毒沼の主25-1
先程まで居た煌めく大晶洞の景色から一変し、一行は何処かへと不時着する。
「全員居るか!?」
転移後、エルガルムは辺りを見回しながら声を掛ける。
「俺達の方は無事です!」
ダムクの一党は欠ける事無く、全員揃っていた。
「それより御令嬢さんの方は!?」
「此処に居ます! 大丈夫です!」
シャラナとライファも無事であった。
「此方も無事よぉ~」
ベレトリクスもガイアの掌の中に居り、無事であった。
「良かったぁ。バラバラに成らずに済んでぇ」
ミリスティはホッと胸を撫で下ろす。
「ベレトリクス、迷宮の現身は!?」
「死んだわ。今度こそね」
ベレトリクスは迷宮の現身の首を掴んで、力無くだらんとした奇怪な身体を持ち上げ見せる。
「遣られたわ。まさか最後の腹癒せに転移魔法を仕掛けられるなんて」
そう言いながら眉を顰め、その化け物を少々憎たらしく目を向ける。しかし、既に生命尽きたそれは彼女の感情が伝わる事は決して無い。
「うむ……儂とした事が油断したわい。死んだ振りをしながらバレぬ様に魔力を込めておったとは。儂も御主も勘が鈍ったのう」
「そうねぇ。ホント鈍っちゃったわ」
エルガルムとベレトリクスは、隠蔽された魔力に気付かなかった事に情けなく思うのだった。
「……なるほど。此処か」
ダムクは周囲を一瞥し、僅かながら嫌そうに顔を強張らせる。
ダムクの言葉に釣られ、他の全員も周囲を見渡す。
視界に映るのはどんよりとした微かに暗い空間で、周囲には広大な沼が一帯を覆い尽くしていた。
しかし、その酷く濁った沼は毒々しい色をしており、異臭を漂わせている。
(う……! 何だこの臭い……)
ガイアは思わず顔を顰めた。
「えぇ~。よりによって此処なのぉ~」
ミリスティは嫌悪な表情を浮かべ、鼻と口に手を覆い被せる。
「酷い臭い……。此処は何処ですか?」
シャラナも同様に鼻と口に手で覆い、見知らぬこの場所について尋ねる。
「ああ、此処はダンジョン中層内に点在する中で最も広い領域――――〝汚染毒沼〟だ」
(え……汚染毒沼……)
ガイアはもう一度周囲を見渡す。
良く見てみれば、自分達は広大な沼のど真ん中に居た。足場である陸地も広さは余り無い、小さな孤島の様である。そして沼の水深はどれ程なのか全く判らず、その水面下に何が潜んで居るのかも濁りで目視する事が出来ない。
「言う迄も無いんだけど、此処の沼は全部毒だから触っちゃ駄目だよぉ……」
一目見れば言う迄も無い事ではあるが、ミリスティはこの汚染毒沼が初めてであるシャラナに沼の危険性を伝える。
全員には全ての状態異常耐性を付与し上昇させる魔道具を身に付けているので、只の毒なら問題は無い。特にガイアは特殊技能〈毒無効〉が有る為、全身を毒沼に浸かろうがへっちゃらである。
しかし、毒が効かないとしても、衛生面的に自ら毒沼に触れたくは無い。
「この野郎……嫌な場所に転移してくれたわね…」
この状況を作った原因である迷宮の現身に対し、ベレトリクスは睨み付ける。
「じゃが、あの転移で皆がバラバラに飛ばされなかったのは不幸中の幸いじゃ」
「確かに。意図的に転移座標が定まって無かったのに奇跡だわ」
転移座標が定められていない転移魔法は、何処に転移してしまうのか術者も分からない。それを複数対象に行った場合、ほぼ確実に其々が別々の場所へと転移してしまう。
深い森の中、天高い空、大海のど真ん中、極寒の地や岩槳が滾る火山など、知らない何処かへ放り出される様に飛ばされる。
そんな可能性が有る中で、こうして全員が同じこの領域に転移した上、互いが直ぐ近くに居たのは実に奇跡である。
