80・金の竜王ヘリオドルグ
「ワシがこの地の主、おぬし等がおそらく金の竜王と呼ぶ者。名は『ヘリオドルグ』と言う、よろしくな」
伝説の竜とは異なる、ロインより少し背が低く、人間と寸分違わぬ姿を持った金の竜王ヘリオドルグと名乗る女性。その長い髪は金の竜に相応しい金色ではなく、シャンバールの町にいた妖精族のエルフにも似た、人間や幻魔にはない緑色。
見た目には踊り子のような露出の多い服、しかもただでさえ半裸のような姿だがその服自体が肩にかけてあるストールと同じ薄い白の半透明。その為ほとんど服として機能しておらず、ほっそりへこんだお腹に、しかし大きく魅惑的な胸とお尻はほとんど隠れていない。幸い隠すべき局部には花にも似た刺繍が施されている為見えにくくはなっているが……。
細い線ながらも出るべき所は出る、その理想的な肉体をヘリオドルグは惜しげもなく晒し、またその顔立ちも美しく、彼女こそ絶世の美女と言えば大概の男性女性が納得するほどの美しさだった。
もっとも美しすぎるがゆえに、そして何より竜人達と異なり千里聴を使っても彼女からは心臓の音が一切聞こえない事から、二人にとってヘリオドルグと名乗る女性はどこか作り物の人形に見えていた。
ただそうと知りつつもノイドはともかく、さすがに年頃のロインには刺激が強すぎて目のやり場に少々困っていた。
「人間? 勘違いされてるようだが私とこの子は幻魔族……」
「あぁ、幻魔族の髪の色も紋様もワシ等には関係ないしその手の無駄はいらんよ。ワシにはおぬし等の人間としての匂い、気配、いや魂と言うべきか、それが見えておる。ここではそんなふりをせんでも良いし、それを他者にバラす気も無いしの。そんな事よりも……」
そう言ってぷらぷらと手を振っていたヘリオドルグは突然姿を消し、姿を現した時にはノイドに抱きついていた。
一瞬、いや刹那だった。ヘリオドルグは左腕でノイドの首に抱きつき、胸元に顔を寄せ潤んだ瞳で見上げている。
またその大きな胸を押し付け片足はノイドの長い両足の間に入れて更に密着、まるで自分の身体をノイドにこすり付けるような動きは妖しく卑猥にも見えるのだがロインの目には完全にはそうは映らなかった。
そう、何も見えなかった。
動体視力強化をしていなかったとは言え、ヘリオドルグがノイドに抱きつくまでの動きが見えていなかった。気が付けばそんな状況になっていた。
しかも驚くべきはノイドはヘリオドルグの動きに気付き脇差に手を掛けていたものの、ヘリオドルグの右手はノイドの抜刀を阻止していた。
もっとも止められたノイド自身は止められた事による驚きより、すり寄せてくるヘリオドルグをどう対処すべきか悩んでいた。
「のう、人間の男はこの手の行為が好きなんじゃろ? 歓迎しているのは事実、必要とあらばこの身体、おぬしの好きにしても良いぞ」
抜刀を止めた右手は誘うように、ノイドの胸、腰、足と撫でるように触れていく。
少々古風で歳よりじみた喋り方ではあったがその声と内容、その姿と仕草は非常に妖艶で、これが普通の男であればヘリオドルグの言う歓迎を有難く、そして喜んで受け入れた事だろう。
ただノイドは竜王ですら知らぬ忍の者、少々普通ではないと言える
「私も男だ、その手の事が嫌いだと否定するつもりは無い。無いが……『こんな怪物』を目の前にして興奮できるモノも出来ないでしょう」
そう言ったノイドの視線はヘリオドルグではなく、『何も無い空間』に向けられ苦笑いを浮かべた。
「ほう」とヘリオドルグは小さく感嘆の声を出す。ノイドの言葉とその視線に何か気が付いたのか、少し残念そうにゆっくり離れる。
離れながらもその視線はロインに向けられ、今度は先程見せた瞬間移動のような動きではなくゆっくりとロインに向かって歩き出した。
「風遁、疾風迅雷」
年頃の少年として、またノイドよりも普通の男として三割ほど目の前で揺れて近づいてくる大きな胸に心奪われ、二割は胸ばかりに気を取られぬ様に目のやり場に困りつつも、残りの五割はノイドの超反応さえも凌駕したヘリオドルグの行動を警戒し、動体視力強化や精霊魔法強化をかけ後に強化された疾風迅雷をかけ、すぐに逃げられるようにゆっくりと近づいてくるヘリオドルグを見ていた。
すぐ目の前で立ち止まったヘリオドルは、組んだ腕で自分の胸を寄せて上げ自慢の胸を更に強調して見せ付けた。
ノイドの時のように抱きつこうとしなかったのは、忍び装束の下に着込んだチェーンメイルのせいで密着してもあまり効果が無い、ならば魅惑的に見せようと判断した結果だった。
「おぬしはどうじゃ? 少年。ほれほれ、その若さならこう……こう熱い何かが身体の奥から湧き出るとか、押さえ切れん欲望があふれ出すとかあるじゃろ、この身体好きにして良いんじゃぞ、どうじゃ?」
