91・晴れ 時々 滝の雨
「お待たせしました、」
ユーティーが外に出ると、ちょうど馬に荷物を結び、いつでも動ける状態になっていた。「俺は父さんと乗るので天使様はこちらの馬を使ってください」と、ロインが手綱を渡そうとした時、ユーティーは「待って!」と声を上げた。
「どうしました? まだ必要な物でも?」
「いや、実はその……僕、馬には乗れないんです」
少し恥ずかしそうにしているが、そもそも空を飛べるのだから馬が不要なのは当然とも言える。
「そうか、空が飛べるから。それじゃ……」
「でしたら私の後ろにお乗りください、天使殿。ロインが馬に乗りだしたのはつい最近、二人乗りはまだ無理ですので」
「そうなんですか? すみません、有難うございます」
安全と言う保障が無い為、ロインの後ろに乗せないよう嘘で言葉をさえぎった。ノイドの手を借りながら、ぎこちない動きでなんとか馬に乗ったユーティーは「町の南東、この町に入ってきた入り口近くまで行ってください」と、指示を受けノイドは馬を南に向け歩き出し、ロインはその後ろから付いていく。
無言でしばらく進めていくと、馬上のユーティーに気が付いた町の人々は、彼がいることで安心しているようで、この町に入った直後とは違い、まるでノイドの不審な黒装束など目に映っていないかのように、ユーティーに挨拶を交わしていた。
「こんにちわ」と、笑顔で一言だけ挨拶する者。
「今朝、出来の良い野菜が取れたので持って行くよ」と、自慢げな者。
「もうすぐ生まれそうな子供の為に、どうか妻と子の無事を願って今日も天使の祝福を頼むよ」と、真剣に願う者。
「ユーティー! 一緒に遊ぼうぜ!」と、友達のように接する数人の子供達。
さすが種族間の溝を修復した、そして神の眷属だけあってその信頼は高い。テノアでも神獣であるココにお祈りを捧げる者も多いが、それに対してユーティーは笑顔と言葉で返し、しかもちょっと頼りない、どこにでもいそうな気の良い若者のようで、天使と幻魔に上下関係の差がまるでない。
ここまで信頼関係が築けたのなら、もはや操る必要は無い。それどころか町の人々全てを操っていたら手の施しようが無い。
(天使はすぐ傍にいる。もし、この首を切り落としたり、心の臓に突き立てたりした場合、天使は殺せるのか? いや、それ以前に刃が通じない可能性の方が高いか……)
見た目こそひ弱そうな青年ではあるが、黒い竜の噛み付きを甘噛みと言い切り、あれほど硬質な音をさせていた頭のユーティーに、普通に剣が通じるとは思えない。
そもそも生と死の概念はあるのか? 神獣のように心臓が動いていない、あるいは心臓その物が無い状態で生きているのか? 千里聴を解除している為にその答えは分からない。
(やはり今は黙って見ていることしか出来ないか。触らぬ神に祟りなしとは、よく言ったものだ)
時おり話しかけてくる人達がいた為、しばらく黙っていたが、人影が無くなった瞬間を狙ってロインは近づき、先程クレオから聞きそびれた質問を繰り返した。
「ところで天使様、十六年前に天使様が神獣も連れていたって聞いたんですけど、一緒じゃないんですか?」
「ん~僕が連れてきたと言うより、勝手に助けに来てくれたって言うのが正解かな。実際に色々助けられましたから」
「だったらこの町にはいないのですか? 天使様に神獣が憑いていたんじゃないんですか?」
「憑いていたのは僕じゃないよ。一応親しい知人になるのかな? その人に憑いてるから。そう言えば……」
言葉を止めたユーティーは視線をロインが乗る馬の足元に向けた。馬のすぐ横をココがちょこちょこと軽く走っている。
「この子、君に憑いているんだよね。どうやって神獣に憑かせたの?」
「さあ、よく分からないんだよね。俺が物心付いた頃には既にいたし、父さん達の話だと生まれて数週間で俺に憑いて、それからずっと傍から離れなかったって聞いてる」
「生まれてすぐ!?」
突然の大声に二頭の馬が怯え、ノイドとロインが慌てて手綱を操る。「ごごごごごごめんなさい!」と、叫んだ本人も暴れかけた馬に怯え、ノイドに必死にしがみついている。
「で、でも不思議だよね、生まれて間もない赤ちゃんに憑くなんて聞いた事ないから」
「天使様でも知らないんですか?」
「うん、僕の知る限り魔獣にマナをあげ続けるしかないはずだけど……他にも方法があるのかな?」
「天使様? 天使様が言うその知人に会う事は出来ますか?」
時期が来れば会える、ヘリオドルグが言った言葉だ。今がその時であれば会えるチャンスでもある。もちろん、天使ですらロインにココが何故憑いているのか知らないと言われた以上、会えたとしてもその答えを知ることが出来るとは限らない。
ノイドはただ静かに警戒し、ロインはほんの少し期待を込めてユーティーの横顔を見つめる。だがユーティーは申し訳無さそうに首を左右に振った。