「取り敢えず、先ずは広い陸地に移ろう。此処じゃ魔物に囲まれて面倒な事態に成る」
ダムクはすべき事を発言し、遠くの陸地を指差す。
「異議は無し。直ぐに移動して〝石塔〟に向かうのが賢明だな」
ヴォルベスはイヌ科特有のブサ可愛い渋面をしながら賛成の意を口にする。
獣人族は嗅覚が鋭い故、充満する異臭に対しては相当辛いものだ。
同じ獣人族のミュフィも僅かに顰めっ面に成っており、汚染毒沼の異臭を必死に耐えているのが見て取れる。
「石塔とは何ですか?」
シャラナはヴォルベスが口にした建築物らしき物について尋ねる。
「石塔ってのは汚染毒沼領域内の休息場さ。あのデカい奴がそうだ」
質問に対しダムクが答え、石塔が在る場所を指し示す。
「元々は空洞なんて無い只のデカい岩だったが、随分昔に冒険者組合が大人数の掘削技術に長けた冒険者に依頼して、休息場を造らせたんだ。その護衛の冒険者も結構な人数だったそうだ。何せ此処は広過ぎる上に毒だらけで、しかも此処に生息する魔物は毒や酸を飛ばしてくる奴ばかりだ。それで心身共にかなり滅入る冒険者の為に、毒や異臭が及ばない避難場所を造ったって話さ。まぁ、魔物に関しては難しいけどな」
「あー……。確かに……これ程広大な毒沼に囲まれた環境には永く居たく無いですよね」
シャラナは苦笑の表情を浮かべ納得する。
此処は余りにも広大過ぎる毒沼だらけの領域だ。先へと進む為に、この汚染毒沼を踏破するのは非常に時間が掛かる。運良く魔物に遭遇せず、最短陸路を徒歩で順調に進んだとしても、1日で抜け出す事は不可能である。
「リーダー、早く此処から離れようよ~。既に大体1キロメートル範囲内の魔物が此方に近付いてるよ~」
「マジか、なら急ごう。暗く為ると陸地の毒沼がかなり見分け辛く為る上、魔物との戦闘は不利だからな」
「ならば石塔まで直接飛んで行こう。皆、そのままで」
エルガルムが杖を掲げ、全員に対し魔法を発動する。
「〈飛翔〉」
魔法の効力が全身を包み込み、その場に居る全員は空中を飛行する不思議な力を一時的に身に付けた。
「ガイアはあの魔法じゃ。解るな?」
「ンンンン」(あれだね)
ガイアは魔力を込め出し、自身に向けて魔法を発動させた。
(〈超軽量化〉)
魔法は成功した。
ガイアの足が地面から勝手に離れ、非常に重い身体がふわりと浮かび出す。
ダンジョンに潜る前、ガイアは〈飛翔〉の魔法で何度も飛行を試みたが、全く出来なかった。
その原因は非常に単純――――飛ぶには自分の身体が重過ぎたからである。
〈飛翔〉は己を魔力で包み込み、その魔力を引っ張る様に操作する事で空中に浮いたり移動したりする事が出来る魔法だ。無重力とは違い、宙に浮いていても重力は作用している為、体重に応じて身体は下に引っ張られている。
浮かせられる生物対象の重さは最大で凡そ200キログラム、意外にもかなりの重さでも浮かせられる。
しかし、ガイアは言う迄も無く200キログラム範囲になど収まらない超重量体であり、身体を特殊技能で縮めても飛行可能な重量範囲に入らない重さである。
そんな事実に、ガイアはかなり落ち込んだ。
魔法で空を自由に飛ぶという夢が叶うと思ったら、まさかの自身の身体が重過ぎる所為で宙に浮く事すら出来ない。
折角の異世界なのに。
其処でエルガルムはガイアが飛行を可能にする方法――――重力魔法を教授したのだ。
重量制限に引っ掛かってしまうのなら重量を軽くしてしまえば良いという、単純だが明快な解決方法である。
そうしてガイアは重力の操作制御を徹底的に修練し、複数の重力魔法の中で一番に修得したのが、対象単体の超重量を著しく軽くする〈超軽量化〉である。
