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『日本は負けて当たり前の国だった』と、第二次世界大戦中の集団疎開の学童たちはすでにみきわめていた。

集団疎開の体験者はもう80歳を超えています。全く語られてこなかった大東和戦争(第二次世界大戦)中の集団疎開児童たちの過酷な実情がそのまま立ち消えてしまうことのないように、ここにも子供たちの戦争犠牲者のあったことをしっかり書き留めておきたいと思いました。

            戦争と平和の谷間の波乱に生きた一般家庭の少年の物語

                  (第一部) 集団疎開

                       1、

 霜が降り始めるとこの陰鬱な山合いの眺めは霜枯れして一層薄暗くなり寒々とした景色をなお冷ややかなものにしてしまっている。

 日がさすと白い霜は消えるが、いやでもそこにある壇々の手入れもない小さな田畑や黴{カビ)で黒ずんだ茅葺の屋根が目についてしまう。

 背後の山もその尾根が連なる山々もただぶち赤茶けた樹木が覆っているだけでこれも景色の美しさとはほど遠く、この時期あちらこちらで聞く紅葉の美しさなどはどこにも見当たらない。

 たまたま目につくのは貧弱な柿の木でたまには小粒の柿がポツンと下がっているが、それもすべて渋柿である。

 まったく閑雅の乏しいところでなのである。

 どう見ても貧村だ。

 しかし不思議なことにこの集落『滝の沢飛び地』にはこの地の藩主代々の安産祈願所だったという寺社もあり、ほど近い所には空海が若いころに草庵を結び勤行されたという不動寺もある。

 真偽は定かではないが、そこに語り継がれてきた逸話にこの不動寺の奥にある『不動の滝』の傍らで用をたされた空海が滝の水で手水を使われていると、俄かに滝から不動明王があらわれて・・・『馬鹿者!この霊水を汚すとは』と大いにお叱りを受けたという。

 そういえば滝の流れは不動明王に見えなくもない。

 その滝から流れ落ちる山水は細々と四方にせせらぎいづれも地域の百選に数えられている名水なのである。

 その昔は老婆が杖を衝いて細い山道を辿り、不動寺を詣でて子や孫の平安を願い、帰りには竹筒に清水を満たして帰ったのであろう。

 しかし10月に入り冬場に向かうとここはひときわ雪が多く過酷な環境の地になってしまう。

 なぜかそういう地が大阪市南部の盤歳国民学校6年1、2組の学童疎開地に選ばれていたのである。

 いかに集団疎開といえども、も少し温暖で明るい地はほかになかったのだろうか・・・、


 などなど・・・と、そんな思いを馳せながらこの地域の集団疎開を管轄する大阪市教育局の若い教育官吏、緒方善治が冷え冷したこの山道を伝っていると突然先の方から子供の叫声が重なって聞こえてきた。

『何事?』かと緒方は自然に足早になって声のする所に行き着いてみると、そこは今日向かおうとしていた所でもあったのだ。

 緒方善治(二十四才)、

 東京帝国大学から海軍委託生になり給与支給を受けながら卒業して海軍技術士官となったが、それに物足りなさを感じて志願し海軍航空隊に転属した異色である。

 しかしマリアナ沖海戦で激しい敵の攻撃に遭い片腕に貫通銃創を受けて再び操縦桿を握ることは不能となりやむなく退役し、郷里大阪市の教育局に入って大阪市南部の集団疎開担当官となってこの日始めて現地査察に赴いていたのである。


 茅葺き屋根ばかりのこのあたりでは珍しく瓦葺の二階建てで、戸口には荒削りの平板に『大阪市立盤歳国民学校学童疎開児童宿舎』と、墨書きの粗末な表札がぶら下がっていた。

 どうやら子どもの声はその建物の裏手の方から聞こえてくるようだ。

「首吊や!」

「死んでるで」

「首つって死んでるんや!」

 緒方は咄嗟に屋内に飛び込んで子どもの声のする方へ走った。

 入口から広々した土間続きの裏戸には幾人かの男の子が重なりあって首だけ外に突き出し、大きな声を張り上げていた。

 緒方はその子らをかき分けて裏へ飛びだしたが、一瞬後ずさってしまった。

 井戸小屋の梁に架け渡した帯のようなものに首を掛けてぶら下がっている若い女性の苦しげな死相が目に入って怯んだのである。

 緒方の後から恐る恐る連なって出て来た子供たちはてんでに、

「若寮母の叔母さんとちゃうか?」

「そやで!若寮母の叔母さんや・・・」

「叔母さんやんか」

「叔母さんが首つってるんや」

「叔母さんが死んだんや」

 子どもたちも始めて見る首つりのあらわな有様とそれが馴染みの寮母であったことからかよほど動揺したのであろう、みんなが同じことを何度も何度も口走って騒いでいた。

 寮母はまだ若い大北早苗であった。

 緒方もこの寮母がここに赴任する前に大阪の教育局で二、三度顔を合わせたことがある。

 寮母の大北早苗は二十六才、清楚で愛らしい顔つきの美人だった。年配の寮母の多い中で珍しく若くて明るく子供にも分け隔てなく面倒を見るいい寮母さんだったと評判だった。

 いま一人主に寮長の世話をかねている初老の寮母が居るが、ここに来るとき聞いた話では休暇を取ってしばらく休んでいるのだという。

 早苗は肉親と離れて暮らす子どもたちにとっては唯一人、何でも家族のように言葉を交わしあえる温たかさを感じる事のできる人だったようで、死んでいたのが早苗と分かってよほどのショックだったのだろうほとんどの子が泣きじゃくり始めた。

 嗚咽しながらたどたどしく話す子どもたちによると、ここ数日の早苗の様子は、まるで人が変わったように笑顔がなくなり口数も少なくなって、ひたすら黙って仕事をこなすだけの人になっていたらしい。

 一斉に泣きじゃくる子供たちを前にしてまだ子供との交流の浅い緒方はおろおろするだけで、ただ泣き声を抑えるように掌を伏せて「泣くな!」「泣くな!」と繰り返えしていたがふとそうもしておれない気になって・・・、

 しかしそういう気になってみたところで何からどうしていいかも思い当たらずただ単にきょろきょろ周りに目をやるだけだったが・・・、


 首つりは細紐でなく比較的幅のあるのが使われているのが目についた。よく見るとそれは柔道の白帯だった。それを井戸小屋の梁と天井板の狭い隙間に通して両端を絡め首に掛けていたのだ。

 また踏み台にしたのは井戸桶を置く木台のようだがそれは井戸枠にがっちり固定されていた。

 緒方はふと最初に子どもの叫声を耳にしてからかなりの時間が経つのにここに先生が居ないのが不思議に思えた。甲高い子供の叫声が同じ建物に居る先生に聞こえないはずがない。

 緒方は周りの子たちに、

「先生は?先生はどうしたの?」

 と声をかけたがなぜかどの子も首をすくめて泣きぬれた顔を見合わせているだけで答えようとしない。

これには何やら理由がありそうだが、

「まず先生を呼ばなくちゃ~」

 しかし子どもたちはやはり緒方をじっと見つめるだけで一向に動こうとしないのだ。

「とにかく先生を呼んで来なさい!」

 と、今度は少し厳しい口調になったので子どもたちは一斉にバタバタと屋内に入って行った。

 一人になった緒方は、いや一人じゃない!首を吊った大北早苗が今一人居るには居るが・・・、

『いや死んだ人はもう人ではないからやはりこの場合一人になったでいいはずだ』なんて、

 そんな呑気なことを考えている場合じゃぁないじぁないか、『とにかく早く警察に知らせなくちゃあ』

 だがものの十軒にも満たないこの小さな山中の集落に駐在所があるわけがないし、

「だとすると橋本市の警察まで知らせに行かなくちゃならないんだ、となると、これは大ごとじゃないか!」

 と、何だか知らないうちに課せられてしまった間の悪い因縁に、いや降って涌いたような義務みたいなものに不平をぶつけて愚痴っていると、ほんの少し前に一斉に屋内に入って行ったはずの子供が一人、なぜかポツンと出て来て緒方に近付き、

「電話でええのとちゃい(違い)ますか?」

と、言う。

『しまった、愚痴が聞かれていたか?・・・しかし『電話』?、なるほど!確かにそのとおりだ』と、緒方は自分の慌てぶりに苦笑しながら、

「そうやね・・・ほんとうに電話でええんや!」 

 電話が身近なものでないだけにピンとこなかったのである。

「先生が時々御幸辻のもちっと先にある学校へ行って電話してたみたいやから」

「えっ!御幸辻のもっと先の学校にだって・・・御幸辻には学校内の?」

「ありません。もう一駅か二駅行ったところだそうです」

 となるとここから数キロメートルではきかないだろう。なにしろ道はというと木の根っこがやたらと飛びだしているような獣道なのだ。

 大人でもここからとなると大変だ、まして雪の多い所だから冬場などはもっと大変だろう。『もしここに子供が居たらどうするんだ?』・・・余計な心配だ。ここらの集落に子供がいれば全て学校に寄宿するときまっている。

『しかしそこに行って電話するのは大変だけど、かといって橋本に行くことを思えばよほど近いじゃあないか』と思い直して、

「有り難う。ところで君!今、皆と一緒に行かなかったの?」

「何処に? ですか?」

 話がちょっとテレコ(ちぐはぐ)になっている。『そうか、この子はそれより先に先生に知らせに行っていたのだな?』と気が付いて少年の後方に目をやると、やはりそこにぬっ!と巨漢の男が立っていた。

「先生やで」

 少年が背伸びして耳打ちする。

 少年は早川省吾(十二才)、後から聞いたことだがこの子は学業のあった四年生までは9組もあった学年で一番の出来だったそうだ。

『えっ!あれが先生?』と、緒方は唖然とした。

 後方の男は教師にしては不似合いの面相をしているしとりわけて大男なのである・・・、

 でも教師に限られた面相があるわけもないし大男は駄目というわけでもないのだが・・・、

 いづれにせよ子供たちが首を吊った人よりもこの巨漢の男を避けようとするのは分かるような気がした。

 緒方は軽く会釈した。

 大男は酒臭い息を無作法に吐きかけて『何だ!お前?』と言わんばかりの顔を突き出してきた。

『先生が昼間から酒を飲むはずはないだろうから赤い顔は夕べの酒が残っているのだろう』と、その時は思ったが、後で聞けばこの教師、一日中酒を煽っているらしい。

 緒方は黙って懐から取り出した身分証を出して見せた。

 大男は目を細めてしばらく怪訝そうに覗き込んでいたが一瞬ハッとしたように身をひいた。

 緒方が、

「本来なら警察が来るまでは現状維持でしょうが子どもたちの目もありますし、・・・橋本から警察がくるまでこのままにしておくのもどうかと思いますので、どうでしょう下ろして床に寝かせてあげておいても?」

 緒方の提案に、大男は『ですな~』と曖昧に答えて、そこは巨漢らしく既に硬直し始めている寮母の腰を両腕で支え軽々と持ち上げて何度か上下させて帯を首から外すと下におろした。

 その時何かを手伝おうと井戸に近寄った緒方が何気なく井戸を覗いて・・・突然!

「えっ!何~あれは?」

 と、頓狂な声をあげた。

 当然巨漢の教師も早川少年も井戸を覗きこんだ。もちろん早川少年は井戸桶の置台に乗って首だけ覗かせていた。

「あれは?」

 と二人は同じように固唾をのんだ。

 なんと井戸の底にはうつ伏せになった子供の姿があったのだ。

「誰や!誰なんやあれは?いったいぜんたい・・・」

 巨漢の教師は大男らしからぬ大仰な狼狽ぶりで素っ頓狂な声を張上げていた。緒方も、

「子供だな~」

 そんなことは見れば誰にでも分かる…

 早川少年一人が冷静に・・・

「山本のようやな?あの体つきは」


 パーパーパーパー、パッパㇻパー、パーパーパーパー、パッパㇻパー、

 一組の寮から少し離れた山寺を宿舎にしている二組の穴子裕樹が朝の6時になると決まって高々と吹くラッパの音だ。

 児童たちは『起きろよ起きろみな起きろ!起きないとヒバンゴンにどやされる…』と、替え歌を口ずさんで朝の支度をしその日の一日を始めるのである。

 ヒバゴンのヒは一組の東野教師、バは二組の馬場教師、ゴンはドラゴンのゴンらしい。なるほど適切な言い方だ。しかしヒバゴンは広島県の比婆山に生息するといわれる幻の類人猿だ。大方群れから追い出されて落ちぶれた、かねてのボス猿じゃぁないかということでこれも子供たちの真意に適応している。


 穴子のラッパは山陰をこだましてすがすがしく四方へ鳴り響き渡る。とても小学生が吹いているとは思えない響きだ。今では山にテントを張って野営する朝鮮の応召兵も穴子のラッパを基にして起居しているという。朝鮮兵は軍需品を隠すためのトンネル造りをしている工兵だ。

パーパーパーパー、パッパㇻパー、

 穴子の奇才は祖父や父から譲られたものらしい。穴子は、

「ここでだれが吹いてもこんな音になるんやで・・・俺が大阪で吹いてもこんな音になれへんのや」

 と、平然とうそぶくく。

 穴子のおじいさんも日清戦争で、お父さんも支那事変の頃からラッパ手として活躍してきたと言う。

「ホコリの無い空気と、山の壁が俺のラッパの音を透き通らせてくれてるんや」

 才能の有るものはこんな小さなうちから言うことがちっと違う、小学校六年生でも穴子のラッパはこう言った理論の上に成り立っているのである。おそらくいろいろな所で吹いた上で確たる持論を持つようになったのであろう。もし時代が平和な時であればラッパでなくトランペットなどを吹いて、日本でも、いや世界でも有数の少年奏者になっていることだろう。

 

 疎開児たちは裸の上半身に柔道帯をたすきにかけ、洗面具と木刀を持って谷川へ駆け下りていく。 いつものことだが朝酒で赤ら顔になった巨漢の教師が出て来て前につっ立つと、級長の早川省吾が、

「整列!礼!点呼!」

 と声を張上げる。点呼では決まって大男の教師の意地の悪い怒号が一度は返ってくる。

「気合が足らん!もう一回や…」

 気合が足らんわけがない。子供たちは一生懸命だ。

「一、二、三、四・・・」

 黄色い声もあれば声変わりが始まったばかりのアルトのような子の声もあってまるで混声だ。平和の時なら遠くで耳にすれば合唱の練習にでも聞こえるだろう。気合の問題じゃないのだ。

 どの子も精一杯声をはりあげている。それを巨漢の教師は冷たい目で見下ろしているのだ。いかにも意地悪そうに子供たちの落ち度を探っているような目つきである。

 巨漢教師?東野平治(三十六才) 

