92・妖精の集落、消えた神獣
町の入り口より東側に着いた三人は、馬を一番近くの馬小屋に戻した。
森を前にしたロインとノイドはユーティーの指示に従いじっとその先を見つめ、ユーティーの後ろで森に入るのを待っていた。
「それでは今から森に入りますので鈴を持つ僕からあまり離れないでくださいね。あまり離れすぎると結界の効果で、町に戻るどころか森の外に追い出されてしまいますので注意してください」
「はい、分かりました」
ロインに合わせノイドも後ろで小さく頷く。それに応えるようユーティーも頷くと森に向かって歩き出し、二人は離れないよう付いて行く。
森に入るといっても、普通に道はおろか獣道すらない。木々を避け長いものなら胸元まで伸びた草を掻き分けながらゆっくりと進んでいく。手に持った鈴は一度も振られていない。だが時おり勝手に音が鳴ると別の場所に転移されていた。この転移に気が付いたのはノイドだけだった。もし千里視を使っていれば、あるいは空を見上げればロインも気が付いたかもしれない。それほど寸分違わぬ同じ形、同じ配置で生えた木々の場所に飛ばされていた。だがノイドは草木の枝、生え方のほんの僅かな違いに気付き、更に自分達が歩いた形跡が後方に残っていない事も確認していた。
(やはり、鈴が鳴った直後に足跡は消え掻き分けたはずの草が元に戻っている。雲の流れる方向を見る限り進む方向もまるで違う。おそらく道順は存在せず、鈴を持った者だけを妖精達が住んでいる場所に飛ばしているのか)
道の無い森の中を歩き続ける事およそ十数分程、正面に開けた場所が見え始めると、突然ココはロインを追い抜き駆け出した。「駄目!」とユーティーが声をあげ、「ココ!?」とロインが呼びかけるも、鈴の範囲から外れたのか、ココはフッと姿を消した。
「天使様、これは?」
「困ったな~、ココちゃんは神獣だから森から追い出されたって事はないと思うけど、こんな風にはぐれたのは初めてだから……。とにかく、目的の長老に一度会って、どうすれば良いか相談しよう」
自分の前から消えたココに少し驚きながらも意外と冷静でいるロインの質問に、ユーティーはココが消えた場所を見つめ思考しながら質問に答える。こくりと頷くロインを確認後、ユーティーはココが消えた場所に向けて歩き出す。
ココと違い別の場所に飛ばされることも、鈴が鳴ることもなく先程から見えていた開けた場所に出た。まずロイン達の目に入ったのは地面に直接座り楽しげに談笑しているエルフ達と、その周りでまるで鬼ごっこのようにお互いを追いかけ飛び回っているスプライト達。そしてその向こうに今まで見たことも無い巨大な木が複数生えていた。
森の木々と比べても信じられないほど太く背の低い巨木。また葉は紅葉、しかし赤と言うよりかなり赤黒く緑の森の中で異様な色彩を際ださせていた。その巨木に小さな階段と扉、複数の窓の付いていない窓枠がある事から、ロインとノイドはその巨木こそが彼らの住居であるとすぐに気が付いたが、その中の一つだけ強固な、真っ黒な鉄製の扉が付けてありロインは「なんであれだけ木製の扉じゃないんだろ?」と、首を傾げていた。
更にその向こうに柑橘にも似た果実が実った木々が生えており、飛んだスプライトがもぎ取り落とした果実をエルフが受け取るといった共同作業をしていた。
近くで飛び回っていたスプライト達は三人に気が付くとエルフの傍まで飛んでいき、一言二言何か言うとどこかに飛んでいった。談笑していた三人のエルフは立ち上がりゆっくりと歩いてくる。以前見た鎧姿ではなく白いワンピースドレスのような服を着て、独特な美しさと子供のような愛らしさを持つ女エルフ達は前で立ち止まると小さく会釈をしたエルフ達だったが、その歓迎の笑顔は驚きの顔に変えた。
「こんにちわ、ユーティー様。ってどうして泣いておられるのですか!?」
「本当に三人組って特別だったんだなーって、そう思っただけだよ。気にしないで」
再び滝のように溢れる涙を拭う事も無く、空を見上げるユーティーがそこにいた。
「はぁ、そうなんですか……」、そう若干困っていたエルフ達だったが、「今、長老達を呼びにいっております。すぐに参りますのでお待ちください」と、先程消えたスプライトの事を教えてくれる。そしてその言葉が終わると同時に奥に見える巨木の一つ、先程見た一つだけ鉄製の扉から激突音と共に扉が勢いよく開き、そこから可愛らしい雄たけびを上げながら一人のスプライトが飛んできた。スプライトは物凄い速さでロイン達の横をすり抜け「ようこそぉぉぉおいでにぃぃぃ」と歓迎の声を残しながら森の方へ消えた。
そんなスプライトから遅れて別のスプライト一人が低い高さで浮かんだまま止まる。
