75.悪魔小僧
「ドルヴァン殿、確認をしたいのですが、南に渡るのはこの町から南に流れたミスリルを 買い戻す為、それは分かりました。しかし、何故それが人間族の町ではなく妖精の森に守られた幻魔の町なのですか?」
「そうか、お前さん方幻魔族は人間族と違って、国がないから土地が離れすぎると交流、正確な情報交換があまり無いんだったな。まぁ俺達妖精族も似たようなもんだ、他人の事言えんが。まずシルケイト商会は知っているか?」
「ええ、知っています。この子が今着ている服はそのシルケイト商会から頂いた物ですから」
「なら話が早い。この町のミスリルは東アティセラを除き北、南、西に流れている。そして南に流れたミスリル全てを管理してるのが、そのシルケイト商会だ。そしてそのシルケイト商会、三代目の現会長にして南アティセラにある幻魔の町の賢者、それが俺が言った悪魔小僧ことユーティー・シルケイトだ」
ノイドとロインはゆっくり、そして小さく呼吸を繰り返す、自らを落ち着かせる為に。
この旅の目的は忍びの里が何処にあるのか、そして帰る方法を探す事。
しかし、もう一つ、義父ペンダーの依頼がある。
それがドルヴァンの使いとして、ごく自然にこちらから接触するチャンスがやってきたのだ。
幻魔と人間の争いを終わらせた天使。その天使は今、南の幻魔の町、シルケイトの町の賢者として暮らしている。
もしも今ある平穏が天使が望んだ事なら、それ以上自分は何もする必要は無い。
しかし、ドルヴァンはその天使の事を悪魔小僧と言った。もしも戦場で殺戮を見せた悪魔が、その悪魔小僧と深く関係しているのであれば放置は出来ない。
「驚きました、まさか噂に聞くシルケイト商会の会長が、同じ幻魔が住む町の賢者だったとは。それにしても悪魔小僧ですか、私達が聞いたかぎり戦争を終わらせた天使様と聞いていましたが、何故悪魔小僧なのですか?」
「俺の場合は見た目と言うか、あいつの翼を見て『ああ、悪魔っぽいな』と思って、俺が勝手にそう呼んでいる。ただ……」
そこまで言ってドルヴァンは口をつぐんだ。ノイドが「ただ?」と続きを聞き返したが、天井を見上げ短いあご髭を弄っている。
視線を落とし再び酒を一気飲み干す、しかし、コップには注がず空になったコップをくるくると回して見つめていた。
ノイドはドルヴァンが話すまで、それ以上口に出さず黙り、ロインはそんな二人を黙って見ている。そしてコップを静かに置いて、語り始めた。
「こいつはあくまで人間族の噂だ。直接取引をしている、小僧をよく知る俺としては全部嘘だと思っている。いるがこれが本当か嘘か正直分からん。俺は他人を落とすような話題をペラペラと喋りたくはない。だがそんな噂も一部の人間族にはあると思って聞いてほしい。現会長ユーティー・シルケイトは……先代会長とその息子を殺害し、今の商会を乗っ取ったと言われている」
「なるほど、でもそれがただの噂であって事実ではないと、ドルヴァン殿には信じられる根拠、何かがあるのですね」
「その通りだ!」
テーブルが壊れるんじゃないかと思うくらい、強くテーブルを両手で叩いたドルヴァンは同時に立ち上がる。
コップを手に取り酒を飲もうとし、空だった事に気付き注いでから一気に飲み干す。「これ何杯目だっけ?」と呆れているロインを無視し、自分とノイドのコップに注ぐ。
そしてドガッっと椅子が壊れるんじゃないかと、そう思えるくらい落ちるように座り直し、また一度、今度は片手で握り拳を作りテーブルを強く叩く。
「よく聞けよ、そもそもだ、もしそれが事実なら何故テンタルースの国王は放置している? 何故捕まえない? 隣のサーファンも同じだ、戦が終わった後で王都に店を作り、更に今も流通の改善だとコルモナの港に支店を作る話が出ている。噂が本当なら悪魔小僧は今頃討伐されている」
「確かにドルヴァン殿のおっしゃるとおりだ」
言葉では賛同しているノイドだが、心のうちは真逆だった。
『いや違うな、残念だがそれでは信じるに値する根拠、理由にはならない。幻魔族や悪魔を操ったんだ、そんな者が人間を操れないとは思えない。もしも、そのユーティー・シルケイトなる者が本物の天使であろうが悪魔であろうが、そいつは二国の王をも操れるし、既に操っている可能性すらある。だからこそ出来る事なら城に潜入し、王と接触を図りたかったのだが』
ノイドがそこまで考えていた時、「なんてな」と、ドルヴァンが何かを悟ったような表情で呟いた。
考えるのを止めたノイドは、ドルヴァンがまだ何か言おうとしている事に気が付き、聞く事に集中する、そして……。