 この子達、つまり六年生の早川省吾たちが五年生になって間もなく、それまで担任だった痩せこけてガリガリのあだ名がガンジーと言った先生が太平洋戦争に召集されて行った。

 ガンジーは有名で、日本の敵国の一つ英国の統治下にあるインドの国を、断食(絶食)してガリガリに痩せこけても英国に対抗し独立運動をしていることでしきりに賞賛されている人物である。

 そのガンジーに似た先生はほどなく英霊になって帰ってきたが、その後任に赴任してきたのがこの巨漢の東野だったのだ。

「わしは!お前らを(と、直立不動の姿勢になって)天皇陛下の御ためになる大日本帝国の軍人にたたき上げるために来た教官や!」

「えっ!先生でのおて(無くて)教官?」

 それが五年生の始めからだからもうかなりの月日が経つが、まだただの一度も算数や国語のまともの授業をしたことが無い。

「教官ちゅうのは(言うのは)先生とちゃうんか(違うのか)、算数や国語、よう教えへんねな?」

 子どもたちは声を潜めて囁いていた。

 柔道は五段だとか、だから大雨でもない限り子供たちは裸の上半身に柔道帯をたすきに掛けて『えい!えい!』と、投げ技の型を繰り返えしやらされていたのである。

 始めのうちは勉強をしないということだけで生徒たちに多少受けていたが、しかし勉強をしない日がこうも長く続くと薄っぺらな教科書を広げては誰もが勉強に懐かしみを感じていた。

 たまたまだったのか?二組の担任もやがて剣道の四段とやらの、やたらとのっぽの馬場貴之(三十五才)が担任になってやって来た。

 剣道は腕を使うはずなのに、なぜかこの教師?黙って近づくなりだれかれかまわず蹴飛ばすのが日常であった。

 大なり小なり一度も蹴飛ばされていないという子はいなかった。無差別に、いつどのような理由で足蹴りが飛んでくるのか知れたものでないだけに子どもたちの方も近頃は常に用心して身構えるようになっていた。身構えてないと吹っ飛ばされて次にはどこに打ち付けるかわからないからである。

 どうやら根拠は目玉をきょろきょろさせていたとか起立の姿勢で身体が少し動いたとかいうだけのことらしい。

 『滝の沢飛び地』に集団疎開している学童は六年一組と二組、健康そうな児童ばかりで軍人の卵なのだそうだ。

 小柄で病弱ばりの子は三組とはっきり伝えられて組み分けされていた。

 三組は作業は無いが女子組や低学年と同じように(男女は別々だが)橋本の駅前の昔ながらの旅籠を思わせる古い旅館に閉じ込められたまま二階の欄干から痩せこけた顔を覗きだすだけの毎日であった。

 やがて多くの子が消化不良や栄養不良で唇が倍になるような〈アクチ〉と言う腫物を出して目ばかりぎょろつかせていた。どう見てもそれは当時の漫画本に出てくるジャングルの土人(インディアン)としか思えない風体であった。

 運動不足もあったのだろう、ひょろひょろして二階の階段から転落し打ち所が悪くて死んでしまった児童もいた。

「なんで強そうな東野や馬場が戦争に行かんで、相撲を取っても俺らに負けとったガリガリのガンジーが戦争に行かされたんや?」

「そらぁ東野や馬場は戦争に行かんでもええ軍属にしてもらっとるからや・・・、あいつらのことや、うまいことして軍属にしてもらっとるんやろ」

 常に大人びたへ理屈を捏ねる田中弘行が知っていよがしに口にする。

「へぇっ!軍属な~」

「しかし今は中学生も大学生も戦争に行ってるというのにな~」

「そうや、俺の兄ちゃんも米子の少年航空隊に入っててもうすぐ戦闘機に乗って出撃するらしいんやで」

「そやそや!俺の従兄弟のお兄ちゃんも中学四年で甲種の予科練に入ったからもうすぐ戦闘機に乗って出撃するんやで・・・」

 多少は話に誇張はあるがやがて特攻する人たちであることは間違いない。

「あの恰好のええ予科練か、白い制服に七つボタン、短剣つけてるしな~」

『そういうことにあこがれさせて、特攻隊員をあつめてるんやろか』と、省吾は何となくそういう思いがした。

「甲種てなんや?」

「甲乙丙丁言うて通信簿の優良可不可と同じや、高等小学校だけで予科練に入れたとしても乙種の予科練や、位が違うんや」

 物識りを自他ともに許す秋山宗男が言う。田中がすくに調子に乗って大場良平を引き合いに出す。

「お前はいつも不可しか取れんから乙種の予科練も無理やで…」

「やっぱしあかんか、予科練行きたいねんけどな~」

「俺は頑張って何種でもええから予科練に行くねん」

伊藤浩一が空を見上げて夢を描いてる。

「お前みたいなちびは何種にも入られへん」

「そんなことあるけーお前より足も速いし」

 少年たちの憧れであった。

「せっかく入れても乙種は飛行機に乗られへんねんで」

「なんでや?ほんなら何すんねん?」

「飛行機の整備なんかや」

「そんなんやったら予科練へ行く価値ないやんけ」

「飛行機の整備の仕事も大事なんや、ちゃんと整備しとかんと宙返りもでけへんやん」

「それよりな、ガンジーが戦争に行かされてなんで強そうな東野と馬場が俺ら小学生の教官なんや? おかしないか(可笑しくないか)」

「ほんとや~どうなってるんやこの国?」

「こんなええかげんなことやったら負けたことない大日本帝国も今度は負けよるんとちゃうか」

 既に子どもたちは予知しているのだ。

「お前何言うてんねん・・・もしそんなこと特高や憲兵に聞かれたら親も兄弟も家族中が銃殺されるんやで」

 特高と言うのは反戦論者を取り締まる特別警察であり憲兵は軍隊の警察である。

 傍で聞いていた省吾は大阪の実家の向いの阪大(大阪帝国大学)生を思い出していた。

 学校から帰ってくると家の前の道端で両手を広げて省吾に抱きつかせ、両腕を抱えて、

「そらメリーゴーランドや」

 と、ぐるりと一回りしてくれていたことが懐かしく思い出された。

 そのお兄ちゃんが・・・、

『戦争は人々を苦しませるだけだから戦争の無い平和な世の中にしなければならないんだ!』などというようなことを何かに書いたとかで、『反戦論者!』『国賊!』『死ね』などと書かれたビラを家の門や玄関周りにべたべたと張り散らされ、数日後に家にどやどやと押し入って来た特高や憲兵隊に有無を言わさず家族の目の前で銃殺されてしまったのである。しかも撃ち殺された阪大生の家族が泣き崩れるのを『天誅 (天罰) 』だと言ってせせら笑って立ち去ったという。

「憲兵や特高でのうても(なくても)東野や馬場に聞こえたらものすごい精神修養をされるで・・・」

「そやで!飯抜きやびんたどころではないで・・・」

「その東野や馬場が俺らに配給されるものや親から差し入れられたものまで持ち出して村のやつらと自分らが飲む濁酒と交換しとるの知ってるか?」

「知ってるよ、俺は換えるとこ見たで…」

「俺なんかその交換の使いにやらされてるんや」

 秋山宗男が得意顔で言う。

 既に子供たちは知り尽くしていたのだ。しかし親に出す手紙にそのような事を書いた山本恭太は毎日のように折檻を受け続けたのである。

 子供達は許可なく寮外に出ることは禁止されており手紙も部屋に設置されている箱にいれることになっている。つまりていよく手紙は全て検閲されているのだ。当然山本恭太の手紙は実際に投函されることはなかった。


                       2、

 1941年(昭和16年)12月、日本軍がハワイのアメリカ海軍基地を奇襲して始まった太平洋戦争(第二次世界大戦=大東亜戦争)も、当初は戦勝続きでアジア中を席巻し地図も日の丸だらけになっていたが、つまり戦勝地には日の丸のシールを張り付けることが当然のようになっていたからだ。

 が、それもつかの間、戦力の乏しい大日本帝国軍はまたたく間に戦局を鈍化させて敗退の一途を辿るようになってしまった。占領していたサイパン島をはじめマリアナ諸島もあっという間に陥落され、それまでは中国の成都からの飛来で距離的に九州までしか空爆できかった米軍爆撃機が、サイパン島を基地にしたので日本の全域が空爆の範囲になってしまったのである。それで大日本帝国政府は、1944年(昭和19年)6月に学童疎開促進要綱を閣議決定して大都会に住む子供たちを農山村に避難させることにしたのである。

 当初はそれぞれが親戚縁者を頼っての縁故疎開が前提であったが、一度は承諾した農山村の親戚縁者もいざとなると面倒や損得を考え出しててか急変し受け入れを拒否するものが続出したのである。

 思惑が外れた軍政府もこれを無理には強行できず結局小学三年生以上の学童を学校ごと集団で『避難』させることを決めたのである。しかし膨大にかかる集団疎開の費用を縁故疎開先に振り当てればよかったのではあるまいか・・・、

 つまり『集団疎開=学童疎開』であった。

 もともと『集団避難=学童避難』なのだが、『避難』と言うのは逃げる意味を含むとあって戦勝をことさら誇示する大日本帝国軍政府にとっては使いたくない表現だったのだ。その点『疎開』は軍事用語で、兵を分散させて敵の攻撃の目標を一時的に避ける戦術の一つだから戦略的に学童を疎開させやがて成長すれば戦力にする。という意味で『疎開』と言う欺瞞的な表現にしたのである。

 まさにお笑い種だが大日本帝国政府のお笑い種と言えばそんなものではない、

 敗色が濃くなり、大都会に残る老若男女に座布団を折り畳んだような頭巾を鉄兜代わりにかぶらせ、先をとがらせた竹の槍でエイヤーと敵を刺し殺す訓練を強制的にやらせていたのである。

 敵方のアメリカはと言うと、機関銃のように連発できる自動小銃を兵隊のすべてに持たせているのだから戦いにならない。大日本帝国軍の敗戦は推して知るべしであった。

 お笑い種と言えばはこんなところにもあった。青森市長である。空襲の際の消火活動者が居なくなることを恐れて疎開を禁止したのである。

 実際は空襲の犠牲者が圧倒的に多いワースト都市になってしまったのだ・・・夜空の色が変わるほど爆撃機が飛来し重油を振り撒き、そこに焼夷弾を落とすのだから木造の建物が多い日本の都市は一瞬火の海と化し消火どころではないのである。

 この国には誰一人としてこんな事態の予測が出来る要人はいなかったのである。

 明治維新を除いて日本の政治家や要人の無能さは昨今を通じて嘆かわしいとしか言いようがない。

 敗戦濃くなって東条英機は逃げるように総理大臣の席を退き近衛文麿に譲ったが、その近衛文麿総理大臣がせっかく『戦争を終結させるべき』という『近衛上奏文』を天皇陛下に進言したが、天皇陛下はこれを却下し戦争を継続させたのである。

 降伏すれば自分たちが戦争犯罪者として処刑されることが必然なので生き残ることを最優先したのであろうか。そのためには何が何でも戦い抜かねばならない。

 帰りの燃料を積ませず爆弾を抱えたまま飛行機ごと敵艦に突入させる神風特攻隊や、魚雷を確実に命中させるために魚雷に操縦兵を乗せて突っ込ませる人間魚雷などなど・・・いずれも前途ある青少年を次々に自爆に追いやったのである。

 誰が考えても無力な国民を守るためには降伏しかないのだが・・・、

「戦争なんか続けよって俺らをこんなに苦しめよるんは誰や?」

「国の偉い奴や?」

「国の偉い奴言うたらだれや」

「一番えらいのは天皇陛下やんか~次は大将の東条英機や・・・総理大臣やったし、それから政治家らや」

「俺らをこんな目に合わせとるのはそいつらか!」

 苦労だねの尽きない集団疎開児たちも反抗期でもある。『天皇陛下の御ため』を繰り返す東野や馬場の居ないところでは反抗心が高揚してなおこうも言いたくなるのである。天皇陛下も大将もあったものでない。

「お前らようそんなあほなこと言えるな、天皇陛下は人とちゃう(違う)で」

 物識りを自他ともに許す秋山が断言する。

「そうや神様や~」

「そやで、神様はそんなことせえへん(しない)からやっぱり悪いのは東条大将や政治をやっとるやつらやんか」

「政治は誰がやってるん?」

「政治家に決まってるやん」

「政治家は誰がなるん?

「そらぁ軍人の偉い奴とか金持ちやろう」

「あくどいことして金持ちになりよったやつらがなっとるんか?」

 たしかに驚くほど理性に乏しい人間が政治家になっていることがある。

 政治家の資格を国家公務員の上級試験の合格者とする』、ぐらいの規制が必要なのではないだろうか。

 とにかくいつの時代も低俗な政治家の権力のもとで生活しなければならない人民は哀れである。


 義務教育の小学校を終えると男子は中学校、女子は高等女学校を受験して進学する。別に小学校には二年間の高等小学校が付属していて中学や高等女学校に何らかの理由で行けなかった子が希望すれば入学試験も月謝も無く進学できた。

 まともな授業のなかったのはその子たちもみなそうだった。学校には勤労奉仕のために登校しているだけである。

 しかしその子たちは小学校の勉強はしっかり終えてきているのだ。何と言っても基本となる小学五年と六年の勉強をさせてもらえなかった省吾たちは一番悲惨と言える。

 省吾の姉、早川文江十八才も本来はすでに高等女学校を卒業しているのだが、卒業後もずっと勤労奉仕団の挺身隊に属されて毎日軍需工場に通わされていた。そして従来は男子の工員が扱う旋盤という金属を切り削る機械を扱かって兵器を作っているのだという。

 報酬はないが毎日どんつくパン二個は支給されていた。どんつくパンと言うのは雑草の根っ子の球根を天日に干して乾燥させ、からからになったところで粉にしてイースト菌を混ぜてパンにしたものだが、ベターとして団子に近かかった。特に独特の強烈な異臭があっておいそれと食べられたものではない。それでも食べ盛りの省吾たち子供は集団疎開に行くまでは鼻をつまんで飲み込んでいた。

 もともと勤労と言うのは給料・報酬を貰って決まった仕事をすること(三省堂、国語辞典による)であり、奉仕は自分から進んで尽くすことだが、戦時の勤労奉仕はもとより軍需品の生産のための動員であって勤労とか奉仕と言うものではなかった。

 動員は強制的に駆り出されることである。


 省吾が集団疎開へ行く少し前のことである。中学三年生の兄(早川敏則十五才)も同じように郊外にある軍需工場に通って鉄砲の弾を造っていた。生産が間に合わないとかで朝早くから夜も遅かった。

「お兄ちゃんが病院に運ばれて危篤!」

 という突然の急報で父も母も姉も搬入されていた病院に駆け付けた。

 兄は超満員の電車に乗ろうとして後ろから押されてホームから落ちたらしい。間悪く動きかけた電車とホームの間に胸を挟まれたまま何回か回転したのだという。やはり過労も原因で踏ん張る力もなかったのであろう。

 省吾はその日から数日間誰も居ない我が家に帰って毎日姉の帰りを心待ちにする日が続いた。

 母は意識不明で寝たきりになった兄にずっと付きっきりだったのだ。

 姉が帰ると夕飯の水団を作ってくれたり勉強を教えてくれたり、一番は姉に手を引かれて看病の母にお弁当を届けることであった。

 夕暮れの病院への行帰りには姉からいろんな歌を教わった。

 姉が一節歌うとそれを省吾が復唱するのだ。

  童は見たり・・『童は見たり・・・』

  野中の薔薇・・・『野中の薔薇・・・』

 夕暮れの線路わきの道は二人の和やかな旋律がながれた。

 数日後兄は亡くなった。そしてばたばたとあわただしく兄の葬儀も済まされた。


 年端もいかぬ集団疎開児達は親許を離れて心身に大きな負担を負わされ続けていた。

 夕刻になると『帰りたいな~』とほとんどの子が北の山々を眺めて涙を浮かべていた。大阪から南に見える山々も、『滝の沢飛び地』から北に見える山々も同じ山なのだ。

「あれを取ったら大阪が見えるんやけどな・・・」

 と誰かが呟く、山々を取り除くというのはちょっと乱暴だが子どもたちの心境そのものなのである。

 とにかく戦争は子供の心の底まで悲惨さをもたらす。

 しかし日本男子であるかぎり、やがて天皇陛下の御ために戦争に行って戦わねばならないのだ。だが戦争に行くということは敵国の人を殺しに行くということでもある。つまり天皇陛下の御ために殺人者になると言うことだ。そして同時に自分の命も投げ出さねばならないのだ。何故?

