊の縄張りという事だ。
「安全を考慮して其奴との接触を避けるなら、予定の経路を外れて迂回した方が良いんだが。ミリスティ、此処から左右の迂回経路先に魔物はどれ位居る?」
「ちょっと数が多いね。位置も動向もバラバラだけど、下手に進めば囲まれる可能性が在るね。予定の経路上なら今の所、迂回経路よりも比較的少ないよ」
「そうか。エルガルム様、如何しますか? このまま予定通りに進みますか?」
ミリスティの感知情報を聴いた後、ダムクはエルガルムに迂回するか否かを尋ねた。
ダムク達の役目はエルガルム達の護衛――――依頼内容ではシャラナを優先に護衛する事――――だ。危険な道を選択するのは護衛者としては宜しくない。
しかし、シャラナにダンジョンでの経験を積ませるエルガルムの方針が有る。如何進むかはエルガルムの意思が優先される。
「うむ、このまま予定通りに進もう。折角じゃから、毒沼の精霊との戦闘経験をさせとこうかの」
エルガルムの答えに、異を唱える者は居なかった。
「分かりました。このまま予定の経路を進みます」
「リーダー、残り30メートル」
ミリスティの言葉に全員戦闘態勢を取り、前方を見据える。
ズシリ、ズシリと、重く大きな足で大地を踏み締める音が徐々に近付いて来る。
そして樹々の広い合間を縫って此方へとやって来る存在の姿が視界に映り込む。
(……あれが毒岩の動像か)
現れたそれは人型の大きな岩石であり、無骨な造形で、ぬらっとした緑色の奇妙な模様が全身を包む様に広がっていた。頭部の正面顔は大きな黒い窪みが在り、不気味な雰囲気を漂わせる。
「そういえば訊き忘れてたが、何体居るんだ?」
ダムクは大剣を鞘から引き抜き、盾を前方に構えた状態でミリスティに問う。
「3体。後の2体は未だ少し遠くだけと、ざっと1分で此処に着くよ」
毒岩の動像は硬い身体と動像ならではの怪力に加え、魔法への耐性を有している。そして一番の特徴は、顔面の窪みや身体中から毒ガスを噴出させる機能である。当然、毒岩の動像は生物では無い為、自ら噴出し周囲を毒ガスに満たした空間でも平然と行動出来る。
だが、問題は無い。
此処に居る全員は、解毒防覆面や状態異常耐性上昇の魔道具による毒への対策はしっかりしている。
それに、個人で誰が相手しても実力的に勝てる。
問題が在るとすれば、毒岩の動像の数程度だ。
「悠長に闘ってると合流されて面倒だ。最初に来たあれをとっとと倒すべきだな」
ヴォルベスは右の握り拳を作り、瞬時に毒岩の動像を粉砕する準備をする。
1体だけならとても余裕だ。しかし、3体同時に相手するとなると面倒である。3体揃う前に1体は即座に倒すという、戦闘での大きな有利を獲得するのが、危険の軽減に繋げるべきだという事だ。
「ふむ…。ではシャラナよ、他の毒岩の動像が来る前にあれを1人で倒してみなさい」
「はい、分かりました」
エルガルムから課題を言い渡されたシャラナは、短杖ホルダーから短杖を引き抜き、進む先を遮る様に立ち塞がる毒岩の動像を見据えながら前に出た。
前に出て来たシャラナを無い目で認識したのか、毒岩の動像は全身から緑色の気体を噴出し出す。噴き出されたそれは仕込まれた魔法――――〈毒霧〉によるものだ。少しでも吸って肺に取り込んでしまえば毒に侵される。
だが、装着している解毒防覆面の御蔭で吸い込む毒ガスは即無毒化するので、障害には成らない。
それ以外での対策例を1つ挙げるなら、魔法で風を起こして吹き飛ばしてしまえば簡単に済む。
〈毒霧〉が対策出来ていれば、後は岩石の動像を相手にする様な感覚で倒せば良いだけだと大抵の者は思うが、毒岩の動像の身体に仕込まれた機能はそれだけでは無い。
顔面の深い窪みからは液状の毒を敵に向けて噴射し、少しでもそれが皮膚に付着すればじわじわと浸透し、徐々に全身が毒で侵される。毒液噴射の射程距離は最大で凡そ8メートル、近距離は勿論の事、中距離でも毒の脅威が飛んで来る。
シャラナは魔導師の特権といえる強力な遠距離系魔法攻撃で仕留めるのが、安全かつ最善の戦法だと自己判断し、約15メートルの距離を取り、一撃で粉砕する魔法を選択する。
