96・妖精の集落、マリオンとアイゼン
当時、私とアイゼンは集落の食料調達に動物の狩りをしていたの。私達幻魔はともかくエルフもお肉を食べるのよ、意外でしょ? 子供の頃それを知って驚いたのよ。
まだこの森に来た時は子供だったから狩りに出る事はなかったけど、それでも何年かして信仰系魔法が使えることからお手伝いとして参加するようになったの。それを期に私たちはスプライトとエルフから狩りのやり方を学んだわ。私は弓や魔法で後方から援護、アイゼンはタダナリに憧れて魔法戦士として進んで前衛に立ってくれたわ。
危険だなんて思った事はない、だって妖精の森は結界のおかげで魔物は森の外に追い出されるもの。おかげで私達は安全に狩りをする事が出来たの。もちろん魔獣が出てきても私達なら楽勝だった。
時々森で神獣様に会う事もあったのよ。流石に昔のように遊んだり餌をねだってきたりする事は無いけれど、神獣様がこの森に住む私達を見守ってくれているって事は強く感じていた。
でもそれも長くはなかった。十七歳、もうすぐ十八歳を迎える少し前だった。いつも通り狩りに出たのだけど暫くして森が異様に静かになったの。この時その異常を自覚するべきだった。でも私達は精霊の結界に、神獣様に守られているから大丈夫って自惚れていたのね。
そんな私達の前に現れたのが魔獣に退化した神獣様だった。赤い目が私達を睨んでいた。私もアイゼンも神獣様の赤い目を目の前にしながらその現実を受け入れられなかった。そして……襲い掛かってきた魔獣から守る為にアイゼンが私を突き飛ばした。起き上がって私が見た時には、アイゼンは右肩を噛み付かれていてゆっくりと血が服に滲んでいくのが見えたわ。
その姿はまさに魔獣だった。アイゼンの血を見た瞬間、大声を上げて全力で攻撃したわ。ありったけの矢を射ちこみ、無くなればマナの続く限り魔法を撃ちこんだ。もちろんアイゼンに当たらないよう気を付けてね。でも矢が刺さらないどころか精霊系も信仰系魔法もまるで効かなかった。魔獣に矢も魔法も全く効かないなんて生まれて初めてだった。マナが尽きて意識も朦朧としてきた時、そこで気が付いたの。まだ神獣の力があるから効かなかったんじゃないかって。それは正解だった。だって私が攻撃しているのに、噛み付いた神獣から逃れようとアイゼンが必死に暴れているのにピクリとも動かなかったもの。
そう、神獣様は必死に耐えていたのよ、これ以上アイゼンが傷付かないようにって。
私は噛み付いた神獣様を引き剥がそうとしたわ。引っ張ったり、アイゼンの剣で口をこじ開けようとしたり、でもピクリともしなかった。
そして疲れ果て諦めてしまった自分、私はただ泣くしか出来なかった。
「……泣くなよ、マリオン」
「だって……だって……血がこんなに出てるのよ、このままじゃアイゼンが……」
「聞けマリオン、試したい魔法がある」
「試したい……魔法?」
「そうだ。昔、父さんから教えてもらったんだ、この黒い髪のせいで人間達から傷つけられるかもしれない。そんな時は絶対に逃げろって」
「分かってるわよ! 私だって聞いたからお母さん達と一緒に逃げてきたんじゃない!」
「そうだったな、でもこれにはまだ続きがあるんだ」
「続き?」
「もし、絶対に逃げられなくなったら……触媒を使った魔法……精霊達に返すんだ」
「返す?」
「ああ、肉体も、命も、魂も、己自身全部を……そうすればお前は守れる」
「待って! それって……」
「精霊よ! 俺の残りの命、俺の全てをあなた方にお返しします! どうか力を貸してくれ! ……さぁ離れるんだマリオン!」
「嫌ぁ!」
そして私は凄い力で遥か後ろの草むらに突き飛ばされていたの。私を突き飛ばしたのは神獣様。アイゼンが何をしようとしたか分かっていたのね、だから力を振り絞って突き飛ばした、私が怪我をしないように。
でもそのせいで気が緩んだのね、アイゼンの肩から更に多くの血が流れていたわ。でもそんな状況でもアイゼンは私を見て嬉しそうに笑ってこう言ったのよ、『ありがとう』って。
結局そのありがとうは私に言ったのかしら?
それとも私を突き飛ばした神獣様に言ったのかしら?
