79・竜の地
「向こうに戦う意思は無い。私達はよそ者、招かれざる客。目的は南に渡る事であって争う事ではない」
「招かれざる客などとんでもない。それどころか理解力のある方々で助かります」
ノイドの言葉に空から降りてきた人物が、見た目にまるで合わないほどの可愛らしい声で答えた。
白い鱗のような硬質な肌。頭に白い二本のツノ、口は犬のように前に突き出ていて口のすき間からは長く鋭い牙が見え隠れしている。
逞しい手足はもちろん指も太く、そこから生える爪は牙にも劣らぬほど鋭く大きい。
一見眼下にいる者達とほぼ同じ姿だが、よく見れば異なる部分があるのが分かる。
大きく違うのは身体の色とその背中に生えた翼で、ここから見る限り目の前にいる存在のような翼を持った者はいない。
太い骨格に薄い膜が覆った翼、大きく広げられていた翼は着地と同時に素早く畳まれている。
その姿はまるで小さくなった竜、と言っても三メートルを超えているのだが、人のように二本足で立っていた。
小さく「やっぱり竜族」とロインは呟く。神獣のように本当に光っているわけではないが、その異形な姿とは裏腹に、朝日の光りを受け、青い瞳はキラキラと美しく輝いていた。
「我ら竜人の姿は人間離れしていて、そのおかげで昔から初めてこの姿、竜人を見る他種族は我らを魔物と勘違いする者が多く、私も随分苦労したけど今回はすぐに分かってもらえて嬉しく思います」
声からしてかなり若い女性のようだが、竜族の寿命は数百数千年どころか、万を超えるとも言われている為、昔と言うのがどれほどの時を指すのか分からない。
竜人の女は突き出た口に無数の皺が出来るほど歪め、その青い瞳は閉じられていた。
彼女の言うとおり異形の為その表情から感情は分からないが、その声は言葉通り本当に嬉しそうな声だと二人は感じた。
「客人、と言う事は私達二人は歓迎されてると?」
「もちろん。我らが主は君達を招待、是非お話をしたいとおっしゃられています」
一度考える姿を見せるノイドだったが、それを困っていると勘違いしたのか、竜人は間髪いれず付け加える。
「招待を受け入れてくれるなら、君の背にある物の事も話せるだろうとも主は言っておりました」
竜族の事は同じ竜族が一番知っているだろうし、もしかすると白の竜王に関してドルヴァンから聞いた以上の事も何か聞けるかもしれない。
敵ではないが敵にならない保障も無いが、今は情報を得る為に「こちらも是非お聞きしたい事がある」と受け入れると、竜人は先程と同じような口を歪めた表情をした。
「良かった! 改めてご挨拶を。ようこそ竜の地へ! 私は主の傍にいる事を許された竜人、君達から見ると騎士、従者や竜騎士と言った方が分かりやすいかな。本来我ら竜人は君達や主のように名は不要なのだけど、主から名を与えられました。私の事は『ダイナ』とお呼びください」
返ってきたその声は先程よりも明るく嬉しそうだった。
ダイナに連れられロイン達は、東側にある少々急な下り坂を下っていく。
この竜の地から迷路の出入り口は西側と東側の二箇所のみ。迷路と竜の地を繋ぐのは外周側面だけに作られたこの坂道と反対側の坂道だけだ。
もっとも翼を持つダイナも風遁術で落下速度を操れる二人にとって、わざわざ使わなくとも一気に飛び降りれば早かったのだが。
下まで降りて分かった事は、竜の地の外周にある無数の穴は窓、つまりここで暮らす竜族は巨大迷路の真下に彼らが住む家、部屋があったと言う事。
上から見た時はその白っぽい色から砂で埋まっていると思っていたが実際に触れると土であり、水路、溝を掘って湖から植物に水を与えていて、湿った土の匂いが辺りに包まれていた事。
そして竜人の外見は男女の差は全く無い。身長や大きさも差がない為、大人か子供かすら分からない。他の種族の者が竜族の性別や年齢を判別するには、声で確認するか直接本人に聞くかしないと分からないようだ。
「ダイナさんの白い肌? とか羽のあるなしで男性か女性か分からないんですか?」
質問しながらも千里視で窓の向こう、竜人が生活している部屋をのぞき見ると身体の大きさに比例し、かなり広い部屋だが椅子や机なのだろう、石か土か材質は不明な何かで作られた家具らしき物があるだけだ。
ただ気になるのは千里聴で聞こえてくるのは活動の音だけ、彼らの会話は一切聞こえてこない。
「竜人の肌は紫のような色が普通で私の白い違う肌の色は従者の証なの。翼も同じで無いのが普通の竜人ですから。男か女かその辺りは遠慮なく本人に直接聞いてもらっても大丈夫ですよ。正直私も他の種族の性別なんて見ただけで分かりませんからね」
「え? じゃー俺と父さんの性別は分かる?」
「お父さんですからノイドは男性です」
「あ!……やってしまった」
質問のはずが答えを言ってしまった事にロインは若干呆然となる。
ノイドは一番後ろを付いて歩いているがその顔は無表情で特に気にせず二人の会話を聞き入っている。
「ロインも男性だけどノイドより背が低いからまだ幼い子供なのかな?」
「正解だよ。正解だけどなにか悔しいな。言っとくけど幼くないし俺の背は低くないよ! 父さんが高すぎるだけだから!」
「そうなの? ふふっ、それはごめんなさいね」
「いや、まぁ良いんだけど」