驚くほど小さな、しかし精密、繊細な装飾を頭や腕に身に付け、涼しげな水色で身体の倍以上の長い髪をした小さな妖精は、通り過ぎたスプライトには一切触れず髪と同じ水色の花びらで作ったドレスのようなスカートの裾を持ち上げ、ユーティーを見上げながら優雅に挨拶をした。
「ようこそおいでになりました、ユーティー様。今日はどのようなご用件でこちらに?」
その後ろに先程追いかけっこをしていた三人のスプライトが並び小さな会釈をした。その小さな身体と衣装はまるでお人形。そして花を使った服を着た上、またエルフにも言えることだが青や緑と人間や幻魔族ではありえない多彩な髪の色は花の様に美しかった。
また四人のスプライトは蝶の様な羽を持つ者もいれば、蜻蛉のような細長い羽、植物のような、葉っぱのような羽など一人一人違う。
「こんにちわ長老。実は知り合いのドワーフに頼まれて妖精のお酒が必要なんだけど、あるかな?」
「お酒はいかほどの量があればよろしいでしょうか?」
「えっと、北アティセラまで持っていかなくちゃいけないので沢山あると助かるんですけど……」
長老と呼ばれたスプライトは目を閉じ、指先で小さな唇をちょんちょんと叩きながら「ふむぅー」と、可愛く唸りながら考え込む。
「北大陸にドワーフですか……そうなると一時的に少々いる、ではなく普通なら数ヶ月くらいは楽に持つ、それほどの量があった方が良い、そう言う事ですね?」
「はい、そうなります」
すると長老は深々と頭を下げる。それに合わせ後ろにいた他のスプライトやエルフが同じように頭を下げた。
「申し訳ございませんユーティー様。現在この森ある全ての集落からお酒をかき集めれば確かにお望みの量に事足りると思いますが、それでは僕達スプライトが飲むお酒が無くなってしまいます。見ての通りちょうど今果蜜を収穫しています。あれを加工し熟成させるまで一ヶ月ほどの時間が掛かります。そうなると当然その間僕達は何も口に出来なくなってしまいます」
「それって一ヶ月も飲まず食わずって事ですか?」と、ロインが尋ねるとユーティーと長老は頷き妖精の酒について教えてくれる。
妖精の酒は向こうで収穫されている果蜜から作られるお酒で、一見柑橘類の果実に見えるが実際は咲いた花から溢れ出た蜜の実である。その蜜から作られた蜜酒が妖精の酒であり、スプライト達唯一の食糧なのだがあまりの美味しさに酒好きのドワーフ達の虜にしていた。そこで古い時代からスプライトは酒の一部をドワーフに分け与える代わりにスプライトの為の服や装飾品をドワーフが作っていた。ただ元々果蜜の木はこの森には生息しておらず、最初は別の場所から植え直したりするも土など色々合わなかったようですぐ枯れてしまっていた。それでも苗から育てたり土を運んできたりと数百年の時間を掛けて試行錯誤し、なんとか収穫するまでになっていたが花は思っていたより咲かず現在も尚、大量に収穫出来るまでには至っていなかった。
そんな事もあり足りないお酒や材料となる果蜜は各地に散っているドワーフや最近ではシルケイト商会の手を借り、東アティセラから輸入と言う手を使って補ってはいるのだが今この時、この森に住む彼らの分しか間に合っていなかった。
「スプライトは何年でも飲まず食わずでも生きられるって聞きますけど、だからと言ってドワーフの為に我慢する必要なんてないですよ。ドルヴァンさんには悪いけど一ヶ月半から最悪二ヶ月くらいは人間族のお酒で我慢してもらいましょう。人間族のお酒でも飲めないわけじゃないんだから」
ユーティーは苦笑いを浮かべながら呟いた。お酒が出来るのに一ヶ月。そこから人間族の手を借り、荷馬車と船を使い運ぶとなればそれくらいの時間が必要となる。
「そう言っていただけると僕達も助かります。飢えで死ぬ事はありませんがお酒を飲まないと元気が出ませんので」
ユーティーが自分達スプライトを優先してくれた事で長老は安心したように胸を撫で下ろしている。この様子ではミスリルだけで我慢してもらうしかないだろうとロインとノイドの心は既に決まっていた。
「と、言う事ですのでお酒の方は無理みたいです。ごめんなさい」
「いえ、俺から見てもドルヴァンさんのアレは飲み過ぎでしたからお酒を控えるのにちょうど良いと思います。それより……」
ユーティーの謝罪にパタパタと手を振るロインはこの森に来て発生した問題、ココの事を持ち出した。
「そうでした。長老、まだ聞きたい事がありました」
「何でしょうか?」
「この森に来た時に神獣とはぐれてしまったのです。おそらく外には追い出されていないとは思うのですが、探せますか?」
「さすがはユーティー様。神獣様を従わせ連れまわせるなんてユーティー様以外出来ぬ事です」
「いや、それ僕じゃ……」
「神獣様の行方ですが……」
言葉を遮られたユーティーよりも、遮った長老が応えるよりも早く、「なりましたぁぁぁ!」と滑り込むように、先程一瞬で消えたスプライトが砂埃を撒き散らしながら舞い戻り長老の前に躍り出た。