使用魔力量は〈飛翔〉よりもかなり消費するが、ガイアの膨大な魔力量なら問題無い。
因みにだが、この魔法の御蔭で階段や2階の通路や部屋の床に穴を開けるという損壊を遣らかす事無く、ガイアは宿泊施設に泊まる事が出来たのだ。
「良し、では魔物が群がって来ん内に――――」
「もう其処まで来ちゃったよ~」
ミリスティが魔物と魔獣の接近を口にしたその後、毒沼の中から魔獣が姿を現した。
艶やかな紫色を基調とした大きな蛙の魔獣―――――紫毒大蝦蟇。
毒を持った蠕虫系の怪昆虫―――――毒蠕虫。
汚染毒沼に生息する魔獣種がうじゃうじゃと一行へ迫って来る。
「げっ! 疫病動死体もかよ!」
更には毒に加えて疫病を含んだ吐瀉物を吐き散らす、全身腐り爛れた不死者までも出現するのだった。
「直ぐに飛んで逃げるぞ! 急げ!」
一行は一斉に空中へと浮かび上がり、急ぎその場所から離れる。
空中へと飛んで逃げる彼等に、紫毒大蝦蟇と毒蠕虫は毒液を飛ばし出す。
(うぉわたたたた! 何か飛ばしてきた! あれ絶対毒だ!)
飛ばして来る毒液が当たらない高さまで上昇した一行はその高度を保ちつつ、石塔と呼ばれる場所へ飛んで行った。
眼下に広がる毒沼や天井にまで達する幾本もの巨大な石柱、木の葉が1つも付いていないおどろおどろしい樹木、何かの巣穴らしき大きな空洞が在る巨岩、そんな広大な空間内を飛行し、目的の石塔が視界に大きく映る。
先頭を飛ぶミュフィが石塔に繋がる安全な陸地を見付け、着陸をする。
近くで見上げた石塔はとても巨大で、どんよりとした暗い雰囲気を醸し出していた。そして石塔の周囲には幾つもの防塞が設置されていた。しかし、それは簡素な木製であり、酷く腐っていた。永い年月による劣化もそうだが、恐らくは汚染毒沼に生息する魔物が毒や酸を吐き掛けられたのが大きな原因だろう。
それはもう防塞として機能しない、只の残骸である。
唯一機能するのは、深く掘られた外堀くらいだろう。
一行は石塔への入口に続く外堀との間の一本道を通り、石塔内へと入る。
暗い石塔の中を魔法照明角灯で明るく照らし、掘削して造られた空間内を進む。幾つかの広い部屋に繋がる通路や階段は広めに造られていた為、大柄な男性でもある程度幅に余裕がある。
少々曲がりくねった階段を上り、広い空間に足を踏み入れる。
「良し、着いた」
一行が踏み入れた誰も居ないその空間は、石塔内に複数在る休息部屋の内の1つだ。
汚染毒沼は陸地が少なく、小休止がし辛い。野営出来る場所もかなり限られ、野営しようにも異臭漂う環境の中では精神的に休まらない。嗅覚が優れている者なら尚更である。
それに加え、生息する魔物は毒や酸を持っている種類が非常に多い。戦闘の際で毒を引っ掛けられたり、酸で武具を溶かされたりする。解毒魔法薬が幾ら有っても足りないくらいであり、溶かされた武具を新調する為の資金も溶かされた分だけ出費しなければならない。
その所為でこの領域に訪れる大半以上の冒険者は気が滅入り、中には鬱に成ってしまった者も居たらしい。
毒と酸への万全な対策をしない限り、汚染毒沼領域を攻略する事は非常に困難である。
そんな最悪な環境下に在る石塔内なら外より比較的安全であり、汚染毒沼の空間全体に漂う異臭も余り無い。しかし、魔物が石塔内に侵入して来る事は在る。野営前の魔物対策は必須、ダンジョンに潜る者達の常識である。
「ちょっと早ぇが、今日は此処迄にしよう。解体する魔物が沢山有る事だし、今から野営の準備だ」
ダムクはそう言った後、全員は各自野営の準備をし出す。
ミリスティとミュフィは魔物の侵入を防ぐ為に、魔物避けの御香を設置に行く。