「悪魔小僧は確かに人間じゃない。小僧がもしも噂どおりに商会の人間を殺して乗っ取って、人間のふりをしてまで商会を引き継いだと言うのなら、それはきっと、小僧にとっては耐え難い、つらく悲しい事だったと思うよ」
「ドルヴァン殿は随分と天使様の肩を持っておられるのですね。あなたはどうしてそこまでその者を信じられるのですか?」
「ふん、所詮人間なんぞ、自分の都合の悪い事でさえなければ、嘘でも他人を突き落とす噂を喜んで流す種族だ、そんなもの信ずるに足らん。まぁ小僧の所から買ってきてくれと言ってるんだ、ついでに自分の眼で確かめてみるといい。直接会えば小僧が良い奴だと分かるさ。」
「そうですね、そうさせていただきます。それで一つ目は分かりましたが二つ目は?」
その瞬間ドルヴァンの体が大きくなったようにロインは見えた。
ロインとノイドが剣の鍛錬をしている時、ノイドが本気を出した時、その体が大きく見えることがある。それとは違い、盗賊達を殺した時のように殺意を持った時は、大きさは変わらないのにノイドの放つ雰囲気が変わる。例えるならそれは何百と言う鋭利な刀、剣、刃物が密集した、その中に手を突っ込んでいく、身体を押し込んでいく、そんな感覚、心境に至る。
ドルヴァンが見せた気配は、まさに殺気こそ無いが全力で戦おうとする、言わば戦意や闘気のような気配を漂わせていた。
ロインが気が付くのなら、ノイドも気付いているだろう。そしてやはりと言うべきか、ドルヴァンの頼みが何なのか理解し、納得した表情で答えを聞く前にノイドが答えた。
「いえ、何を望んでいるのか分かりました。お話どおり、あなたは本当に根っからの戦士なのですね」
「そうだとも、俺が戦士じゃなければ鍛冶師だってやっていない。それこそパンでも焼いてのんびりと、戦いとは縁のない生活を送っていただろうさ」
「ははっ、パンですか、とても想像が出来ませんね。ところでタダナリは強かったのですか?」
「ああ、強かったとも。小手先の無い剣だけの、正面切っての戦いならほぼ全勝で勝てたんだが、その速さと身のこなしを活かし虚をついた、逆にわざと俺に虚をつかせた戦い方や、突然武器を使わない素手での戦いをされた時は結局、一度も勝てなかったな」
その戦いは模擬戦とは言え本当に楽しかったのだろう。ドルヴァンは遠い目をして、過去を懐かしむように、嬉しそうな、しかしどこか寂しげな笑顔を見せていた。
ノイドはそんなドルヴァンを暫く見つめた後、残った酒を一気に飲み干す。そして『もういらない』と意思表示を見せる為、コップをひっくり返し底が上になるように置く。
「ミスリルの購入、そしてドルヴァン殿と戦う事、この二つの依頼、引き受けましょう」
「有難う、その代わり刀の方は期待しろ。ただ、竜王のくれた素材はもう無い、それと全く同じ刀はさすがに作れん。素材はミスリルで作る事になるだろうが……」
「それについても話しますが、少々南アティセラに向かうにあたり助けてほしい事があります」
「助けてほしい事とは?」
「南アティセラの地図、もしも可能ならば大陸全域の地図を見せていただけませんか?」
ドルヴァンは二つ目の甕に手を付け、誰もいなくなった部屋で一人酒を飲んでいた。
この町で一泊せず、代わりに二人は少しだけ仮眠を取りたいと、奥の部屋を貸している。
空になったコップに注ごうと甕に手を掛けるも、その減り具合に一瞬だけ動きを止め、しかし結局注ぎ、その一杯は一気に飲み干さずちびちびと飲みながら一人ごちていた。
「ふぅ~……ちと調子に乗って飲みすぎたか。渡した小僧への手紙には酒の事も書いておいたが……在庫があれば良いんだが。にしてもノイドか、タダナリもそうだったが明らかに普通の幻魔族ではないな。ロインもまだまだ若いが将来が楽しみだ。……ただなぁタダナリよ、俺はお前の子や関係者ではなく、お前自身とこの酒を飲み交したかったんだがなぁ」
二人がいた時のような豪快さはなく、しんみりとした時間が過ぎる。
コップに残った酒を飲み干そうとし、しかし手を止めてたドルヴァンは何かを思い出したかのように小さく呟いた。
「あ……聞き忘れたな。ロインのすぐ傍にいた奴、なんて動物なのか。まっ、戻ってきた時に聞けば良いか。」
一気に飲み干した後、ノイドのマネをしてコップを裏返し、何故か店の方に歩いていく。椅子に座ったドルヴァンは腕を組み、壁に背を預け目を閉じた。その顔は本当に嬉しそうだ。
「四十五年ぶりの我が子の再会だ、今夜は良い夢が見れそうだ。明日からは忙しくなる、ちと早いが俺も寝ておくか」