「〈疾風の投槍〉!」
風系統中位級魔法、風属性の魔力で構成した貫通力の高い投槍を毒岩の動像に向けて放つ。
身の危険を認識した毒岩の動像は、前方の地面から分厚い石の壁を出現させた。
(土系統魔法も使えるのか)
毒岩の動像が行使した魔法〈石壁〉をガイアは目にするが、驚きはしなかった。そして、その防御は意味が無いぞと、口の中で言葉を転がす。
地面から突出した石壁を〈疾風の投槍〉がいとも容易く貫通し、勢いは落とさずそのまま毒岩の動像へと一気に迫る。
毒岩の動像は鈍重であるが故に当然避ける事は出来ず、シャラナが放った魔法が直撃した。ある程度有した魔法耐性で抵抗するも、威力・貫通力ともに強力な魔法に耐え切れず、動力源を穿たれる。
動力源を失い、完全に消沈した毒岩の動像の身体は崩れ、只の岩石へと戻るのだった。
あっさりとした決着だった。
「一撃粉砕。御見事」
ヴォルベスは称賛の言葉をシャラナに送る。
「ふむ……上々の出来じゃがちと威力が有り過ぎかの。〈疾風の騎士槍〉でも充分じゃったな」
エルガルムも褒めるが、毒岩の動像を1体相手に少し魔力を使い過ぎであると指摘する。
「魔法耐性が有る事を考慮して威力と貫通力が高いのを選んだのですが、何か思ったよりも強かったみたいです」
「あら、それって魔力の質が上がった証拠じゃない。良い傾向だわ」
ベレトリクスの言葉にシャラナは明るい笑みを浮かべる。
(おおー! やったやった!)
ガイアもその事実を聴いて、胸中でシャラナの成長を喜ぶ。
「次、来たよ」
ミュフィの報告の後に、新たな毒岩の動像が2体、姿を現す。
「良し、今度は俺だ。もう1体は誰が仕留める?」
「俺が遣ろう」
今度はダムクとヴォルベスが前に出て、互いは構える。
現れた毒岩の動像2体は一行に接近しながら、周囲に〈毒霧〉を撒き散らす様に噴き出す。
「相変わらず決まった初動だな」
ダムクはそう言い、大剣を握り締めた腕を後方へと引き絞る。
「武技〈烈風穿波〉!!」
引き絞った腕を弾丸の如く前へ突き出した瞬間、大剣に纏う空気は研ぎ澄まされ、鋭利と成った風は一点に集束する。直後に放たれた実体無き切っ先の一撃は、射られた矢の如く飛びながら空を容易く押し出し、強烈な風圧を巻き起こす。そして鋼鉄をも貫く槍の如く、約15メートル先の毒岩の動像の分厚い岩石の胸部を容易く穿った。
その初動から直撃まで――――一瞬であった。
胸部にぽっかりと大きな風穴を開けられた毒岩の動像は、刺突武技の余波によって後方へと倒れ、無骨な身体は只の岩石へとバラバラに崩れるのだった。
「特殊技能〈跳躍迅進〉!」
ヴォルベスは良く弾むゴム製の小さな球の如く跳ね回る様に、毒岩の動像へと急速接近する。
「武技〈金剛貫手〉!!」
既に引き絞っていた腕を勢い良く突き出し、ぴんと伸ばした4本指で毒岩の動像の硬い胸部を穿った。そして無造作に手を引き抜き、踵を返して悠々とその場から数歩離れる。
当然の如く、貫手によって穿たれた毒岩の動像の全身は崩れ落ち、只の岩石と成るのだった。
流石はS等級冒険者。毒岩の動像なんぞ訳無い。
「さて、先を行こうか。ミリスティ、毒沼の精霊の探知は任せたぞ」
「了解」
3体の毒岩の動像を排除した後、一行は先へと再び進み出す。
ミリスティの感知情報の通り、予定通りに進む経路では魔物の出現が随分と少なかった。遭遇するのは不気味な立木に擬態する毒怪樹人と、徘徊する毒岩の動像くらいだ。
余り遭遇しない分、体力が温存出来るので有り難い。
遠くだが肉眼で見える毒沼にはひっそりと何処かを見ている何かが居るが、水面下から顔を僅かにしか顔を出していない為、どんな姿か全く判らない。
だが、汚染毒沼を知り尽くしている者ならそれが何なのか予想が付く。
毒沼に住み着く魔物の中から候補として直ぐに挙がるのは、紫毒大蝦蟇だ。
ひょこっと顔を出しているあれはきっとそれだろう。