シャラナはベレトリクスから渡された魔道具――――魔導空清装置を起動させ、部屋全体に漂う異臭を消し、清い空気に満ちた空間へと変える。
ダムクは念の為に上層部の原生林領域で多く集めていた薪を魔法の小袋から取り出し、それに火を付け篝火を作る。その後にヴォルベスと共に大量の魔物の解体作業に取り掛かり、シャラナとガイアは2人の作業の手伝いをする。篝火の明かりだけでは流石に解体作業はし辛いので、魔法照明角灯で照らす。
倒した魔物の中で石化眼の巨大蜥蜴の解体は危険なので、ベレトリクスが遣る事に為った。何せ石化眼の巨大蜥蜴の血は即死級の猛毒である為、通常の解体では死の危険が伴う。なので解体技術が低いシャラナとガイアは見学である。
そんな猛毒の血を安全に抜く専用の道具――――蛇口の様な形状をした硝子製器具――――をベレトリクスは当然の様に取り出し、それを注射器の様に硬く分厚い皮膚に突き刺し、太い血管に差し込んだ。そして大きめの硝子製の空瓶を数本用意した後、手に取った空の瓶1本を蛇口に持って行き、水栓を捻り開けて石化眼の巨大蜥蜴の血液を抜き出し、空の瓶へと流し込む。
血を全て完全に抜き、瓶に溜まった赤黒い血を見るベレトリクスは嬉しそうに笑う。
その笑みは……妙に怖い。
血を抜いた次は眼球の摘出だ。死しても尚、石化眼の巨大蜥蜴の眼球には石化の力が宿っており、凶悪な石化の魔道具の素材と成る為、目玉1つだけでも相当な高値が付くそうだ。当然、皮や爪も非常に頑丈性が高い為、武具の素材としても高い値が付く。
その他の魔物から取れた通常の魔石を含む様々な素材も中々の物だ。
混合魔獣の毛皮や獅子爪に生命混ざりし歪な魔石。六鎌蟷螂の大腕鎌。古き結晶怪樹人の樹皮や大枝、香木に水晶魔石。地縛霊の結晶霊石。翼刃鷹の羽刃。魔狼と大魔狼、大喰らいな大黒蛇、暴虐な漆黒熊の毛皮や牙に爪。そして結晶大蜥蜴、結晶巨大蜥蜴、結晶巨大紅蜥蜴の皮と爪。
かなりの数と種類を倒したので素材は大収穫である。
迷宮の現身は魔石を取り出すだけで終わり、魔石と死体はベレトリクスの〈収納空間〉行きと成る。
戻って来たミリスティとミュフィは天幕を張り、魔物の解体がそろそろ終えそうな頃に食事の準備の方もほぼ終わっていた。
準備をしていたライファが木製の野外用卓の上に人数分の料理を置いて行き、其々作業を終えた全員は食卓を囲い、背凭れと座席に丈夫な敷布が付いた鉄管の野外用椅子に座り食事を摂る。
食事を終えた後は魔導の立体地図を広げ、汚染毒沼を抜ける経路を確認する。汚染毒沼領域は陸地が少なく、開けた特定の場所では毒や酸持ちの魔物が高確率かつ多数出現する。洞窟経路では毒液溜まりや酸液溜まり、毒ガス溜まりといった場所も在る。そしてそんな中を平然と生きる危険な魔物も当然居る。
どの経路を進むかによって適切な隊列を組み、場所によって禁じるべき武器や魔法、必須な道具類を確認する。特に必ず必要な解毒魔法薬や酸中和魔法薬、武具の酸対策である錬金防酸塗布剤の数はしっかりと確認する。全員が魔道具による恩恵で高い耐性を得ているが、絶対為らないとは限らない。強力な魔道具が有るからといって、決して驕っては為らない。
そして最後は擬態宝箱の中身確認である。
口の中から取り出す前に大晶洞で貰った黄水晶や紅水晶、黒水晶を大量に生成してから物色する。3種類の水晶は擬態宝箱の機嫌を損なわせない為の心付けだ。
そんな擬態宝箱の中から、多くの物が取り出された。
魔狼の指輪、魔狼統べる頭飾り、砂喰い袋、砂堀土竜手袋、屍の腕輪、死骨の首飾り、粗末な透明指輪、遅鈍な魔活の耳飾り、人喰い大鬼の剛力金棒、結晶の蟹鎧、結晶の螯鎚鉾、水晶の魔導槍、漆黒熊皮の狂力外衣、大蜂の針射ち手袋、突風の翼刃扇である。