もしかすると両方かもしれないわね。
アイゼンの最後の魔法が発動して、巨大な炎の柱がアイゼンと神獣様を包み込んだわ。私が最後に見たのは赤い炎が真っ白に光り炎の柱は大爆発。気を失い目覚めればそこにはアイゼンも神獣様の姿もなかった。跡形も無く、何もかもが消えてしまったの。ううん、あったのは一部灰になった森だけだった。
「念の為に最長老様にアイゼンも神獣様も、森にいないか探してもらったけれどどちらも森から消えていたそうよ。」
「インベリス最長老、その神獣とココが同じ神獣って事はないのですか?」
「それはない。私も気になって精霊にも聞いたが全く別の神獣だそうだ。だから神獣様の行動理由が私にもわからん。ただ一つ、他の神獣様とこのココ様は何かが違うそうだ」
「何が違うんでしょうか?」
「さぁな、どこが違うのか残念ながら精霊にもよく分からないと言っていたよ」
「そうですか……でもそっか、神獣でも死ぬ事ってあるんですね」
「ええ、退化、死、神獣様は私達が思ってるほどの絶対の存在ではないのかもしれないわね」
マリオンとロインのがっかりとした言葉と共に沈黙が流れた。
当時の事をよく知っているだろう妖精達は悔しそうに、あるいは悲しそうに落ち込んでいてそれ以上口にする者はいなかった。当然だ。この森は精霊に守られ神獣に守られていた。それはまさにどんな強固な壁に守られた町だろうがお城だろうがそれらを凌駕する、この世界でもっとも安全な場所だったのだ。それが失われたのだ、さぞ悔しいだろう。
そしてアイゼンの死も妖精達にとって受け入れられない事だったのだ。インベリスは言っていた。例え種族が違っていても仲間であり家族であると。エルフは数千年、スプライトは数万年生きると言われている。そんな長寿である彼らにとってたった十八年しか生きられなかったアイゼンの死はさぞ悲しいだろう。
まるで時間が止まったような沈黙に耐えかね、ユーティーは何か喋ろうとするのだが何を言って良いか分からず、結局何か喋ろうとしては止めてオロオロと繰り返すだけだった。
「マリオン殿」、そんな沈黙を破ったのはノイドだ。
「マリオン殿は親子三人でこの集落にたどり着いたんでしたね?」
「そうよ、私と兄と母と一緒に」
「三人のうち誰か、鈴は持っておられたのですか?」
「鈴?」
鈴とは一体何の事だろうと、昔を思い出すように考え込んだマリオン。ノイドはそんな彼女を見ていたが何か諦めたように小さく息を吐いた。
「いえ、申し訳ない。私の勘違いでした」
「あら、一体何の勘違いだったのかしら?」
先程の思い出話から空気を換えようとわざと楽しそうに聞くマリオンに対し、それに応えようとしたわけではないが初めてマリオンを見た時の感想をノイドは正直に伝えた。
「以前、昔にあなたとは出会った事があるような気がしたもので」
「まぁ、これって私口説かれてるのかしら? あなたみたいに素敵な男性なら嫌じゃないけど」
まんざらでもない、だがそんな顔の口元を恥ずかしげに手で隠したマリオン、「いえ、そう言う意味ではなく、どう言えば良いか……」、珍しく動揺し戸惑っているノイドに「うふふふ、冗談よ」と笑って誤魔化すように受け流した。
「ノイドさんは今回北アティセラから来たのよね?」
「ええ」
「この西にある人間の村……ううん、五十年の間に南アティセラに来た事はあるのかしら?」
「いえ、南アティセラに来たのは今回が初めてです」
「そう、それならあなたと私は初対面よ。だって十歳まで人間の村で暮らしこの妖精の森に逃げてきてからは一度たりとも森の外に出た事がないもの。もちろん幻魔の町に行った事も無ければ当然北アティセラに渡った事もないわ」
「どうりで町の中でマリオンさんの姿を見ないし、その事を話す人が一人もいない訳だ」と、今回初めて知ったマリオンの存在にユーティーは多少気にしていたようだ。
ただ人間の村で暫く暮らしていた事を聞いた時、何か訳ありなのだろうとそれに関して聞くことはしなかった。
「そうですか、つまらない事を聞いてしまい申し訳ない。お詫びと言ってはなんですがもしタダナリが見つかった時はここに来るよう説教しておきます。むしろ引きずってでも連れてきましょう」
「ええ! お願いね!」、嬉しそうにそう言った彼女の顔は今日一番の笑顔だった。