両手を頭の後ろに少しだけ背を反らしてロインに胸をつき出してみたり、両手でわざと胸を揺らしてみたり、挙句に前かがみになってお尻をロインに向けて振るなどその姿は、どう見ても竜王などと伝説に伝えられるような凄い存在には見えない。
ロイン自身も正直に伝えるべきか迷いながらも、そこまで凄そうに見えないヘリオドルグと名乗る相手につつみ隠さず正直に答えていた。
「好きにしてって言われてもなぁ、父さんも言っていたけどアレは正直怖いって。それに……」
ロインもノイドが見ていた何も無い空間を見つつ、他に言う事があるのかヘリオドルグを真っ直ぐ見返す。
「それに?」
「それになんと言うか……竜族、て言うよりヘリオドルグさんてこの世界で一番最初に生まれた程の方なんでしょ? 何億年も生きて若作りしすぎているお年寄りに『どうじゃ?』と聞かれてもなぁ」
「……」
その瞬間、洞窟内は地響きとともに揺れ始めた。
その地震の規模は小さなものであったが、五秒、十秒と経っても止まる気配が無い。
しかし元々ここは異空間で竜王の手で作られた場所であり、世界から隔離されていると知っていた五人の竜騎士は特に気にしてはいなかった。
ロインもノイドもその揺れを最初は警戒をしたが、竜騎士達の落ち着いた態度に問題無いものとすぐに認識された。その中でヘリオドルグだけか俯き顔を真っ赤にし、自分の両腕で自らを抱きしめ必死に何かに耐えようとしていて、そしてその限界を超えたのかヘリオドルグはついに大爆発を起こした。
「あははははははははっ確かにっ! 確かにお前の言うとおりじゃ! あははははははっ!」
何がそんなに面白いのか、ヘリオドルグは倒れこみ両足をジタバタさせ、お腹を押さえ大爆笑し竜族も涙を流すのか、笑いすぎてその目に涙さえ浮かべていた。
「まさかワシの最高傑作、自慢のこの身体を老人扱い? 拒む人間の男なぞ初めてじゃぞ! あははははははっ! 正解過ぎて怒りを通り越して笑いしか起きんわ! 気に入った! 気に入ったぞロイン! ふっははははははっ!」
いまだ地響きが止まらない中で笑い転げるヘリオドルグだったが、彼女の笑いが落ち着いていくのに合わせ地震の揺れは止まっていく。
「あぁ、何万年ぶりじゃろうな、こんなに笑ったのは。たかだかン十年程度しか生きとらん人間ごときが、アレにも気付いておるくせこのワシに馬鹿正直に言い切るとわな小僧!」
━━ ……しかも神獣に守られた人間とわのう……神獣がおるからこそワシに気付きながら本気で恐れておらんのか、こんな人間だから神獣が憑いておるのか、それとも…… ━━
「いやはや、長生きするもんじゃ。ロイン、もし困った事があればワシの所に来い、この竜王ヘリオドルグが力を貸してやろう」
今回は胸を強調して見せる為ではなくただ感心したように、腕を組んで「うんうん」と機嫌よさげに何度も頷いている。と、そんなヘリオドルグの言葉に一つ疑問が生まれ、ロインは質問をした。
「あれ? ヘリオドルグさん何で俺の名を知ってるんですか? ヘリオドルグさんの名前は聞きましたけど俺も父さんも俺の名前なんて一度も言っていませんよね?」
「名前は『フストディーク』からさっき聞いたわい」
「ん? さっき? フストディーク?……って誰?」
「それに関しては後で詳しく話そう。そんな事よりも今は歓迎じゃ、褒美はどうしたもんかのぅ」
「褒美?」
「ほれ、おぬし等は見事あの迷路を抜けてこの竜の地へたどり着いたじゃろ、昔からあの迷路を無事抜けてきた人間は大概が男でのう、褒美としてこの身体を好きに抱かせておったんじゃが、今回初めておぬし等に断られたしどうしたもんかと思うての。知人とちごうて人間の事はよく知らんで」
「ん~」と、唸り考え込むヘリオドルグに今まで黙っていたノイドが会話に入ってくる。
「ヘリオドルグ殿」
「ん~ん? どうした?」
「その褒美、この背中の物の事を教えてくれる事ではなかったのですか?」
ノイドはそっと背中の妖刀に触れ、ロインも「あっ」と思い出す。
「ほんとだ、ダイナさんから主が教えてくれるって聞いたんだっけ」
「全て分かっておる訳ではないが、もとより褒美抜きでワシの知る限りは全部教えるつもりだったのじゃが……。本当にいらんのか? 褒美」
「ええ、褒美は不要。この妖刀に関する情報をお持ちでしたら全て教えていただきたい」
「おぬしらがそれで良いと言うならそうするが……まぁ良い。さて、まずはノイドが持つ妖刀ムラマサだが……」
ヘリオドルグはくるりと背を向け歩き出すと、高さ一メートルほどの小さな石柱の上に飛び乗り二人の方に身体を向け胡坐をかき、二人がまだ教えていない事を口にする。
ロインだけでなくノイドの名はもちろん、刀の名まで知っているのは驚きだが、二人は驚きを顔には出さず聞く事に集中している。
「刀の正体はおぬし等が白の竜王と呼ぶ、フストディーク本人じゃ」