そして見慣れない妙に大きな真紅の花をちょくちょく見掛け、僅かに蠢いた瞬間を目にしたりする。
気のせいか? とそれを見たガイアは怖気混じりの困惑をする。
蠢いたそれは、不用意に近付いたり、気付かぬ儘近くで通り過ぎた生物を長い蔦で捕らえ喰らう食肉怪植物類だ。力無い者が一度でも捕まれば、絡み付いた蔦を自力で解く事は叶わず、生きたまま喰われてしまう。
だが、怪樹人とは違い歩行する事は出来ず、一度生えた場所からは動く事が出来ない。故に蔦が届く射程範囲内に近付かなければ襲われる事は無い。
無駄な戦闘、余計な吹っ掛けはせず、遠くの魔物を無視してひたすら進み続ける。
「リーダー、見付けたよ」
そして暫くして、ミリスティが毒沼の精霊の存在を感知した事を口にする。
「方向は?」
その情報に対し、ダムクは透かさず居場所を尋ねる。
「この先。距離からして、進む経路の途中に在る大きな毒沼に居る」
「彼処か」
予想はしていた。そう思っていたダムクの顔に薄っすらと困った色が浮かび上がる。
「まぁ、問題は無いか」
しかし、そんな感情は何処かへと消え失せた。
「御令嬢さん、複数戦の準備をしとくように」
「複数戦……。毒岩の動像を使役して来るんですね」
「動像もそうだけど、召喚魔法も使って来るわ」
シャラナの不完全な理解に、ベレトリクスは補足を入れる様に教え出す。
「毒沼の精霊は単体でもそれなりに強いけど、召喚魔法や動像の創造魔法で数を増やされると厄介な相手よ。前衛は任せて自分は後方から毒に酸、束縛の魔法も使って来るから面倒よぉ。先に潰したくても必ず近くに護衛を置くから、結構イライラさせられるわ」
(おぅ……それは確かに厄介だ)
そんな説明を耳にしていたガイアは、毒沼の精霊の厄介さを知識的に理解する。
召喚した複数の僕と創造した複数の毒岩の動像による数の暴力で強引にでも押し込まれ、そんな状況下にの毒や酸を撒かれたり、束縛魔法で此方の行動に幾度も茶々を入れられるのは堪ったものではない。
そんな嫌な状況が容易に想像出来る。
この汚染毒沼に到達出来る最低限の実力を有した冒険者一党では、毒沼の精霊を相手にするのは難しい。
しかし、此処に居る彼等ほぼ全員はS等級の実力者だ。召喚された魔物や創造された毒岩の動像が複数居ても問題は無い。本気を出せば瞬殺出来るのだから。
それにシャラナも、小鬼の王と小鬼の群れを一人で倒した実力が有る。毒沼の精霊に引けは取らないだろう。
「それとエルガルム、シャラナに毒沼の精霊の相手をさせるんでしょ」
「無論じゃ。最下層へ辿り着く前に出来得る限り、シャラナには多種多用な経験をさせなければの」
「毒沼の精霊相手に御令嬢さん1人で遣らせるんですか?」
エルガルムとベレトリクスの話の内容に対し、ダムクは尋ねた。
「いや、今回シャラナには毒沼の精霊のみに相手して貰い、御主達には召喚された魔物と創造された毒岩の動像の排除を御願いしよう。出来ればシャラナにそれ等の相手もさせたいが、儂等は先を行く身じゃ。この領域に余り長居するのはちと酷じゃからのう」
長居はしたくないというエルガルムの意見に、他の皆は其々同意の色を浮かべる。
此処に居る彼等だけに限らず、誰もが毒や異臭に満ちた最悪な環境に居たがる訳が無い。
だが、此処は異世界。汚染毒沼の様な環境に身を置きたがる狂人や変人が居ても可笑しく無い。ガイアはそう思うのだった。
「じゃが、毒沼の精霊たった1体だからといって、そう易々とは倒せん相手じゃ。今のシャラナでもそれなりには梃子摺る敵じゃから、油断せぬ様にな」
「はい、解りました」
師から言い渡された新たな課題、毒沼の精霊との闘いにシャラナはほんの僅かながら、適度に張っていた緊張の糸を無意識に更に強く張るのだった。
毒沼林の奥深くへと歩み進んだ一行の視界に、一際大きな毒沼が映り込む。
この汚染毒沼に入ってから見て来た毒沼とは違い、不自然な程にはっきりとした紫色をしており、仄かに光を放っているそれは、妙に艶やかである。
「……彼処に居るのですね」
シャラナは〈魔力感知〉で視線の先に在る毒沼から、姿見えぬ魔力を感じ取る。