 省吾は『なぜ同じ人間なのに天皇陛下がいて、その人のために人殺しまでせねばならないのか?』が、不思議でならなかった。同じ人間なのに天皇陛下というだけで大人の全てが直立不動の姿勢になることも不可解だった。 そして田中や秋山が言うのならまだしも教師の東野や馬場までが、

「天皇陛下は神様だ!」と、本気で言うことが納得できなかった。

『天皇陛下が神様だったら何で戦争を無くさないのだろう?・・・神様だったら何故たくさんの人を戦地へやって死なせたりするのだろう?・・・なんでみんなを平和で幸せにさせられないのだろう』

 と言う早川の話を聞いて疎開児たちは、

「天皇陛下が神様であるわけないやん」

「そやで~神様やったら第一、天におるはずや、神様が何で俺らと同じこの地上におるねん」

 ここで当然のように秋山が口をはさむ・・・、

「お前らもう忘れたんか~4年で習ろうたやろう・・・天孫降臨ちゅうて(言うて)」 

 天皇陛下の先祖の天照大御神の孫のニニギノミコトが、天照大神の命を受けて高天原 (たかまがはら=天のこと) から天降 (あまくだ) った・・・というくだりである。

「天照大御神の子孫やから神様か・・・」

「そう~や」

「確かになろうたな、しゃけどな・・・そんなあほなこと本当にあるわけないやん。マンガの世界の話やで・・・」

「そゃそや、それやったら空から地上に降りて来る鳥もみな天孫降臨や」

 と、相変わらピントの外れたことを言っているのは大場である。伊藤浩一が、

「しゃけど大人はみんなそんな漫画みたいな話をほんとに信じとんかな~やはり神様なんて居おらんと思うけどな~、やっぱし社を建てて賽銭箱を置いてそれで儲けとる奴らが考え出しよったもんで~」

 確かに人のために尽くした人が多くの人から敬われるのは当然としてもその子や子孫をただ敬うのは理知のない人のすることだと省吾は思った。

「神様が賽銭で儲けて、それで買い物するわけないもんな~」

「そやそや!第一本当に神様やったら俺ら子供にこんな思いさせへんで」

「はよ(早く)大阪に帰らせてください、ちゅうて(と言って)毎日拝んどったけどアホみたいやったな~神様が願い事を叶えるわけないんやな~」

「本当にそうやで、賽銭入れて拝んどる奴はアホやで…」

「同じ人間やのに天皇陛下の住む宮城の二重橋の前で土下座して拝んどる奴はもっと間抜けやで」

 また始まった。とにかく移ろいやすい子どもたちなのである。でも当然だろう、一番無邪気に日々を過ごせるはずの年頃なのだから、それを家族と引き離されて寂しいばかりか苛酷な日々を過ごさせられているのだから性根もゆがんでしまうのだろう。田中弘行が思いついたように、

「俺ら、運が悪いんや」

「そぅや!運や~人間は運がええか悪いかや」

 秋山が納得顔をして断言する。

「しゃけど運は神様が決めるんやろ?」

 こうなるとみんながてんでに何かにと口にし始める。

「神様がそんな一人一人のことをきめたりするわけないやん~運の良し悪しは運を決める奴が別におるんやで?」

「誰や?そいつ!」

「運を決める神様や!」

「えっ!神様?」

「ちゃうちゃう・・・神様は何も出来ん能無しやったな~しゃから神様やのうて悪魔や!」

 いよいよ悪魔まで出て来た。

「俺らがこんな思いするのも運の悪魔の仕業なんか~」

「そうや生き物を操っているのは神様でのおて(なくて)運を操つりよる運の悪魔なんや」

「運の悪魔が最初からなんもかんも決めとるんか・・・」

「人間に生まれてくるんも牛や豚に生まれてくるんも、魚や虫に生まれるんもみんな運の悪魔が決めよるんか」

「そや・・・それに生き物の生き方も決めとるんや」

「運てなんや?」

 常に1オクターブも2オクターブも遅れている山本恭太が口にする。

「お前も二重橋で土下座して拝む口やな~、だいたい何も分からんで今までこの話聞いとったんか」

「運ていうのはな~生まれつき持って来たもんや」

「えっ!赤ん坊が何か持って生まれてくるんか?」

「阿呆なこと言うな、もの持って生まれてくる赤ん坊がどこにおるねん・・・顔の形とか、頭がええとか悪いとか、金持ちの子にとか貧乏の子にとか、声がええとかの才能もや、赤ん坊はそんな運を最初から持って生まれてきてる言うことや」

「お前、何一つまともなものを持って生まれてきとらんな~」

 大場が山本につっかかる…

「なんでやねん!俺、ええ顔してうまれてきとるやろな、お前みたいに胡坐書いた団子鼻の顔なんか持って来とらんわい」

「なんでそのノッペラボ―がええ顔なんや」

「お前ら何をごちゃごちゃ言うてんねん・・・顔はようても悪てもええねん!辛い思いをせんで生きられたら一番ええ運なんや」

 と、横から田中が納得顔で言う。

「そうや!生き方や・・・生き方も運で決められてるんや…」

「俺、今の生き方嫌やで!

「途中で変えてもらわれへんのかな~」 

 山本と大場が真顔で言う。

「始めから運で決まっとるものは変えられへんのや!」

「拝んでもあかんのか?」

「誰に拝むんや、また神様か?天皇陛下か?そんなもんに拝んだから言うて姿かたちは変わらへん言うとるやろが~生まれつき決められたものは絶対に変えられへんのや・・・「ゴキブリに生まれたら殺されるまでゴキブリのままや、目のないミミズに生まれたら死ぬまで土の中で暮さんなんねんで、阿呆に生まれたら死ぬまで阿呆やで」

「阿呆は死ななきゃ治らない・・・」

「お前!唄ってる場合か、これはお前のことやで」

 大場が素直に頷いている。田中が、

「拝むんやったら運の神様を拝まんとあかんのやな~」

「あほ言うな!それやったらまた運も神様になってしまうがな・・・神様なんて居らへん(居ない)言うとるやろな~」

「そうか運の神様やのおて(なくて)運の悪魔や」

「そやで運の悪魔や!運魔や!運魔様や」

「そうか・・・運魔様か、運魔さまが人間や生き物の全てを決めてんのか」

「何時何分に東野が怒り出す、何時何分に山本と大場がどつかれる、またギャァギャァ泣きだすなんてな、全部決めてるんや」

「そんなん決めんといてくれや」

 山本と大場の二人が同時に口にする。

「神社やのうて(なくて)運魔様を祭る寺でも造って、大きな賽銭箱置いて・・・」

「そや!それにお前の小遣い全部入れて拝んどったらひょっとして運魔様も気が変わってくれるかもしれんで、お前はそれしかないで」

「なるほどな~運魔様か・・・、もっとましなこと話合われへんのかと思って聞いとったんやけど、確かに何でもかんでも神頼みっていうのもおかしいもんな~」

 珍しく早川省吾が話の中に入ってきた。

「早川やったら運のことどう思う?」

「俺・・・たまたまこないだ親戚の大学生の兄ちゃんが読んでた『幸、不幸』っていう本、貸してもろてな~読んだとこやねん」

「さすが早川やな・・・難しい本読むんやな~」

「それに書いてあってんけど、はじめから決められてる運を『宿命』っていうねん。『宿命』は変えられへんのやけど、その『宿命』の中で努力したら少しは運がようなるんや、それを『運命』っていうのや」

「えらい難しいこと言うな~」

 たしかに考えてみれば『宿命』はやむを得んとしても生きていく『運命』は少しでもよくなってほしいものである。しかし神頼みは単に気休めで、努力あるのみだという。

 しかし『宿命』の定めにもきっと決まりがあるだろう。せっかく人間になって豊かな生活ができているのに人を苦しめたり強欲非道なことばかりしていたら、仮に死んだ時立派な葬儀をしてもらっても来世は目の無いミミズかゴキブリの『宿命』しか与えてもらえないのと違うだろうかと省吾は思った。

 子供たちはこの後しばらくは東野の『俺はお前たちが(直立不動して)神君、天皇陛下の御ため・・・』なんて言う言葉にも『なにが・・・』と、腹の中でべろを出すようになっていた。

 しかし単純で移ろいやすい年端のいかぬ子どもたちである。ただでさえ恐ろしい教官の東野や馬場に日ごと夜ごと、『天皇陛下の御ため、神君の御ため』と聞かされ復唱させられていれば否が応でもその気になってしまうのである。世界を制覇しょうとして攻めて来た蒙古軍を神風が吹いて撃破し国は奪われなかったのはこの国が神の国なんだからだと・・・そして『やがてこの戦争も神風が吹いて敵を全滅させるんや』などと妄想させてしまうのである。いつぞや子供たちはまるで単純な人々が新興宗教にのめり込むように東野や馬場の言葉に洗脳されて真に受けてしまい、本気で『大日本帝国は神国だ!』と思ってしまうのである。


                       3、

 早川省吾も縁故疎開が出来なかった学童と共に集団疎開児としてここ『滝の沢飛び地』『に来ているのだ。

 集団疎開児の持ち物は掛布団と敷布団各一枚に枕、毛布と寝間着に下着や洗面具に手ぬぐい、ちり紙などなどと細かく規制されていた。

 そして8月28日大阪港町駅(現在は難波駅になっている)から蒸気機関車の曳く関西線に乗って家族に見送られ奈良を経由して三時間ほどかけて和歌山県橋本駅に至った。そして橋本駅から歩いて御幸辻を経て山道伝いに『滝の沢飛び地』の宿舎に入ったのである。

 省吾たち子どもの大半は全く知らなかったことだが、実際は大阪の『なんば』から出ている南海高野線に乗れば橋本の一つ手前の御幸辻駅には三分の一もかからない時間で行きつけるのだ。

 なぜこのような延々の経路を辿ったかは推して知るべしである。つまりかなりの遠路を辿っていると思わせるためである。もちろん子どもたちの逃走を防ぐための東野や馬場のどこまでも姑息な考えだったに違いない。情報の得にくい時代だから親も知らなかったというようなことも多かった。 もちろん分かったからといっておいそれと抗議出来るものでもないのだが・・・。

 そして省吾たちの苦闘の集団疎開の日々が始まったのである。

 厳しい生活だった。なによりも教官の恐怖支配が怖かった。精神修養だと言って・・・肉体の鍛錬だと言って無差別な暴行が繰り返されるのが怖かった。さらに空腹の日々、蚤や虱、やがては児童同士の苛め合いで多くの子が状況をあらわに出来ぬまま心の奥底に大きな大きな痛手を負って無我夢中で生きなければならなかったのである。


 子どもたちは雨の日でも雪の日でも上半身裸になって谷まで走り下りて洗顔すると決められていた。

 冬場の谷川は近づくだけで凍える思いがする。だから上半身裸の子供たちは一生懸命走って体を温めておかなければならなかった。

 雪の日などは洗顔どころではなかった。手拭の端を持ってぶら下げてもう一方の端を水面にちょろちょろ浸し、それを頬にチラチラと触れさせて顔を洗ったことにして帰るのである。しかし東野や馬場に顔を近づけられて額か頬に濡れっ気がないと決められれば顔を洗ったとみなされず、

「もう一度行って来い」

 となるのだ。 

 二度目の時は行った証拠に濡れたままの手拭をぶら下げて帰らねばならなかった。冷たくてこれがまた辛かった。いや、木刀に引っ掛けて帰ればいいのだが、子供たちにはそれが出来なかったのだ。精神的な恐怖が子供たちにのしかかっているのである。万一気付かれた時に受けねばならない折檻が目先にちらつくのである。

 洗顔の帰りには途中で枯枝を拾って柔道帯で一束にし、背中を擦り傷だらけにして担って帰らなければならなかった。これをいい加減にしていると朝の食事は抜きになる。

「お前、なんや、これ・・・このくらいなら幼稚園の子でも持ってきょるがな、今朝の飯はなしや」

と、いう調子だった。東野や馬場の許の集団疎開はこのようなことが当たり前のように行われていた。

 それだけではない、洗顔から帰るとまず座机の前に立ち並んで再び点呼が始まるのだ。つまり外に出て帰るたびに必ず点呼があるのだ。まったく無用のようだが、東野や馬場にすれば疎開児童の逃亡を病的に神経をとがらせていたのである。

 洗顔の後の点呼は食前なのでみんなお椀に木製の匙を手にしていた。

 傍で見れば実におかしな恰好だが子どもたちは真剣そのものだった。

 朝食も始めのうちは米の入った麦飯だったが、間もなく米粒がなくなり、やがて麦と通常なら家畜や小鳥の餌にする粟か稗の食事になっていった。それもついには炒り豆と色もないような味噌汁だけの食事ということも多くなった。

 当番の子が木の柄杓で一杯づつみんなのお椀に炒り豆を入れて歩くと、子どもたちは急いでそれに白湯を足し食後の自由時間も含めて食べずに我慢して待つのである。つまりお椀に半分もなかった炒り豆が、お湯でふやけてお椀いっぱいになるのを待って食べるのである。

