82・竜の魂
「ロイン、ワシからはこれ以上何も命令せん。もう一度何か命令してみるがいい」
「命令? 良いけど……じゃあ右手を上げて……あ、上げた」
するとどうだろうか、ヘリオドルグの命令しか聞かないはずのゴーレムはロインの声に従い右手を上げていた。その後も「続けてみ」と推進を受け、「片足で跳んで」や「膝を抱えて丸くなって」などのいくつかの命令をゴーレムはこなしていく。
「凄い、言う事聞いてる。次はそうだな……ヘリオドルグさんを抱きかかえてみて」
と、今ままロインの命令に従っていたゴーレムは、拒否するように体ごと首を左右に振っている。
「あれ?」
「ワシがかけた魔法は別に竜の人形が他の奴の命令を聞くようにする魔法ではない。ノイド、すまぬがもう一度戦ってみてくれ。それで何の魔法をかけたか、おぬしなら分かるハズじゃ」
ロインに見せた意地悪な顔ではなく真面目な顔に、ノイドは小さく頷くとゴーレムにゆっくりと歩いていく。代わりにロインはゴーレムから離れていく、と慌てて途中で振り返りノイドとゴーレムを見た。
その目に映ったのは先程ヘリオドルグが見せた光景、抱きつくように左手はノイドの首に、右手は抜刀を阻止する為に脇差を押さえている。
足は短すぎたのか、両足を小さく前後に広げただけだったが、まぎれもなくへリオドルグがノイドを誘惑した動きを再現していた。
「……驚いた、今のゴーレムの動き、ヘリオドルグ殿が?」
「そうじゃよ、じゃがその答えではまだ不正解、半分だけじゃな」
「え? どう言う事?」と、ロインが首を傾げていると答えに気が付いたノイドは声を絞り出す。
「そうか……全て本物か。影武者などではない。操った訳でもない。どちらも中身はヘリオドルグ殿本人。それがあなたの見せたかった魔法か」
その答えに満足したのか、ヘリオドルグは満面の笑みを浮べ大きく頷く。
ただロインはまだ答えに到達していないのか、未だ必死に考えている。
「この魔法は単にワシの記憶を人形に植えつけただけじゃないぞ。『竜の魂』と呼ばれるこの魔法は自分の魂を複製し、器となる物にその魂を植えつける。例えるならこれは付喪神や、あるいは死なずしての輪廻転生のようなものか。生物であろうと例えそれが無生物であろうと、まぎれもなく本物の自分の分身を作る魔法じゃ」
「ごーれむの中身がヘリオドルグさん本人って事?」、誰に言うでもなく独り言で呟き、そして答えにたどり着く。
「あ……それってもしかして、父さんが持つ妖精竜刀にフスト……ディークさんだっけ? 本当に白の竜王の魂が入ってるって事?」
「そうじゃ。刀は声帯が無いゆえ声は出せんがそこは同じ竜族、そやつの魂とワシらの魂同士で会話は可能なんじゃよ。ワシはフストディークの魂から妖刀としてこの百年、何を見聞きしてきたのか、おぬしらがこの異空間に来てから極一部だけじゃが聞いたんじゃ」
それで自分達の事を色々知っていたのかとロインは納得した。
シャンバールでドルヴァンの居場所を妖刀が教えてくれたと聞いていたが、それは事実、魂を通じてフストディークが教えてくれたのだ。
本物の竜の肉体を持つ白の竜王は五十年近く前に死んでいる。しかし刀に姿を変えて白の竜王はまだ存在していた。何故ドルヴァンに武器を作らせたのか、おそらく初代半蔵であろう正成はどうやって故郷に帰ったのか、その真実を聞く事が出来る、そう希望が芽生えた二人はヘリオドルグに尋ねたのだが希望の芽はあっさりと摘まれてしまった。
「どうもこやつ何か企んでる節があるようじゃ、何も言わん。黒髪の人間であるおぬしらの事も所々隠しておるし、どうも沈黙を決めこんどるようじゃ。それと奴の我がままなどどうでも良いが、妖精竜刀と呼ばれるよりも妖刀ムラマサと呼ばれる方が響き的に気に入っているそうじゃからムラマサと呼べじゃと。ふん、大事な事は何も言わんくせに図々しい奴め。昔から誰にも言わず自分一体で事を進める奴じゃったが、百年経っても武器に姿を変えても変わらんのう」
「困った奴じゃ」と、首を振るヘリオドルグ。ふと何かに気が付いたロインが「あれ?」と声を上げノイドに尋ねた。
「ねぇ、百年経ってもって、やっぱり父さんの言うとおり百年で合っていたの? でもドルヴァンさんは作って五十年も経っていないって言っていたし父さんだって自分の勘違いだったって言っていたけど。これどうなってるの?」
「ロインにはまだ言っていなかったが伝えておくべきか、神隠しの事を」
ノイドは神隠しに関する情報をロインに伝える。
ただしヘリオドルグが十五年前の二人の転移についてフストディークからどこまで聞いているのか不明であり、場合によってヘリオドルグから全て伝わる可能性もあったが、あくまで場所と時間のズレのみ、それに初代半蔵が無事帰還している以上ここが異界、異世界の可能性は低くなっている事からそこは教える事はしなかった。
「待って、倍以上の時間差があるって事は、俺と父さんが生まれた里は既に三十年以上の時間が流れているって事?」