当たりの物から利点と欠点が同時に持った物まで、様々な魔道具が手に入った。
特に一番の当たりは水晶の魔導槍である。純白の長い柄の先端に付いた刀身は煌めく水晶で出来ており、刀身の周りや柄全体に美麗な金の細工が施された芸術品としても一級な代物だ。
そして見た目に相反し、武器として使える。強力な魔力が宿った刀身の水晶は驚く程に硬く頑丈、切れ味も貫通力も優れている。更に魔導師が持つ杖と同様に魔法の媒介として使え、〈水晶の息吹〉を始めとした水晶関連の秘められた力を行使し闘う事も出来る。
魔法が扱えない戦士職、武器での近接戦闘が苦手な魔導師、何方にも有用な魔法の武器である。
しかし、S等級冒険者であるダムク達が持つ武具や装身具と比べれば、大体がそれ程の強力な代物では無い。この中で一番価値が高い水晶の魔導槍でもギリギリ上級といった所である。
とは言え、其処等で出回る武具や最安値の魔法装身具なんかとは比べれば、殆どが高額品なのは間違い無い。
そんな中から、ダムクは結晶の螯鎚鉾、ヴォルベスは砂堀土竜手袋と砂喰い袋、ミリスティは魔狼の指輪、ミュフィは大蜂の針射ち手袋を貰い、残りはベレトリクスの収集品と成った。
大晶洞で結晶巨大蜥蜴に襲われる冒険者達の救出と戦闘。
予期せぬ迷宮の現身との遭遇戦。
そして、大晶洞から汚染毒沼へ転移させられるという思わぬ短縮移動。
今日は色んな意味で退屈しない1日であった。
(うわぁ……何にも見えない)
ガイアは石塔内から通気口にも成っている大きな隙間を覗き、汚染毒沼を見下ろす。
暗く為った汚染毒沼領域を見渡しても、どの辺が毒沼で陸地なのか区別が付かない。特殊技能の〈暗視〉が無ければ、何も視認出来ない真っ暗闇が何処までも広がる。
光が届かない洞窟や遺跡、夜が訪れるダンジョンでは角灯や松明が必須なのが嫌という程に頷ける。
無敵に近い頑丈過ぎるガイアでも何も見えない暗闇が怖いと思い、見えない敵の不意な出現や、進むべき方向や道中の罠の存在といった様々な不安が膨らんでしまう。
明かりの有り難さを改めて認識させられる。
「フゥー。快適だ」
ヴォルベスは異臭が消された空間で、心地良さそうに大きく一呼吸する。
魔導空清装置は異臭だけでなく、毒性の気体を消し、篝火から発生する二酸化炭素を分解し酸素へと変換する機能も有る。なので安心して気持ち良く空気が吸える。
「相変わらず此処の臭いは慣れねぇか」
そんなリラックスしているヴォルベスに、ダムクがそう訊く。
「鼻が利き過ぎるが故、慣らすのに時間が掛かる」
それに対し、ヴォルベスは気の抜けた声で答える。
「獣人族あるあるの悩みだよねぇ」
ミリスティは獣人族程までは無いが、野伏としての嗅覚が優れている為、ヴォルベスの悩みに同感を抱ける。
「汚染毒沼に入る前に、防臭覆面でも良いから、付けたかった……」
「それな」
ミュフィの口にした事にダムクは短く同意する。
本来なら汚染毒沼への入口前に野営で一晩明かし、入る直前に防臭覆面――――より安全面を考慮した場合は防毒覆面――――を付けて領域内に在る石塔へ目指す予定だった。しかし、迷宮の現身による転移魔法で予定を狂わされ、汚染毒沼領域に対する準備が出来なかった。それに転移された場所も最悪な所だった。もし〈飛翔〉を使える魔導師が居なかったら如何なっていた事だろうか。
「マジで転移対策しねぇといけないな。っていうか如何やってすれば良いんだか……」