 白湯だけは井戸端の窯に大きな鍋をかけて常に沸かしてあった。それだけは救いであった。

 集団疎開児向けの配給米はどうなったのだろうか?・・・もちろん子供らには計り知れないが、

「もっと食べたいな」

「まともな食べ物がほしいな」

 などとちょっとでも呟やくものなら大変である。すぐ二階の教官室に呼ばれてたちまち折檻が始まるのである。

 折檻は必ず気合を入れなおすという大義名分のもとに始められる。

 まず『小便に行って来い!』となる。制裁を受ける前から恐怖で小便を漏らす子もいるからだ。

 小便から戻ると足を踏んばらせ、歯をくいしばらせ、下腹に力を入れさせてそして大きな掌で張り倒すのである。それも一度や二度ではない。

 呼び出された時から子供たちのこの先に起こることの恐怖は計り知れたものではなかった。    

                     

 東野が二階から階下の子供たちに向かって大声を掛けてきた。

「大場良平に山本恭太!ちょっと来い!」

「また『子供狩り』や」

 子どもたちは囁きあった。

「何もしてないよな」

「してないもんな」

 大場と山本はひきつった顔を見合わせ不安気な表情を交わしていた。

 四年生まではとりわけ快活で明るい子たちだったのだ・・・それがこんなに萎縮した子にされてしまっているのだ。

 こうして教師が呼びかけた場合必ず級長の早川が先導することになっている。二階の東野の部屋の前に三人は直立すると早川が、

「大場と山本です」

 と、声を掛ける。必ずそうすると決められている。

「早川はよし!大場と山本は入ってこい」

 二人が入っていくと、

「今から出かけるから二人はその箱を持ってついて来い!」

 と、東野が部屋の隅に置かれている荒肌の木箱を顎で指し示す。

 省吾も覗き込んでその木箱が気になったが、もたもたしているわけにいかないので、

「じゃな・・・」

 と二人に声を掛けて階下へ降りて行った。

  木箱からは何やら秘かな音がしている。二人は気味悪がって手をこまぬいていると、

「何をしとるんや!早よ持たんか!」

 すかさず怒号が飛んで来た。しかし気味が悪くて手が出せない。

 窮まって『なんですか?これ・・・』と、二人は同時に声を出していた。しかし東野はそれには答えず怖い形相で二人を交互に睨みつけて部屋を出て行った。箱の中は相変わらず何か音がする。何かが居ることは確かだ。

 二人は共に大阪を出てここに着いた日のマムシ事件を思いだしていた。

 大阪からここへ着いた日、宿舎に向かって御幸辻から盾列になって山道を歩いていると、突然雑木林から一匹の蛇が飛び出して来たのである。

 噛まれたら死ぬこともある毒ヘビのマムシだった。誰も咬まれなかったのは、その時すぐそばを歩いていた馬場がすかさず持っていた木刀で蛇を叩き落としたからである。さすがに剣道四段の腕前だった。

 叩き落されたマムシを東野がどこをどのようにしたのか一瞬ずるずると皮をはいで白身にしてしまった。これを醤油のつけ焼きにすると美味しくて非常に栄養のある酒の肴になるんだとか、二人の喜びようは格別だった。

「何しとんや!」

 予期していた怒号が飛んできた。が、やはり箱の中が気味悪い。しかし倒れるほどホホを打たれて立ち上がるなり庇いきれない払い腰が繰り返されることを思えばやはり箱の方に手を出さざるを得なかった。

 二人は観念して箱に駆け寄り両端を持ち上げた。が、どちらも前方にも後方にもなりたくない、自然と半身になって横並びに部屋を出た。

 箱の中から絶え間なく何かが蠢く音がしていた、山の茂みから聴こえる鳥や虫の声に少しは癒されながら道端の笹をなぎ倒して二人は平行して先を行く東野の後を追った。

 山本と大場が今考えていることは同じである。あまり遅れると怒鳴りつけられるだけででなく、例の『たるんどる!根性の叩き直しや』と大きな平手がバシンとくることだ。

 それを思うと二人はやはり足早にならざるをえなかった。しかし絶え間なく荒木の箱の中から何か蠢く音がしている。『やはりまむし?』と思うと支えてる手が引きずり込まれそうでつい手を放したくなる。が、勿論手を離すわけにはいかない、手を放して落としたりしようものならどのようなひどい目にあわされるかしれたものではないからだ。とにかく荒木箱を持ったまま急ぐよりしようがない。

 前、後ろになればもっと急げるかもしれないが前に居れば背中がむず痒いし後ろになれば荒木箱の中の蠢きがもっと気味悪いだろう。

 二人は横並びのまま足を速めた。

 ようやく東野教官に追いついた所は溜池の傍らだった。

 そのやや平らなところで東野は既に枯れ笹を集めてたき火を始めていた。

『なぜたき火?』不審げに二人はたき火の傍らに荒木箱を下ろして突っ立つていると、東野は黙ってずかずか近づいて来た。思わず二人は後すざって首を竦めた。しかし東野は近付くなり木箱を蹴飛ばした。二人は一瞬命の縮まる思いがした。

 壊れた木箱の中から飛び出したのは麻袋であった。その麻袋が激しく蠢いている。それを見て二人は抱き合った。

「何やお前ら!金玉持ってんのか?はよう袋の紐の結び目をほどかんか」

 目にちらつくビンタを思うと二人は麻袋に萎縮してはいられない。気味悪さを抑えて怖々紐をほどいて袋を逆にするなり手をはなした。

 麻袋が落ちるその前に袋の中から転がり出て来たのは翼と足をくくりつけられた二羽の鶏であった。

 鶏は地面に横倒しのまま激しく悶えていた。見ると翼と足だけでなく嘴も紐できっちり結わえ付けられていた。が、かすかに嘴のつけねからくく・・・くと声を漏らしていた。東野はそれを何なく手掴んで二人の前に突き出し、

「大場は首や、山本は足をしっかり握りしめて『よし!』と言うまで絶対離すなよ」

 牛でも豚でも屠殺場で畜殺される直前は我が身を憐れんで悲しげに啼くのだという。まして鳥の感情は最も人間に近いらしい、殺された親カラスの傍らで子カラスがいつまでも空を仰いで悲しげにクワ-クワ-と可愛い小声で泣き続けるのだそうだ。

『この鶏が今殺される・・・いや今まさにこの鳥を自分らが一緒になって殺そうとしている』と、思うと…二人とも経験したこともない罪悪感にかられて一瞬頭が真っ白になった。

「何をボーッとしとるんや!」

 その声にふと我に返って、二人は同じように顔をそむけたまま言われたとおり二羽の鶏の足と首をそれぞれにぎりしめた。

「緩めずにしっかり引っばっとれよ!」

 東野は二人に命じておいて苦しげに身もだえして声を漏らす鶏にかまわず、無表情に羽毛をむしり取り始めた。

 みるみる内に裸にされていく鶏・・・それでも目だけはぎょろつかせて悶えながら苦しげに生きている。

「よし!お前らは枯木を集めろ」

 言いながら東野は二羽の鶏の首を一緒に片手で握ると嘴の紙ひもを解き、今度は一羽づつ鳥の首をねじっては絞めて殺しはじめた。

 二人は足元の枯れ木を拾い集めながら見ないようにしょうとするがどうしても覗いて見てしまう。

 鶏は次々にグワッ! グワッ!と苦しげにうめきながら真っ赤な血を吐きだしていたがやがてぐったりとなって首を垂れた。東野は鶏の足を棒に括り付けるとたき火にかざして頭から丸ごと焼きだした。


 翌日、朝食が終わると、

「お前たち、今日は親御さんにお礼状を書くんだぞ・・・いいか!次のように書くんだぞ、『差し入れてもらったお金で先生が農家から鶏を買ってきて料理して、ご飯やおつゆを作ってくれたので美味しくいただきました。有り難うございました』とな・・・」

 みんなは顔を見合わせた。ここでいつも考えもしないで口にしては損をするのが山本恭太だった。口の軽いのが災いのもとになるのである。

「いつ食べたん?」

 と、声を出してみんなの顔を伺っている。だれかれとなく『言うな!』というように目くばせをしているが恭太には察知できない。

「何に入ってたん?」

 東野は一段と声を露わにして、

「朝のご飯は鶏飯やったし、汁にも入っていたやろ!」

 と、ほかの子の顔を覗き込むようにして無理に頷かせる。もちろんみんな頷いてみせる。しかし一人だけ俯いている子がいた。

 大場良平である。良平は蓄殺を思い起こして自然と身を引き攣のらせていたのである。むろんそんな心情を東野が察知するわけがない。むっとした顔で良平を睨めつけていた。


 次の食事前に二人は教官室に呼び出された。折檻が始まるのだ。

 折檻が始まると、まる一日食事抜きになる。それも子どもには苦痛であった。やがて間もなくドタンパタンと建物を揺るがすような打音がし始めた。同時に良平と恭太の泣き叫ぶ声が絶え間なく聞こえてきた。

 そんな時、いじめグループの幾人かはリーダーの片山哲郎の合図で二人の行李を引っ張り出し中から仕舞いこんでいたお菓子を取り出して仲間の皆で頬張りはじめた。

 ここに来る時、母親が工面した材料で丹精込めて作って持たせていたお菓子である。誰もが持って来ていて行李に仕舞っており、それぞれがちびりちびり舐めるように口にしている宝物のお菓子である。それをこのいじめグループは躊躇なく奪ってしまったのだ。

 やがてようやく折檻を解かれて戻ってきた良平と恭太は今度はそれに気づいてまたどっと泣き伏した。 恭太は、

「もう死んだ方がましや・・・死んだ方がましや・・・」

 と、繰り返していた。そこえ階下へ降りて来た東野に向かって・・・

「先生が悪いんや!」

 と、夢中で口走ってしまったのだ。

 東野は恭太の襟首を掴むと引きずるようにして二階へ引っ張り上げて行った。

 すかさず二・三度ドタンバタンと響いたが、今度は恭太は泣き声すら出さなかった。かえってそれが東野を怯ませたのか、折檻を止めたところで恭太は東野を睨みつけるようにして飛び出した。そして一階へ降りてくるなりそのまま屋外にある便所へ飛び込んだ。

 恭太はそのまま出てこなかった…

 しばらく経って不審に思った良平たちが便所へ見に行き戸を叩いてみたが返事はなかった。

 知らせを聞いた東野が降りて来て便所の戸をこじ開けたが・・・そこには恭太の姿はなかったのである。

 とうとうあのまま姿を見せなくなった恭太を除いては、疎開児童の日常はその後も変わらなかった。

 算数や国語の正常な勉強はまったくなく暇さえあれば背負い投げの型を繰り返すか木刀を振らされているだけである。

 木刀を振りながら…

「山本はどうしたんやろ?」

「便所から脱走したままやで・・・」

「なんで脱走したんやろ?」

「そら、あれだけいたぶられとったら誰でも逃げとうもなるで」

「可哀想やったもんな」

「なんであいつだけあんなにいたぶられよったんやろな?」

 この一派は正統派である。しかし東野や馬場に聞こえないように声は潜めている。

「山で道に迷うて倒れ込んでるかも知れんで」

「大阪へ帰ってしもたんとちゃうか?」


 あの日山本恭太は便所の窓から抜け出し山手の方に泣きながら夢中で走った。

 ほどほど走ったところで息も切れ、雑木林の中でへたり込んでしくしく泣いていたら、

「トゥシタノ(どうしたの)?」

 と、言いながら近寄ってきたよれよれの軍服姿の小柄な兵隊が、

「オナカ…ヘッタノ?」

 と、懐からどんつくパンを出して二、三度ちぎっては恭太の口に入れてくれた。

 空腹の恭太は頬張るなり夢中で飲み込んだ。それでちょっと落ち着いた恭太が、

「おじさん有り難う」

 と、か細い声で礼を言うと、

「カンパレナ・・・(頑張れな)」

 と言って背を向けると山の方へ走って行った。

 野営の朝鮮兵だったのだ。

「有り難う!おじさん」

 声は届かなかったかも知れないが、恭太は精一杯大きな声を張上げていた。

 このぬくもりのある人の行為は、おそらく恭太にとっては忘れることの出来ないものだろう。

 ややお腹を満たした恭太は間もなく宿舎の方に戻ったが宿舎の前まで来たもののどうしても宿舎に入る気はしなかった。だまって前を通り越すとそのままただ歩いた。

 毎朝洗顔に行く谷の方向だった。しかし谷に降りる小道にも入らなかった。

 ただぼんやりその道を歩いていたらやがて着いたところは御幸辻の駅だった。

 全て運命なのだろうか、たまたま入ってきた電車に恭太は何も考えず潜り込んだ。

 それがどんな電車なのかもちろん恭太は知る由もない。ただこのあたりからちょっとでも遠ざかりたいという思いだけだった。

 それが南海高野線だったなんて思いもよらなかったのだ。関西訛での車内案内は上りの難波行だと告げていた。

 恭太の家も学校も難波の手前の天下茶屋駅からごく近いところにある。思いがけないめぐりあわせで恭太は見知っていた天下茶屋駅で降りた。

 小柄な恭太は親子連れのあとについてこそっと改札口を通り抜け我が家に帰りついたのである。

 ところが恭太には東野よりもっと怖い特高警察官の父親が居たのだった。

 それを思うと恭太はまともに顔を出すことが出来なかった。裏木戸から入っていつも鍵をかけてない縁側のガラス戸から入り、数日の間押し入れに隠れたまま母親の留守を見計らっては台所へ行って何かと食べて過ごしていた。

 食べ物がなくなることを不審に思った母親の話で父親が家探しし恭太を見つけ出した。

 この特高の父親の偏った正義感は無能無謀だった。

『脱走して来ょっただけでなく隠れて盗み食いまでしょって、お前のような奴は我が家の大恥や』と烈火 のごとく怒りだし、母親が泣いて庇うのを払いのけて泣き喚く恭太を、

「教師がたるんどるからこんななまくらになるんや。もっとしっかり気合を入れて教育せんかい」

 と再び地獄のような東野の集団疎開先に連れ戻したのである。

 特高を嵩にきて、いつもこうして見下すような目線でものを言ってくる山本恭太の父親には東野はかねがね鬱憤を溜め込んでおり、常に恭太を白い目で見てことあるごとに制裁を加えていたのである。

 東野も自分の落ち度が父親に知れることを怖れて山本の失踪をどこにも知らせていなかった。 正直なところよもや特高の父親のいる大阪へ戻るなどとは思いもしなかったらしい。どこかこの界隈に潜んでいて腹を空かした揚句戻ってくるだろう・・・ぐらいにしか考えていなかったのだ。

 父親も父親なら教師も教師だ!不運の恭太だった。

 連れ戻された後の恭太は東野に絶え間なく折檻されて布団も与えらないまま廊下に放りだされることが多かった。ぐったりそのまま寝込んでしまった恭太が風邪をひくのは当然だ。