「ごめんね、知人と言っても親しい友達でもないし、それどころか友達なんて言ったら、死なない程度に記憶が消えるまで頭突き食らう羽目になるから、会わないほうが良いよ、ごめんね」
そう言ったユーティーは何か怖い記憶があるのか、滝のような涙を流し、おでこを方手で押さえ震えていた。
一瞬、二人は神の眷属をここまで怯えさせる存在とは何者だろうか、そう思ったがクレオに対する怯え方を見れば、相手が誰であろうと精神的に相当打たれ弱いようだ。
「うん、なんかごめん。ところで天使様、さっきの子供らが付いて来てるんだけど、良いの?」
「え?」
ユーティーが振り向くと、さっきの子供三人が一頭の馬に見事な手綱捌きで、隠れようともせず堂々と付いて来ていた。
一番前で手綱を握っているのは十二歳くらいの男の子。その後ろにいるのは十二と同じくらいの女の子で、一番後ろにいるのが六~七歳くらいの男の子だった。
ロイン達が暮らすテノアでも同じだが、馬小屋は入り口付近だけではなく町中に作られており、馬や家畜は個人ではなく町の皆の財産で、町で暮らす全員で世話をしていて、誰でも自由に乗る事が可能だ。
ただ、大人の監視無しでは十歳以下の幼い子供の騎乗を禁止しているテノアと違い、このシルケイトの町では子供だけでも乗れるよう許可が出されていた。
「チウ、アシャ、ヨオイ、三人とも、勝手について来ちゃ駄目だよ。今日はお客さんが来てて、遊べないって言ったでしょ?」
「あー大丈夫大丈夫、俺達は馬でちょっと散歩してるだけで、進んでる方向がたまたま同じだから」
前の男の子がニィっと白い歯を見せ、パタパタっと手を振っている。
真ん中の女の子と後ろの男の子は、うんうんと頷き同意している。
「もう……しょうがないな、僕らは森に入るけど三人は絶対付いてきちゃ駄目だからね」
「は~い!」と、三人は声を合わせ元気よく応える。天使様はもはや子供相手にも強く出れずにいた。そして当然と言うべきか、好奇心の塊である子供達の前ではロインはかっこうの的になっていた。
「なぁなぁ、兄ちゃん見ない顔だけどどこから来んだよ」
「お兄さんはこの町に何しに来たの?」
「にいちゃんおなかすいた?」
「兄ちゃんが腰に挿してる剣って使えんの?」
「お兄さんが着てる服もすごく素敵。手作り? それとも買ったの?」
「にいちゃんおしりいたい?」
「兄ちゃん剣よりも、もっと良い魔法武器持ったほうがいいんじゃないか? それじゃ子供向けだぜ」
「お兄さん恋人いる?」
「にいちゃんぴぃちゃんすき?」
「俺の魔法は凄いぜ! 何しろ賢者を目指してるからな!」
「お兄さん結婚してる? 私なら恋人もお嫁さんも全然大丈夫だよ」
「にいちゃん……おなかすいた?」
怒涛の質問攻めに、ロインが答える隙がまるで与えられなかった。ノイドに至っては完全に無視されており、子供ながらノイドが発している雰囲気に、さすがの子供の好奇心も付け入る隙は無かった。
もっとも質問は、途中から自己紹介的なものに変わっていて、しかも女の子の恋嫁発言に、ロインが一つも答える事無く男の子の好奇心は完全に消失していた。
「アシャ! こんなののどこが良いんだよ!」
「俺、こんなのなんだ」と、ロインは困ったように苦笑いを浮かべている。
「え~、だってこのお兄さんカッコ良いよ?」
「どこがだよ! 使えもしない剣なんて持ってるし、杖だって初心者用で弱そうじゃん!」
「剣もそれなりに使えるし、魔法も杖が無くても結構強いと思うけど……」と応えるも、子供達は全く聞いていない。
「あ~チウてば、もしかして焼いてるんだぁ~」
「ばっ! べ、別に焼いてねぇよ!」
「えぇ~、でも耳が赤いよ~?」
「赤くない! ただよそ者を初めて見たからちょっと興奮しただけだっ!」
「えぇ~、本当かしら~?」
やきもちを焼く男の子に意外と嬉しそうな表情を見せる女の子、一番小さな男の子を残し、二人だけの世界に入った。
痴話喧嘩により子供達の馬は歩く速度を落とし、どんどんと離れていき、最終的にその姿を消した。
特にすれ違う人はおらず、しばらく静かな沈黙に包まれていたが、立ち直ったロインが呟く。
「……なんか嵐のような子達だね」
「色々とごめんね、ロイン君」
「いや、別に良いんだけど。ところでぴぃちゃんて何?」
「ホイップの事だよ。ぴぃぴぃって鳴くから」
「なるほど。それにしても『三人組』ってのは特別な何かがあるのかな」
「何かって?」
「さっきの子達と言い、旅の途中で出会った傭兵も三人組だったし、俺も歳の近い友達二人と三人でよく一緒にいたし……まぁ妹が入れば四人組になるんだけどさ」
「友達三人組か……」、そう呟いたユーティーは空を仰いだ。
「ずっと一人ぼっちだった僕にはよく分からないや」
笑顔でそう言ったユーティーの目に、キラキラと滝のような涙が流れていた。
どう応えて良いか分からないロイン。同じように空を見上げると天使の影響を受けたのか、雨雲が流れ込んできてそのうち一雨降りそうな空模様だった。