なんでこの人こんな嬉しそうに謝るんだろう? そう口に出さず思っていると「あれです。あちらに我ら主がおられます」と、その大きな爪を使って目的の居場所を指差す。
今三人と一匹が向かっている場所、東側から北側に数百メートル歩いた場所、そこにダイナが言う主、竜王がいる場所。
その辺りには窓は無く高さ横幅が四メートル以上の出入り口が一つあり、その横に彼女と同じ翼を持つ竜騎士が一人立っている。
ただ扉があって空気も通さないほど密封状態で閉じられているのか、それとも何か魔法で守られているのか千里視の風を送る事が出来ず、その奥がどうなっているのかどんな存在がいるのか分からない。
しばらく歩いてノイドも千里視千里聴の射程に入り、しかしそれ以上探る事が出来ず少しだけ目を細めた。
出入り口に近づき横に立つ竜騎士の前まで来ると、その大きさと姿形がダイナとほとんど同じだと分かる。唯一違うのは肌の色、ダイナのような白ではなく緑の肌をしていた。
「おおお! 二人以上があの迷路を同時に抜けてくるなんて初めてじゃないか! たいしたものだ、さぁさぁ主は奥でお待ちだ、入るが良い」
低い声で男性と分かる緑の竜騎士、ダイナ同様に歓迎してくれていると言うのは分かる。
ダイナが「どうぞ中へ」と先に扉の無い真っ暗闇の中に入っていく。
肉眼でも見れず千里視でも中がどうなっているのか見れないことから、魔法による結界があるのだろうと二人は考えた。
一瞬だけ迷ったもののロイン達は後に続く。出入り口にいた緑の竜騎士はそのままそこにいて付いてこない。しかし出入り口をくぐった瞬間二人は驚き思わず動きを止めてしまう。声が出なかったのは幸いだと言えよう。
「ノイド、ロイン、どうしました?」
「……ええ、少し驚いただけです。この洞窟内、と呼んで良いのか分かりませんが明らかに外と中の高さがあっていませんので」
なんとか答えたノイドと口を開けて呆然としているロインは、改めて肉眼と千里視で洞窟内を見た。
洞窟内の形としては半球体だろうか、少なくとも肉眼で見る限りそう見える。
明かりは自然なのか魔法なのか不明だが洞窟内の岩、壁床天井全体がほんのりと白い光り発していて、二人のように夜目が利かなくとも十分目視出来るほどの明るさがあった。
この竜の地の地上から迷路がある高さまでおよそ四十メートル以上の高さがある。
射程百メートルを超える千里視を使えば、下から上にある迷路もある程度の確認はできる。
当然出入り口をくぐるまで中の空間を見ることは出来なくとも、その上にある迷路がどうなっているのか見る事が出来ていた。
しかし、この地と精霊強化魔法によって射程二百を軽く超えるはずのロインですら、その空間の天井と端まで千里視の風が届く事は無かった。
つまり逆さつららや迷路があるはずの場所、その場所より更に上、迷路の上空にこの洞窟の天井があると言う事になる。
「よく分かりましたね。でも大丈夫です、ここは主が作った異空間ですから、ここと外が一致しないのは当然ですよ。さぁこちらへ」
「……異空間」
改めて見回すとこの洞窟内の中央には、色も太さも高さも様々な円柱の形をした半透明の石が多数立っていた。
小さいものはロインの腕くらいの太さや膝くらいの低いものから、大きいものは百人以上の大人の人間が乗れる太さ、百メートルを超える程の高さのものまである。
大中小と様々で、しかもどれもが研磨され、美しく磨き上げられていた。
これら全てが本物の宝石か偽者か二人には分からなかったが、もし本物なら一体どれ程の価値、宝となるだろうか。
世界の最初にして最古、そして最強の生物と言われている竜王が作り出したこの場所。
ガーレット山脈にかけられた幻覚を見せる魔法、元々ある空間に異なる空間を作る能力。
竜人達が主と呼ぶ竜王はどれ程の力と能力を持っているのか、そんな事を考えながら二人はダイナの後ろをついて行く。
しばらく進むと千里視の射程が長いロインが先に、その後ノイドが後から気が付く。
円柱型の石柱が小さく並ぶ中、四人の竜騎士が立っていた。
うち三人は外にいた者と同じ緑の竜騎士と、もう一人はダイナと同じ白の竜騎士。
次に気が付いたのは竜人や竜騎士とは完全に異なる姿を持つ者。
無数に立ち並ぶうちの一本、数十メートルほどの高さの石柱の上に方膝をかかえて座っている者が一人、しかしその姿は千里視で見る限り自分達と同じ人間や幻魔と同じ姿形をしていた。
そして……。
「主よ、客人が参られました」
緑の竜騎士一体が大声ではない普通の声を出す、少なくとも彼は男性だ。
その声が聞こえた、訳ではないだろうが石柱の上にいた者は翼も無いのに飛び降りた。
その人物は重力に逆らい、たんぽぽの綿毛のように緩やかに、ゆっくりと舞い降りる。
降りてきた者は音も無く方膝をついて着地、両腕に絡ませていた薄い半透明のストールのような物がふわふわとゆっくり、元々かけていた肩の上に戻ると同時にその者は静かに立ち上がる。
そして見開いた青い瞳が二人を写し、艶のある声が辺りに響き渡る。
「ようこそ竜の地へ。心から歓迎しよう、人間」
竜族の証である青い瞳を除けば、普通の人間や幻魔どころか、まるで天女のような美しい女性が優しげに微笑んでいた。