「こんなことぐらいで風邪を曳くような弱虫でどうするんや。大和男子やろうが、お前らしゅうないで」

 都合よくおだてることも東野の秘術である。

 もう頼れるところもない恭太は生きている気はしなかったに違いない。しかし恭太は自ら井戸に飛び込んで死んだのではないのだ。その証拠は歴然としている。それは熱を出して二階の納戸で寝かされていた恭太を気にしてそっと覗きに来た良平に、

「俺は大きゅうなったらきっと仕返ししてやるんや。それまで頑張るんや!」

 と、言っていたことである。

 誰にでも面倒見のいい大北早苗だが、とりわけ食事をぬかれる恭太を憐れんでそっと食べ物を懐に隠して持って行き食べさせたりしていた。

 寮母と言えどもそのような事が見境の無い東野に知れたら同じような目にあわされてしまうことだろう。しかし早苗はいつもの恭太の嗚咽の姿を見るに見かねていたのである。

『皆にうつるといかんから』と一人納戸で寝かされていた恭太の世話を親身になってしていたが、納戸は寮母の部屋からはぐるっと回って教師室の横まで行かなくてはならなかった。しかし食べ物や薬ならまだしも額のおしぼりの交換は大変だった。そこで自室に寝かせたいと東野の許しを得に行った。

 東野はそういうことには実に淡泊であった。

「好きなようにしなはれ」

 で、恭太は寮母の部屋に移った。

 一方近頃になって馬場は決まって夕刻になると一組の寮に現れるようになった。

 馬場のいない二組の児童は天国だったが、一組の子は戦々恐々だった。とりわけ大北早苗は悲壮であった。酒盛りの酌につかされるのである。それが馬場の目当てだったのだ、一度拒んだ早苗は蹴飛ばされはしなかったが、頬が張れるほど平手でたたかれ『職務怠慢で減給にさせる』とまで言われて脅かされた。

 誰だってこんな思いはしたくない。早々に辞めて帰ればいいようなものだが・・・、しかし早苗には病気で入院している母親がいてその治療費は早苗に掛かっていたのだ。父は早くに亡くなって母娘二人の家族であり母親のためにも辞められないのである。

「そういうことだけは堪忍してください」

 臆面もなく手を伸ばしてくる助平な馬場にたまりかねて早苗は払いのけた。それを機に『むっ!』とした顔を露骨に表わした馬場は小柄な早苗を隣の納戸に引きずり込み自分のズボンを下ろして破廉恥な姿でのしかかったのである。

 体力、腕力ではとても敵うものではない。

「やめて!やめてください」

必死の抵抗もむなしくみるみる下着を剥ぎ取られ体の下を押し付けられてしまったのである。

 馬場の思うがままになって泣きわめく早苗の声を聴いても東野は止めに入ろうともせず、にたりにたり笑って酒の肴にしていた。

 馬場が目的を達して自分の小物入れを落としたことにも気づかず納戸を出て行った後も早苗はしばらくは乱れをつぐろうともせず放心したように横になったままだった。

 納戸から出てきた馬場に東野は杯を渡し成功を祝福しているようなしぐさで濁酒を注いでいた。

「こっちへ来てあんたも飲みなはれ」

 もちろん早苗がそれに答えるわけがない。


                       4、

 翌日も早苗は放心状態であった。

 しかし時間が刻々経つにつれて現実の自分を甦らせていった。そして気持ちと葛藤していた。

 その晩…東野と馬場は相も変わらず酒を酌み交わして笑い声を立てていた。早苗は何度か耳を覆っていたが、馬場の笑い声が聞こえる度に感情が高ぶった。

『何故こんな思いを』と思うにつれ気持ちが抑えきれなくなったのである。

 我を忘れて東野の部屋に飛び込み、握りしめていた馬場の小物入れを投げつけた。そして、

「私がされたことは絶対に告訴します!大阪の本部にも一部始終を話します!」

 と夢中で声を浴びせた。

 一瞬唖然とした二人だったがやがて我に返って、

「そんなことをするとあんた自身が後ろ指をさされるようになるんやで・・・」

「恥ずかしゅうて大阪で歩くこともでけへんようになるんやで」

「わしらは誰にも言わへんからあんたも素知らん顔していた方が賢いで」

 臆面もなく都合の良いことを口にする二人だが『誰にも言わない』と言った後それを既に一部始終聞いていた者がいることに気が付いた。

 山本恭太だ。

 寮母の激しい泣き喚きに離れていても同じ二階で寝ている恭太に聞こえないわけがない。

 だが当の恭太は怖さが先だって布団にもぐりこんだままで何が起こっていたかは全く知っていなかった。 ただ大人の寮母さんがこれほど泣きわめくのだからよほどひどい目にあわされていることだけは確かに思えた。

「なぁ・・・悪いようにせんから気を静めなはれ」

 平然と、やったことを継ぐろうように声を掛る馬場を早苗は睨み付け唇をかんで自室に戻って座り込んだ。が溢れる涙は止めどなかった。

「おばさん…」

 ためらいながら起き上った恭太と早苗はどちらともなく抱きあってしばらくは泣き濡れていた。


 橋本から所轄の警察官や検視官が来て寮母の遺体と井戸から引き揚げた山本恭太を型通り検視し早々に引き上げて行った。

 ただその時集団疎開の統括官として来ていた緒方には、

「寮母さんは首つり自殺であり少年はそれを見ていて注意をそらし誤って井戸に落ちたものと断定しました」

 と、説明した。

 あまりにも軽微な検視結果に緒方は唖然としたが、警察も若い人は軍隊にとられ年配の警察官ばかりでとてもより以上の詮索は無理なのであろう。

 しかし緒方は不満であった。せめて寮母の自殺の原因や少年の死の原因をもっと調べるべきじゃないだろうか、さらにどちらが先に死んだのかなども二人の死の原因に関わりがあるように思えるのである。


 大阪から早苗の叔父と叔母と、それに恭太の両親が来て一同と共に通夜を済ませた。

 さて遺体をどうするかが問題になった。

 この部落には火葬場が無く全て土葬だという。恭太の母親は遺体を連れて帰りたいといって泣いていたが私用のための車の調達は出来ないことが分かって、やむを得ず荷車を借りて御幸辻の墓地へ移し、早苗共々火葬に付してそれぞれお骨だけを抱いて帰ることになった。

 その後、東野は子供達を集め、

「寮母さんは個人的ないろいろな事情があって世を儚んで自殺したのです。ほんとうにいい人だっただけに悔やんでも悔やみきれません。また井戸で死んでいた山本君は風邪をひいて熱を出したので皆にうつすといかんから二階で寝かせていましたが、喉を乾かせたのか一人で井戸へ水を飲み行って誤って井戸に落ちて死んだみたいです。先生にとっても大事な生徒であり国の大切な大和おのこを死なせてしまったことは残念でなりません」

 と言って涙ぐんだ。もちろん田舎芝居の役者の泣き真似と変わらない。

 緒方はいずれも納得できなかった。しかし二度三度と井戸小屋に行ってはいろいろ調べてみたが何一つ疑問を解く手がかりはなく不信はつのるばかりであった。

 なぜ?・・・大北早苗は紐の代わりに柔道帯を使ったのか?・・・それに井戸小屋の桁に架け渡してあった首吊りに使った柔道帯を梁と屋根板の二センチもない隙間にどのようにして通したのだろうか? しかも梁までの高さは少なくとも二メートルはあるだろう。

 梁の木幅は一二・三センチ以上もあって荒木のままなのだ。そこに帯を通すとなるとかなり高い位置に目線を置いて帯の両脇を持ち少しずつ差し込んでいくぐらいのことはしなければならないだろう。

 しかし周りには梯子もなければ脚立も見当たらない。汲みあげた水桶を置くための台は井戸枠に固定されてるし、しかもそれは三〇センチほどの奥行きで巾もせいぜい五〇センチ、高さも三〇センチほどしかないのだ。だから比較的長身の緒方がその上に乗っても斜め上の梁に帯を通すには少なくともあと十センチの高さが必要だ。まして早苗は大目に見ても一メートル五〇センチもない小柄な女性である。いったいどのようにして屋根裏の二センチもない隙間に柔道帯を通すことが出来たのだろうか?

 今一つ、検視官たちは気づかなかったようだが早苗の首には柔道帯の繊維痕のほかに紐あとのようなものが一筋あったことだ。

 あの帯は警察が持って行ってしまったし既に遺体もないことだから今となっては確かめようもないが、もし帯に一筋だけ太い繊維があったのであればと思い何人かの子供たちにそれぞれ帯を持って来てもらって一本一本確かめてみたがそういうような帯は一本もなかった。

 また井戸で死んでいた山本少年の方も背丈はせいぜい一メートル二〇センチ、だから台に乗っても頭のてっぺんで一メートル五十センチほどの高さにしかならないのだ。一メール以上もある井戸の淵を超えるためには台の上から足を掛けてよほど勢いでもつけない限り乗り越えることは出来ないだろう。とても小柄な小学六年生の少年には無理なことなのだ。 当然誤って落ちたというようなこともありえない。

 井戸もつるべ式であり、空の桶の方のロープを井戸の外で引っぱるだけで水を満たした桶が上がってくる。その桶の取手に傍らに置いてある掛け金具の付いた竹竿を引っ掛けて引っぱるだけで桶を井戸の外へ取り出すことが出来るのだ。

 両方が空になれば一つの方のロープを井戸の外で引っ張れば空の桶は井戸の真上に来るので緩めるだけで自然と井戸の中に降りていく。

 どう考えてもわざわざ井戸を覗き込んで確かめるような必要は絶対にない!

 大北早苗にせよ山本恭太にせよ・・・単に自殺したとか誤って落ちたとか・・・そんな生易しい結論で済ませられることではないだろう。

 が、いろいろ考えているうちに何故首つりに普通の紐でなく柔道帯を使ったかだけは納得できた。

 それは井戸小屋の桁は柱のように鉋で削ってつるつるにした物でなく表面は木の繊維が逆立ったままのザラザラだから針金か多少硬さのあるものでなければ突っかかってとても通すことは出来ないのた。しかも屋根板との間は一センチメートルあるかなしかの隙間なのだ。つまり柔道帯なら平たくて多少の硬さもあるから両脇を持って少しずつ押し込めば通すことが可能である。

 しかしそれにしてもその作業の高さが問題だ。とても早苗では手は届かないということだ。


 東野はよく『広場はないだろうか?』と呟いていた。しかしそれは子供たちにもっと広々したところでのびのびと柔道の型や木刀を振らせたいからではない。ただ畑にしたかっただけである。

 畑で穫り入れた作物は濁酒と交換出来るからである。

 おかしな話だが、本来は農業のはずの部落の老人も今では屋内での濁酒作りに気を入れている。つまり濁酒つくりは野菜作りのように何日もかけて汗水たらす必要がないからである。

 それとは裏腹に子どもたちの方も来る日も来る日も夢の無い柔道の型と木刀降りでは飽き飽きしてしまう。土を耕して畑にし、やがて作物がなることに夢を持つ方がよほど張り合いがあるというものだ。

 宿舎の前の広場を畑にしたことも当然の成り行きだったのだ。

 子どもたちはそこに大根の種をまいた時から誰かれとなく覗きに来ては水をやり芽が出るのを楽しみに待ちかねていた。

 東野の申告では児童の健全な心身の育成には畑を作って作物を育てることが適切だと言うことであった。こればかりは本当であった。特に子どもの畑には大根づくりが一番適していた。栽培が簡単だし種を蒔いて二カ月ほどで収穫出来るので子供の菜園には格好の作物だった。

 しかし村のどこかの土をスコップ一杯掬っただけで目の色を変えて文句をつけてくる寒村の住人たちである。道端に荒れ地があるからと言っておいそれと手を付けるわけにはいかないのだ。


 ある日いじめのリーダー片山らが道脇の柿を20個ほど引きちぎって持ち帰り、かぶりついてみたがとても渋くて食べられるものではない。

 物識りの秋山宗男が、

「渋柿は皮をむいて日にさらしておけば甘ガキになるんや」

 と提案する。とにかくいろいろなことをよく知っている宗男である。その知恵を勉強に向ければ優等生疑いの無いところだが、何しろ勉強嫌いときているし常に利害を考えて有利な方にへつらう姑息な性分だからそれはとても望めない。

「先生!何か手伝いさせてもらうことありませんか?」

 などとへつらう。

 常に白い目で見返してくる子どもたちには可愛げがないが、こうして声を掛けてくる宗男にはやはり東野も嫌な気がしない。

「部落に鎌田さんていう家があるからそこえこれを持って行って一升瓶を貰って来てくれないか」

 などと気を許して頼みごともする。もとより子供たちに配給されてくるものや子供の親から差し入れされたものを濁酒と交換するのだが…

 宗男も部落の者に近付くようになって得することも多かった。

「なんか手伝うことない?そや、風呂水入れたろか?」

 なんて宗男の定番である。やはり白い目で見ていた部落の者も東野と同じでこんな宗男には気を許してしまう。

 井戸からくみ上げた水を風呂へくみ入れる水運びは部落の年寄にはかなり負担の仕事なのだ。

「じゃったら頼むけの」

 仕事の割には報酬は極小だ。せいぜいほとんど甘さの無い小さな稗団子を二つ三つ貰える程度である。 しかし食べ盛りのこの年代にはありがたい報酬だ。

「も一つ、あかん?」

「あかんあかん!わしらの今夜の飯じゃけん」

「くれたらええこと教えるのに・・・」

「ええことちゅうのは何か?・・・なんかええ物でも貰える話か?」

「そやで!またうちの先生から何かもらえるで」

「濁酒と換えんでもか?」

「そうやで、文句言うだけでええんや」


 いじめの連中は先生が気づかないような軒下を探して柿をぶら下げていた。それを秋山宗男は部落の者の耳に入れたのだ。

 たちまち大騒ぎになった。

 血相を変えた部落の年寄りが東野にがなりこんだのは言うまでもない。宗男の思惑通り、東野は隠匿していた子供への配給ものや親からの差し入れものを渡してその場をつぐろったが、その後が大ごとだ…

『やったのは誰や?』と東野と馬場の究明が始まった。一人一人を呼びつけて聞き出そうとするのだ。  ほとんどの子は知っていても『知らない』と答えたが、

「やったのは大場と山本です」

 と、示し合わせた通り片山らいじめグループの数人が大場良平と山本恭太に濡れ衣をおっかぶせたのである。

 単純な東野や馬場は何の斟酌も無く、

『僕じゃない』『本当に知りません』と懸命に訴える二人に食抜きとビンタの制裁を始めた。

 無実の良平と恭太は数日にわたって無残だった。顔はゆがむほど腫れたし、なにより食事時には外にほうり出されてしまうことだ。

 お腹を空かせて松の木の皮をはぎ取り、裏の薄皮を白い小さな虫ごと爪で掻きとって丸めて棒の先に刺し、こそっと寮のかまどで丸焼きにして頬張るのである。

 味も見てくれもあったものではない。ただ空腹を満たすだけだった。


 東野は部落の者によく媚を売る。濁酒と交換するものが無くなると何らかの方法で手に入れんがためだ。

 部落の田畑と言っても猫の額ほどだが、それでも何か作物を育てるためには耕して肥料もやらねばならない。いい加減な耕し方ではあるが休み休みぼつぼつやれば部落の年よりでもやれないこともない。大変なのは肥しやりの作業である。