「そうだよ。あんな風に光ってる毒沼には必ず毒沼の精霊が居るの」
ミリスティはそう説明しながら、その毒沼の周囲に潜むあらゆる存在を感知特殊技能で入念に確認する。
しかし、一行の周辺には毒沼の精霊以外の存在が近くに居ない。感知範囲内に居る生物はかなり遠い場所である。
――――妙だ。
一行の中で、毒沼の精霊を知る者はそう違和感を感じる。
「……リーダー」
「ああ、わざと誘ってるな」
ミリスティはダムクに声を掛け、彼女が何が言いたいかダムクは理解し、短く断言する。
毒沼の精霊には〈魔力感知〉の特殊技能を有している。故にこの毒沼林に多少深く入り込んだ時に感知され、動向を監視され続けていたという事だ。
それに途中から、毒岩の動像が出て来なく為ってる。その理由は判らないが、毒沼の精霊がそれ等を一行から身を引かせている事だけは断定出来る。
「彼方さん、確実に獲物を手の届く所まで誘き寄せたいんだろうな。何せ、此方には非常に上質な魔力を持ちが居るからな」
人は魔法の才が無かろうと、魔力は少なからず生まれ持っている。純粋な戦士であるダムクやヴォルベス、盗賊職のミュフィにもだ。
毒沼の精霊は魔力が少ない者からでも自分が支配する毒沼へと引き摺り込んで魔力を吸い取るが、上質で膨大な魔力を好む。そんな毒沼の精霊が彼等を誘い込んだ目的は、5つの上質な魔力――――エルガルム、ベレトリクス、ミリスティ、シャラナ、そしてガイアだ。
「特に極上なのが此処に御座すしな」
ヴォルベスの言う通り、特にガイアは極上中の極上であり、魔導の偉人であるエルガルムとベレトリクスの魔力量を合わせても比べようが無い程膨大な魔力を有している。魔力を糧にし、それを己が力にする毒沼の精霊にとって、それは極上の獲物だ。
だが、中位級の精霊程度などガイアの敵では無い為、戦闘に於いて劣勢に成る事は決して無い。毒沼の精霊が主力で行使する毒魔法は一切効かないので毒殺される事は無い。
ガイアが本気を出せば、易々と瞬殺出来るのだから。
もしかすると、あの毒沼ごと豪快に消し飛ばせるかも。
「ミリスティ、毒岩の動像や他の魔物の気配は如何だ?」
「随分遠くだけど、私達を毒沼ごと囲っている。毒岩の動像の数は26体、毒怪樹人は23体、毒茸生物は15体、紫毒の粘体は40匹、紫毒の大粘体は2匹」
「なるほど。随分な数を支配下に置いてるみたいだな」
ミリスティの感知情報を聴き、ダムクは少し呆れた表情を浮かべる。
「よっぽど逃がしたくないんでしょうねぇ」
「じゃろうな」
ベレトリクスとエルガルムは平然とし、全く問題無いと言わんばかりに余裕な様子である。
「それじゃ、毒沼の主との御対面と行こうか。御令嬢さん、心の準備は良いか?」
「正直不安ですが、大丈夫です。行きましょう」
「安心しろ。邪魔な奴等は俺達が対処するから、毒沼の精霊に力の差を見せ付けな」
ダムクは頼もしい笑みを見せ、シャラナの内に在る不安を照らし払う。防覆面越しなので、口元の笑みは見えないが。
「ミュフィ、戦闘開始時に単独で隠れた奴を優先に排除してくれ」
「了解」
「では、私も隠れた敵の排除を遣らせて頂きます」
ライファは自分も遊撃の役割を担うと自ら申し出る。
「有り難い。それなら左右で二手に別れて頼みます」
「はい。御嬢様の事を宜しく御願いします」
「勿論だとも。ミリスティは毒沼上と上空の敵を優先に頼む。ヴォルベスは俺と近辺の敵の迎撃しながら御令嬢さんの護衛だ」
「任せて」
「了解だ」
ダムクの指示に、ミリスティとヴォルベスは了承の返事をする。
「では、儂等は儂等で己の身は護る」
「此方の事は気にしなくて良いわ」
エルガルムとベレトリクスは極力戦闘には参加せず、降り掛かる火の粉は自分で払い、シャラナの闘いを見守る方針だ。
ガイアも其方側として、シャラナの闘いを見守る形と成る。
「了解です。もし不測の事態が起きた際は宜しく御願いします」
ダムクは了承し、全員と共に視線の先に在る毒沼へと近付いて行った。