ダムクは考えた。破壊や損害、様々な状態異常を軽減や無効にする特殊技能や魔法、そして魔法の武具や装身具を是迄の冒険者人生でそれなりに多く見知っているつもりだ。
しかし、他者からの転移を防ぐ特殊技能や魔法、魔道具は知らない。
知っている転移に関する魔道具は、冒険者組合が売っている各地のダンジョンにのみ対応された帰還の巻物くらいだ。
「有るには有るぞ」
転移対策に悩むダムクに対し、エルガルムが対策方法は有ると言いつつ〈収納空間〉からある物を取り出す。
取り出されたのは下げ飾りだ。細かな菱形状の金属が無数に繋げられた首飾りに付けられたそれは、とても奇妙な意匠だった。何かを見本にしていない形容し難い形に細かな細工をされ、小さな宝石が赤・青・緑・黄色と其々4つが嵌め込まれていた。
それは機械的でありながら、何かの結晶なのかと思わせる造形である。
「〝転移禁戒の秘印〟と言う魔道具じゃ。これを身に付ければ転移事象に影響されなくなる。じゃがその代わりに、自身も転移の恩恵が一切得られなくなる欠点が有る代物じゃ」
「それを付けていると、帰還の巻物が使えなくなるんですか?」
ダムクは欠点に関する質問をする。
「そうじゃ。付けた状態で使ってしまうと、転移の効力が及ばず巻物が消失してしまうのじゃ。これは空間転移の発動を封じるのではなく、空間転移事象の影響を無効にするだけの防護系の魔道具じゃ」
「なるほど。帰還の巻物を使う際は一度外さねぇといけない訳か」
エルガルムの詳しい説明を聴き、ダムクは理解した。
「転移魔法を使う魔導師にとっては欠点が大きく為る奴だねぇ」
「だが、純粋な戦士職の者にとっては利点が大きい。敵の転移魔法による妨害は戦況を大きく変えかねんからな」
「転移が使えない、戦士職向きだね」
他の仲間も転移効力から護る魔道具に対し、利点と欠点の意見を其々口にする。
「欲しいなら作って上げましょっか」
「え!? マジですか!?」
ベレトリクスの言葉に、ダムク達は思わず反応する。
「買ってくれるなら良いわよ。かなりの値段が張っちゃうけどね」
「御幾ら程で?」
ダムクは自分なりの高額想定を浮かべ尋ねる。
「ん~。ざっと白金貨が40枚ね」
「白金貨40枚かー」
想定していた金額は白金貨10枚程の誤差だったが、大体予想通りだった。
白金貨40枚という金額は――――ダムク達は支払える。
S等級冒険者である彼等は平民の月収平均を1日で稼ぐ事が出来、貴族が保有する資産量と肩を並べられる個人資産を各々所有し、冒険者組合の銀行に保管している。
冒険者稼業での出費を収入から差し引いても、複数の高難易度の依頼報酬や多数の危険度が高い魔物の素材の売却で、平民の月収を軽く超えた稼ぎをしている。
因みに、冒険者稼業で白金貨で支払われる事は余り無い為、貨幣での支払いによる最大単位は金貨になる。なので冒険者は白金貨40枚という金額単位を金貨400枚と頭の中で置き換える。
「良し! 今回の依頼が無事終わったら買わせて貰います!」
此処で見逃せば、二度と手に入れられる機会が無いだろう。そう思ったダムクは貯めに貯め込んだ莫大な金を使う決意をした。
「お前達は如何する? 滅多に無い機会だぞ」
「無論、買おう!」
「私も買うー!」
「此処の所、大金使って無いし、良い物手に入れる良い機会」
他の仲間も買い取る意思を口にする。
「毎度~。じゃあ今回の探索が終わったら城に戻って作るわ。直ぐには出来ないけど、出来たらあんた達宛てで此処の冒険者組合に送っておくわ。支払い方法は貴方達其々の口座からの引き落としにしましょ。その方が受け取りも支払いも楽に済むから、戻ったら冒険者組合に受け取りと支払いの予約手続きをしましょ」