 便所の汲み取り口から柄の長い柄杓ですくって肥桶(こえたご=肥しを運ぶ桶)に一杯満たし、天秤棒で担いで運ぶのだが、何しろ山道だ。上り下りが多くて重労働なのである。東野はその作業を濁酒と交換に子供達にやらせることにしたのでる。

 子供達の場合は天秤棒の真ん中に肥桶を一つ下げて前と後ろになって担ぐのだが、何しろ重いものを担いでひょろひょろしながら登り降りする上、山道は足場も悪く、道に張り出した木の根っこに足を取られて転げる子も多い。当然肥桶もひっくり返るのである。大きくバウンドするようなときは頭からずっぼり糞尿をかぶってしまうのだ。その時は一番近い沼か谷かに走って行って飛び込むのである。

「お前、しょっちゅう肥しかぶっとるからよお(よく)育っとんやで」

「いやぁ・・・たまらんわ、三日ほどはあろてもあろても(洗っても洗っても)匂いが鼻について取れへんのや」

「せやけど肌がすべすべするらしいで」

「それやったらうちのばぁちゃんにぶっかけてやりたいな」

 否が応でも疎開児たちはいろいろなことが知識になり体験もしてしまう。

 しかしこれも自分たちが耕した寮の前の畑にやるときは不思議と苦にもならないのだ。誰もがこの臭い当番を心待ちにするぐらいであった。


 建設会社を経営している早川省吾の父親は父兄会の会長でもあるので、そういう名目でしばしば大工さんらを連れて来て何かと疎開児童の寮の手入れをさせていた。

 父親も本意はやはりわが子に接したいがためである。しかし東野は父親のそばに寄りついたり声を掛けることは禁じていた。しかしそれはいじめグループに対しては適切でもあった。

 大工さんたちは棚を造ったり土間に簀子を張ったりしてくれた。井戸もすっかり掻い出して洗浄しお払いも済ませてふたたび使えるようにもしてくれた。その上井戸の周りに長い洗面台をつくって子供たちが谷川まで行かなくても顔を井戸水で洗えるようにもしてくれた。

 しかしそのせっかくの好意にも東野はすぐ使用の許可を出さなかった。

「二月になって本当に寒なったら使わせたる」

 だがこれは本音ではなかった。本当はどうやら自分が窒息死させて井戸に投げ込んだ山本恭太の怨念が気がかりなのである。

 井戸に沈んでいた恭太が見つかった時の東野のあの大仰な驚きようは故意のジェスチャーだったのだ。 でも東野には証拠がない。本人が自供でもしない限り分からないことなのだ。


 最近疎開児たちはしばしば『おねしょ』をするようになった。物干し竿や部屋の南側の窓には子供たちの地図布団が毎日のように並ぶようになった。

 省吾も知らないうちに小水を漏らすようになっていたのだ。

 省吾の父親も東野からおねしょの話を聞かされて、おおかた疎開のストレスの影響だろうとは思えたが東野の勧めでそれを諭すべくわが子に会った。

「何か?金玉のところが可笑しいねん」

ズボンを下ろさせてそれを見た父親は驚いた。睾丸の袋に今一つ、ゴムホースを二つ折りしたようなものがあったのだ。だから外見は大人の倍以上の大きさになり色も紫色になっていた。

 重度のヘルニア(脱腸)だ!

「僕だけと違うねん、皆やで・・・」

 やはり重い肥桶を担いだり日常の重労働のせいだろう。

 早速橋本から医者を連れて来て診察させると一組の子も二組の子も大半がすぐ手術が必要と言うことになった。

 施術組は総勢三十一人、痔が二人、団体で大阪に戻って十以上の病院に分散して手術を受けた。


 大阪の夜は空襲警報のサイレンが鳴り響いた。省吾達には経験したことのない異常なことであった。その都度患者を置き去りに付添の者だけが避難しなくてはならない規則で、消灯され真っ暗闇の病室に一人残された時の子供たちの心細さは例えようもなかった。

 抜糸(手術した切口を縫い合わせた糸を抜き取ること)までは起き上がることは許されないが、省吾は一度月明かりの夜、傷口を抑えて窓際に行って外を覗いて見た。と、目前に敵の戦闘機グラマンが飛び交っていたのに驚いた。

 東野も馬場も本部に呼ばれて注意を受けたようだが更迭させられることはなかった。

 数日後手術を終えたものが一人二人と次々に寮に戻って来た。しかし重度だった省吾ら数人は術後の療養が必要と言うことですぐには戻れなかった。

 省吾もしばらくの間、母の実家岡山県の農家に養生疎開することになったが、短期のため学校への一時入校もならず友だちは居ないし、ただ身を寄せる親戚の人たちの顔色ばかりをうかがう陰うつな日々が続いてかえって辛かった。

「ここを離れたい…」

 と、言っても大阪へ帰ることは規制されていて無理だと言うし、結局『岸の沢飛び地』の集団疎開先へ戻るしか方法がなかった。

 しかし戻った集団疎開先で待ち受けていたのは片山らいじめのグループであった。

 常に作業の手を抜き、狡く姑息な連中は一人も手術組には入っていなかったのである。

「大阪に帰ってええ思いしてきたんやろ」

「うまいもんさんざん食わしてもろて(もらって)来たんやろ」

 帰ってくる一人一人に圧力が加えられた。

 何もかも物は奪われた。これも東野の折檻に劣らない苦痛だった。

 だれも助けてはくれない。口を出したものは同じ思いをさせられる。訴える先もない。いじめられる子は夜な夜な床の中で泣きながら耐え忍ぶより仕方がなかったのである。


 早苗の訴状は早苗が死んだあとで警察や大阪の教育局の本部に届いた。

 あの日早苗は自室に戻ってしばらくは山本少年と抱き合って泣き濡れていたが、やがて意を取り直して告訴状を書き、そっと抜け出し『岸の沢飛び地』にただ一つしかないポストに投函していたのである。

 何しろめったにない投函便である、集配は半月に一度あるかなしかなのだ。早苗の告発状が早苗が死んで何日か後に届いたのは不思議ではなかった。

 教育局の本部は担当官の緒方をしばらく逗留させ調査を指示し、同時に警察にも連携するよう手続きを取った。

 緒方はまず・・・首吊りの柔道帯から調べ始めた。

 柔道帯が使われていたことは納得していたが二メートルもあるあの高さに身長が一メートル五〇センチもない早苗がどのようにして帯を差し込んだかが疑問だった。しかしどう考えても足場が無ければ早苗自身が帯を通すことは不可能だと確信した。だがその足場がない以上・・・でもあえて足場にするとすれば固定された水桶台である。しかしそこに乗っても通常の背丈ではとても斜め上の桁には届かない!

 となると?かなり背が高くなくては出来ないということだ。

 東野も背丈はある方だが緒方とさほど変らない。だとすると???考えられるのは・・・馬場だ!

 一メートル八十何センチかのノッポの馬場なら水桶台に乗ればおつりがくるほどの高さになる。

 馬場しかない!馬場がやったのだ!

 早苗は自分で首を吊ったのではない!まして早苗の首にあった細い繊維痕を考えればどこかで馬場に絞殺されて後にここに運ばれて柔道帯で首つりに偽装されたのだ。

 早苗の告訴状には馬場に辱めを受けたことが明瞭に書かれている。おそらく早苗は犯されたことを馬場になじり告訴することを告げたのであろう。

 馬場はまさかこんな告訴状が書かれていたなんて思いもよらなかったのではないか。

 口封じのため早苗と同部屋に寝ていた山本少年もその巻き添えを食って殺されたとしか思えない。

 背丈、動機、緒方の推理は疑うべくもなく橋本警察も検察もそれに同調してすぐ馬場を連行し尋問を始めた。

 これだけの状況証拠を突き突けられれば馬場も逃れるすべはない。馬場は観念して全てを自白したのである。

 早苗が『このことは絶対告訴します!』と、言い放って引き下がった後、不安になった馬場が、

「かなり本気のようでんな?」

「やぼまっせ、先生の場合は強姦罪でっからな~」

 と東野が暗に馬場を促したらしい。馬場は、

「やるよりしょうがおまへんか…」

 と、腹をくくったのだという。その時一部始終を見聞きしていると思われた山本少年は東野が始末することになったのだという。

 深夜になって馬場は細紐を持って早苗の部屋に忍び込んだ。大男が赤子の首を絞めるようなものだ。ほとんど一瞬で早苗はぐったりした。

 がたがた震えながら布団にもぐり込んでいた山本少年も東野に布団をはぎ取られ顔に大きな掌を押し付けられてまたたく間に気を失った。

 階下は一日の疲れでぐっすり眠り込んでいる子供たちの寝息だけが流れていたという。

 その子供たちの傍らを通って井戸端に行くと馬場は早苗を足元におろし非常用の電灯の明かりで首を絞めた細紐を井戸小屋の桁と屋根板の間に通し始めた。

 東野の方は気を失っている山本少年を抱えあげ、うつぶせにして井戸の上で手を放すとバシャーンという水音が井戸の中で跳ね返ったという。

 馬場は紐が突っかかってうまく通せずやりくりしていたが、それを見て東野が『柔道帯なら通せますやろ』と助言したと言う。

 馬場はいそいそと山本少年の柔道帯をとりに戻った。山本少年の帯にしたのは他の子の帯だと『なぜ俺の帯が?』と騒ぎが大きくなると思ったからだという。こんな時でも悪い奴にはどこまでも姑息な猿知恵が働くもののようである。

 こうして馬場は桁と屋根板の2センチメートルほどの隙間に帯を通し、帯の両端を括り付け早苗を持ち上げて首にかけてぶら下げたと・・・事細かく一部始終を自供したのである。

 そして東野の疎開児虐待も配給物の横領品で濁酒と交換していたことなどもすべてが明らかになった。

 もちろん直後に東野も逮捕され取り調べを受けたのである。


                       5、

 精神の大きな負担の緊張が急にほぐされると箍を外されたように『今までが何だったの?』と誰でも『阿呆ケ』てしまうものである。ましてまだ幼い少年たちなのだ。が、やがて意を取り戻して始めて目前が夢にも思えなかったものに変わっていることに気が付いた。

 鬼のような東野も馬場も居なかった。代わりに一組を緒方善治が代行し離れている二組には急きょ大阪教育局から年配の中谷先生が赴任されて来た、一組の寮母さんも大北早苗に変わらない優しい人が来て明るさが甦った。

 生活もすっかり一変した。午前中は懐かしい正規の授業になった。と言っても五年の始めからの授業の再開だったが、久しぶりの勉強に子供たちはいじめることもいじめられることも忘れて専念した。

 特に省吾の秀才振りはずば抜けていて授業の後のアドバイスには欠かせない存在だった。

 かねてのいじめっ子も省吾には一目置くより仕方がなかったのである。これで疎開児のリーダーも入れ替わってすっかり健全な雰囲気になり常に子供達の明るい弾む声が寮内に響き渡るようになったのである。

 出席をとるにも、もうあのおどろおどろしい睨みを受ける点呼でなく、以前のように一人一人の名前が呼ばれるようになった。浅川「はい!」石川「はい!」上田「はい!」・・・子どもたちの見違えるような明るい返事が甦った。

 先生によってこうまで違うものなのか・・・。

 ただ運動が問題だった。自分の作った畑の肥しやりぐらいならいざ知らず農家の肥え取りまでさせる運動はひどすぎる。しかし体操するにも前の広場は既に畑だし村道を勝手に使うことも許さない貪欲な村だからのびのびと体操する場所もない。

 つまるところ市が管理する公営地を利用するしかないのだが、しかし近くの公営地は獣道すら満足にない無造作な山林ばかりなのだ。でも道つくりも運動のうちだと思って緒方は国土課で近くの荒れ山の一つを借りる手続きをとった。

「さぁ!いよいよ新しい畑作りも始めるよ」

授業の後、緒方先生はみんなに発表した。

『わっ!』と歓声が渦をまく。

「でもすぐは無理なんだ」

「な~んだ・・・」

「ほんなら、いつ畑やれるんですか?」

「畑にするにはそこに行く道造りから始めなければならないんだ…」

「道造り?」

「そうなんだ、今の獣道は所々が急勾配で水も運べないんだよ」

「道つくりも面白そうやけど、その勾配ってなんですか?」

「直角三角形は知ってるね」

「当然!先生・・・僕らを見下げてる…」

 先生と生徒との間にはいつの間にか微笑ましい雰囲気が介在していた。

「実は直角三角形には面白い決まりがあってね、三角比と言ってサイン、コサイン、タンゼント…」

「えっ!サンコンタン?」

「うまいことを言うね、しかし実際にフランスにはサンコンタンって街があるんだよ。情緒のある古風ないい街らしいよ・・・でもここでいうサインは三角形の斜辺の長さと対辺の長さの比のことなんだ。」

「ひ~、へ~」

大場の咄嗟のギャグに一同、爆笑する。

 緒方は黒板に直角三角形を描いて斜辺と対辺を書き入れ三角比の説明をする。次に緒方は大きな山を描くとその麓の一点から角度が20度の直角三角形を描いて、

「つまり角度が20度の時は斜辺の長さ1に対して対辺の長さが必ず0.34になるので、斜辺を山道として100m登れば対辺は34mの高さのところまで登っているということになるんだ…」

「な~るほど!それをまた反対に造ってジグザグと登るんやね」

「そう!その通り」

「道造り・・・先生!やりましょう!」

「先生、やらせてください」

「しかし注意して作業をしないと慌てもんは足を踏み外して落ちるかもね?今先生はその一号が誰になるかを考えてるんだ」

『お前や』『お前の方が先や』

子どもたちはもう有頂天になっている。

「でもね雑木林だから落ちたとしてもすぐに引っかかる・・・」

『な~んだ、は・・・』

「先生!明日から始められる?」

「よし!じゃあ明日の午後から始めよう!しかし始まったら土曜も日曜もないぞ…」

「もちろん・・・夜もいらないよ…」

『は・・・』と期待に胸を弾ませたこどもの笑い声が満ちあふれた。そして一斉に月月火水木金金と歌い始めた。海軍あがりの緒方が前に教えていた軍歌である。

  朝だ夜明けだ 潮の息吹き

  うんと吸い込む あかがね色の

  胸に若さの 漲る誇り

  海の男の 艦隊勤務

  月月火水木金金

 すかさず吹き始めた穴子のハーモニカの伴奏がしばらく余韻を残していた。

                                              