「もちろんその可能性はある。あるが先程言ったように必ずしも決まった事が起こるわけではない。里では三十年以上経っているかもしれないし、私達だけが歳を取っている可能性もあれば、十五年と同じ時間が流れたかもしれない。最悪数百年過ぎた可能性だって否定出来ない。こちらとしてはどんな情報でも良い、せめて何か知っている事があれば、元竜王でもあるムラマサから何か聞ければ良いが……」
背中のムラマサに意識を向けたままヘリオドルグを見る。ノイドが何を言いたいのか、小さく頷きしばらくムラマサを見つめた後、小さなため息をついた。
「これが情報になるのか知らんが『妖精の森、幻魔族の兄妹に会え』だそうじゃ。いくら数が少ないとは言えあの町にどれだけの幻魔族がおると思うんじゃ……訳がわからん」
呆れながら背を向け歩き出すとゴーレムは役目を終えたと言わんばかりに一瞬で崩れ、山になった土くれは土の中に消えていった。
再び石柱に胡坐を組み「どうじゃ? おぬしらには情報になりうるか?」との質問に二人はしっかりと頷いていた。
「ええ、十分です。ムラマサが誰に会わせたがっているのか見当はつきます。元より妖精の森にある幻魔の町に行く予定、四十数年前ならば当時を知る者も問題なくいるでしょう」
「そうか、なら良いが。しかしこやつが何も言わんせいでたいして役に立たずすまんな。食事で歓迎しようにも湖で魚か木の実くらいしか採れんし……そうじゃ、この身体が気に食わんなら竜の人形を使って二人が望む理想の女を作るぞ?」
断ろうとしたノイドだったがロインが何かを思い出したかのように「だったらお聞きしたい事があります」と声をだした。
「聞きたい事?」
「はい。ヘリオドルグさんて何十億年も生きておられるんですよね?」
「いや、最低でも百億は生きとるよ」
「そ、そうなんだ……それだけ生きているなら知識も豊富だと思うんですけど、神獣について何か知っていたら教えてもらえませんか?」
「なるほどのう、その辺りはちゃんと知っておるんじゃな」
「はい、おじいちゃん達の話では」
「そうか。じゃがほぼその通りじゃよ。おぬしが言ったように弱肉強食の世界で寿命が尽きるまで最後まで生き抜き、その生きた時間の間に膨大なマナを吸収した動物が魔獣化、そしてその魔獣もまた、最後まで討たれる事なく奇跡的に生き抜いた魔獣だけが神獣化する。そしてその場所を聖地と認識しその土地に憑き守護者となる」
「神獣が場所ではなく、誰かに憑く事は?」
「誰かか……あるぞ」
「あるんですか!? どうやって?」
思わず身を乗り出し石柱に座るヘリオドルグの腕を掴み詰め寄る。
しかし自分の行動に気が付いたロインは恥ずかしさをごまかすように、ごめんなさいと謝罪しながら離れた。
「よい。神獣に憑かれる方法はワシの知る限り一つ、その者が膨大なマナを魔獣に与えてやればよい」
「マナを与える……分け与える、魔量譲渡か」
マナを与える方法、それはロイン自身も使える、自分のマナを別の誰かに分け与える信仰系魔法を思い出した。
「そうじゃな、じゃが膨大なマナと言うのは幻魔族でも数百倍、人間族で言うなら数千倍から万のマナ量を言うじゃろう。それこそ一人で百体以上の精霊を召喚出来るほどのマナを持ち、正確な期間は分からぬが毎日それが可能な程の回復力が必要じゃろうな」
「そんなに!? それ以外では無い……んですよね、一つって言ってましたし」
「うむ、残念ながらな」
「ヘリオドルグ殿、それは神獣に憑かれた者が実在するって事ですよね? 個人に憑いた神獣、もしやそれは竜の巫女と呼ばれる女性、あなた方の知る方ではありませんか?」
神獣が誰かに憑く、その辺りから考え込んでいたノイドが口を挟む。それは三人の傭兵、サージディス達から聞いた情報だ。また『あなた方』と複数になっているのは妖刀の中に白の竜王も入っていたからだ。
「竜の巫女か……人間族がその巫女は誰の事を指しているかは知らんが見当はつく。確かにワシらの知り合いに神獣が憑いとるよ」
「その方にお会いする事は出来ませんか?」
真剣なロインの表情を受け、同じように真剣な顔で見返していたヘリオドルグだったが、クスッと笑った後「本当は止めておけ、と言いたいんじゃがのぉ」、そう言って肩をすくめた。
その視線はロインからノイド、正しくはノイドの背にある刀に向けられていた。
「ロインよ、おぬしの気持ちも分からんではないが……今は止めておけ。ただ、そ奴もフストディークの竜の魂の魔法を受けた物を持っておる。さっきも言うたが魂で会話も可能、しかもフストディーク本人の魂同士なら、どんなに距離が離れていてもその繋がりはワシらより強い。おぬしが望むも望まぬも、時期が来れば、あるいは会う必要性があればフストディークがおぬしらを引き合わせよう」
「……そうですか」
少々がっかりした面持ちを見せ、しばらくゴーレムが消えた地面を見つめていたが、時期が来れば会えるならと気を取り直し、「有難うございます」と笑顔で感謝を返した。