「了解です!」
ダムク達は特別な魔道具を作って貰える事に喜びの色を浮かべ、何時手元に届くだろうかと子供の様な待ち遠しい気持ちを抱くのだった。
「さて、そろそろ寝るとしよう。明日は今迄以上に心身が疲れるじゃろうから、しっかり休まねばな」
既にダンジョン内の空間は真っ暗闇だが、現在の時刻は午後8時半ば程。就寝には未だ早い時間帯である。
しかし、明日は広大な汚染毒沼を進まなければならない。体力が減るだけなら未だしも、毒が充満する環境と其処に生息する魔物との遭遇戦で精神が磨り減る。何より魔物の行動範囲や位置によって、石塔の様な比較的安全な休息場所が無い可能性が在る。その場合、下手すれば此処を抜け出すまで、暫く就寝出来ない可能性がとても高い。
それが大半以上の冒険者が、この汚染毒沼領域を非常に嫌っている理由である。
「ん~。ちょっとは寄り道して色々採取したいけど、今回は我慢ねぇ」
ベレトリクスはこの領域でしたかった採取を仕方ないと諦める。
汚染毒沼で採れる素材は毒草や毒茸といった植物類だ。
神経系を害し筋肉麻痺を起こすアドイロ草。
血中の赤血球を破壊し貧血症状を引き起こすクトシン草。
幻覚作用を持つカリムンマッシュ。
少量でも摂取すれば数分で死に至る猛毒を持つハクテンマッシュ。
どれも毒耐性を持たない生物にとって危険な物ばかりだが、様々な薬を作り出す錬金術師にとっては宝の様な物である。
他にも毒物以外では解熱剤・健胃薬の素材に成る樹木キンニンの樹皮、辺りの吸った毒を分解し栄養へと変換する紫色をしたデトフィン苔、硫黄単体の結晶や硫黄を含んだ鉱物などもこの領域内に在る。
それ等に関する知識が無い者からすれば、只の植物や変わった色をした小石と見るが、そうで無い者からすればどれも有用な物だ。
因みに、そういった素材は冒険者組合に毒物の取り扱いに長けた専門の錬金術師が居ないと買い取って貰えず、買い取ったそれ等を特定の商会や薬屋に卸す事が出来ない決まりが在る。
「まぁ、道中で見付けた時にすれば良いじゃろうて。それに魔法薬やらの調合で使ってる毒性植物はガイアに喰わせたじゃろう」
「そうなんだけど、汚染毒沼に自生する樹の紫毒樹脂は採取しときたいのよねぇ。それと出来れば紫毒琥珀とかもね」
(樹脂か……。出そうと思えば出せそうな気はする……かな?)
ベレトリクスが口にする内容を耳にしていたガイアは顔を後ろに向け、自身の背に宿る樹木を見る。
一度喰らった植物類なら生成出来るが、樹脂となると生成出来るかは検証していないので不明だ。
しかし、生成出来る可能性は高い。樹木を喰らえば、もしかしたら喰らった樹木の種類に応じた樹脂を分泌する特殊技能を得られるかもしれない。
(……明日、道中で何かの樹が在ったら試しに食べてみるか)
ガイアはそんな疑問を、頭の隅に置いておく事にした。
「それじゃ、夜間の見張りは俺達に任せて、皆さんは明日の早朝まで寝てて下さい。御令嬢さんもしっかり休んで、魔力を充分に回復させとけよ」
「はい。ありがとう御座います」
「最初は俺から見張る。何時も通りに交代制な」
「承知」
「はーい」
「了解」
ダムクの指示に、他の仲間は了承の返事をする。
「じゃあシャラナちゃん、一緒に寝よ~」
「わわわ、はい」
シャラナはミリスティに捕まり、そのまま女性陣天幕内へと連れて行かれる。
「ガ、ガイア! 夜更かししないでちゃんと寝るんだよー!」
「ンンー」(はーい)
そんなシャラナをガイアは手を振りながら見送った後、適当な場所に座り込み、目を閉じ、明日に備え英気を養う為に眠り着くのだった。