「今日は授業はありません、みんなで柔道帯を持って山へ行きます!」

 部屋に入るなり緒方先生はみんなに声を掛けた。

「えっ!朝から?山?」 

 驚いたり喜んだり一同が大騒をする。

「しかしまた何で柔道帯?」

「東野(先生)の時みたいに柔道の型でもやらせるん?」

「暇さえあれば授業もせんで柔道帯を襷掛けしてエイヤ!エイヤ!と、投げる真似をやらされとったもんな~」

「お前何言うてんねん…緒方先生がそんなことさせるわけないやろ…」

「そらそうやな!それやったらこれからもつと寒なるから枯れ枝集めか?」

「あほ言うな、それもないで、東野の頃毎朝谷川で顔を洗うてから拾わさせられた枯枝が今でも竈の後ろには山のようになっとるわい」

「ほやな~(そうだな~)嫌な事ばかりさせよる怖いだけのやつやったもんな」

「濁酒ばかり飲みよって・・・授業もせんで…精神修養や言うては足踏んばらせてどつきょる(殴る)奴やったな~」

「可哀想に山本は東野に池に投げ込まれて死んだしな~」 

 誰ともなく思い出すにつれ恨みのこもった腹の内をてんでにあれこれ吐きだしている。

「五年の時担任になってから勉強らしいこと言うたら蒙古が攻めてきた時に神風が吹いて蒙古軍を全滅させたと言うところだけやったな~」

「そうや元寇のところだけや…」

 自称物知りの秋山宗男が口を入れる。

「授業らしいことしたのはその時だけやったな~」

 と、つくづく田中弘行が呟く。

「寮母さんは二組の馬場(先生)に殺されとったしな…」

 伊藤浩一が小さな体をいっそう縮めて小声を出している。

「あの頃のここは鬼の館やったんや…」

「その二人は警察に捕まりよったから今頃ヒイヒイ泣いとるで」

 弘行が一人で頷いて言う。

「俺らが泣かされとったんと同じ思いして今頃ひいひいないとるで…」

 大場良平らしい言い方をする。

「やっぱし柔道帯って言うと東野を思い出すもんな~」

「その柔道帯持って今日はまたなんでやろ?」

「そやで、何で帯を持って山へ行くんや?」

「帯持ってどうするんやろ?」

「分からんな~」

 みんながてんでに不信がっている。

 東野の頃は間違っても先生に声を掛けたこともない宗男までが馴れなれしく緒方に、

「先生!何で帯、なん?」

「さあ、何に使うかな?」

 と、緒方も子供たちの騒ぎの中に入って皆の顔を見回す。もちろん首をひねっているだけで誰も思いつきそうにない。

 普段は午前中の勉強の後は自由時間だが、ほとんどの子は天気がよければいつも山の畑に向かっている。

 省吾も他の子と同じように何となく山に向かってしまうのだ。それは自分たちで耕して種をまいて育てた作物に独特の愛着を持っているからだろうと思う。でもその愛着がどうして沸き立つのかはいまだに分からない。

『何で山の畑が自分を引き付けるんやろ・・・』

 それは父母の温もりのようなものなのか、淡い恋心のようなものなのか?でも何となくそんなものでないような気もする。いったい何にひかれるんやろう?

 そういうことはどの子も兼ねて経験したことのない心境なのだ。

 山の話が出るたびに子供たちの気持ちは一つになってしまっている。とにかく山行きは嬉しい…その山に今日は朝から向かうのだ。

 しかしこの帯は?なぜだろう?

「なんで帯なんですか?」

「帯で畑を耕すのおもしろそうやな~」

 相変わらず良平が的外れのことを口にする。

「こいつの考えにはついて行けんわ・・・」

 と宗男、

 弘行も浩一も『そゃそや』と言うように首を縦に振っている。

「そうや…大場の口に帯をかませて鋤に括り付けて引っ張らせるんや…」

「むちやクチャ言うな!俺は牛とちゃうわい、しかし畑で帯はおかしいな~帯で畑で畑で帯で・・・よいよい・・・」

 脳天気の大場踊りが始まった。歩きながらひょいひょい踊っている。

「しかし分からんな~先生!教えてくれてもええやん」

 皆がてんでに後からついて歩いている緒方に振り向いて声を掛ける、しかし怪訝な顔つきとは裏腹に声は山行で弾んでいる。

でも緒方はそれには答えず、

「いよいよお別れだからね・・・」

 と言う。

「えっ!」

 と子たちは一瞬唖然として一斉に振り返る。

「なんで?先生!」

「お別れって何のこと?」

「先生!また戦争に行くん?」

 相変わらず良平独特の着想だ。

「畑に帯も分からんけど、お別れと言うのはなおわからんな…」

 などと弘行を始めみんなががやがや騒いでいると、

「ちゃうやろ・・・行くのは俺らの方やんか」

 と、浩一。

「えっ!俺らが戦争に行くんか?」

 また良平が的外れなことを口にしている。

 田中弘行が、

「何言うてんねん!お前はまるで話が合わんな…」

 秋山宗男が傍から口を入れる。

「合わんのと違うて、こいつ…めぐりが悪いんや~」

「めぐり?なんやそれ…あっそうか、お前とはめぐりあわせが悪かったちゅう(言う)ことか」

 と、良平も話の筋の違うちぐはぐな反発でつっかかる。

「そや、めぐりあわせも悪いけどお前のめぐりの悪いのはお前の血のめぐりのことや」

「なんやそれ?俺と俺の血のめぐりあわせが悪いってか?同じ俺どおしでそんなことあるわけないわい」

良平も譲らない。

「まあまあ、やめとけよ」

弘行が手の平で二人を制しながら、

「しかしな~俺らほんまにどこかへ行くことになるかも知れんで…」

「お前までおかしなったんとちゃうか、よう考えてみいや、お前らずっと小学生をやってるつもりか?」

 と、浩一。

「えっ!小学生? あっそうか、小学生はもう終りなんや、卒業や!」

「ようやっと気ついたんか」

「卒業式か~」

「それで先生ともお別れちゅうことか(言うことか) 」

 皆が一瞬感無量と言う顔つきになる。

「そや…卒業やから大阪へも帰れるんやで…」

「家へ帰れるんか」

 パッとみんなの顔が明るくなる。

 しかし弘行が、

「卒業式だけやったらええんやけど中学受験もあるからな~」

「そうか・・・中学受験もせんなんのか(しないとだめなのか)」

 皆はたちまち顔を曇らせてまたてんでに不安を口にし始める。

「しかし中学受験って?俺らいったい何すんねん」

「阿呆やな…俺らもくそもあるか、みんな一緒や、受験は試験に決まってるやん!」

「何の試験?」

「算数に国語に理科に歴史や」

「何年生の?」

「そら六年までのことの全部やんか~」

「そんなこと言うても俺らは四年までしかまともに勉強しとらんで、東野になってからまともな勉強なんかしたことないやん」

「そうやな~」

 確かにこの子達は中学受験を意識させてもらうこともなかったのである。

「今年になって緒方先生が来てからようやく勉強は始まったけどまだ五年の始めのところやもんな~」

「なんせ東野や馬場は精神修行させよるだけやったもんな」

「本当や…辛い思いだけをさせよって中学受験の勉強なんしてくれたことなんかいっぺんもあれへん」

「他所の子はみんな勉強しとるんやろな~」

「それはしとるやろ…しとらんのは俺らだけや…」

「勉強しとらん俺らが受かるわけないもんな~」

「俺らは中学無理なんか・・・」

「運が悪かったな~あいつらが担任になりよったばかしに・・・」

 省吾も北野中学に入って中学四年生になれば海軍兵学校を受験するのが夢だったのだ。 しかし今の学力では到底北野中学は及びつかないだろう・・・

 夢を持っていたのは省吾だけではない。おそらくみんなそうだろう。

「中学に行かれへんかったら俺らいったいどうなるねん」

「決まってるやん!どこかの小さい町工場にでも入れてもろうて油にまみれて働くだけや…」

「少年航空隊も予科練もあかんのか」

「当たり前やろ」

「普通の兵隊にはなれるんか?」

「それは男やったらなりとうない言うてもならされるんや」

 こうなると物知りの宗男と理屈屋の弘行の出番だ。

「みんな一七才になったら兵隊になるための徴兵検査ちゅうのを受けさせられるんや」

「それで病気がなかったら赤紙が送られてくるんや」

「なんや?赤紙?」

「赤い紙に印刷されてるから赤紙や」

「何書いてあるん?」

「召集令状言うて何日の何時までに兵隊に来いと書いてあるんや」

「行かんといたらええやん…」

「赤紙が来たら何が何でも兵隊に行かんとあかんのや」

「もし行かなんだら憲兵や特高が来てすぐ銃殺されるんや」

「それに兵隊になっても兵隊の中の一番下っ端の星ひとつの二等兵からやで・・・」

「それも新兵のうちは毎日重いものを運ばされたり便所掃除をやらされたり、みんなのふんどしや猿股洗わされたり…ちょつとでも怠けると上の位の一等兵や上等兵に小突きまわされたりどつかれたり、セミまでやらされるんや」

「セミ? 何やそれ?」

「柱にしがみついて『ミーン、ミーン』って三十回声を出さんとあかんのや」

「そんなことさせよるんは東野や馬場とあんまり変わらんな~」

「しゃから(そうだから)ちゃんと(きちんと)中学で勉強して兵学校や士官学校や・・・予科練もや、そんな将校に成れる学校に行かんとあかんのや、そんな幹部候補生の学校に行けたらピリッとした軍服を着てみんなに敬礼される将校になれるんや」

 それを聞いていた緒方が、

「だからね、こう言うことにしたらどうかと思うんだよ、つまり君たちはもともとやれば出来るんだから一年間尋常高等小学校へ行って五年六年の不足の勉強を取り戻して次の年に志望校を受験したらどうかと・・・」

「えっ!一年余計に学校いくん?」

「落第坊主になるん?」

「そうなるけど、でも偉くなってからの人生の方が長いからね」

「そうやな~それやったらその方がよっぽど(よほど)ええん」

「ところでその一年は緒方先生が受け持ってくれるん?」

 浩一らしい考えだ。

「いやそれは無理だよ、尋常高等小学校にはちゃんといい先生がいらっしゃるからね」

「でもまた東野や馬場みたいな先生やったら人生絶望やで」

 こんな時に小意気な言葉を使うのは決まって理屈屋の田中弘行だ。

「高等小学校の先生は勉強には厳しいけどいい先生だというよ」

「それやったら、ばっしりやな。」

 大場らしい受け止め方をしている。

「おいおい無茶言うなよ、刀鍛冶が優れていても打たれる鉄がなまくらでは名刀と言われるいい刀は出来ないんだよ!何よりも君らが最大限頑張らなくっちゃ」

「そゃそや、やります先生!僕は頑張ります」

「僕も!」「俺も!」「ぼくも!」・・・

 みんな納得した発言をしている。

「しかし何かの事情で工場で働くことになっても一生懸命頑張って技術を身につけてやがてそう言う工場を自分で持って社長さんになっているような人も大勢いるんだ」

「ほんなら中学あかん(ダメな)時はその線やな~」

「でも俺は高等小学校で一年頑張って中学受験を目指す!」

「俺は勉強してもアカンから町工場を自分で持てるようにすぐ働くわ」

「でもそんなことを決めるのはまずお家の人に聞いてみてからでなくてはだめだよ」

「しかし先生!卒業までにはまだ二か月もあるというのにお分れって言うのおかしいやん?」

「それなんだ…戦争もかなり厳しくなっているだろ、やがて本土決戦と言って日本中が戦場になってしまうかも知れないんだよ、だから日本に残っている在郷軍人や若い女の人を挺身隊にして戦闘の訓練をしておかなくてはならないんだ!」

 良平が、

「挺身隊って何や?」

 となると宗男の出番だ、

「お前が居るといちいち話が遠なるな、それはな~日本の女の人は軍隊に入られへんやろ、せやから(だから)兵隊と同じやうな女の隊を自分らで作って国を守ろうとしてるんや」

「偉いな~女の人、しゃけど(そうだけど)なんで女の人は兵隊に入られへんね?」

「女の人は立ちしょんでけへんからや」

 またまた良平らしい発想になる。

「それだけでないで、そこらで裸になって身体洗われへんしな~宿舎も作らんならんし金かかるんや、そんなお金は日本の軍隊にはないんや…」

「秋山は何でもよう知っとるな~何で勉強の方があかんねん」

「なんでやろな~」

「なんや自分でもよう分かってへんのか」

 自分でしたいと思わないことには実が入らないという人間は結構いるもんだ。

「女の人を兵隊にせえへんのがふしぎやな~俺のねえちゃんなんか強いで、腕相撲しても親戚の兄ちゃんなんかに負けたことないんやで」                   

「そらお前の姉ちゃんあの太さやからな~」


                     6、

 緒方が、

「大日本帝国の法律では女の人は兵隊になれないことになっているんだよ…」

「ほかの国ではどうなん?兵隊になられへんのは日本の女の人だけなん?」

「先生が知っている限りでは今戦っている米国も英国も支那も女の人が男子と同じように軍人になっているようだね。」

「なんかおかしいで大日本帝国軍は、そゃろ…第一、傷痍軍人でもないのにあんな大きな東野や馬場が俺ら小学生の教官で、ガリガリの吹いたら飛ぶようなガンジー先生が兵隊に行かされてあっという間に戦死やもんな~」

「先生!その挺身隊の人は鉄砲や大砲持ってんの?」

「持っていないよ。悲しいかな竹槍を持って戦うんだ」

「馬鹿みたいな~それやったら子供の戦争ごっこやん」

「確かにその通りだよ。でも大人はそんなこと口に出来ないんだ、何が何でも言われた通り戦わなくてはならないんた」

「そのうちに日本は神風が吹いてくれるんや」

 と、良平はすっかりその気でいる。

「とにかくそんなわけで先生はその指揮官を命じられたんだ。それで明日大阪へ帰らなくてはならないだよ」

「だからお別れと言ったの?」

「な~んだ!せっかく先生になって喜んでたのにな~」

「そしたら今やってる五年生の勉強の続きどうなるん?」

「それは二組の中谷先生と明日来られる新しい先生が引き継いでくださるよ」

「えっ!明日来る先生って?どんな先生?」

 子供達が一番気になるところだ、

「片腕を戦争で失われた傷痍軍人の先生と言うことだよ」

「じゃぁ先生、あんなに苦労してこさえた(こしらえた)畑の大根どうなるん?」

「もうすっかり大きなって太ったのがあっちもこっちも十センチほど飛び出しとるで…」

「だから今日は一斉に大根抜きに行くんだよ」

「それで抜いた大根どないするん?」

「水洗いして橋本へ持って行くんだよ、橋本の子たちこんな新鮮な大根なんて食べたことないだろうからね」

「誰が持っていくん?」

「もちろん君たちに決まっているじゃぁないか!」

「えっ!どないして?」

「持てるだけ柔道帯で束ねて担いで行くんだよ」

「あっそうか!それで柔道帯やったんか…」

「谷川で顔を洗うて帰りに枯枝を柔道帯に束ねて担いだこと思い出すな~」

「たまたまにすることならまあええで、あれは毎日やったからな~」

 良平がつくづく、

「もう二度と谷川で顔、洗いとないな・・・」

「しかしお前の顔あろうたん(洗った)の見たことないで」

「余計なこと言わんといてくれや」

 東野や馬場の時には間違っても見せなかった子供たちの快活な会話であり表情なのだ。

「先生!橋本言うたらここへ来た時に汽車で降りたところと違うん?」

「そうだね、君ら汽車で来たんだったね…」

「懐かしいな~あれから何年経つんや?」

「あほぅ言うな、ここへ来たんは去年の夏休みの終わりやで、まだ半年もたっとらんわ・・・」

「えっ!もう二、三年ぐらいここにおると思うとったな~」

 無理もない、緒方先生が来るまでの疎開児童たちの一日は実に辛くて長かったのだ。

「先生!それやったらわざわざ橋本に行かんでも僕ら卒業式で帰る時に持って行ったらええのとちゃい(違い)ますか?」

「君らが大阪へ帰るときは御幸辻から電車で直接大阪へ帰るんだよ、だから橋本には寄らないんだ…」

「えっ!御幸辻から電車で直接帰れるん?」

 それを知らなかった子も多かった。

「御幸辻から南海高野線の電車に乗って天下茶屋駅で降りて少し歩けば学校なんだよ」

「えっ!東野や馬場先生は汽車に乗って奈良まで行かんと帰られへん言うとったな~」

「言うとった言うとった!あれも嘘やったんか・・・」

「勉強も教えへんし、嫌な事ばかりやらせて、ただめちゃ怖かっただけのやつやったな~」

「濁酒ばかり飲んで俺たちには精神修養や言うて足ふんばらせてどつくだけのやつやったもんな…」

「さぁさぁ!おしゃべりしてないで畑に行くよ…」

 畑の大根抜きはあっという間に終えた。

 大根を抜いた後の崩れたままの畑をみんなはしばらくじっと見つめてつっ立っていた。

 自分たちが造成した山頂の畑、水桶や肥えたごを担いで登った山道・・・いよいよここともお別れなのだ。

 誰も無口であった。

 まだこのような感傷を言葉では表すことの出来ない年端の疎開児だが、誰彼なく畑の土を手で撫でたりすくったりしてひしひしとなごりを惜しんでいるようであった。

 しばらくして早川省吾が、

「さぁ行くで・・・」

 と声をかける。級長であるとともに何かにつけてリーダーだ。

 皆は大根を何本か帯で束ねて背負い、縦一列になって省吾に続いて黙々と山を下った。

 緒方も残った大根を束ねて同じように背負い一番後に付いた。

 と、子どもたちはやがて宿舎の前を通り越してしまっている。

『このまま橋本へ行くつもりなのか?』と、それに気づいた緒方が慌てて、

「おい、お~い!大根は洗って土を落としておかなくちゃいけないんだよ…」

 と大声を掛ける。でもずっと先の先頭に聞こえるわけがない、あいかわらずどんどん進んで行ってしまう。

 しかしふと『あっそうか?谷川に行くつもりだな』と気付いて緒方も後を追った。

 先導は常にリーダーの早川省吾である。省吾に任せておけばまず間違はない。

 最近省吾にぴたりとくっついている良平が、

「なんで寮の井戸を使えへんのや~」

 と怪訝な顔をして省吾の顔を覗き込む。

「みんなが井戸を使っとったら時間がかかるやろ」

「そう~か、それでか…」

 間もなく慣れた木立の隙間を縫って谷川に降りて行った。

 東野教官の頃は寒い日でも雨風の強い日でも、いつもここまで下りてきて洗顔していたのである。

 大根を洗い終えて一息つくと、

「さあ、橋本へ行くで!」

 省吾の掛け声に一同が洗った大根の束を背にして集まってくる。

 以前のいじめのリーダーだった片山を始めそのメンバーも大根を担いで付いて来ている。緒方になって勉強が始まって以来そのメンバーも今ではすっかり省吾に追従しているのだ。

 この子達は根からの悪ではなかったのであろう、いじめの対象だった山本恭太の自殺がやはり気がかりと見えて最近はよく夢に出てくると言い出した。それだけ善悪の善に近寄ったことになる。

「山本もおったらよかったのにな」

 誰かがつぶやく。

 

 夜、床に入ってから消灯までは子どもたちのおしゃべりの時間である。

 ある晩誰かが突然最近井戸に近付くと山本恭太がにたっと笑って出てくると言い出した。

 こうなると何が何でもそんな話の中心に居たいのが良平だ。

「俺は井戸どころではなかったんやで~」

「もうええはお前の話は聞かんでも、どうせ作り話しやろ」

「ちゃうよ!俺、このことみんなに言おうかどうしょうか、毎日考えとってんけど作り話やなんていわれとうないから言わなんだんや、しゃからやっぱり言わんとくわ」

 不思議なものでそういわれると是が非でも聞きたくなるものだ。

「そんなこと言えへんから言えや」

「そうか、それなら言うけどな~こないだのことや・・・なんか寝苦しかった晩あったやろ」

「うん寝苦しかった晩あったな、ぞくぞく寒かったのにな~」

 決まって伊藤浩一が同調する。

「俺、寝返りうってふと隣に目をやったら伊藤の布団に白い目をむいた山本が寝とるんや」

「おいっ、やめてくれや!俺ここに寝てられへんやんか~」

「俺、そんなはずはないと思うて目こすって見直しとったら山本が、すーと起き上がりよったんや」

 こうなると一斉にみんなの態度が変わる。ぞろぞろと布団から出てきて頭を寄せ合い聞き耳を立てはじめた。

「俺、どこえ行くんやろうと思うて見とったら、それが不思議やねん。知らんうちに後をつけとったんや」

「お前、怖いことなかったんか? 井戸で死によった山本やで」

「怖かったのに足が勝手に向っていきよんねん」

 浩一は宗男にぴったりしがみついて面倒がられている。

「山本はひたひたと谷の方へ歩いて行くんや」

「・・・」

「谷に降りていく途中にちょっと登りの脇道があるの知ってるか?」

 皆は『うんうん』と頷いて、

「しやけど行ったことないもんな。そこに何があるねん?」

「まだ誰も行ったことないやろ?あそこは墓場なんや~」

 皆は固唾をのんだ。

「俺、怖いし気味悪いから戻ろうかどうしょうか?しばらくそこで迷っとったんやけど、なんでか勝手に足が向いて行くねん」

「もうええわ、その先もういらんわ」

「いや、俺は聞きたいで」

 人ってどうしてこうもまちまちなのか…

「大阪の墓場とちごうてここでは死んだ人をそのまま埋めるやろ」

 こうなると弘行の出番だ。

「そうや・・・土葬や、大阪みたいに焼いて骨にして埋める火葬と違うんや、そのまま埋めるんや…」

 ほんとうに適応にいろいろなことをよく知っている。

「お前勉強の方があかんの不思議やな~」 

 事実、課せられたことに取り組むのが苦手な人間は多い。

「それより山本はどうなったんや?」

 皆が一番気になるところだ。

「それが、だまって墓石の間を黙々と登って行きよんねん」

 皆は大場良平の口に吸い寄せられている。

「俺、見つかったらやばいから何度も墓石や卒塔婆(墓の周りに建てる板)の陰に隠れるようにしてたんやけど」

「・・・」

「山本が突然立ち止まって振り向きよったんや・・・」

「・・・」

「その顔言うたら…」

 と、その時、突然!電気が消えてしまう。

 一斉に『キャー』

「なんでや、なんで真っ暗なんや、何で消えたんや?」

 すると、

「ここは雰囲気出さんとあかんとこやさかい・・・」

 意外と一番怖がりの伊藤浩一の仕業だった。

 浩一の父親はもと大阪の大劇場の照明監督さんだったらしい。浩一は普段から『照明一つで観客の心理状態を変えることが出来る』と聞かされてきたのだ。浩一の父親は今は舞台の芝居はないので市の要請で大阪城の天守閣から市中の照度の監察をしているそうだ。

「なんでもええからその先どうなってん?」

 暗がりの中で良平の話が続けられる。、

「山本は俺の顔見てからまた歩き始めて土がこんもり盛ってあって草も生えてへん新しい墓まで行きよってん」

 みんな開けた口を閉じるのも忘れている。

「それから卒塔婆の大きいやっを引き抜いて、俺、怖かったけど何すんのかと目を凝らして見てたらな・・・引き抜いた卒塔婆で盛りあがった土を掘り起こし始めよったんや」

「なんでや!なんで!」

「しばらく掘っとったら出てきたんは樽や、山本はその樽の蓋とって入っとった死人の頭の毛を引っ張って引きずり出しよったんや」

 皆は、がちがちになった身体を寄せ合ったり手を握りあったりしている。

「なんか~後ろに山本立つてるみたいやで」

 弘行が振り向くと・・・ぼーと人が立っている。

「うわ~山本の幽霊や・・・助けて!堪忍や~」

 と、弘行は宗男の布団に飛び込んでがたがた震えている。

 宗男がそっと覗いて見ると・・・、またまたそれは伊藤浩一だった。

「お前一番怖がりの癖になんでそう何回も脅かせてばかりすんねん」

「俺、しょんべんに行きたいんや~誰かついて行ってくれや」

 そこで一同は固まって屋外の便所に向かった。

と、またまた突然伊藤幸一が走り出した。

「おい!なんでや?なんか見たんか?なんかおったんか?」

「なにが居ったんや?」

 てんでに声を上げて夢中で伊藤の後ろからひたすら走る。

「ちゃうやん、俺、しょん弁漏れそうやから急いでるだけや」

「またか・・・お前には脅かされてばっかしやな~」

 みんなはだんごになって手洗いからもどって、

「それで山本の方はどうなったんや?」

「山本な~」

 言いかけて、

「しゃけど・・・もう思い出しとうないわ…」

 と良平も自分で怖さに耐えられなくなったか布団にもぐってしまった。皆は良平の布団をはがした。

 良平はがたがた震えながら、

「山本が引っ張り出しよったんは目の吊り上ったものすごい青白い顔の女の人やったんや…」

「・・・」

 突然、良平が、

「もういいません。誰にもしゃべりませんから許してください…」

 と、また布団にもぐりこんでしまった。

 みんなが良平引っ張り出してその先を促す。

「今、その青い顔の女が俺の顔を覗いてもうしゃべるなって言いよってん」

「そんなことあらへん~俺らみなここに居ったんやで」

「そうか~そやな~」

 と、良平も気を静めて、

「そのあと山本はその女の人の首にかぶりつきよってん」

 ここで秋山宗雄と田中弘行の出番だ。

「ドラキュラやな・・・まるで・・・」

「吸血鬼のドラキュラか」

「漫画にあったやろ、どこかの領主で罪人の首を切って流れ出す血を見て喜んどったやつや」

「その罰でドラキュラの子孫は男も女も死んだら生血を吸う吸血鬼になりよったんやったな」

「魚や鶏を絞め殺して出てきた血みとったら死んで吸血鬼になるんやで」

「そう言えば山本は東野に言われて鶏を殺した言うとったな」

「ほんなら大場、お前もやんか」

「堪忍や、俺、もう絶対に鳥なんか食べません」

 大場良平は懸命になって訴えていた。

「わかった、ほんならその先どうなったんや」

「俺、吸いつけられるようにじっと見てたら突然顔あげて振り向きよったんや」

「もうええわ、やめてくれや…」

「それからどうなったんや」

 と、てんでに騒いでいる。

「山本の口の周りから血が滴り落ちてるし目は青目になって吊り上っとるし」

「・・・」

「俺はもう足がすくんで動こぉとしても動かれへんのや、しやのに山本はそろそろと近付いて来ょんねん」

 一応、みんな掌で耳を押さえてはいるが指に隙間を開けて聞いている。

「もう俺、声も出えへんし、ただ頭抱えて屈んでたら山本がすーとよ寄ってきて『お前、見・た・な~』

って、すごいしわがれ声出して引きつった白い顔を近付けてきよってん。

 俺はもう夢中で四つん這いになって走って帰って布団にもぐってたんや~そしたらしばらくしてそこの戸が(と、出入りの戸を指差して)スーと開いてな・・・」

 戸の周りにいたものはみんな慌てて飛びのく。

「何と山本が入ってきよったんや…」

「もうええわ!やめてくれや…」

「山本は俺の枕元へ屈んで・・・しばらく覗き込みながらそーっと布団をめくって『お前、見・た・な~』ってまた血のりの付いた口を寄せてきよったんや…」

「もう堪忍してくれそんな話、もういらん聞きとうない」

「それ夢やろ」

「夢なんか見てへんで」

「ほんならやっぱり作り話や」

「お前うまいこと話つくりよつたな~」

 みんな怖さを断ち切ろうとしててんでに声を出している。

「ほんとや言うのに・・・、その証拠にな俺の布団ぐっしょり濡れてたんや」

「なんで濡れるんや?」

「そらそうやろ、山本は井戸からずぶ濡れで出て来たんやから…」

「嘘つけ!それはお前が漏らした寝しょんべんやろ」

 皆が『わっ!』と声が出して笑いこけて一幕が終わった。

 しかしこんな話を聞いて一番気がかりになっているのはいじめのリーダーだった片山だ。

 山本が井戸に落とされて死んだ事件の発端は自分の指図で渋柿をとったり御菓子をとったりしたのが原因なのだ。

 渋柿にはまったく関係のない恭太が、片山らに罪をなしりつけられ東野の折檻をうけて二階で寝かされていたばっかりに寮母の絞殺を知って、その口封じで井戸へ投げ込まれて殺されたのである。

『山本は俺を恨んでいる』と思い始めるとますますその気になるもので、近頃では井戸に近付くどころか裏口から外に出ることすら嫌がるようになった。もとより満々だった闘志は消沈してしまっていて嘘のように気弱な子になってしまっていた。

 相撲会でも以前は後からのリンチを怖れてわざと負けていた性格の穏やかな子たちも今ではのびのびと交えてしばしば片山を投げ飛ばしていた。


                                   一部 了 (二部に続く)


 

(註) この物語はフィクションであり『磐の沢飛び地』と言うのも実際には存在しません。登場する人物もいろいろな個所も全て仮想であり現存するものとは一切関係はありません。



子供の味わう辛さは、大人の味わう辛さの如しではありません。何故に子供たちの心身にこうも過酷な負担をかけなければならなかったのか改めて認識すべきだとと思います。

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